CIA東京支局の存在、日米が公表に反対 ケネディ暗殺文書で判明

高野遼=ワシントン 松山尚幹

 ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件をめぐり、これまで非公開とされてきた8万ページ近い文書が、トランプ米大統領の命令で機密解除された。世界各地で諜報(ちょうほう)活動をしてきた米中央情報局(CIA)に関連し、日本での活動を明らかにする文書も開示された。

 「東京支局の公式認定」。そう題された1996年3月の文書には、暗殺事件をめぐる情報公開を進めるにあたり、CIAの「東京支局」の存在が公になる資料を公表してよいかどうかについての米当局内部のやりとりが記録されていた。

 暗殺事件が起きたのは63年。そのためこの前後の資料が多いが、92年から段階的に始まった機密解除の過程で作成された比較的近年の公文書もあり、情報公開の対象に含まれている。日本に言及があったのは、そのうちの一通だ。

記事のなかでは、今回公開された公文書を全文掲載するとともに、どの部分が新たに機密解除されたのかも明示しています。

 文書によると、当時のモンデール駐日大使らが「日本におけるCIA支局の存在に言及する、いかなる情報の公開にも強く反対する。日米関係に悪影響を及ぼす可能性がある」と本国に伝達していた。

 文書では「日本政府は公には情報収集活動の存在を認めておらず、当然ながら米国の情報機関との協力関係も公に認めていない」と指摘されている。もしCIA東京支局の存在が公になれば、これを否定してきた過去の日本政府の立場と矛盾し、自民党が左派からの攻撃を受けるとの懸念も示され、「沖縄の米軍基地問題をめぐる交渉が続くなか、米国の活動に関する疑問を招くような事態は避けるべきだ」とされた。

 1994年には、CIAが1950~60年代に自民党に資金提供していたと米紙ニューヨーク・タイムズによって報じられ、大きな問題となっていた。外相だった河野洋平氏がモンデール大使に対して「保守派の政治指導者にとっても、日米の安全保障関係にとっても深刻なダメージになると説明し、米国政府による情報開示をしないよう強く求めた」とも文書には記されている。

 この文書は遅くとも2017年には公開されていたが、従来は「日本」や「東京」「自民党」といった単語は塗りつぶされており、今回初めてそれらが明示された。

河野元外相の事務所「30年前のことで記憶も確かでない」

 河野氏は1995年の参院予算委員会で「CIAが日本に存在するかどうか、そしてCIAが組織的に活動しているかどうかについて、我々は一切承知をしておりません」と答弁していた。だが米国側の文書が正しければ、同時期に米国に対し、日本におけるCIAの活動を公式に認めないよう要請していたことになる。

 河野氏の事務所は3月31日、「30年前のことで記憶も確かではないので、取材を受けることができません」とコメントした。

 CIAは冷戦下での米ソ対立などを背景に、日本を含む各地で活動していたとみられる。

 1960年代に作成された文書によると、当時のCIAは国外に約3700人の要員を配置しており、各国の大使館で勤務する政治部門の職員のうち47%は諜報要員だったとも明かされている。

 また日本のほかにも、ブリュッセルやヘルシンキ、ルクセンブルク、オスロ、マドリード、ストックホルム、ジュネーブといった欧州の各都市に加え、インドやチュニジア、モロッコといった国々にもCIAが拠点を持っていたことを示す90年代の文書もあった。CIAはこうした情報について、現地政府の事情や、隣国との関係などに配慮して非公開とするよう求めていた。

 インテリジェンスに詳しい日大危機管理学部の小谷賢教授は「CIAが東京に支局を持っていること自体は、公文書や様々な歴史研究から明らかになっているが、90年代においても日米双方がその存在を隠そうとしていたと判明したことが、歴史資料としての価値だ」との見方を示した。

 1995年には、日米自動車交渉の過程で、CIAによって日本側の通信が傍受されたとの報道も出て、物議を醸していた。「米国としては、さらなる日米関係の悪化を恐れていたと考えられる。相手国での情報収集が表に出れば、友好関係は台無しになる」とも語った。

機密解除で見えたことは CIAの諜報手段が次々と

 ケネディ氏暗殺事件をめぐる膨大な資料が公開されたことで、米メディアや専門家らは分析を急いでいる。新たな真相を期待する声もあったが、現時点では「大きな発見は全くなかった」(米紙ニューヨーク・タイムズ)といった評価が大勢だ。

ケネディ大統領暗殺事件

1963年11月22日、米南部テキサス州ダラスでのパレードで、オープンカーに乗っていたケネディ大統領が狙撃され、46歳で死亡した。リー・オズワルド容疑者が逮捕されたが、24日に警察署で別の男に撃たれて死亡。政府調査委員会は64年、「オズワルド容疑者による単独犯行」と報告したが、CIAなどによる陰謀との声も残る。

 事件の翌年に公表された政府の調査報告では、暗殺はオズワルド容疑者の「単独犯行」だったと結論づけられた。だがその後も、狙撃犯がもう一人いたという複数犯説や、背後にCIAの関与があったという説などが消えることはなかった。

 今回公開された資料でも、オズワルド容疑者の単独犯行説を覆すような情報はいまのところ見つかっていない。トランプ氏自身も「衝撃的なものは何もないと思っている」との認識を明かしている。

 では、なぜ事件に関する資料の一部は、これまで機密解除されなかったのか。

 その大きな理由の一つは、CIAなどが諜報(ちょうほう)活動の秘密を守ろうとしたことにある。今回公開された資料には、CIAが世界各地で繰り広げる諜報活動の手法や情報源なども記載され、日本をめぐる文書もその一例だ。

 ある資料では、CIAの技術部門が盗聴器を探し出すためにX線などを使った「透視スキャン」の手法を開発したことが記載されていた。

 また、キューバのカストロ国家評議会議長(当時)の友人の実名を挙げ、CIAのエージェントとしてキューバの革命派の動きを報告するよう求める計画があったことを記載した文書もあった。

トランプ氏はなぜ全面公開に踏み切ったか

 こうした諜報手法の詳細や、情報源の実名はこれまでは非公開とされていた。暗殺事件をめぐる情報公開を定めた法律では、米国の軍事防衛や諜報活動、外交に深刻な脅威をもたらし、その影響が国民の知る権利を上回る場合には、公開を延期できると定めているからだ。

 それが一転して公開されたのは、トランプ氏の公約実現に向けた強い意向があったためだ。

 事件に関する資料は、1992年に制定された法律によって、25年以内に原則公開することが決定。その後、段階的に機密解除が進められ、米メディアによると、2023年までには全体の99%が開示された。

 今回、新たに機密解除された資料をみると、資料自体はすでに開示済みだったが、塗りつぶされていた部分が全面公開されたケースが目立つ。

 存命の人の社会保障番号といった個人情報まで開示されたことから、米メディアでは問題視する声もある。だがトランプ氏は「私は何も消去したくなかった。消去すれば、人々はなぜ消去したのかと疑問を持つ。何かそこにあるはずだと。だから我々は社会保障番号もすべて公開した」と語った。

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高野遼
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