こうして瞼を閉じれば、今でもあの光景が思い浮かぶ。
業火と血だまりで真っ赤に染まった惨状。
昨日まで、今朝まで人々が往来し賑やかな喧噪に包まれていた町が見る影もなく破壊されている。
瓦礫の山の中央に鎮座する漆黒の龍。
龍が飛び去った後、自分の手に残されたのは鶴嘴たった1本。
愛する人たちが蹂躙され、誰一人いなくなった悲しみ。
その悲しみを拭い去るように、抱きかかえた鶴嘴から感じるのは優しい温もり。
誰かが言った。「これは俺たちの誇りだ」と。
誰かが言った。「俺たちの魂はここに宿る」と。
偉大なお方が言っていた。「想いは物に残り、形見として継承される」と。
――ああ、ここにいる。その身体が朽ちてなお。その誇りは、魂は、優しさは。一つも変わらずここにある。
俺たちは。オレたちは。私は。
お前と。キミと。あなたと。
共に在る。
「レベル”2”……!?」
ヘスティアは驚愕した。東方の神『アマテラス』から恩恵を授かったと言っていたリュウマ。しかしそれは故郷を旅立つ際の1回だけだったはず。
「もう1回確認するけど、ステイタスを更新したことはないんだね?」
何度問いかけても返ってくるのは「はい」の2文字のみ。信じられない気持ちで、だが今まで眷属のいなかった自分が無知だっただけなのかもしれない。助けを求めるように後ろを振り返るも、ゴブニュは静かに首を横に振る。
前例がない。ステイタス更新なしでの【ランクアップ】なんて。
しかもすでに【発展】アビリティの選択やそれに伴うスキル発現まで完了しているなんて。
まるで
感じた嫌な予感を振り払うように頭を振る。
「――これが今の君のステイタスだよ」
紙に書き写しリュウマに渡す。受け取ったリュウマはいまいち見方が分からないのか首を傾げている。
「かいつまんで説明するけど、今の君はLv.2。普通はありえないはずの【ランクアップ】を完了しちゃってる状態にある」
「何かマズイんですか?」
「まさか。【ランクアップ】することは悪いことじゃない」
少しでも強くなれば生存確率が上がる。ヘスティアにとってもリュウマにとっても悪い話ではない。
「原因が分からないのは不気味だけど、とりあえずそれは置いとこう」
そう。ランクアップ以外にもマズイことはある。
「それは、君の【スキル】がレアスキルであることだ」
リュウマの持つ紙を覗き込んだゴブニュも驚いたように目を見開いている。
「【鶴嘴】だと? そんな馬鹿なアビリティがあるか?」
「少なくともボクは聞いたことがないね」
例えば【発掘】や【採掘】といった発展アビリティはそう珍しくない。ドロップアイテムが出る確率が向上するというシンプルなスキルは、強くなるよりも安全圏内で安定した収入が欲しい、そういう願望を抱いている冒険者に発現しやすい傾向にある。
おそらくは【スキル】にもある《希少素材の獲得確率上昇》もそれに類するモノだと考えて良いだろう。ただ――
「特定の武器……? 早熟……? そんな発動条件、スキル内容があるか?」
困惑するゴブニュを放ってヘスティアは思い出す。同じ《早熟する。》スキルが発現した
間違いなくレアスキル。おそらくは【発掘】や【採掘】の上位互換。いやそれとはまったくの別物かもしれない。
「それともう1つのスキルもレアスキルだろうね」
「逆境下での覚醒、か。たしかに聞いたことはないな」
聞き馴染みのないスキル名とその内容。どういう条件でどのような効果が得られるのかは分からないが、それなりにファミリアを率いてきた経験のあるゴブニュが初見ということは間違いなくレアスキルと呼んでいいだろう。
原因不明のレベルアップ。2つも発現したレアスキル。さらにエルフ以外の人種では最大ともいえる『魔法』3スロット。
とんでもない逸材。他の神がこれを聞いたら、間違いなく舌なめずりをして欲しがるほどの才能。
ヘスティア・ゴブニュの背を冷たい汗が流れる。リュウマのことは決して口外しないようにしなければ。目配せで瞬時に意思疎通するその姿は、さっきまで険悪な雰囲気で交渉していたとは思えない。
一方、当の本人は――
「とにかく、ツルハシ振り回せば強くなれるってことですか?」
――強くなれるかどうかしか考えていなかった。
「ああ、もうそれでいいんじゃないかな……」
ニコニコ嬉しそうに笑いながらステイタスを見返す眷属の姿に、ヘスティアは脱力した。
「とにかく、発展アビリティやスキルを決して口外しないように」
「それでは適切なアドバイスが得られないのでは……」
「「いいから。絶対に内緒」」
「あっはい」
たとえファミリアの団員にだろうと”絶対”に秘密にするようにと厳命した2人の神は、事の重大さを分かっていなさそうなリュウマを見てため息をついた。
儀式が終了した後、ヘスティアはバイト先の飲み会に顔を出すことにした。リュウマは「送ります」とヘスティアを追いかける。
「ごめんね。オラリオに来たばかりなのに面倒ばっかりで」
「とんでもありません。こんな私を拾っていただいて感謝しています」
リュウマは今日からゴブニュ・ファミリアで世話になる。ベルと違ってヘスティアのステイタス更新は毎日ではなく数日に一度の頻度になるだろう。
「ヘスティアさまの顔に泥を塗らないように頑張ります」
「君は本当にいい子だねえ」
早くベルくんにも会わせなくちゃ。新しい家族ができたって言ったらきっと喜ぶに違いない。
お互いに強くなりたいと願う2人はきっとすぐ仲良くなるに違いない。ヘスティアは楽しみに口をにやけさせた。
「それでは、自分はこれで失礼します」
「うん。それじゃあ――」
出会ってまだ半日しか経っていない少年との別れを名残惜しく感じる。
「――また、今度ね」
「はい!」
寂しさを紛らわすように、これでもかと両腕をブンブン振り回す。今日新たに家族となった少年は、照れ臭そうに笑いながら夜の街に消えていった。
ゴブニュ・ファミリアへと帰路についたリュウマの目の前を人影がよぎった。
見れば、真っ白な髪色をした細身の少年がどこか悲壮感を漂わせながら俯いて全力疾走しているではないか。
いったいどうしたんだろう。見ず知らずの他人とはいえその様子が心配になったリュウマは白い少年を追いかけることにした。
走って追いかけてまず感じたのは違和感。今まで感じることがなかったほどの体の軽さ。長旅の疲れがあることを考えれば、体調は決して万全とは言えない。にも関わらずここまで身体が軽いという事実は、リュウマの気分を高揚させるのに十分だった。
下手をすれば目の前の少年を追い越してしまいそうになるのを抑え後ろをついていき、気が付けば。
少年とリュウマは薄暗い洞窟の中にいた。
「くそっ! くそっ!! くそぉっ!!!」
白髪の少年はいつのまにかナイフを右手に持ち、目の前に立ちふさがる異形のバケモノたちを切り刻んでいる。
なるほど、ここがダンジョンか。噂で聞いたオラリオの大迷宮に知らず知らずのうちに足を踏み入れていたことに気付いたリュウマは、物珍しそうに周囲を観察する。
『グルッ?』
目の前に犬がいた。
『ガウッ!』
というか犬型のモンスターがいた。
牙むき出しで飛びかかってきたモンスターはしかし、次の瞬間その大きく開けた口を上下に貫かれて絶命した。
ヘスティアを送り届けるということで背中にツルハシを背負っていたリュウマは、そのツルハシに貫かれた犬型モンスターを観察する。
致命傷を負った犬型モンスターは間もなく爆散して黒い霧と化し、紫色の結晶と牙のようなものが乾いた音を立てて地面に落ちた。
大きさは違うものの、ゴブニュから見せてもらった”魔石”と紫色の結晶が酷似していることからこの結晶がモンスターの弱点でもあり換金アイテムでもある”魔石”なのだろうと思い至る。この牙はドロップアイテムというものなのだろう。
大方の予想をつけたリュウマは、魔石とアイテムを拾ってポケットにしまう。
気付けば、白髪の少年はどこかへ去っていた。
遠くで戦闘音が聞こえることからそう遠くへは行っていない。追いつこうと思えば追いつけるだろうが――
さきほど見た少年の戦闘を思い出す。複数のモンスターに囲まれてもあっという間に殲滅できていたのを見るに、あの少年は大丈夫だろう。
むしろ戦い方を知らない自分の方が危うい状況にある。早くダンジョンから出てゴブニュ・ファミリアに帰らなければなるまい。そう考えたリュウマは、出口に向かって歩みを進めた。
「…………迷った」
数時間後。しょんぼり肩を落としながらダンジョン内を歩くリュウマの姿があった。
だがしかし、それも当然といえば至極当然なのである。
なぜならここは『
さらに白髪の少年だけを見て追いかけていたリュウマは来た道を覚えていない。
そう、帰れるわけがないのである。
とりあえず、リュウマは上を目指すことにする。行きの道で何回か階段を下りさえすれど上った記憶はない。ダンジョンの入り口は1番上の階層にある、と聞いた覚えもある。上を目指せばいずれ出入り口まで辿り着けるだろう、とリュウマは愚考する。
まあ問題は数時間探しているにも関わらず、まだ階段を見つけられていない点にあるのだが。
その数時間で接敵した回数はすでに100を超えている。リュウマと白髪の冒険者以外にダンジョン内の冒険者がいない以上、接敵回数が多いのは当然といえば当然であった。それにしてもその数は異常であるが。
ちなみにドロップした魔石やアイテムはすべて律儀に回収していた。
膨大な量のアイテムや魔石を、サポーター職のように大きなリュックサックも持っていないリュウマがどのように持ち運びできているのか。それには道中で倒した蛙のモンスターからドロップした袋状のアイテムが役立っていた。
通称『ガマぶくろ』と言われるこのアイテムは、主にサポーター職のリュックサックなど冒険者の荷物入れに使われており、中に入れたアイテムの総重量を少し軽減する補助能力がある。俗にいうレアアイテムの1種である。
とはいえ、100回倒した敵から毎回のようにドロップする魔石やアイテムのせいでガマぶくろもパンパンに膨れ上がっておりその重量もとんでもないことになっていたのだが。ここまで詰め込まれると、重量軽減などもはや気休め程度でしかない。
重い荷物を担ぎながら、ふとリュウマは思った。
「壁掘って斜め上に進んだら地上に出れるかな?」
馬鹿が慣れない頭を使うな。
とはいえリュウマも数時間歩き続けて疲れ果てていたのだ。もちろん肉体的なものもあるが、それよりも景色の変わらないダンジョン内を数時間歩き続けたことによる精神的疲労の方が深刻であった。
とにもかくにもリュウマは頭の上まで大きくツルハシを振り被り、手近な壁に向かって「そーれ」とツルハシを振り下ろした。
『グギッ?』
どうもこんばんはゴブリンさん。
モンスターがダンジョンの壁から生まれることを知らなかったリュウマは、余計なことをしていらない苦労をする羽目になった。
その後さらに時間の感覚がなくなるほどダンジョン内をさまよい歩いていると、自分以外の冒険者がダンジョン内に見えてきた。
分からないことは人に訊け。父の教えに従ってリュウマは冒険者たちに出入口の場所を尋ね、ようやく外の空気を吸うことができたのである。
空にはとっくに太陽が昇りきっており、朝どころか昼になっていた。
疲れ果てた身体と重い荷物を引きずりながらゴブニュ・ファミリアのホームまで辿り着いたリュウマ。そこに待っていたのは、憤怒の表情を浮かべた主神ゴブニュと親方をはじめとするファミリア団員たちだった。
一向に帰ってこないリュウマを心配して一晩中捜索した結果、疲労困憊・怒り心頭のゴブニュたちにたっぷり叱られたリュウマはその後、翌日正午までの睡眠につくこととなった。