これ、芸術がわからない側の人が語りがちな理論なんだけど…… 芸術の価値がAIに塗り替えられることは絶対になく、将来起こるのは「芸術の価値がわからない人」と「芸術の価値がわかる人」の分断なんだよね この手の分断は歴史的に既に繰り返されている

「クオリティが高くても、結局AIやロボが作ったコンテンツや物は心理的に良いと思えない」と思うのは旧世代の人間だけであり、生成AI普及後の世界に生まれた子供達はそんな事思わない。僕らが工業製品に何の嫌悪もなく、手作りに拘らないのと同じように。これを理解できている人間はどの程度いるのか?



ようつべやインスタには「誰が観るんだこんな動画……」って感じる趣味に合わない動画が沢山あるじゃないですか でもそういうのを消費している層は確かに居るんだよ AI生成コンテンツの生産者とその消費者層というのは、そういう枠に収まる


これには業界の構造による裏付けもあって、エンタメっていうのは企業規模でやるなら「ヒット作が出ないと儲からない」んですよ 人間の作る作品はたまに大ヒットする作品が生まれるからこそ多額の投資をしてまで作らせてる AIの「安い労働力」というメリットは個人の小遣い稼ぎくらいにしか使えないの


「100均で安くて品質も良い食器は普通に買えるけど、一流職人製の10,000円の食器とかも売れてるし需要あるでしょ?」ってのと似てるような。 AI絵&手書き絵の関係も、手っ取り早く見た目が良いものを求める層と、作家・作品ごとの独自性や物語性を求める層に受け手が二分化していく気はしてますね。


手軽に遊べて集金も捗るソシャゲが普及しても、買いきりのゲームはいまだに出続けてるのにも似てる感じ


「芸術の価値がわかるかどうか」はとっくに分断してる 自分はピカソの絵とか近代美術とか全くわからん


芸術という言葉から著名な絵画を思い浮かべる人が結構居るっぽいけど、そういうのってどっちかというと「美術品としての価値」で評価されているのでちょっとズレてる感じが


ただの分断の話ではなく「芸術の価値がわからない人」が大多数になったら「芸術を創作する人」が存在し続けられるのか?って話では? 「芸術を分かる人」とやらが昔のパトロンみたいに創作者を養っていくような形にならない限り創作者は確実に減るとは思う


インターネットで投げ銭文化が普及した結果、現代の方が「クリエイターの活動に価値を見出し支援する人」は多いんじゃないかな


私にはこの人達の言っていることは、ただの負け惜しみにしか感じないです


この人が言ってるの岡田斗司夫の語ってたAI論だから、多分受け売りしてるだけ


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