秘密結社とコレクティブ
この質問については、決まった答えがあります。フリーメイスンリーは秘密結社ではなく、秘密のある結社だというものです。
20年代日本のインターネットシーンには、いまこの場所でできるクリエイトはほぼやり尽くしてしまった、という読後感が染み渡っていると思う。
もちろん単純な需要と供給の量はレッドオーシャンになるにはまだまだ足りないが、刺激を根本の欲求としているクリエイターにとって、その感覚を共感する事はできるはずだ。
この脱力やある種の絶望に対して登場してきたのが、一方向でつながった短期的な外注や、人ではなくコンテンツを主成分とするようになったコミュニティではなく、人間を思想や距離ごと丸々と包み込んで、秘匿と多様の化学実験を行う団体、すなわちコレクティブや秘密結社である。
Discordサーバーと秘匿の集団
discordサーバーとオタクの相性が良いとして急速に発展し、Skypeを駆逐し、Fediverseが散らばり、なんかTwitterが自重で崩壊した頃、その独特な閉鎖環境は様々な使われ方をしてきた。
SNSと切り離された閉鎖インターネット、ストレスクラブへようこそ
STRESS CLUBは有名なクローズドサーバーだ(った──ある時点で参加者をオープンに募るようになった──)。参加には制作物や考えについてのメールを送る必要があり、帰ってきたメールには一人ひとりを見ていることがありありと分かるコメントが付いてきた(私は絵を褒められました!)。
特徴であるサーバー内通貨システムは、参加者の一挙一動にユーモアやクリエイティビティを求め、参加者は非常に様々な応じ方をしていた。
閉鎖されたチャットが徐々に文章を、ネタツイを、画像をアウトプットするようになっていき、ある段階でDiscordコミュニティは作品を作るに足る耐久性を持った。私の観測域がデザインや音楽、映像に偏っているが、最初にそれを見かけたのはDTM鯖だったと思う。
DTMerの交流用に立ち上げたdiscordサーバー(DTM鯖)です。音楽中心ですが映像制作やイラスト系のチャンネルもいくつか用意してみました。音楽リスナーの方もぜひ。情報交換やおすすめ曲紹介、制作物の発表、作業配信などにお使いください。
DTM鯖はそのオープンな性質から一見ガスのようなコミュニティになるようにみえて、あたかも重力の偏りによってガスから形成される惑星のように合作が自然発生するようになった。
本来こういうムーブメントはオープンな場においては人為的な重力を作る必要があって、それはサークルとか、合作チームとか、会社とかになっていく。しかしこの自然発生した集団は人数や方向性を緩やかに変えながら、しかしちょうどよい重力場の大きさによって自重を保つようになる。
ここ最近のボーカロイド楽曲の独立し(て見え)て有るいくつかのアルバムやMVは、その実DTM鯖という非実在のレーベルによって制作されている。
逆に秘匿の極限を見るなら、萌イラストの系譜やURLのあるステッカーを(そして、もしかしたらセミのポスターもあるかもしれないが)新宿とか池袋で探すと良く、名前だけ知っているが表にみえるのはNFTだけとか、無宗教団体だったりとか、そういうものが10年代後半に発起していた。
これらはまさに秘匿の集団(秘匿の個人かも)だが、秘匿すぎたように思える。劇場型犯罪において犯人の風貌や文章を少しずつ露出させることによって、はじめてその完全犯罪の凄さをアピールできるように、秘匿しすぎると無くなってしまう。
それではどうすればいいのか。冒頭で引用した文の「秘密のある結社」は(意図ではないにせよ)的を得た答えだと思う。もし町中で「”秘密結社”を一つ挙げよ」とインタビューすれば、間違いなく過半数が挙げるであろうその団体は、その輪郭を秘密結社の基本形にできる。
(残りは鷹の爪団を挙げると思う……そういう秘密結社を作ってもいいと思います)
コレクティブ
ここまで黎明期の集団を見てきたが、これらの結果でみえてくるような秘匿性=クローズと多様性=オープンのバランスで、意図的に掛け合わせを行って成立するのが、一部の「コレクティブ」である。
コレクティブは、これもまたボカロシーンが中心になってしまうが、ここ1年でよく見かけるようになった。
トラックメイカーを中枢に据えた一楽曲のMV制作チームのような従来のボカロ楽曲のフローではなく、長期的な時間をイラストレーターや映像作家、または面白い思想を持っているかで招集した多様な人々とともに未定の作品を作るフローである。
モノをつくり発想を具現化していくMaker、自然科学や人文社会科学を修めるExpert、両方の性質を持つかいずれにも属さないLinkerの3役が集い、得意分野を持ち込み合うことで、新しい表現のかたちを共創します
本プロジェクトは、多様な分野の専門性が交差する場を提供し、参加者それぞれが持つ知識や経験を活かしながら新しい創造の形を模索する試みです。
多方に手を伸ばし製作可能空間が広がり、時間もいくらでもあるという広大さが、コレクティブのアウトプットする作品の空間も巨大にしてくれる。
そしてコレクティブがもはやアウトプットする作品という中枢のメイン機能を放棄し、メンバーが並列に均され成立するのが、「秘密結社」である。
秘密結社
結社の存在そのものが構成員により秘匿される(略)組織などが秘密結社であると指摘される。フリーメイソンは、存在は元より、連絡先や支部などが公開されている。秘密結社の明確な定義は存在しない。
ここでいう秘密結社は、政治的、宗教的弾圧からの逃亡や、或る準備をおこなう一般的な意味の反社会団体ではない。この秘密結社が反するのは何か。”メジャー”だったり、”コンテクスト”だったり、あるいは既にそれである自分そのものだったりする。これは参加者ごとに変化するし、参加者の脱退や加入によって波打ち、平衡さえし得ない。つまり、秘密結社は何に反するか知らない/知る意味がない。
秘密結社は一体何をして反するのか。これもわからない。閉鎖と多様の化合物としての秘密結社はまだ誰もそのコントロールの方法を知らない/知る意味がない。
creative discontrol structure
もしかすると劇薬が生まれたり大きな爆発が起きるかもしれないし、反物質になってすべてを飲み込むかもしれない。
中には全く反応しなかったり、無難な結晶にしかならないかもしれない。おそらくそれはこの実験ではありふれた結果になるはずだ。そういうときには少しだけ人数や言論を変えてみれば良い。秘密結社は秘密故に、内部でどのような実験を行おうと自由だし、秘密結社は実験それ自体を(時間や信用のためではなく)価値として肯定してくれる。
コレクティブとしての広大な時空間、秘密結社としてのただ秘匿と多様の混合物が生まれることは無いという直感が、読後を迎えた今の時代、制作フローや採算性を無視してそれに入る気概です。
ここはI. 目的の不在であり、II. 手段の氾濫であり、III. 意志の集合です。
https://note.com/shiro_white1111/n/n50261100318d
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