元ロッテ名捕手の袴田英利氏が死去 法大で江川卓、ロッテで村田兆治らの女房役として存在感

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ロッテ時代の袴田英利さん(左)と村田兆治氏 =1990年10月13日、川崎球場

ロッテで捕手として活躍した袴田英利(はかまだ・ひでとし)さんが2月8日に脳出血で死去していたことが31日、分かった。69歳。静岡県出身。葬儀は家族葬で済ませた。

静岡・自動車工高(現静岡北高)から法大へ進み、同期の江川卓氏(元巨人)とバッテリーを組んだ。4度ベストナインに輝くなど東京六大学リーグで5度の優勝に貢献し、法大の黄金時代を築いた。

1978年にドラフト1位でロッテに入団。正捕手を務め、村田兆治氏や伊良部秀輝氏のボールを受けた。村田氏とのバッテリーでは「あの人は頭に血がのぼるとサインと違うボールを投げてくる。それならサインも出さない方がいい」と代名詞のフォークボールをノーサインで捕球する伝説が生まれた。

現役時代の袴田英利さん=1985年5月

通算成績は911試合で打率・231、38本塁打、231打点。90年に現役引退後はロッテ、西武でコーチを歴任した。独立リーグでもコーチを務め、22年に村田氏が他界後は同氏がライフワークとしていた「離島甲子園」を受け継ぎ、離島を巡りながら野球教室を開催するなど、野球の裾野拡大に尽力していた。

■袴田英利(はかまだ・ひでとし) 1955(昭和30)年8月13日生まれ。静岡県出身。自動車工高(現・静岡北高)から73年にドラフト3位でロッテに指名されたが、法大に進学。78年にドラフト1位でロッテに入団。法大で江川卓、ロッテでは故村田兆治とバッテリーを組んで活躍した。90年に兼任コーチとなり、同年に現役引退。引退後はロッテ、西武でコーチを歴任した。右投げ右打ち。

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