「こいつは放っておいたら社会が大変なことになる、とんでもない悪だ!俺はこいつと戦うぜ!」
って正義感たっぷりに戦い始めた人が一番マズいことになるのは、「その悪が想像以上で手に負えない時」ではなく「実は全然悪ではなかった時」なんですよね。
本当に手に負えない悪だったら、社会は大変なことになっても自分は正義のままだけど、もし悪じゃなかったら、社会は大変なことにならない代わりに自分が冤罪吹っかけ野郎になっちゃいますから。
で、ここで運命の分かれ道があります。
「相手が悪ではなかったことを認めて戦うのをやめる」か、「曲解・こじつけ・捏造を行なってでもそれを『悪』に仕立てて戦い続ける」かです。
(前者は謝罪を伴うことも多いですが、謝罪するかどうかはあまり関係がない)
「正義漢のつもりで巨悪と戦っていたつもりが、実は自分が加害者であった」は、なかなかに精神負荷が高くて、受け入れることが出来ない人が多いらしく、過去の諸々を見ると、ここで戦い続けることを選ぶ人がとても多いです。しかも、往々にしてより一層激しく攻撃するようになる。
でも、ここで自己暗示はかけられても、「実は悪ではなかった」ことには他の多くの人も気付きますから、これって傍目にはどんどん手に負えない難癖加害狂人になっていくだけなんですよね。正義の仮面なんか簡単に剥がれて、悪い意味で立派な「社会悪」の出来上がりです。
これは過去に様々なトピックで繰り返されてきたもので、今もまあ起こっているのを目の当たりにしていますが、特定の何かについて語っているわけではありません。かなり普遍的に起こる現象です。
先に書いた通り、「悪ではなかったこと」を公然と認めるのはかなり精神負荷が高い、言い換えれば「勇気の要ること」なので、もしその勇気が出ないなら、こっそりとフェードアウトする形ででも手を引いた方がいいです。少なくとも、理がないのに大声張り上げて暴れる反社まがいになるよりは、何百倍もマシ。
これまでにも何度も思ってきたことですが、TLで見たとあるやり取りを見てまた思ったので、文章化しておきました。
まあ、一言で書いちゃうと、自分が間違ってたらさっさと認めてゴメンナサイした方がいいですよ。私もよく間違いますけど、何の節操もなく「あ、間違ってたわ」って認めて、あとは恥ずかしいから触れないようにしてさっさと忘れます。蒸し返しくらいはされるかもですけど、後腐れもなくて一番楽ですよ。
そんだけ。