#10 燃え尽きている
(推敲していません)
地元・大阪に戻ってきてから、緊張の糸が切れたのか、なにに対してもぱったり意欲が無くなってしまった。
少し休むと決めてから、その時間すらも「有意義な時間にしなくては」「長野に戻るために、会社の人が納得できるような自己分析を用意しなければ」「周りの人の期待に応えなくては」と考えてしまっていた。それが自分のためなのだと思い込もうとしているが、ただ自分に対して謎のプレッシャーをかけているだけである。
いつも気持ちの整理をつけるとき、私は紙とペンを使う。
「なんか居心地が悪い」⇒「なぜ?」⇒「それが分かったら最初に書いてるし」⇒「なんでそんな言い方になるの?」⇒「ごめんなさい」⇒「どこに居心地悪さを感じてる?」⇒「隣のテーブルの人たちの声が大きくてイヤだ」⇒「なんでイヤなの?」
こういう自問自答というか、もはや別の人格同志で話し合いをし続ける。大体は「もうしんどい」と書くことから始まる(笑)しんどい時は頭の中で会話をし続けるが、頭だと絶え間なく言葉が浮かんでは溶けていくので、どんどん話が脱線するしモヤがかっていく。途方もなく感じてしまう。
紙に書くと、やりとりしながら客観的になっていくので、落ち着く。あと聞き手の方は器がデカいので、いつも話し手を腐さず、正直で前向きな方向に導いてくれる。助かる~。
ただ、このやり方はかなり根気と時間が必要で、毎度消耗する。けどやれば「なぜもっと早くやらなかったのだ」とこれまた毎度思う。
なのでこの休みは、遊びにいくとかではなく、この作業が必要なんだろうな~と思って迎えた。けどそれだけやと息がつまるし「休み期間の過ごし方」として周りの人に説明しにくいので、鈍行で長野から大阪までふらふらしながら戻ってみたりした。
大阪に戻るまでは調子はそれなりによかったのである。「自分にも他者にも説明できる感じの休暇で着地できそうかもしれない」と今振り返ると考えていた。
しかし、戻ってきたこの三日間、紙に「なにもやりたくない」しか書けなかった。なにも書きたくなかった。「なんでしんどいって思ってるのに、しんどくなくなるために頑張っているのだろう?頑張ることがもうしんどいのですけど?」状態で八方ふさがりだ。前向きになるのがもう面倒状態。あまり家から出られていない。
いつもは頭の中でモヤモヤしてしまうのだが、紙に書く段階まで持っていって拒絶反応が出るのが初めてなので、びっくりしてしまった。聞き手の方が全然復活していない。
という状況整理を出来ているので、なんか芽が出ているのかもしれないが、ここで急かすとまた同じこと。
子育てをしている気分。満たされない子どもみたいな暴走を、受け止められる自分が出てくるのを待っている。
あと、人と会うときは結構いつも通りなので不思議。
問題はいつもより根深いんだけど、いつもより悲壮感がない感じ。眠くなってきた