#6 giveはカルマ
目が覚めたら、早朝5時に「やっぱり今日も午前中に作業を手伝ってもらえませんか?」と連絡をいただいていた。
今日はモーニングを食べに行くことを前日から決めていたが、とっさに「編集部の人たちはずっと徹夜やし、今すぐ行けば間に合うし、貢献しなきゃ……!」と思って準備する。編集部の人たちは素敵な方々なのだ。
やけど、昨日も書いたようにgiveらないと自分の価値を感じられないのは危険。どんどん「適当に投げてもこの人ならやってくれる」となって、giveる内容も苦しいものになっていくし、giveしきれないことも自分を責める要因になる。引き受けてやり切れなかった時、相手にとっても「今までやってくれてたのに」と不信感に繋がる。
ボールを「打ち返せない」じゃなくて「打ち返さない」の選択をできるようになるのだ。
さっき「今日は行けません」と返事をした。今日の自分がやりたいことを無視しないのだ……。めっちゃいい訓練。うっ……!
今回の休職の原因もほぼほぼこれだな。
私は自分の手綱を相手に委ねすぎだし、会社は私のサービス残業や休日出勤がどれだけ増えても、仕事につまずいていても、私が声をあげない限り気づいてはくれない。上司のSNSで「めっちゃ仕事できる人とイチから教えないといけない新人との交互浴をしてる」という書き込みも発見してしまい、こういう細々した発信で毎度勝手に傷ついている。心の中では「私が出来ていないからよくないんだよね……?いつか助けてくれるよね……?」といつも自分を責め立て、空回りしていた。委ねると消耗するいっぽうであーる。「○○しなきゃ」にほんまええことないでな。
そもそも質問したい相手は近くにいないので、会って話せば10秒で終わる内容を、メッセンジャーで見えない相手に10分かけてやり取りし続けることがかなり辛い。電話だと「今パソコンを開いてもらえる環境かな…質問をまとめて聞かなきゃいけないよな……」と毎回躊躇する時間が発生している。まじでここじゃない~~~~という内容に神経をすり減らしている。今の環境に委縮しきっているね。
なんか、隣にいるときは「これどういう意味すか?」とラフに聞けるものも、電話だと「内容をまとめてから聞け」ってなる。
仕事自体は好きなので、自分の手綱をどれだけ持てるかが肝だな~。そっから会社との折り合いづけ。まあ、ここまでやらなくてもと思うが、これは自己理解のために勝手にやるぜ!25歳で銭湯しかしらない人間を、新卒として拾ってもらった恩はとてもある。今、私がいる環境は、実力があって自己裁量を求める人にはとてもいいと思うんだけどな~。
そういえば私の「恵」という名前は「恵を与え、受け取る人になってほしい」という願いが込められているのだった。