#1 毎日実験なのだ
「今やっている仕事が一段落したら、しばらく休みたい」と、職場の人に伝えた。
その人は「休みたいと言われて、少し安心した。このままだとポキっと折れちゃう気がして」と言ってくれた。その言葉をもらえて私が安心した。声をあげなくても、気づいてくれている人はいる。
長野に移住してからもうすぐ一年が経つが、正直、かなりきつかったのだ。
楽しい日も刺激的な日もたくさんあり、朝が来るのが怖い日もたくさんあった。はたから見ても「こいつ不安そうだな~」と思われていたはず!そのまなざしが、さらに自分を不安にさせるよくないループになっているな~と思っていた。なけなしのユーモアもカッスカスになって、そんな自分に怯えている。
だから月一回、琵琶の稽古のために京都に戻っていたことには何度も救ってもらった。夜行バスで向かい、その日の夜行バスで帰る日々はそれなりにしんどいしお金も使うのだが、先生に「あなたの真っすぐさは誰かに奪われてはいけない」「早くこっちに戻ってきてアルバイトしながらでもいいんだから、琵琶を続けなさい」という一言に何度も勇気づけられた。京都で居場所を示してくれるたび、今私が帰るべき場所は長野なんだと自分の中で認識し、すっと背筋を伸ばしてもらっていた。
それでも、今回は限界ギリギリまで来てしまっている。朝起きて服を着替えるのが億劫、お風呂が面倒、玄関のドアノブに手を書けると嗚咽が出てしまう、それで遅刻してしまう。職場ではそれなりに明るく振舞う。家に帰って何もできず、やりたいことも無く、落ち込む。な、なんかかわいそ……!ちょっと悲壮感強すぎかも~~~!
だけど事実なので仕方ないのであーる。一旦ここが底辺だと信じて、整理チェックワンツーなのである。ここでそのままあかん方に流されないのが自分の良いところだよな。
今私は何らかの岐路に立っていて(岐路を作るのが得意)、こういう要所の選択をするときに、他人に委ねると良くないことが起きる気がする。ここは自分の人生なので背負ってこ~!ほいで自分を極めてこ~そしたら自然と誰かの役に立つやんね。
しなしなの状態では、良くないことがあったとき「自分が悪い」で回収する方が自分を責めるだけで済んで楽だからしちゃいがち。だけど、今日からしばらくは、今の自分を取り巻く環境をじっと客観的に見つめ直してみる。どこまでは自分で引き受けれるのか、引き受けたいのか、何に対して「違う」と思っているのか。ごちゃごちゃした糸を少しづつほぐして、ほどいてみる。
その過程をここに記録します。ただの日記になるかも。
こういう、がっつり自分の中に矢印を向け続ける作業をするのは高3ぶりかもしれない。おかえりだねぇ~