原大策アナウンサー 異動のごあいさつ
- 2025年3月22日
【不安な時に届いた一通のハガキ】
アナウンサーの原 大策です。
2年間「おきなわHOTeye」のキャスターとして、
沖縄の日々の出来事をお伝えさせていただきました。
あっと言う間の2年間でした。
沖縄は以前に何度も旅行で訪ね、
いつか「そこで生活する者」として沖縄局で働いてみたいと思っていました。
念願叶い、2023年4月、沖縄での勤務がスタート。
いまだからお話しますが、正直最初は 自分が沖縄のみなさんに受け入れられるか不安でした。
本土と違う風土や文化、そして筆舌に尽くしがたい沖縄戦を抱える歴史、いまも残る基地や未来への課題…。
「よそ者」の私に何が言えるのか。
勉強の足りない私に何がわかるのか。
何より私の言葉が、沖縄の方たちの気持ちに沿っているか…。
最初の半年は、自分の発するひとことひとことがどう受け止められるか、不安な日々でした。
その時、HOTeyeを観てくださっている方から一枚のハガキを頂きました。
そのハガキには一言だけメッセージが綴られていました。
「原アナウンサーの沖縄を理解しようとする姿勢が素晴らしい」と。
「理解しようとする姿」
この姿勢を大切にしようと、心に誓いました。
どれだけ学んでも沖縄のすべてを知ることはできない。
でも理解しようとすることはできる。
【沖縄の人と風景が言葉を紡ぐ力に】
まずは みなさんが観ている風景を私も観てみたいと、
週末は可能な限り 離島を含む県内各地に足を運びました。
プライベートのほかにも、「みーぐるめーぐる」のコーナーでは離島を中心に、
久米島・与那国島・北大東島・多良間島・そして竹富町の黒島へ。
本島で巡った場所も、HOTeyeのエンディングで写真とともに紹介したりしました。
沖縄には本島を除いて37の有人離島(人が住む島)があるとされていますが、
この2年間で30の島にお邪魔させていただきました。
そこで見た風景、感じた風、生き物たちの躍動、
そして何より触れ合ったすべての島の人たちの言葉や優しさが、私が日々 HOTeyeでお伝えするニュースやリポートのひとことひとことに、「力」と「手触り」を与えてくれました。
そうしているうちに、また別の視聴者からお手紙をいただきました。
達筆の美しい文字でした。
そこに書かれていたのは、「いつも観ています」というご挨拶と、
沖縄民謡の芭蕉布の歌詞でした。
海の青さに 空の色
南の風に 緑葉の
芭蕉は情けに 手を招く
常夏の国 我した島沖縄 (作詞:吉川安一)
いままで何度も聞いてきた曲でしたが、
これまで巡った沖縄の風景と 出会った方々の顔が鮮やかによみがえり、涙があふれてきました。
こうした みなさんからいただいたお手紙は、いまでも私の宝物です。
ほかにも、首里城の復興の現場で見た職人の技や、
沖縄戦を経験した方が当時を語る生々しいお話。
すべてが沖縄でしか学べないことでした。
【4月からは名古屋放送局で新たなスタート】
4月からは名古屋放送局に異動し、
毎週金曜よる7時30分から放送の
「東海ドまんなか」という番組のメインキャスターを担当します。
これまで東海地方で生活したことのない私にとって、新たなスタートです。
沖縄で教えてもらった「理解しようとする姿勢」を大切にして、また地域の人たちに寄り添った放送を出していければと思います。
この文章を書いている今も、沖縄を離れる寂しさでいっぱいです。
でも、きっと何度も沖縄に戻ってくると思いますので、
街で見かけたら「原さん!」とぜひ声をかけてください。
このご挨拶の結びにうちなーぐち(沖縄の言葉)で「さようなら」はなんと言うか調べたら、
該当する言葉が見つかりませんでした。
「いつでもまた会える」という、沖縄の人たちの温かさとつながりをここでも感じました。
なので、いつもの挨拶で。
また、あちゃーやーさい!
NHKアナウンサー 原 大策
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