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      不可避的に訪れるAI時代における創作活動の展望

       本稿では生成AIの創作活動への介入を考察対象とするが、本題に踏み入る前に、クラウゼヴィッツの言うところの「未熟な批判」を回避するため、私の立場を明らかにしておく。第一に、私はAIの存在や利用を肯定も否定もしない。私はただそれを遅らせることはできても止めることのできない不可避の事象であると見ている。第二に、現行の方式のAIに創造性があるとは考えていない。私からすると現行の方式の生成AIは創造性のない人間がすることをより上手にこなしているだけである。第三に、現行の生成AIは真に創造的なクリエーターの味方であると考えている。AIは創造的なクリエーターに取って代わりうるものではなく、創造的なクリエーターは当人が望めばAIを活用してより創造性を高めることができる。そして第四に、AIも当然野放しというわけにはいかず、規制を加える必要があると考えている。少なくとも、人間がしてはいけないことはAIにも許すべきではない。
       ただし、肯定も否定もしないのはAIの存在や利用に対してのことであり、誰かの主張に破綻があればその点は手心を加えず指摘する。結果として本稿には否定派に対する批判が溢れることになったが、それは単にAI否定派の落ち度からくる必然に過ぎず、AIへの積極的肯定を意味するわけではないことを予め強調しておく。私としてはAIの功罪を直視した上でどうなろうと問題ではないと結論している。
       この前置きを以て私の立場の表明とし、本題に入る。

       昨今、AIに関する議論が活発化している。中でも生成AIを巡っては極めて激しい意見対立が起こっている。議論の戦況は反対派が優勢或いは声量で勝っているように思われる。他方、運用状況では圧倒的に肯定派が優勢であり、あらゆる界隈で生成AIの生成物が存在感を放つ。反対派が展開する議論はAIの利便性それ自体によって無言の論破を受けている。
       とはいえ、反対派の主張には頷けるものが少なくない。それは主として虚偽や捏造を危惧するもの、また軍事転用を危惧するものである。これらは実際に社会や個人に脅威や混乱をもたらす要因となるため、反対派が警鐘を鳴らし、規制の必要性を訴えるのは全く合理的なことである。少なくとも、個人がこれらを無制限且つ簡単に行ってしまえる状況は非常に危うい。防止する枠組みが必要である。銃社会とされるアメリカですら銃の所持と使用にはある程度の要件が定められている。社会を維持する上では危険な道具への規制は不可避且つ必須であり、議論の余地があるのはただその程度のみである。
       他方、創作界隈から上がるAI反対の声には合理性を見出しづらいというのが私の認識である。その声からは既得権益に執着する層のラッダイト運動の臭いが漂う。
       クリエーター達は生成AIが自分達の作品を盗んでいると主張する。生成AIが作り出すものは全て自分達の作品の切り貼りや継ぎ合わせに過ぎないと言い切る者もいる。
       だが、こうした憤りの声にはどうしても腑に落ちないものがある。創作とはそういうものではないのかというのが私の正直な感想である。
       創作というのはその大部分が、学習と模倣であり、既存の要素の順列組み合わせに過ぎない。人間の頭脳は独創的な組み合わせや言い換え、或いは組み換えを思いつく一方、本当の意味で無から何かを生み出すことはおそらくない。時代の最先端を行く斬新な作品が出るのも、変化した時代の斬新な要素を作者が取り入れた結果に過ぎない。それは創作界隈という狭い世界の中でこそ独創的なものに見えるが、世界全体という単位で見ればどこかに元ネタが転がっている。わかりやすく言えば、類例のない独創的な創作物と看做される作品は、結局のところ、それまでにない組み合わせのパターンか、創作と関係のない別の分野の要素を含む組み合わせのパターンに過ぎない。偉大なクリエーター達は何かを見た結果、何かを思いついたのである。創作はしばしば未来を予見したような新しい切り口を見せるが、それは既に存在する何かの解釈や発展、融合、時には単なる再来に過ぎない。
       別の尺度でも捉えてみる。それは素材の咀嚼度合である。実際の判定基準には個人差があり、定量的基準を設定するのが困難ではあるが、定性的に言えば、元ネタが原形を留めている時、それは剽窃、模倣、パロディ、オマージュ、二次創作などと呼ばれ、留めていない時にオリジナルと呼ばれるのが通例であるように見受ける。しかし、この判定は多分に個人的且つ恣意的である。結論は判定する人間の知識と感覚で決まってしまう。元ネタがあることを知らない無知な者は作品をオリジナルであると思うだろうし、知識が深すぎる者は作中の全てに由来を見出してしまうかもしれない。元ネタに気づく知識と観察力がある者の中にも、元ネタがあるものは全て二次創作と看做す者もいれば、アレンジが加わっていればオリジナルとして認める者もいる。結局、オリジナルと二次創作の境界が曖昧ならば、剽窃とパロディの境目も曖昧なのである。そして、多くのクリエーターがこの曖昧性の恩恵を受けて、今日も「オリジナル」の作品を発表している。
       こうした創作活動の基本的構造を否定できるクリエーターは存在しないと私は言い切ることができる。無論、否定する者はしばしば現れる。だが、彼らは単に否定の言葉を口にしているだけでしかない。否定自体は果たせていない。彼らは自分を棚に上げて他人のすることを抑圧しようとする卑怯者に過ぎない。同意できない者は誰かクリエーターに声をかけて、それが描写であれ、物語であれ、設定であれ、作品の一部分を取り上げ、それをどうやって思いついたのか訊ねてみればよい。そのクリエーターは自分が独自に思いついたものだと答えるかもしれないが、ソクラテス方式で掘り下げていけば、やがて元ネタに辿り着くだろう。それぞれのクリエーターや作品の間にある差は、元ネタに辿り着くまでに要する質問の回数くらいのものである。
       そして、生成AIがしていることも本質的にはクリエーターがしているこうしたことと全く変わらない。生成AIも、連綿と創作の歴史を紡いできた人間のクリエーターと同じく、既存の素材を学習し、それを模倣し、混合し、配列し、出力している。発言者が誰であったのかは最早憶えておらず、改めて探し出すこともできないのだが、生成AIに関して、行為の性質ではなく規模の問題なのだという主旨の指摘を目にしたことが何度かある。これは生成AIの本質を的確に捉えた意見であると思う。要するに、クリエーター達は自分達と同じことを自分達よりも高効率且つ大規模にこなしてしまう手強すぎる競争者に怯え、出る杭を必死に叩こうとしているのである。
       しかし、創作活動での生成AI利用を今更否定するのは虫が良すぎると言わざるを得ない。生成AIが作品泥棒だとすればこれまでのクリエーター達も泥棒である。一方の泥棒を保護し、もう一方を捕縛するというのはダブルスタンダードの誹りを免れえない。効率や規模を持ち出すのも論点の掏り替えである。店内の商品を根こそぎ運び出す泥棒は有罪で百円もしない駄菓子を一個盗む万引き犯は無罪ということはありえない。況してや、その万引き犯が自己正当化しつつ大規模泥棒を非難するというのは、更にありうべからざることである。ところが、そのありうべからざることが、今、創作界隈で起こっている。
       だが、それはやはりありうべからざる無理な理屈なのである。繰り返しになるが、生成AIが今していることは、これまでにクリエーターがしてきたことをより大規模且つ高速度にしたものでしかない。
       もしAIがしていることを否定したいのであれば、今AIに対して叫んでいるのと同様の規制を人間同士の紳士協定として設ける必要があるし、もっと言えばそれはAIという脅威が発生する前、人間だけが生成活動の主体であった頃に行っていなければならなかった。既存のものを切り貼りするコラージュなどという技法は認めてはならなかったもののの代表と言える。そしてまた、クリエーター達が本当にその行為自体を問題視しているのであれば、もっと早くに人間同士で規制の枠組みを作っていたはずである。ところが、実際はそうなっていない。この点だけ見ても、クリエーター達が普遍的倫理ではなく個人的利害で意見を述べているだけであることは明白である。あれこれと理屈を捏ね回しているようだが、言いたいことを要約すればこういうことだろう。即ち、自分達がしているのと同じことを自分達よりも効率良くこなすことは許さない。
       私は今現在クリエーター達がAIに寄せる批判がこれまでのクリエーター達にも当て嵌まることを知っている。その例をいくつか示してみる。
       たとえば、画風やデザインの模倣である。私は手塚治虫、荒木飛呂彦、水木しげる、鳥山明、FとAの藤子不二雄、宮崎駿、平野耕太、天野喜孝、金子一馬などの著名なクリエーターによる一目見るだけで作者がわかるほど特徴的な画風やデザインを堂々と模倣する人々を多数見てきた。これは商業作品でも同人作品でも投稿サイトでも当たり前のように行われてきた。こうした人々が生成AIのように創作界隈から批判の集中砲火を浴びたという話は聞かないし、行う都度全ての部分で模倣先の許可を得ていたという話も聞かない。また、真島ヒロが尾田栄一郎との画風の酷似を理由に業界から追放されたという話も知らない。
       作品の設定や物語、或いは作品そのものの使用もある。これについては枚挙に遑がない。たとえば商業誌には錦ソクラの伝説的な『3年B組一八先生』という例がある。これは権利者の了解を得ずに制作されていたようで、一部の権利者から苦言を呈されたり事後承諾を得たりしているが、全体としてこの作品が生成AIが受けているような批判を浴びたという話を私は知らない。読者が大分限られる『近代麻雀』の連載作品であったからそもそも批判を受ける機会自体がなかったと考える者もいるかもしれないが、インターネットで無料公開されていた時期がある以上、それにもかかわらず炎上が起こらなかったという事実が人々がこの作品にどれだけ寛容であったかを示す。古典や昔話の翻案や流用もある。よく使用される元ネタの一つに『桃太郎』があるが、ハドソンの『桃太郎伝説』やぺぷの『おにがしま。』が剽窃として批判されたという話は聞いたことがない。AIで制作された漫画として一時期話題になった『サイバーパンク桃太郎』にしても、AIの使用が賛否両論を惹き起こした一方で、『桃太郎』の翻案が行われたことが倫理的議論の俎上に上ったとは聞かない。アトラスが『真・女神転生』シリーズを制作するに当たって登場させる悪魔一体一体について各宗教の総本山や所縁の土地を訪ねて正式に承諾を得たという話も知らない。ゲーテの『ファウスト』が当時のドイツで既に知られていた伝説及び民衆本にあるファウストの物語の翻案に過ぎないこと、手塚治虫の『ネオファウスト』が『ファウスト』の翻案、言わば翻案の翻案であることを問題視する声も聞かない。これについては著作権法上の合法性を持ち出して正当化を試みる者もいるだろう。だが、それは悪手である。合法性が決め手となると、著作権法上問題がないとされるAIによる学習と出力を批判する根拠がなくなってしまう。権利の侵害を受ける主体が存在しないことを理由に古典の翻案を正当化する者もいるかもしれないが、これは権利者が存在する著作物も許諾なしに利用する現代の創作界隈の在り方に投じる巨大な一石となる。このように前提が破綻しているので反論として成立しない。再現や翻案にも技術や知識が必要であり、そこには努力や苦労があるという理由でAI出力との差別化を図る者もいるようだが、修業を積めば窃盗に正当性が出るかと考えれば、それが馬鹿げた主張であることはすぐにわかる。インターネットが普及していない時代に苦心して集めた情報で作られたものをインターネットで簡単に集めた情報に基づいて翻案したり、苦心して手描きされた絵画をデジタル作画で効率的に再現したりしているのが現状である。効率化や自動化の差があるだけで質的違いはない。
       海賊版、無断転載作品、児童ポルノなどの違法な情報が学習対象に含まれているという指摘もある。しかし、これもまた現実のクリエーターに跳ね返る。現実的に考えると、最早これらに一切関わらずに生きていくことは事実上不可能である。インターネット上でごく当たり前に閲覧できる情報の中に著作権的に完全に潔白なものがどれほどあるかは甚だ怪しいし、たとえそれ自体が潔白であっても参考にしたものの合法性までは保証されない。場合によってはテレビや新聞などのメディアや商業刊行物も危ない。それらにおいて著作権等の権利侵害が発覚することは珍しいことではない。その上で、違法な情報に直接触れなければそれでよく、違法な情報を参考にして作られた合法な情報であれば触れてよいというのは筋が通らない。それはマネーロンダリングと質的に同じ行為である。ところが、創作業界が違法な情報から学習を行ったクリエーターを完全に排除したという話は聞かない。それどころか、近年の例では児童ポルノ所持で逮捕された漫画家や海外で購入した児童ポルノを国内に持ち帰って逮捕された漫画家がいるが、彼らは依然として創作活動を続けている。前者に至っては商業連載まで再開している。また後者に関しては、逮捕の一報が流れた時、資料として購入したものではないのかという擁護の声も上がった。これは創作界隈において、クリエーターが違法な情報から着想を得る可能性が現実的なものとして認識されていること、そして学習という動機には娯楽という動機よりも正当性があると認識されていることを暴露した事件である。いずれにしても、これにより、彼らが児童ポルノを「学習」したことに変わりはない。児童ポルノを閲覧することで結果的に学習を行った人間を野放しにしながらAIがそれを行うと糾弾するというのは、やはり道理に合わない。
       更にこれらの総合とも言える二次創作文化もある。投稿サイトでも同人誌委託販売サイトでもSNSでも何でも覗いてみればよいが、そこは無許諾で作成された二次創作物で溢れ返っている。中には、漫画の吹き出し部分を改変したり、イラストに文字を書き加えたりしただけのものまである。作品を盗んでいると非難の声を上げるクリエーター達が、まず当たり前のように堂々と作品を盗んでいるのである。この二次創作村には奇異な慣習があるのでぜひ紹介しておきたい。二次創作村では、商業クリエーターの作品は無断でどれだけ利用してもよいが、商業クリエーターが非商業クリエーターの作品を利用するのは許しがたい権利侵害とされる。また、商業クリエーターの作品は勝手に利用してよいのに、非商業クリエーターの作品の利用には許可を取らなければいけないともされる。これらの慣習法を破った者は火炙りにされることになっている。それから、二次創作村の村民達が我々とはかなり異なる精神構造を持つ知性体であることを示唆する習性も取り上げておく。彼らは日頃、権利者の意向が絶対であると主張し、それを根拠に、権利を持たない第三者による著作権侵害の指摘を斥ける。しかし、権利者が二次創作を禁止する意向を示した途端、権利者に反発しつつその無理解を批判して意向撤回を高圧的且つ執拗に要求したり、内心では肯定的であるのに禁止の意向を示さざるを得ない権利者の「苦しい立場」を慮り、その一言も発されていない秘められた「本音」を忖度して平然と二次創作を継続したりする。こういうことが罷り通る創作業界にAIによる学習を批判する筋合があるかどうかは全く疑わしい。私の目からは、AIの参入はただ新たな無断利用者が増える程度のことにしか見えない。
       一方、既得権益が脅かされるというクリエーター達の懸念そのものは全く正しい。今後、AIの性能向上が続いていけば、やがて多くのクリエーターが仕事や収入を減らすことになるだろう。中にはそれらが全くなくなって実質的な廃業状態に陥る者も出るに違いない。だが、技術の発展によって奪われる仕事はこれが最初でも最後でもない。多くの仕事が役目を終えたし、今後も終えていく。クリエーター達の仕事だけがその例外であるべき合理性も必然性も存在しない。また、当のクリエーター達からして、技術の発展によって様々な仕事を脅かしているのだから、そのことに無自覚であるとすれば全くお笑い種である。クリエーター達が電子媒体に頼るようになり、文房具店や画材店、印刷業者などは多くの売上を失ったことだろう。クリエーター達がCDやDVDを記憶媒体として使うようになった時はカセットテープやビデオテープの関連業種は大打撃を受けたに違いなく、作品公開をインターネットに頼るようになってからはCDやDVD関連業種の売上にも悪影響を与えたことだろう。クリエーター達がデジタル作画の導入を進めるにつれ、画材や文房具のみならずアシスタントの需要も低下してきたことだろう。そして根本的には、旧来の手段に頼るクリエーター達の仕事を奪ってもいるだろう。もし既に存在する仕事をお払い箱にするような新技術が禁忌であるとしたら、クリエーター達自身も便利な技術を拒否し、大きな負担に耐えながら昔ながらのやり方を貫き通して然るべきである。結局誰もそうしなかったということが、逆説的に、こうした技術発展を拒否する態度の無意味さを実証している。
       創作文化が死んでしまうという大分大袈裟に聞こえる訴えもある。これは主語を拡大しすぎている。死ぬのは創作文化ではなくこの程度のことでうろたえ騒ぐ三流クリエーター達である。創作文化そのものは形を変えるだけで死にはしない。便利な創作手段が登場することで旧来の手段に依拠するクリエーターが痛手を被るというのは歴史の中で何度も繰り返されてきたことである。何も特別なことではない。現在が現にそうであるように、過去にもそうしたことが起こるたびに前代未聞の大事件であるかのように騒がれてきたに違いないが、結局、それで創作文化が死んでしまったことはない。創作文化が死ぬ時が来るとしたら人類が滅亡する時がそれであり、創作文化が衰退する時が来るとしたら創作活動自体が禁止される時がそれであるのだろう。自由な創作活動が可能である限り創作文化が死ぬことはない。技術や時代の変化によって死ぬのはいつも、変化に対応する柔軟性も変化を無視する実力もない、即ち頭が固い上に腕も悪い三流の者達である。
       このように考察してみると、クリエーター達が並べ立てる反AI論というものは、AIの利用を絶対に許したくないという本音以外は全て建前に過ぎないと結論せざるを得ない。彼らが口にするAIの問題点はそのまま人間にも当て嵌まる。本当にその点を憂慮しているのであれば、AIが出てくる前に同様の激しさを以て人間のクリエーターへの排斥運動を展開していて然るべきである。そうなっていないということが真実を雄弁に物語っている。彼らは彼らが批判の根拠にしている問題点など本当はどうでもよいのである。彼らはただ既得権益を守りたいだけに過ぎない。
       もっとも、AIの機能活用が全て正当であるかと言えばそのようなことは全くない。創作界隈での出来事に限定しても、野放しにされたAIは野放しにされた人間と同等の有害性を発揮している。
       たとえば、特定のクリエーターの画風や特定の作品の模倣がそれである。前者は著作権上の問題はないとしてもその他の権利の侵害に当たる余地が大いにあり、後者は単純に著作権上の問題がある。前者の例としては漫画家の石恵と『ビビッドアーミー』の運営者との間で起こった事件を挙げられる。これは同ゲームが配信したウェブ広告の使用イラストの画風が石恵のそれに酷似しており、それを石恵の作品であると誤認する閲覧者が続出したことが発端である。弁護士を交えた交渉がどういう過程を経ていかなる決着を迎えたかは非公開であり定かでないが、『ビビッドアーミー』側が広告を取り下げたことだけはわかっている。これはあくまでも推測に過ぎないが、石恵側は著作権侵害ではなく、実際に誤認を受けた例を根拠として、酷似した絵柄が自身の作品と混同されることによって活動に支障を来たしているといった業務妨害の線を問題にしたのではないかと思う。
       実在人物に対する権利侵害も大きな問題となっている。全国ネットで報道もされて大きな騒動となった岸田文雄首相のフェイク動画事件は日本における典型例である。これはいくつかのAIを活用して作成したものであるという。厳密に言うと生成AIの問題ではないのだが、創作活動においてAIが活用された事例として取り上げてもよいと思う。一国の首相を対象にしたものであること、また日本テレビのロゴや映像などを無断使用したことなどから、遊び半分であったらしい制作者の軽い気持ちとは裏腹に、社会はこの動画に深刻な反応を返した。二〇二三年十二月現在、この事件が刑事及び民事で何らかの決着を見たという話は聞いていない。だが、これは明らかに岸田文雄首相と日本テレビに対する権利侵害である上、話の転がり方次第では名誉毀損や業務妨害等の刑事事件にも発展しかねない。少し叱られて謝って終わりというわけにはなかなかいかないのではないかと思う。
       ここで着眼すべきことは、これらの事件の是非とAIの採否は関係がないことである。これがAIを用いずに人間のクリエーターが自力で行ったことであっても同じように問題になっていただろう。つまり、創作活動において人間がしてはいけないことはAIもしてはいけないのであり、一方、人間がしてもよいことをAIに禁ずる根拠もない。AIには当然規制が必要だが、少なくとも創作活動においては、名実共に人間に許されていないことを許さないようにすればそれでよいだろう。それ以上のことを望むのであれば、同様に人間の活動にも更なる規制を加える必要が出てくる。AIが知性であるならば人間と差をつける根拠がなく、道具であるならば人間に対する規制が全てを決める。もっとも、この原則にのみ基づくと、酷似した画風の出力や実写映像の加工機能自体に予め規制を加えておくべき根拠はない。その種の問題は石恵事件や岸田文雄事件のように、発生してから現行法に基づく対処を行えばよいことになる。だが、AIの生産能力を考慮すると、後手に回った時の被害の拡大が甚大なものになる可能性がある。このため、問題の性質に応じた実際的処理として、明白な権利侵害に繋がる虞が極めて高い機能については未然に規制を加えることも検討する必要がある。もし生成AIにこの種の規制を加えるとしたら、明示的許諾のない特定のクリエーターの画風や作品と一定以上の一致度のあるデータの出力を規制する、実写の場合はAI使用映像であることを常に表示するなどの方策が考えられるかもしれないが、私は専門家ではないので素人考え以上の案を出せない。

       ここまでは生成AIを取り巻く現状と倫理面に関する考察であった。続いては創作文化のこれからについて考えを進めていく。
       先ほど創作文化の興亡という論点を提示した。この論点を発展させていくことにする。
       既に書いたように私は生成AIの登場後の創作文化に楽観的な認識を持っている。生成AIの登場はこれまでの創作文化に起こった環境的変化と質的に何ら違いがないため、これまでと同様、それによって創作文化が滅びることはないというのが私の考えである。
       参考までにこれまでに起こった環境的変化とその結果を概観しておく。どこまで遡るべきかは少々判断が難しい。また歴史学的厳密性を追求しすぎると論点が変質する虞もある。このため、本稿ではあくまでも概観に留める。
       まず大雑把に近現代と前近代で大別する。前近代において創作活動は一部の人間の特権であった。教育格差や経済格差が才能以前の壁としてクリエーター志望者の前に立ちはだかっていたのである。読み書きができなければ小説など書けないし、画材を揃えられなければ絵画など描けない。楽器を揃えられなければ音楽も奏でられない。そしてもちろん、それらの制作や修業の時間や機会がなければどうにもならない。圧倒的な才能が貧困層の道を切り開くことは無論あったにせよ、それはよほどの才能と幸運を要する。インターネットを使って気軽に世界に自身の評価を問うこともできず、少々風変わりな着眼点を持っている程度でちやほやされるようなこともない時代の話である。要するに全体として見れば創作活動は一部の専門家の仕事であった。また現在は可能であっても当時は技術的に不可能であった分野も多々ある。ルネッサンスの時代にコンピューターゲームや映画を制作することはできなかったという私の認識に異を唱える者はいないと思う。
       近代に入るとこの辺りの事情にも本格的な変化が出始めた。教育や経済の格差は縮小を始め、それまで創作活動に参画することのできなかった人々にも機会が与えられるようになった。これにより、教育面や経済面の優位によって地位を得ていただけの凡人は真の意味で能力のある才人に追い落とされるに至った。凡人達は単に同業者が少ないからこそ仕事にありつけていただけであり、競争に打ち勝ってその地位に在ったわけではなかった。また、映画など新たな芸術分野が確立されたり、録音技術によって音楽活動が変化したりもした。これにより、映画は演劇を脅かし、録音技術は音楽活動に変化を強いた。生き残った演劇は映画と差別化が可能な本物の演劇のみであり、音楽家達は再現性のない一回限りの快い音楽体験や保存に値する最高の演奏を提供できる者だけが生き残った。
       現代に入るとこの流れは急加速した。たとえば、小説や漫画などの方面で言えば、出版社の乱立は小説や漫画の門戸開放を促進した。また、ワープロやパソコンの普及は編集作業を容易にし、原稿用紙に手書きして作品を仕上げる能力や知識を持たない人々にも作家としての活動を可能にした。事実、現代の文筆家から電子機器を取り上げたとして、その内のどれだけが変わらず作品を仕上げられるかは甚だ疑わしい。少なくとも、原稿用紙と筆記具だけで本稿を同じように書き上げる自信がない者がここに一人いる。多分、書き直しの労力に音を上げるだろう。漫画やイラストでも同じである。そして、こうした先端技術による能力の底上げの結果、単に字を沢山知っていたり原稿用紙の編集作業をこなせたり、同様に根気強く絵画を制作できたりするだけの凡人達は、新種類のクリエーター達に追い落とされるに至った。それに続き、インターネットや投稿サイトの充実が、実地調査や資料収集の負担を受けることも、出版社による評価と契約による拘束を受けることもなく、世界に向かって手軽に自身の表現を届けることを可能にした。これにより、単に様々な情報を持っており、出版社から評価され、自身の権利を拘束される契約を結んだだけの凡人が淘汰されるようになった。出版社も、新人賞や持ち込みによって新人を発掘して世に問うよりも、既にインターネット上で評価を獲得した作品を拾い上げる方に力を入れ始め、流れを作る側から流れに乗る側に転落しつつある。インターネットで無料で楽しめる程度の作品しか作れない素人同然のクリエーターの商業的な居場所は急速に失われてきている。
       生成AIが起こす変化も、これまでに起こったこのような変化と本質的に何ら異なるところがない。これから起こることは単に自分の構想を形にできるだけの凡人の淘汰に過ぎない。彼らは構想を形にしてくれるAIを手に入れた新たなクリエーターに対する優位を保てない。真の意味で創造的なクリエーター、真の意味で個性と呼ぶに値する拘りや癖を持ち、且つ一定以上の表現力を持つクリエーターだけが変わらず生き残るのであろう。
       このように述べる根拠は現行の方式で設計された生成AIが人間と競う上で抱える構造的欠陥による。なお、以下に示すのは二〇二三年十二月現在で一般に知られている生成AIに関する見解であり、将来的に果たされるであろう更なる方式転換後のことは想定していない。
       第一に、現行の生成AIは模倣するが理解しない。生成AIは多くのデータを観察し、その平均値や傾向を把握し、それに沿った新規データを出力できるが、AI自身は依然としてそれぞれのデータの意味を理解していない。漫画であればコマの内部或いはコマとコマの間で用いられる視線誘導技術が好例である。AIは多くの漫画から学習することにより、視線誘導めいた構図を描画することができるかもしれないが、それは単なる統計的結果でしかない。意図や意味を理解していないので、単にそれらしい構図になるだけで視線がどこにも行き着かないとか、なぜそこに視線を誘導するのか全く不可解な構図が生まれるとかに終わってしまう。窮極的にはそういう構図が多く使われているからAIも漫画とはそういう構図で描かれるものであると覚えるというだけである。仮定の話だが、漫画家の質が下がり、誰も視線誘導を使いこなせなくなったら、そういう作品が増えるにつれ、AIが出力する作品もそうなっていくことだろう。それが統計結果の後追いの本質である。変化に柔軟に対応して追随できるのは単なるデータベースに対するAIの優位ではあるのだが、多数決で方向性が決まってしまうのは創造的分野においては主体性の致命的な欠如であると言える。
       第二に、AIの出力は公約数や平均値に近い無個性なものにならざるを得ない。学習したもの全てから影響を受けた先にあるのは突起や陥没を均して平坦にした当たり障りのないものである。もちろん、方向付けや重み付けによって出力に偏りを持たせること自体は現時点の技術でもできる。学習対象の絞り込みでも同様の結果を導ける。しかし、前者の場合は相対的に軽視される有象無象のデータが夾雑物となって重視されるデータの足を引っ張ることになるし、後者はそもそも有効な結果を出すだけの学習データを集められないだろう。その上、そうして出来上がる偏りというのは結局のところ偏りの中の公約数や平均値に過ぎない。石恵事件での画風の模倣にしても、大判で観察してみれば、出力された画像自体は大小の点で石恵の作品との相違を感じられる。これは多分、軽視されたデータか、学習用データの不足が影響したのだろう。ここには、本当ならば長所であるはずの情報収集能力の高さと大量のデータを扱う学習方法の弊害が出ている。余計な情報を取り込んでしまったり、少ない情報から学べなかったりするのである。もちろん、ゲーミングちんぽ華道部のように奇抜なものもあるにはある。これは凡百のクリエーターには捻り出せない珍奇な概念だった。だが、こういうものは突然変異的なものであり、常に出てくるものではない。狙って出すことはそもそも不可能だろう。これは人間の指示によって生まれたものなのだから、それができるのであれば、AIが出力するより先に人間が発明者になっていたはずである。加えて、AIが人間の作ったものから学習するように、人間もAIの作ったものから学習するので、すぐに陳腐化してしまう。また、奇抜であることだけが価値の全てであるため、ここから派生する何かには意義があるかもしれないが、これ単体でどうということもない。そして、派生する何かを考え出すのは多分人間である。
       第三に、AIは学習できる範囲と深度が限られている。たとえば、人間は自分が出かけた先で目にした美しい風景から様々なものを得て作品に反映することができる。この時、人間が得る情報は視覚的情報に留まらない。五感全てで風景を学習している。その上、その学習と同時並行して成長が起こり、その状態で風景を体験することで更なる学習と成長が進行する。現行のAIにこうした学習が可能かと言えば不可能であろう。AIは人間に比して多くの対象を学習データにできるが、人間ほど多面的且つ本質的に観察できる段階には達していない。読書で言えば乱読するだけで精読はしていないのである。私は多くの本を読んだ人間はより読破数の少ない人間より知識量で優っていると思うが、読書量の多寡がそのまま思考の鋭さや豊かさを決定付けるとは思わない。もしそうならば私はソクラテスや仏陀よりも鋭く豊かな思考の持ち主ということになる。しかし、多分そうではないことを私はほかならぬ豊かな読書経験から学んでいる。間違いなく彼らよりも豊富な知識を持ち、彼らの思想さえも知っている私が彼らが生きていた時代にタイムスリップしたとしても、彼らに成り代わることはできないだろう。私は彼らほどには彼らが語ったことを理解していない。この点は更に掘り下げることができる。AIはクリエーターの作品から創作を学ぶ。しかし、作品はクリエーターの学習内容から出力されたものであって学習内容そのものではない。作品の背後には様々な秘密が隠れており、その秘密そのものとそれが作品として結実する過程は、AIにとっては未知のままである。この未知を抱えたまま新作を作るのは難しいだろうと私は思う。これを踏まえると、AIが特定のクリエーターの代理を務めうるという想定には懐疑的にならざるを得ない。たとえば、時々話題になる手塚治虫作品をAIに作らせるという試みも、それらしい絵柄を出力できるだけでそれそのものとはならず、ストーリーや台詞に至っては結局人間が手を加えるというお粗末な結果に終わっている。
       第四に、AIはあくまでも学習対象の後追いでしかない。人間もAIも既存の情報から学ぶしかない点では一致している。しかし、その出力の可能性には重大な相違がある。比喩的に言えば、人間は意図して一歩前に進むことができるが、AIはその場で足踏みするか一歩進んだ者に追いつくことしかできない。ゼノンのパラドックスで言う亀を追うアキレスのようなものである。俊足のアキレスが鈍足の亀に追いつけないのは両者の速度差によるのではない。競争に臨む姿勢の差による。亀は緩慢にであれ前に進もうとする。しかし、アキレスの目標地点は亀の現在地点であって亀の先でない。それゆえに、亀が移動する限り、アキレスは常にその後ろにつかざるを得ない。AIも同じである。人間は学んだものを元に新しいものを作ろうと志すことができるが、AIは学んだものと同じものを作ることしかできない。この差は決定的である。人間のクリエーターが現状維持に甘んずることなく研鑽を続ける限り、AIはその後塵を拝するほかない。向上の意志を持つクリエーターにとって、AIは創造と学習の道具以上のものではない。
       こうした構造上の欠陥を総合的に分析するに、現行型の生成AIは創造性を発揮する余地の大きい領域で創造的な人間に取って代わることができないと結論できる。相手が現行型の生成AIである限り、どれだけAIの性能が向上しようと、創造的分野における人間の敗北は人間が進むことをやめるまで起こらない。現行型の生成AIによって淘汰されるクリエーターは、技法や表現に理解を持たずただ模倣するだけの者、個性と呼ぶに値する拘りや癖を持たない者、表面的な学習をするだけで体験や考察を欠く者、自分で新たなものや良いものを作り出していく気概のない者である。彼らはAIにできることをAIよりも拙く実行するだけの存在に過ぎない。人間と言うよりは劣化AIに過ぎない彼らは、上位互換であるAIが登場すれば用済みになる。ただし、劣化AIであっても人間には違いないので、例外的に、人間の手で行うことに意味のある分野に携わるクリエーターであれば、枠の取り合いは起こるだろうが、生き残る目はあるだろう。たとえば、伝統芸能などはAI導入を含む自動化に激しく抵抗するかもしれない。淘汰されるクリエーターの典型例の一つは、小説投稿サイトでテンプレを利用した流行の後追いと大喜利に終始する層である。何一つ新しいものを作り出す気がない上、実は今あるもののことすらろくに理解しないまま、ただ既存のものを並べ替えて見慣れたものを作り直すのでは、本当にAIと変わらない。今はまだ安泰だが、AIの学習が進んで精度が高まれば、いずれ追いつかれることだろう。そしてもう一つが、絵を描くに際し雰囲気以上のものを描けない層である。十分な専門知識を持ち、描き出そうとする世界や風景を実在のものであるかのように構想し、細部に至るまで自分の理想世界を再現しようと苦闘しない限り、AIに対する比較優位を示すことはできないだろう。単にそれらしい雰囲気を演出するだけならば現段階のAIにもできるし、しかもAIの方が速い。たとえば、少なくないコンセプトアートはAIと大差ない。結局のところ、創造性がないくせに創造的な分野で収入や名声を得ようとする者が更に淘汰される時代が訪れようとしているのである。一方で、真の意味で創造的なクリエーター、真の意味で個性と呼ぶに値する拘りや癖を持ち、且つ一定以上の表現力を持つクリエーターと、単に創造の喜びを楽しむ趣味人は、依然として創作活動を謳歌し続けるに違いない。何度か思わせぶりに取り上げた拘りや癖という言葉が指すものは決して高尚なものに限らない。都市計画や建築学を勉強し、それを自分好みのファンタジー世界の街の景観へと応用し、あたかも実在する都市の風景を描いたかのようなイラストを描くことがその発露ならば、どれだけ清楚なヒロインであっても絶対に乳首は卑猥で下品なものにして下腹部には少しの贅肉をつけると決めるようなこともそれである。拘りや癖を作品として成立させる限り、現行型の生成AIはこういうことをする人間には絶対に勝てない。
       今後、AI、少なくとも現行型の生成AIは、投資信託にとっての指数のように、クリエーターにとってのベンチマークになっていくのではないかと思われる。成績がベンチマークを下回る投資信託が投資家から見限られるように、クリエーターの平均点に過ぎない生成AIに比較優位を示せないクリエーターは顧客や鑑賞者から見限られるのである。これはクリエーターもどきにとっては厳しい時代かもしれないが、本物のクリエーターと一般の鑑賞者にとって、言い換えれば創作界隈にとってはすばらしい時代の始まりであると言える。各クリエーターがAIを使うか使わないかは本質的な問題ではない。いつの世も問題は常に創造性を以て創造的な作業に取り組む意欲の有無である。
       ここはぜひとも強調しておきたいのだが、本質的な問題は創造性と創造的作業に取り組む意欲の有無であり、AIの採否ではない。このことはほかならぬ新時代のクリエーター、即ちAIを活用するクリエーターにも当然当て嵌まる。創作活動をAI任せにするクリエーターは、多分、劣化AIのようなクリエーターの手作業に勝てるだろう。しかし、そこに向上心や創意工夫がなければ、同じようにAIに頼りきりのクリエーターの群れの中に埋もれてしまう。他人と同じものしか作れないのであればその個人を重んじるべき合理的理由は存在しない。何であれ抜きん出るためには努力が必要なのである。或いは、AIの場合は、誰もが手軽に使えてしまう関係上、差別化のために従来型の手作業におけるよりも大きな努力を要するかもしれない。平均点を出すための道具で平均点を超えようとするのは難しい。その上、平均点を超えることに成功しても、それが本当に優れたものであれば、同業者に学習されてすぐに陳腐化し、平均点との追いかけっこに終始することにもなるだろう。AIに対する指示を「呪文」と呼ぶ人々がいるが、それは言い得て妙である。AIを駆使するクリエーターは、自分の優位を守るために、歴史上の魔術師達がそうしてきたように、秘伝の呪文を隠し持つようになるのかもしれない。いずれにしても、幾何学にも創作にも王道というものはないのであろう。

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