穏やかな時間
桶二杯の野菜の下ごしらえをしたあとで、シュヴァインとヘクターは腕相撲をした。
このところなんだか急に身長が伸び、日にもよく焼ける一回り太い腕と白くてほっそりした腕が組まれる。裏庭で寝ころんで向かい合い、カウントのあとで己の方向に引き倒せば勝ちだった。
結果は、腕はしばらく二人の間をいったりきたりとさまよったが、シュヴァインが負けた。
するとヘクターは唇を不満げに歪めていた。
「腕、見てればわかるよ。あまり真剣にやってないだろ。・・・もう一回だ。まじめにやるまで続けるからな」
少し困ったような表情になったが、敢えてヘクターは気付かない振りをした。
無理矢理掌を合わせて、もう一度、今度はーーー。
一瞬に決まった。
力を入れていなかったわけではなかった。
しかし、そのほんの一瞬、ヘクターの腕力が無効化されたのだ。遙かに凌駕した力が加えられて、ヘクターの手の甲はぽんと地面を叩いていた。
シュヴァインが手を離したあと、ヘクターの手はびりびりと小刻みに震えていた。
「ちくしょうっ」
乱暴な言葉が零れていた。
「・・・ヘクター・・・」
言葉は見つからない。
気にしないで、そんなことを口にしても一層苛立たせるだけだろう。
ヘクターの体つきが変わってきていた。
少年期を過ぎて大人になろうとしているだけ、では掌にいくつも並ぶマメは説明できない。
剣の柄を握るなかで何度も出来きては潰れるマメはシュヴァインにとっては馴染んだものだったけれど、それが今、ヘクターの手にもある。
どうしてそんなものがあるの?
どうか不安になるようなことは止めて。
いったいーーーなにをしようとしているの?
強い恐怖感があったが、反面嬉しくてたまらない自分もいるのだ。
もし、ヘクターが強い戦士になったらずっと一緒にいられるかもしれない。
一緒に戦ったら、辛くないかもしれない!
シュヴァインにとって、そんな想像はくらくらするほどの甘い魅力だった。
もう、止めてーーー。
込み上げた言葉を口にすることなく呑みこんだとき、シュヴァインの前でヘクターは勢いよく身体を起こすと陽気に笑った。
「遊びに行こうぜ。今日はどこ行く?どっか行きたいとこあったら言えよ」
「・・・うん・・・」
シュヴァインは眩しすぎて俯いて、そっと微笑を浮かべていた。
いままでこれほど、ヘクターと会って苦しいと思ったことはなかった。
ヘクターは人混みを嫌うようになっていた。
賑やかな市や通りの祭りの雑踏は疲れているから嫌だと年寄りのようなことを言い譲らず、結局二人は落ちついた風情の洒落な商店街を歩いていた。
街並みはいつもの場所よりも高級感に溢れていた。整然と整えられた道、道脇には花が植えられている。
老舗揃いの店構えも風格があり、こういった場所にはこういった場所の違った楽しみがあったが、いかんせん大きな問題もあった。
気安く食べられるような安い屋台がない。
食べ歩きが出来そうなものを売っている店もあったが、どう見ても高そうなのだ。
「貰った給金あんまし使っていないから持ってる。大丈夫だよ」
と、ヘクターは言うが少々心配だった。シュヴァインはこんなことに無理をさせたくなかったのだ。
が、丁寧に慎重に断ろうとしたら、見事に失敗した。
ヘクターは剥きになって、揚げ肉を二本ずつ買うのだと店に突進していってしまった。
「俺が戻るまでそこ一歩も動くなよっ、なにかあったらすぐ逃げろよっ」
反する二つの内容を釘刺して、だ。
通りの街路樹の根元でぽつりと待つことになったシュヴァインだったが、すぐに火のような激しい視線を感じとっていた。
真っ直ぐに突き刺さるような視線は、気配を隠そうともしていなかった。
静かとはいっても他に人通りがある広い通りで、これは珍しいことだと思った。
姿を探そうとそっと窺って、簡単に見つかった。隠れようとはしていなかったのだ。逆にシュヴァインに歩み寄ってくる。
あたりをきょろきょろと確認したが、近くには誰もいなかった。間違いなく目的は自分だと知れて、おっ、とシュヴァインは小さく驚きの声をあげた。
響きは喜びの声だと言ってもいいぐらいだった。
なぜなら、それはきつめに整った顔立ちのきれいな女の子だった。
「あなたって何?」
尖った声で尋ねられていた。
何かと問われると難しい。
答え倦ねてシュヴァインか女の子の後ろに並んだ女の子たちに目を向けていた。
三人の子たち。栗色のお下げの子、すこしぽっちゃりとやわらかそうな子、胸元が大きく明いた服を着た一見男のような涼やかな子、それぞれ可愛かったが赤い鮮やかな髪のリーダー格の女の子はとても大人びた雰囲気を持つ美人だった。
彼女は、ジルと名乗っていた。
ジルはソドリー通りーーーザムジーニの店の通りから一本外れた通りで酒場を開いているオットー氏の娘だと自己紹介した。
そしてちらちらと自分の後ろに目を向けていたシュヴァインに気が付くと素早く彼女たちに命令した。
「あなたたち、少し向こうに行っていて。私、この子とサシで話がしたいから」
「え、でもっ・・・」
「そんなの、だめっ!」
「ジル、あいつ戻ってきたら危険だよっ!」
それぞれに不満を訴えたが
「いいの、大丈夫よ。でも気にするぐらいなら、早くして。本当にお店から出てくるわ」
急かされてしぶしぶ駆けだして、通りの反対側で立ち止まった。
それでもジルが心配で堪らないらしく、こちらをじっと見ている。
「ほら、これでいいでしょ。あなたの番よ、答えなさいよ」
「何って言われても・・・擬態型モンスターじゃない・・・ふつうに人間だと思う・・・けど・・・」
ジルもそういうことを聞きたかったわけではないらしい。
もうっ、と呻ったあと
「なに訳のわからないこと言ってるのよ。私は、あなたが本当にヘクターの恋人なのかって聞いてるのよっ。貴族よね、あなた。もしかして田舎者だからって純朴なあいつを・・・ヘクターをからかって遊んでいるの?」
からかっているのなら、許さないと言外の気迫が言っていた。
そういうことなのだ。
ジルを見上げるとシュヴァインはにっこりと笑っていた。
ジルはヘクターよりも背が高かった。
「安心してください、違います。恋人とかではありませんので」
「・・・ほんとに?」
嬉しそうにジルの頬は緩んだ。やっぱりだ、ヘクターが好きなのだ。
「はい、本当です。だって、そもそも私はーーー」
「ジルっ!!」
ヘクターの怒声だった。
揚げたての肉を購入して店から出たヘクターの目に入ったのは、シュヴァインと向かい立つ宿敵ジルの姿だった。
「・・・ヘクター?」
シュヴァインに二人・ヘクターとジルの間にある詳しい事情は知るよしがない。
考えてみなかったが、女の子とか、そういった相手とかがいてもおかしくはないのだ。どちらも気が強そうだったが、お似合いだなあと思った。
だから余計な誤解をさせたら可哀想だったから、はっきりとさせなくてはいけない。
「ご心配なさらないでください。ヘクターと私はーーー」
「ラヴラヴだぜ。おまえなんか出る幕じゃねえ。さっさと去れよ、腕力女っ、おまえみたいな乱暴女なんか、マリィの足元にもいくら背伸びしたって及ばないぜっ、派手女」
シュヴァインの後ろに立ったヘクターは話しに割って入ってそんなことを言った。
「マリィって誰?」
驚いて尋ねると、睨むつけるジルから目を離すことなくヘクターは小声で、おまえだと言う。
う・・・んと、シュヴァインは心の中で呻いていた。
ヘクターを取り巻く妙な渦の中に巻き込まれようとしていた。
しかも、とても重要な位置合いに引き出されようとしているだろう。
「ジル、違うんです、ヘクターは冗ーーー」
後ろからむぎゅうと腕で口を塞がれた。
ジルには、ぎゅうと抱きしめているように見えた。
「あなた、さっき私に違うって言ったじゃないっ!正々堂々と話している私に嘘をついたのっ、あなた性格、最低ねっ!!」
傷ついたジルのきつい言葉が突き刺さってくる。
「嘘じゃあ・・・」
「俺の味方しろよ」
ヘクターに耳元で囁かれる。
どちらも真剣だとわかった。
ジルは真剣に、シュヴァインに怒り出している。
ヘクターも真剣に、ジルと敵対したいらしい。
「このっ」
ジルは片手を振り上げていた。
ヘクターにのうのうと抱きしめられている嘘つき女にはたいてやろうとしたのだ。
「やめろ、暴力女っ、マリィはおまえと違ってか弱いくておとなしい女の子なんだっ!!」
一つ一つがとげとげしい嘘の言葉が織り込まれている。
それでも状況判断を怠ることなく、とっさに腕を解いてシュヴァインを身体の後ろに庇ったためにジルの爪はヘクターの頬を引っ掻いていた。
「あ・・・」
「クソ女っ」
凍りついたジルに、怒り狂ったヘクターが拳を固めて、男なのに女の子に手をあげるなど考えられないシュヴァインが抑えに入ったが、勢いあまって二人で倒れ込んだ。
ヘクターは優しくて、その際庇おうとするからーーー。
見守っていた女の子たちは、最近ザムジーニの店にやってきた粗暴な少年がジルを殴ろうとするから、涙ぐんできゃーきゃーと悲鳴をあげる。
ジルは・・・。
ヘクターは頭が良いとシュヴァインは認めている。
にやりと笑って、もっとも効果的な行動をとった。すなわち、息を呑んで見つめるジルの前で、再びひしっとシュヴァインを抱きしめてみせた。
ジルは・・・泣きだしてしまった・・・。
ヘクターは勝ったのだ。
嬉しげな勝者のキスが感謝を込めてシュヴァインの頬に贈られた。
しかしその決定打になったシュヴァインはーーージルと一緒に泣きたくなった。
これは、いわゆる修羅場と言うのだろう。
「あの女、俺を目の敵にして喧嘩をふっかけてくる。俺がアバロン生まれじゃないから馬鹿にしているんだよ。田舎臭い服だとか、センスが無いとか、はじめは本当にそうかも知れないからと黙って言わせていたさ。でもそういう訳じゃないんだ。ただ意地が悪いだ、あの女。自分が少しお客の間で看板娘だとかチヤホヤされているから性格がひね曲がっているんだ」
少女たちと別れて、二人で通りを戻りはじめた。
歩きながら、憤るヘクターはシュヴァインに丁寧にジルの非道さを説明していた。
「ザムジーニが俺にお古の服をくれたんだ。高そうな手触りの服だ。でももう着ないからって、給金とは別にだよ、俺の服は小さくなっていたからくれたんだ。そうしたら、あの女、俺を見て似合わないと笑いやがったっ!それだけじゃない、あいつすぐ手を出すんだ。女のくせに剣も習っていて、凶暴で力があるし引っぱって、袖の付け根がビリッと破れた!!ザムジーニから貰った次の日だぞ、俺はこそこそを部屋に戻って自分で縫ったんだっ!!」
ジルはとてもヘクターのことを注目しているのだ。
「素直になれないだけで、彼女ね、ヘクターのことが好きなんだよ?」
けっと顔を顰めて、ヘクターは揚げ肉に齧り付いた。
ゆっくりと噛み砕いて呑みこんだあと
「そんなこと言われたって迷惑なだけだね。あんな女、俺は嫌いだ」
「気が強そうだけど、一生懸命な感じがした。腕力が強くて剣を学ぶ女の人だっているよ、女戦士を軽んじるの?それにお化粧だってヘクターにとって濃いと思うかも知れないけど、宮殿の中にいる女の人たちはもっと塗りたくっている」
シュヴァインがジルの肩を持つことが腹立たしかった。
「なんだよ、おまえ、あいつのことが気に入ったのかよ、俺よりかあいつの方が好きなのかよ。だったら、俺と一緒にいたりしいないで、あいつんとこに行けばいいだろっ」
吐き捨てられた言葉に、シュヴァインは足を止めた。
数歩先に進んだヘクターも歩みを止めて後ろを振り返った。
揚げ肉の包みを大事そうに両手に持ったシュヴァインは無表情に立ちつくしていた。
「あ・・・ごめん・・・本当に、そんなふうに思っているわじゃないんだ・・・。ただ、さ、おまえも、さ・・・」
一変、しどろもどろになってヘクターは言葉を探していた。
「・・・おまえも、田舎臭い俺よりかあいつの方がいいんだろうかって・・・」
「田舎臭い?」
今日は何度も田舎という言葉が飛び出してくる。
「・・・気付いてるだろ、おまえだって。・・・俺、南方訛りがある、直そうとしても直らない。お客にすぐに言われるよ、地方の出身だって笑われるんだ・・・」
「それは誤解だーーーヘクター」
シュヴァインは微笑んで首を振った。
「懐かしいんだよ、アバロンには故郷を離れて働きに来ている者が多い。華やかな大都だからと楽しいのは物珍しいうちだけだ。なにも無いところだったはずなのに故郷が恋しくなって帰りたくなるんだ、とっても。・・・でも、事情を抱えて簡単にはゆかない」
「・・・シュヴァイン?」
声は悲痛に震えて、シュヴァインは苦しそうに瞳を閉じていた。
「ごめん。・・・少し、思い出していた」
灰青色の瞳は涙に潤んでいたが、声は普段に戻っていた。
「そんなとき、アバロンの冷たい標準語ではなくて、故郷の響きが聞こえてきたら嬉しくて堪らないよ。現に、ファティマはヘクターの言葉を聞いて、ステップ地方の音に近かったから、ヘクターに親しみを感じて邪険にできなったんだよ?」
ファティマ。
もう会うことはないだろうが、二人の数少ない共通の知り合いだった。
「そんなこと・・・気にしていたの?私は好きだよ、ヘクターの響き。温かいから・・・」
シュヴァインは歩を詰めるとヘクターの強ばった頬に手を添えて引き寄せると、額にキスをした。
「・・・俺よりも、ジルの方が強いんだ。取っ組み合いをしても負けたんだ。・・・それでもいいか、俺の方が好きか?」
「ヘクター、おかしい。・・・それにもう遅いね。嘘つき“マリィ”はジルに完璧に憎まれてしまった。酷いんだから、完全に私が悪者!!」
くすくすとシュヴァインは笑う。
「でも“マリィ”というのは?」
「飼っていた犬が子供を産んで、一匹白かった・・・そいつの名前しか浮かばなくて・・・。残りは黒色か斑だったんだ。マリィが一番の気に入りだったんだけど、俺以外にも気に入られて一番最初に貰われていってしまったけどな・・・」
「嘘つきな犬っころ・・・」
話を聞いたらさらにおかしくなった。
笑い続けるシュヴァインに、ヘクターはごめんなと謝ってそっとキスを返した。
すると騒ぎの原因となった、おませな恋人たちを密かに視界の端に収めていた者達から、冷やかしや、やんやと喝采が飛び交った。
ジルが気に入ったというわけではなくて、シュヴァインは新しい友達ができるかもしれないと期待したのだ。
ヘクター伝いに、可愛い女の子たちが4人もーーー。
でも、一瞬見た夢は、夢で終わってしまった。
「高いだけあるよ、屋台とは全然違う。肉、すげえ美味しいぜ。・・・口に合わないか?」
「ううん」
歩きながら、シュヴァインも口に運んだ。
「肉だけだと、喉乾くよな。果物もやっぱり買おう」
「うん」
「俺はオレンジがいいかなって思うけど、おまえは?」
これ以上、望むのは欲張りすぎだと思った。
「一緒、オレンジがいい。なるべく酸っぱくないと嬉しいな」
「おまえ、酸っぱいの嫌いだよな」
ヘクターはくくっと笑った。
シュヴァインも笑っていた。
怖いほどに楽しい二人のこんな時間がずっと続いて欲しいと心から思った。
20130716改