子供達の未来
「あの者達はどうなりましたか?」
シュヴァインが言う“あの者達”とは七英雄信仰徒のイーラの徒だ。
シュヴァインとヘクターを襲った者達はどうなったのかと聞くと、ヴァランはフンと鼻を鳴らした。
「くだらないことを聞くなよ。懐にうまいことしまい込んでにんまりしている奴らが、返してくれーーーはいどうぞ、なんぞと言うと思うのか?その上、多勢に無勢、手加減などしていたら俺が殺られる」
「手配はしてきましたので、宮殿の兵達によって遺体は速やかに収容されたでしょう」
ジェラルドがヴァランの後を継いで説明を加えた。
全力で抵抗する者達を全滅させて、ようやく二人の身柄をヴァランは取り戻すことができた。それは、決して楽な仕事ではなかったのだ。
涼しくみぎれいなものに着替えを済ませていたが、子供を二人抱えて宿屋に現れたとき戦士の衣類を染めていた赤は返り血だけではないのだ。
ヴァランの身体には幾箇所にも包帯が巻かれていた。
ヴァランも、ジェラルドも敢えてそれ以上その点には触れなかったが、シュヴァイン皇帝にはそれで充分に伝わるという判断の元であった。実際、その通りだった。
部屋の中に流れて消えてゆかない独特な薬草の匂いに気が付いたシュヴァインは、くっと唇を噛んだ。
「ありがとうございましたーーー」
少年皇帝は頭を垂れると、二人に丁寧な礼を述べた。
主の、二人にとっては予想外の柔軟さに、それぞれ息を呑んだ家臣達だったが、これで済ませるわけにはゆかなかった。
お互いにとって、言われる方は勿論、言う方だとて辛いことだったがうやむやにはできなかった。こんなことが二度とはおきないようにしなくてはならなかったからだ。
「なぜですか、シュヴァインさま」
ゆっくりとジェラルドが口火を切った。
シュヴァインにとって。
そう。武器など無くても平気だったのだ。
皇帝・シュヴァインを捕獲しようとした不遜さに比べ、彼らの行いのずさんさはある意味、笑えるほどだった。
縄で縛って拘束して安心した男達は組織としてではなく、単独の行動をとっていたに過ぎないだろうとシュヴァインは考えていた。
優秀な指揮官の命令下にもないような集団、本来だったら木箱に詰められた後からでさえ、ヴァランの力を借りずにシュヴァインは脱出していただろう。
なぜならば。
シュヴァインは術があった。
持てる術力の値は歴代の中でも三本の指に入るほどであり、先皇帝が生涯をかけて精進を積んで習得した術をそのまま受け継いだシュヴァインに、術封じの呪具を取り付けることもしないなど、敵ながら呆れた愚行としか言えない。
腕を後ろ手に縛られていて、術の印は結べないとでも思ったのかもしれないが、高位術の実行は不可能でも、最低ランクの火球を生み出す程度の術だったら印など無くていい。
そして、それで充分なのだ。
能力がある者が操ったなら、馬車ぐらい充分に吹き飛ばすことが出来た。
たとえ縄抜けなど出来なくても、縄を焼くことが出来る。
一瞬に複数の人間を火だるまにすることだってーーー。
でも、しなかったのはシュヴァインが望まなかったから。
ヘクターに、そんなことをする自分を見せることを良しとしない、彼の“弱さ”だっただろう。
魔術を使う者は希、というレベルで世界には術を扱える者達が存在したが、一般市民であるヘクターにとって、実際に術者と接することはほとんどなかった。
まして、術で人を殺めるというシーンなど、彼の日常では現実から大きく外れた異常なものでしかないだろう。
そんな“異常”を平然と生み出す“異常”な姿を見せたとき、ヘクターは果たしてどうに感じるか。
目の前で焼かれてもんどり打って苦しむ敵の姿に、でも敵だからときれいに割り切って、助かった、ありがとうと、屈託のない笑顔でシュヴァインに礼を述べるだろうか・・・おそらく、無理だと、考えた。
助けようとした者の顔は、逆にシュヴァインが作り出す無惨な光景に恐怖と嫌悪に歪むことになりかねない。真っ直ぐで、良識も備える健全な精神を持つそんなヘクターだからこそ、惹かれたのだからーーーそれは彼らしくて望ましい反応だったろうけれど・・・。
だから、逃げることは可能だった。
だから、シュヴァインには逃げることなど出来なかった。
自ら、二人の間に深い溝を掘ってしまいそうな、術を使わず、うまく逃げられないかと迷っているうちに炊き込まれた香によって、意識混濁に陥ってしまったわけである。
「あの少年の所為ですか?ーーーあの少年のためにむざむざ危険に甘んじるような真似をなされたということですね?」
気にしていたところをずばり言い当てられて、シュヴァインは言葉を失ってしまった。
そのとき、動揺し注意力を散漫とさせるシュヴァインには無理だったが、扉の近くに座るヴァランは、廊下に立った人の気配に気が付いていた。
男は、俯いて隠しながらも、にやりと笑った。
そしてきっちりと閉められていなかった扉をさり気なく足先でもう少しだけ押し開いていた。
声は、それではっきりとヘクターまで届くようになっただろう。
「決して・・・そういうわけではありません」
堅い声がシュヴァインから押し出された。
「ではどんなわけがあったのか、シュヴァインさま。お聞かせください」
「本当にそんなものがあるんだったらーーー否、どんなもっともらしい嘘を披露していただけるか俺としてもとても気になるところだ」
ヴァランが意地悪げに言う。
答えられないシュヴァインにこれ見よがしな溜め息をついた後、ヴァランの声は一転するとひっそりと柔らかくなった。
「少し、心が優しすぎるんだなあ。あの小僧に嫌われたくなかったんだろ、おまえは。・・・嫌われて怖がられるぐらいだったら、多少の危険だって・・・死んだって・・・そうじゃあないか、嫌われてしまうのは、死んじまうほどに恐ろしいことだったんだよな?」
椅子から立ち上がって、ベッドの端に腰掛けるシュヴァインの前で膝を付くと両手で白い頬を挟んで逃さぬように覗き込んだ。
「わかる気はする。ーーーヘクターくんは、おまえにとってなによりも大事な存在なんだ。だから、そのための不利益など気にはならない。己は傷ついたって、あいつの純真爛漫な心、この穏やかな関係を護りたいんだよな?だから、逃げられなかった、だろ?」
「・・・」
ヴァランの青い目の中でシュヴァインは十四才という年相応の子供のようにこっくりと頷いていた。
子供は子供なりにお宝を必死で守ろうとするのだ、その想いは大人よりも純粋であり一途なのだ。
「なんだよっ、それ!!」
非難の声はあらぬ方から上がった。
シュヴァインは弾かれるように振り返っていた。
扉が壁に叩きつけられるように開き、室内に飛び込んだヘクターは険しい顔でシュヴァインを睨みつけていた。握りしめた拳は、懸命に歯を食いしばっていても抑えられない激情のためにぶるぶると振える。
「・・・それってさ・・・俺は、おまえのすげえ足手まといだってことかよ?・・・俺が側にいると、俺はなんにも知らない子供だから、おまえは攻撃して逃げることもできないって、そういうことかよ?」
「違います、ヘクター!どうか冷静に私の話を聞いてください!!」
顔を真っ赤にするヘクターとは逆に、顔色を失ったシュヴァインは泣きそうになって歩み寄ろうとしたが、ヘクターは一歩退いて距離を詰めさせなかった。
すべては今、裏目に出ようとしていた。
こちらの想いはどうであれ、ヘクターの自尊心をどんなにか傷つけているか、シュヴァインにとっても想像に難くなかった。
「俺は冷静に納得したぞっ。・・・なにも違わない、そういうことじゃないか、俺はおまえの枷になって危険のなかにおまえを閉じこめる働きしていたんだろうがっ!」
「ヘクターっ!」
シュヴァインの声は悲鳴だった。
怒り狂うヘクターは語気荒く吐き捨てると、部屋から飛び出していってしまったためだ。
すぐに後を追いかけようとしたシュヴァインの腕をしっかりと掴んだのはジェラルドだった。
「放せ、ジェラルド、行かないとっ」
「それを今、許すことは出来ません」
残党は街のなかにまだうろうろしているかもしれない。
仲間の惨敗を知って、少しでも失態を取り繕うと考える者がとる行動は常識の範囲をを軽く逸脱するだろう。
「嫌だ、放せっ」
それでも、振り払らってヘクターを追いたいと藻掻くシュヴァインにヴァランが冷たく言った。
「おまえが追いかけても小僧の機嫌は余計に拗れて悪化するだけだろうよ」
俺が代わりに行ってやる。
そして、こんなことも付け足して言った。
「小僧のことに舞い上がっている餓鬼には思いつけないことだろうし、本人は良くできた人間だから、言わんだろうから、俺様が教えてやるぞーーー皇帝さまがこんな時間まで宮殿に戻らず、ジェラルドまで不在だという状況が今、続いているな、こっちの方はおまえは気にならないか?この責任はすべでジェラルドに追及されるだろう。連中は、勿怪の幸いだとばかりにな。ジェラルドの首は今、風前の灯火だ」
ヴァランがヘクターを追って出て行き、ジェラルドとシュヴァインが部屋に取り残されることになった。
そのあと、これ以上、この部屋にもとどまれなくなったシュヴァインは後ろ髪を引かれながらもジェラルドと宮殿に戻っていくしかなかった。
「おや、鼻水だらだらと泣いているかと思ったら、今回は違うんだな」
一人暗い川縁の土手に座っていたヘクター少年の顔を覗き込んでヴァランは面白そうにからかっていた。
しばらく街を歩きながら、もしやと思い立った場所に行ってみると、予想は的中し、少年の背中は月明かりの夜の底に、小さく沈み込んでいた。
口を一文字に引き締めるヘクターは現れた男の癇に障る無神経な陽気さにぎろりと睨んだが、簡単に通じるような相手でははない。
「お子さまは、世の中の真実を知ってしまって、なんたることだと拗ねてるのか?『こんな世界なんぞ間違っているーーー』大声だして叫んでみるのもいいかもな」
膝を抱えた腕の中に顎を埋めてさらに縮こまってしまったヘクターの横にヴァランは仕方なく、己も腰を下ろした。
子供の相手は苦手だったが、長期戦も今回は腹を括って付き合わないといけないだろうと考えていた。
さざ波で済んだかもしれないものを、器の持ってぶちまけてみたのはヴァランだった。
ヴァランが、ヘクターにシュヴァインの口から直接に“真実”を聞かせるように状況に少々悪化させたのだ。
少々酷かもとは思ったが、これはシュヴァインのためだった。またヘクターのためでもあると、考え直した。
先延ばしにしても状況は変わることはない。いつかは直面しなくてはならない事態だったろう。
「ーーーくなりたい・・・」
「あん?」
陰鬱に一人物思いに耽っていたヴァランはヘクターに目を向けた。
「俺、強くなりたい」
黒い川面から視線を移してヴァランに見上げると、ヘクターはもう一度こんどはもっとはっきりと繰り返した。
「強くなりたいよ。・・・本当に強くなって、足手まといじゃなくて・・・。ヴァランみたいに強くなったら、一緒にいたって文句言われないよな。逆に、側にずっと一緒にいて守れってまわりの奴らが言うよな。・・・俺、強くなりたい!」
青緑の瞳は反応を待って不安に揺れていたが、宿った光は幾重もの闇を貫いてゆくほどに鋭い輝きを放っているとヴァランは思った。
巫山戯たものを一瞬に消したヴァランがヘクターを見つめたまま、深く完爾と笑った。
なぜだかひどく剣呑な気配で、気圧されそうになったヘクターだったが言いたいことを最後まで言い切った。
「誰にも馬鹿にされないために・・・シュヴァインよりも強い戦士にならなくちゃいけないんだ。あいつだって、俺をちゃんと頼るようになるように。・・・魔法は無理だけど、剣だったら死ぬほど鍛錬したら、きっと・・・無理じゃないよね、俺だって強くなれるよね?」
「ああ」
ヴァランは力強く肯定した。
「超えることだって不可能じゃないぜ。能力総合体として、皇帝さまはいわばマルチタイプの戦士だ。一つ一つの武器の戦闘能力として見てみると、実はそうは特別なわけでもない。・・・それが合わさっているってことが、破格で恐ろしいところなんだがーーー」
少々顔を顰めたが、気を取り直して
「実践的な一面からするとだ、いままでだって皇帝より大ダメージを生み出す戦士だって少なくないぜ」
戦士ならではの意見をヴァランは丁寧にヘクターに聞かせた。
いろいろ出来るとはいっても、いざ戦闘に突入してみると結構無駄なことだ、戦士はそう言うのだ。武器を持ち替えて悠長にやっている余裕がないのなら、“いろいろ”扱えようと一戦闘の中で必要な武器一つ、その他としてはせいぜい魔術があれば良いことになるだろう。
「要は一つだけ、秀でればいいんだよ。一つだけを超えることだったらーーー」
戦士はにやりと口の端を吊り上げた。
己が優れた戦士だからこその自信と見識に裏打ちされた強烈な笑みだった。
「ーーー無理なことじゃあない、俺は疑わない、ね。・・・まあ、あとはおまえの努力次第なんだが、な」
「俺、強くなる」
呪文のようにヘクターは繰り返した。
繰り返して口にすることで、自分に言い聞かせているように。
「ああ、強くなれよ。歯、食いしばって」
うんと、ヘクターは頷いた。
「身体作り、もっと徹底的にやれ。まだ見ていて甘いぜ。そんなんじゃあ追い付くどころが、あいつはどんどん差を広げていってしまう」
うん。唇を引き結ぶともう一度頷いた。
強くなりたい。
ヘクターにとって、敵は七英雄ではなかった。
強くならなくても、命に直接関わるわけでも、目標を挫折し回避する道だって残されていた。
だけれど、大都アバロンの下街に暮らす孤独な少年にとって想いはシュヴァインにだっても引けを取らないほどに、真剣で、切実なものであった。
20130716改