ジェラルド
「ジェラルドという名前ははじまりの皇帝・ジェラール帝に由来して名付けられたのでしょうか?・・・だとしたら・・・悲しい名を貰ったものですね」
シュヴァイン皇帝、御年10歳と初めて対面したときの言葉がこれだった。
伏せ目がちにひっそりと微笑んだ表情は噂通り到底年相応の子供のものではないと思った。
いや、大人であろうとこんなセリフを30年近く生きてきて言われたことはなかった。始皇帝の御名を頂こうなど不遜で恥知らずだとか、深窓の令嬢で少々世間に疎かった母親の常識が云々、という悪口なら厭きるほど聞いてきた。しかし最近では2年間に亡くした母を恨む気持ちもなくなって、静かに聞き流すことが出来るようになっていた。
しかし、だ。
悲しい名、とは・・・。
「それはどういったことなのでしょうか・・・?今までそうとは言われたことはありませんでしたから私には判断が付きかねます・・・お教えいただければ幸いですが・・・」
皇帝の自室の、大きなソファーに収まって一抱えもあるほどの分厚い本を抱える少年相手に少々戸惑いながらジェラルドは尋ねていた。
ちらりと一瞬ジェラルドを見ただけでシュヴァイン皇帝は再び本に戻っていった。
「誰も知らないことですがーーー。ジェラール皇帝は一人で悩んでいました。怖がっていたと言っていい。・・・考えてご覧なさい、彼ははじめての皇帝だったのですよ、前例のない継承の術を施行されて、周りの誰一人、それがいったいどういうものか知りもしない・・・知ろうともしなかった。みなが奇蹟だと無責任に浮かれているなかジェラルドはずっと孤独に怯えなくてはならなかったのです、彼の中で繰り広げられた異常な事態・・・もしかして自分は実は術に失敗していておかしくなっているのではないか、正常ではなくなってしまっているのではないだろうか、とね。はじまりの皇帝、継承の術がはじまった皇帝ですが、それだけではありません、同時に深い苦悩も背負いはじめた皇帝です。・・・私はつぶされるほどの前例がある最後の皇帝で、はじまりではなかったことが救いだと思っていますーーー」
流れる清涼な水のような言葉の意味を理解するにつれて、ジェラルドは頭を殴られたような衝撃を受けていた。
それはジェラルドにとって想像にも及ばない内容だった。
アバロンの皇帝に受け継がれる継承術は知らない者はいない周知の事実だったが、魔術の中でも秘術であり、神の御業だとしか、それ以上に踏み込んでみようと思ったことはなかった。
“皇帝と選ばれた偉大なる者だけが与る奇蹟”ぐらいに考えていたものを実際、年も身長も半分ほどしかない子供の“皇帝”としてこうして突きつけられてみると、なんだか釈然としない、はっきりと言えば、肌寒い不気味さを感じてしまっていた。
そう。
こんなものを自分は押しつけられてしまったのだ。
民の苦悩に耳を貸すことが領地の繁栄と安泰に繋がるのではーーー目に余った大貴族の愚行に悩んだ末に呈した苦言はジェラルドに職の配置換えという形になって実を結んでしまった。
軍の中隊司令官から皇帝陛下の教育係、出世のように聞こえるかもしれないが専門の教育者達がつぎつぎに止めてしまう文官達の頭痛の種だという役どころだった。
そんな役目に武官をいきなり任命してどうなるーーー音を上げて辞任させるのが狙いなのだろうと、ジェラルドにも答えは明確だった。
きっとその後、自分に宮殿内に居場所はないだろう。これは丁のいい宮殿追放だった。
「どうかしましたか?顔色が良くないですよ」
文官達が密かに称される“銀色の小悪魔”がさも心配そうに小首を傾げた。
ジェラルドの対峙する敵はこっちにもいた。
「そうですね・・・私のことなら心配はいりませんから、ゆっくりと養生されたらよいでしょう。私の方から話を通しておきましょうね」
早速、追い払われようとしていた。
にっこりと微笑まれて、ジェラルドにとっさに切り返す言葉は出なかった。
代わりに大きなため息を吐いていた。
「・・・お好きになさってください・・・疲れています、大人しく従います」
小さな皇帝は現れて早々投げやりな新しい教育係に目をまん丸にしていた。
いろいろ嫌気がさしていたジェラルドは、今思い出しても胃が痛くなってくるような態度を取ってしまっていた。
「なにかあったのですか?何かを思い悩んでいるのだったら私が聞いてあげましょう」
嬉々と大きな目を輝かせた皇帝にジェラルドは、請われるままに事の顛末を話して聞かせた。
その結果。
ジェラルドの今がある。
聴き終わった後、少女のように可憐な皇帝は眉を吊り上げてジェラルドに説教をしたのだ。
「恥ずかしい。そんなことがあったのなら誇りに掛けて逃げるべきじゃないでしょうに。しばらく私の元に置いてあげます。その間に力を付けて、自力で元の役目に見事復活して見せなさい!!」
あれから約3年が経っていた。
置いてはくれると言ったが、シュヴァイン皇帝は協力すると言ったわけではないのだとジェラルドはすぐに思い知った。
シュヴァインに振り回される日々の苦悩は深かったが、3年間勤め上げた男は宮殿内で賞賛を集める存在になっていた。
ジェラルドにしてみれば、いつのまにか3年が経っていたというだけのことだった。心身疲れ果てる毎日の中、当初の目的である武官復帰の根回しなど進んでいるはずはなかった。
このまま勤め上げてゆけばいいのか・・・以前の地位に戻りたいと思っているのか、もはやわからなくなっていた。
それ以前の問題としてーーー。
天職だと決めつける人の評価のなかで、ジェラルドは自分は上手く勤められていないのだと思うようになっていた。
少年皇帝と、自分の間に流れる溝。
いつまでたってもよそよそしい間柄。
はたして、こんなものだろうか?
近所の子供であれば「小父さん小父さん」と懐いてもいい頃だろうし、知らない者同士だって、これだけの時間顔を合わせていればもう少し親しくなれるはずだ。
彼は皇帝だから、だろうか。
溝を縮めたいなど無理なことなのだろうか?
それとも自分になにか落ち度があって・・・。
図書室の本を読みあさろうとジェラルドに光明を与える教本は見つからなかった。
「ヘクターっ!!どうしてこんな所に・・・」
「ヴァランに連れてきてもらったんだけどさ・・・でも凄いな、宮殿の中って広いし高そうな物がいっぱいだ。なんかさ、木一本だって高価そうだよなぁ」
ある日突然、ヴィランが宮殿に連れてきた少年だった。
特効薬だというヴィランの言葉を信じたわけではなかったが、鬱ぎ込み様子のおかしかったシュヴァイン皇帝と中庭の端で引き合わしていた。
きょろきょろ辺りを見回して興奮する少年と、心なしか顔色を失って慌てている皇帝から少し距離を置いてジェラルドは控える。
「そうだ・・・あのな」
ヘクターと呼ばれた少年が改まって背筋を伸ばしていた。
「その・・・ありがとうな、アバロンに居られるようにしてくれて。・・・この前は、酷いこといっぱい言ってごめんな!!」
大きな声で謝って頭を下げた。
シュヴァイン皇帝は、きっと一瞬ジェラルドの横に立つヴァランに眼を飛ばしたあと
「やめてください、ヘクターっ!!あなたは嫌がると思ったけれど私の我が儘です・・・どうしてもあんな理由でお別れだというのは嫌だったから・・・」
悲鳴のような上擦った声をあげたのだ。
「じゃあ、許してくれるか?まだずっと友達か?」
うんと、頷いた皇帝に少年は飛び付いて歓声を上げた。
詳細を知らなかったが二人の間でそれは大事件が円満解決を迎えたのだということがわかった。
二人は涙を滲ませるくしゃくしゃな笑顔で子犬がじゃれ合うようにはしゃぐのだーーー。
ヘクターという少年にジェラルドは教えられていた。
シュヴァイン、あの子は皇帝として異質であってもヘクターと手を取って喜ぶ普通の子供でもあったのだ。
神格に近い、人として不完全な物というわけでもなかったのだ。
複雑怪奇なだけで純粋な子供。
だったらなんとかなるのでは・・・。
ジェラルドはそう思った。
「シュヴァインさま、一つ取引をいたしませんか。今のままでは少々私も困った事態になりますでしょうからーーー」
お茶の支度をしながらジェラルドは大きな賭に出た。
「時々、一日、朝から学習の日課を入れない日を作りましょう。・・・その代わり暗くなる前に宮殿にお戻りください。日が暮れてくると人の心は急くものです、焦燥に駆られて余計な災いも招きかねませんーーー」
分厚い本が静かに閉じられたのを感じた。
カップにお茶を注ぐ。
「ただし、条件もありますーーー」
「それは、なに?」
「外に出かけられるのを黙認致しますから、絶対危険なことはなさらないでください。・・・もしもなにかに物騒な事態に巻き込まれてしまったら、あなた様はなにがあろうと第一にご自身の身の安全を考えて行動されるとお約束くださいますか?」
「約束しよう、ジェラルド!!」
はじめて耳にする明るい声だと思った。
「夕方にはちゃんと戻るよ。ヘクターは酒場で働いているから夕方になると忙しいからその方がとても都合がいいんだよ」
嬉しそうな満面な笑顔など向けられたのははじめてだった。
最終皇帝・シュヴァイン。
純粋で複雑怪奇なだけの子供。
子供。
だとしたら。
ただ無条件に慈しまれるべきが、子供だろう。
多少、あの子は問題も抱えるが・・・それだけ、のはずだ。
腹を据えたこの時から、ジェラルドの本当の苦悩がはじまったのかもしれない。
彼の場合、教育係では収まりきれない、父親の苦悩に近いものになってゆくのだから。
20130716改