形見のブローチ
「おぅ、小僧、男前な顔しているじゃねえか!」
正真正銘の男前からからかわれてヘクターは、うるさいなぁと小さく毒づいた。
昨日大泣きしたために顔がばんばんに腫れあがっていることは朝、井戸で顔を洗ったときに気付いていた。あまりのひどさに自分で呻いたぐらいだ。
こんな顔になるほど最後に泣いたのはいつだろうか、思い付かない。
「まぁ・・・あいつはジェラルドでさえも苦しめるぐらいだからおまえが泣かされても当然と言えば当然だわなぁ。気にするな」
にたにた笑いながら、妙な慰め方をするヴァランに恥ずかしくて堪らず、そっぽを向いていたヘクターだったが、どうしても確かめたいことがあって覚悟を決めると男の正面に向かい合った。
アバロンの街門前広場は大都に入ってきた馬車や人間が溢れて、屈強な戦士と少年の奇妙な組み合わせも目立つことはない。
「なんで、俺は商隊から下ろされたんですか?・・・シュヴァインが頼んだからあなたが俺を買い取ったってことなんですよね?」
不機嫌を隠そうとしない子供を見下ろして男は優しげに頬を弛めた。
「そりゃあ、おまえ考え過ぎだ。見知った顔があったからどういうことか大将に訳を聞いてみたら、ろくに荷も持てそうにない細っこいのを押しつけられてよわっていると言うから不憫になってな、引き取ってみたのさ」
息を呑んだヘクターにヴァランは、くくくっと笑った。
「嘘だ。おまえには絶対に言うなとしつこく口止めされたんだがな、その通りだよ、うちの小僧から預かった金を払った」
ヴァランの言った嘘という方も、反論も出来ずとてもショックだった。
シュヴァインの知り合いだけあってこの男も性格が悪そうだとヘクターは思った。
「そんなに気にくわねえのか?」
ヴァランは面白そうに言う。
「そんなにカリカリすることもないと思うが、あいつが勝手にやったことだとドンと胡座かいてりゃいいのさ。旅商人になりたいわけじゃないなら棚ぼたもんだろうに」
「・・・そんなのおかしいよ・・・」
「何が?自分が憑いていることが、か?憑いていて駄々こねていたら、憑いていないときはどうするつもりなんだ、いったい?」
そう問われると、次第に何がなんだかわからなくなってしまっていた。
昨日、シュヴァインと言い合いして、泣いたのはなんだったんだろう。しかし、自分達はどこまでも真剣だったのだ。
アバロンにいたいくせに、シュヴァインの優しさをムキになって拒絶して、それどころかおまえは貴族なのだ、がっかりしたと酷いことを言ってしまった。
知り合って、彼自身には想像していたような贅沢な感覚はなく、慎ましく遊んできたのに、そんなことを一切忘れて・・・。
ヘクターに心の中は後悔と反省の気持ちでいっぱいになっていた。
しかし、そうなると一つの疑問も浮かんだ。
自由にお金はないはずなのにシュヴァインはいったいどうやって、ヘクターの契約を解消するための金額を用意したのだろうか?
「ああ、それか・・・」
ヴァランは途端に渋い顔をした。
「あの馬鹿が、金庫に言って強請ればいいのに、プライド高いから自分の宝石売りやがった」
「宝石?」
「いっつも持ち歩いている青い石のブローチだ。おまえに見せていなかったか?」
「・・・それって・・・お母さんから貰ったっていう・・・?」
それだと、頷いたヴァランをヘクターは信じられない心地で見上げていた。
「あいつ、やっぱり信じられないよ!!」
独りぶつぶつ何らや文句を言っていたヴァランは、急に怒り出したヘクターを振り返ると、「こんどはなんだ」と、眉を寄せた。
「お母さんに貰った唯一のものをそんな風に普通売れるのか?無くしても平気なのか?絶対におかしいよ。俺には理解できない、あいつは理解できないとこばっかだよ!!」
気色ばむヘクターの言い分を一軒の酒場のカウンターに並んで聞いていたヴァランは、ぽんぽんとヘクターの肩を叩いていた。
「だからな、あいつを自分と同じものに考えるな」
とても突き放したもの言いだった。
「あいつは貴族だっていうことなのか?」
貴族という言葉に反応して顔を顰めるヘクターにヴァランは、ため息を吐いた。
「おまえ・・・あいつの身の上にはもう少し根本的におかしいことがあるだろうにそこに目を向けろよ」
「・・・皇帝になるってこと?」
食事時でもない昼の酒場には彼らの他に客はいなかったが、ヘクターはそっと声を潜めていた。
「そうさ。そして、問題は皇帝になるってことだけでなく、皇帝を継いだ者だとってことだ。わかるか?あいつは歴代の皇帝の記憶を受け継いだんだ。何十人という皇帝の人生を見てきて様々な経験や知識を記憶している者が、姿は14歳だろうとただのガキのおまえと一緒になるはずがなかろうが・・・」
「・・・そんなこと言われたって・・・」
「わかるはずはないわな。だけど事実だ、自分の概念をあてがってばかりせず、ありのまま妙なところも認めてやらないとあいつとは付き合ってなど行けないと思うぜ」
シュヴァインを含めて彼の周りの者は難しい話ばかりだった。
考え込んでしまったヘクターにヴァランは苦笑して
「そのうちわかっていくさ、おまえがあいつのことが好きだったなら・・・どうだ、そこん所は?」
「好きだよ、俺あいつのことよくわからないけど嫌いじゃない。これはちゃんとわかる!!」
「今のとこ、それだけわかってりゃ充分か」
ヴァランは答えっぷりに満足すると、がしがしとヘクターの金色の頭を掻き混ぜた。
昼間だったが、自分には酒、ヘクターには果実水を注文してヴァランは傭兵上がりで店を開いたという店主と世間話に華を咲かせていたが、グラスを手の中に持ったまま隣で膝小僧を見つめる様子に気が付いた。
「なんだ、どうしたんだ?」
「優しいなぁ、ヴァラン。そんなに面倒見のいい男になるなんて世の中変わるものだ」
茶々を入れた店主に苦笑しながらヴァランは「さっさと気になってることを言ってみろ」とヘクターを促した。
「皇帝だからって考えないといけないことはわかったけど、皇帝だから、お母さんから貰ったものを平気で売ることが出来るなんて納得できない・・・」
「また、そこかい・・・おまえもしつこいな・・・」
ヴァランは不愉快そうにあたりに視線を彷徨わせていたが、しゃあないなぁと呟いた。
「あのブローチはな、知識があるものが見れば一目瞭然で作られた年がわかるんだ。14年前だ。当時に爆発的に人気になった流行の最先端の技法でデザインされている。その上、あんな大きさのものは普通女性は身に着けない。男モンなんだよ・・・」
突拍子もない内容にヘクターは驚いていた。
「お母さんの物だったって聞いた。唯一の形見としてこっそり渡されたんだって」
「だから・・・矛盾があるんだ。俺が考え無しに買ったのがいけなかったんだけどさ」
腹立たしげに言って、赤い髪をガシガシと掻いた。
「え?なんでヴァランさんがシュヴァインのお母さんの物買ったの?」
グラスを呷って空にしてカウンターの上に置くと唇を歪めて、ヴァランはつまらなそうに、ヘクターの当然の質問から外れた答えを返した。
「・・・ったく、あのクソガキ・・・。俺はな、ただ悪気もなく金を全額最大限に使って買ってやりたかったんだ。装飾品なんて興味がなかったから、いろいろ案がなくてとにかく値段がよくて見栄えがよくて価値のあるもの、そんなことばかり考えて買った。・・・モノ自体はどこに出しても、よくその金額で買ったと褒められるモノだぜ。・・・ただ問題はあれは明らかに、男物であいつが生まれた後に作られた物だということだ・・・」
あいつはしっかりとそういうことに気付いて、アバロンが体よく捏造した嘘の一端だとでも思っているのだろう、とヴァランは言った。
「だから、母親からの物だと信じられないから執着も薄い。事実、その通りなんだが・・・。でも勘違いしてめげるなよ。それなりにあいつは大切にしてきた物には違いない。疑っていても、部屋に置いていてなくなるといけないと服の隠しの内側に留めるようにしていつも肌身離さず持ち歩いていたらしいからな」
それはヴァランが友人のジェラルドから聞いた話だった。
友人は自分が盗ると思っているのだろうかと嘆いていた様子を思い出して、そろそろ酔いも回りはじめたヴァランはくつくつと笑った。
その横で、ヘクターは磨き込まれて光沢の良い天版に思い切り拳を叩きつけていた。大きな音が店内に響いた。
「どうして・・・そんなことっ。みんなでシュヴァインを騙してっ、酷いじゃないか!」
「心外だ。そういうわけでもないぜ」
笑いを収めて、まじめな顔をしたが、今更だった。
「嘘言うな、騙して笑っていたんじゃないか!」
「坊主、そう熱くなるな。もう一杯飲んで落ちつけや、話は最後まで聞かんとな」
低い濁声で言うと、空で置かれたグラスに店主は甘酸っぱい香りの果実水のお代わりを注いで押しつけると、体格のいい壮年の男の迫力に負けてヘクターは口に運んだ。
「そりゃあ、おやっさんの奢りか?」
「おまえも話すんだと決めたんだったら、さっさと話してやれ」
年上の店主に、頭が上がらないのはヴァランも同じらしい。
叱られた男はこんどは恐ろしく要点をまとめて、下手な朗読の棒読みのように話をした。
「俺の友人の夫婦に子供が生まれた・・・二人ははじめての子供に喜びに包まれていた。だけど、ある日突然彼らの家にアバロンの使者だという者達が現れ革袋一杯の金貨を押しつけて彼らから乳飲み子を取り上げようとした。父親はあくまでも自分達の子供を守ろうと抵抗したが、力が及ばなかった。子供を奪われ、目の前で夫を斬られ、母親は重なったショックに正気を失った。・・・そうして行き場のなくなってしまった金貨だけが残り、俺はブローチにして持ち主に相応しいだろうその子供に渡した」
わかったかと、ヴァランは凄みを効かせてヘクターに念を押した。
しかし、それは少年にとってすぐに飲み込める情報量ではなかっただろう。
「おまえが泣くなよ・・・実は泣き虫か?」
「泣いてなんかいないっ!」
「だったら鼻水、引っ込めろ。また顔腫れるぞ?」
鼻をすする少年に男は少々困って、でこを指で弾いてやる。
「おまえに聞かせた話は、俺とここのおやっさんぐらいしか知らない話だ。本人もジェラルドも知らないよ。俺は事実だろうと、今のあいつに自分の居場所をこれ以上嫌わせたくない、だから話すつもりはない・・・。おまえが話してやりたいと思うなら、止めはしないよがな・・・ただし、泣かせたらちゃんと最後まで責任取れよ?」
静かな言葉に込められていたものは深い悲しみと慈愛だと思った。
ヘクターは首を横に振った。
シュヴァインが生まれて、両親が不幸になったーーーそんな話を聞かせられるわけがなかった。
「言えない・・・俺も言わないよ・・・」
「そうか・・・」
と、ヴァランと頷いた。
「これもおまえに預けとく。折を見て返してやってくれ」
渡したものは、シュヴァインのブローチだった。
「子供一人で身元も明かさずに換金しようとするから、半日古道具屋巡り歩いた挙げ句、闇店でおまえ一人を買い戻せるだけなんていう破格の安値だぜ?・・・数日がかりで交渉して買った俺は非常に虚しかったぞ・・・。まあ、それだけ必死だったってことだがな、愛されてるぞ、小僧、よかったなっ!」
半ばヤケクソに言うヴァランに、ヘクターはぎこちなく照れ笑いした。
不当な値段を聞いて怒り狂ったヴァランが、脅迫まがいな話し合いで取り返してきたブローチは押し切られてヘクターの手に渡った。
そうして、切欠を見つけられず10年以上もへクターの元で留まって彼のお守りの働きをすることになる。
「じゃあな、小僧。おやっさんは怒らせると言葉より先に腕が飛んでくるタイプだからな、しっかり働けよ」
席を立ったヴァランに続こうとしたヘクターは再び驚かされた。
「俺、ここに置いて貰えるの?」
ヴァランを見上げて、その後カウンター奥の店主の顔色を窺った。
「倉庫の2階で寝泊まりするといい、しばらく使っていないから自分で掃除しな。この酒場兼食堂の住み込みの手伝いということだ。給金は働きに応じて渡す。失望はさせるなよ、坊主」
叔父さんの面子を潰すことになって、アバロンにいられることになったといえもうあの家には戻れないだろうとは思っていた。
「ありがとうございますっ!!」
ヘクターは嬉しくて深々と店主に頭を下げると、ヴァランにも礼を言おうとして止められた。
「俺にはいい。シュヴァインに言うんだな。おやっさんに頼み込んだのは俺だがそれはあの小僧との取引だ。俺は渡された金でおまえを商隊から下ろすこと、もう一つ信頼できる居場所を紹介すること。そしてあいつが呑んだ条件は、向こう三ヶ月、ジェラルドを困らせることはしない、だ。ああ、というわけで、しばらくあいつは街には出てこないが達者でやれよ」
シュヴァインに頭が上がらないと思った。
その一番お礼をいわなくてはならない者には、しばらく会えないのだと聞かされ萎んでヘクターは、気を取り直すとヴァランに伝言を頼もうとした。
「シュヴァインに、ありがとうって、あと、酷いこと言ってごめん、と伝えてください」
「・・・めんどくさいな。自分で言えよ」
「だけど、しばらく会えないから・・・」
「だったらおまえ、これから一緒について来て言えばいい」
「そんなこといいの!!?」
ヘクターは顔を輝かせた。
「ああ。でも宮殿中では大人しくしてるんだぞ。おやっさん、いいかな少し連れて行って?」
「明日の朝から働いて貰うつもりだ。それまでには戻せよ」
店主は快諾してくれた。
アバロンを去るはずだった日は、ヘクターの怒濤の一日なった。
自分の与り知らないところで、力が生まれ、絡み合って作用を及ぼしヘクターを取り囲むと、まるでただの盤上の駒であるかのように押し流した。
力は優しく安定した予想外の場所に導いていった。その間、ヘクターに出来たことはただ顔を泣きはらしたことだけだった。
運命・・・強運?
他にいい言葉は思い付かなかったけれど、これも少し違うような気がした。
なぜならヘクターが心から感謝したい者達は、姿を見たこともない神さまなどという絶対的な存在ではなかったのだから。
その上この日、もう一つ忘れてならないことがあった。
それは、のちの就職口、アバロンの宮殿にはじめて足を踏み込んだ記念すべき日ということだ。
20130716改