誇りと友情
別れは突然にやってくる。
充分にわかっていたつもりだった。他人だけでなく、自分のこの世との別れだって、いつもいきなりだ。
それなのに、さあと突きつけられたときにあんなに動揺してしまったということは、私はあくまでも人事だとしか捉えていなかった、傲慢にも己には関係ない、煩わされたりしないものだと思っていたことになる。
・・・ある意味、その通りだろう。
私には、私の命を含めて別れて痛いものなどないと思ってきたのだから。
「今日会えて良かったよ。このまま会わずに別れることだけは嫌だったんだ。・・・最悪、夜中にこっそり宮殿に忍び込むしかないのかなぁと考えていたんだ」
ヘクターの言葉にはよく驚かされるけれど、これはいっそうだった。
今日は珍しく約束の場所に、約束の時間よりも早くにやって来られたシュヴァインをヘクターはというと、すでにその場所で待っていたのだ。
広場の縁の3本目の古木の裏側、ここが最近の待ち合わせ場所になっている。広場は明るく整備されていて、人通りもあるから返って目立たないと言いだしたのはヘクターであり、シュヴァインはどこでもたいして代わりはないと考えているため提案を退ける必要もなかった。
穏やかな場所には、小さな子供連れの女の人が多く見られた。
二人の側を薄い色の髪の子供の手を引いた若い母親が歩いてゆく。
約半月ぶりの再会にお互いの過ごした時間を簡単に説明しあって話も一段落したときで、親子の姿に気を惹かれ目で追っていたシュヴァインはヘクターの言葉に振り返るとしげしげと発言者の顔を見つめた。
「でさ、一応門兵に礼儀正しく『シュヴァインさまに会わせてください』って言ってみるって手も考えたんだけどさ絶対無理だろうし・・・ロープ持っていって塀を乗り越えようかって、俺身軽だしさ、・・・子供だから見つかっても殺されたりしないだろうし、・・・どうしても会っておきたかったし夜中にでも会いに行こうかなって・・・」
見つめる中で、いつも以上に陽気に笑って手を振って迎えてくれたヘクターの弾んだ声はみるみるうちに勢いをなくしていった。
「ヘクター・・・?」
笑えない冗談だよ。・・・嘘だよね?
口走りそうになる言葉を寸での所でシュヴァインは呑み込んでいた。
不機嫌に黙り込んでしまった様子には呑み込まざるを得なかったのだ、嘘を言うものの顔ではなかったのだから。
「どうして・・・?」
そんな言葉を思い付くまで途方もなくかかった。
「仕方ないんだよ」
再び真っ直ぐシュヴァインを見つめて、ヘクターは明るい笑顔を作っていた。
それは普段宮殿内で見慣れた感情を押し殺した類のものだったから、シュヴァインも釣られるように微笑んで
「仕方がないでは、わかりませんよ? 理由を私に教えてください、ヘクター」
見とれるような綺麗な表情に、目を丸くした後ヘクターは一変すると
「なんだよ、それ・・・なんかムカついた・・・」
仏頂面に変わった。
「あなたがそんなところでそんな顔をするからです・・・そんなことはどうでもいい、それよりも理由をっ!!」
「大きい店が新市街地区にできたんだよ。そこにお客さんを持ってゆかれちまったの。叔父さんは一人でこつこつやって来たんだけど、その店は若い職人さん大勢抱えててさ。・・・若い人よりか、叔父さんの方が経験豊かだからいい仕事できる気がするけど、なぜだか人は向こうの店がいいみたい・・・」
ヘクターは心底不思議そうに言った。
「おまえはどうしてだと思う?」
「それは・・・私にもわかりません・・・」
シュヴァインの言葉に、どこか満足そうに、そうかと頷くとヘクターは続けた。
「叔父さんとこさ、冬には2人目の子供が生まれるのとになったんだ。
売り上げが減ってきているのに、食いぶちが一人増える。大変なんだよね、どこもさ。だから俺、ここにいられなくなった。・・・ほら、これって仕方ないことだろ?」
「それで、あなたはどうなるのですか?」
冗談めかしてもまったくのらないシュヴァインに憮然となって、空を仰ぐ。
仰いでヘクターはため息を吐いた。腹が立つほど脳天気な空が広がっていたからだ。
「商隊が手伝いを捜していたんだよ。結婚して自分で店を開く人がいて欠員ができて、それに俺が入ることになった。これからは靴屋の手伝いじゃないくて商隊の一員になって各地を旅してまわるんだ、凄いだろ!」
「旅商人になりたいのですか?」
瞬きも見逃さないと真っ直ぐに見つめる大きな灰青色の瞳に、空以上に腹が立って怒鳴らずにいられなかった。
「んなわけないだろうが!・・・俺にどうしろって言うんだ!もう決まったんだ、俺も同意したし、叔父さんもお金を受け取ったんだよ!!」
大きく肩で息を繰り返していたが、大声にも動じなかった瞳のまえに冷静さを取り戻すと恥ずかしそうに再び下草の上に腰を下ろした。
「だからさ・・・明日、出発する。・・・最後に会えて良かった。・・・ああ、こんな風に喧嘩したかったんじゃなくて・・・」
思い出したようにヘクターは上着のポケットに手を突っ込むと丸めた布切れを引っ張り出していた。
丁寧な仕草で広げられると出てきたのは干からびた小さな双頭の蛇だった。
「これ、欲しがってたよな。やるよ」
「これを私に?」
「ああ、貰ってくれ」
蛇を見下ろす銀色の後頭部を見つめて、ヘクターは今度こそ、本当に微笑んでいた。
彼のそのお宝で、残していくことになるシュヴァインを少しでも喜ばせることができるなら満足だったのだ。ところが、だ。
「いりません」
「は?」
ぴしゃりと拒絶され、耳を疑わずにはいられないだろう。
「餞別ですよね?・・・いただくことは出来ません。これを貰った後、私がどうすると思います?見るのも辛くて棚の奥深くに仕舞い込むでしょう。そして、あなたを忘れるまで取り出すことはおそらくない。そんなことだったらその蛇はあなたの元にあったほうが有意義です」
ゆっくりと顔を上げたシュヴァインは言葉以上に好戦的な顔をしていて驚かされたが、さすがに息を呑んだのは一瞬だ。
「巫山戯たこと言っていないで、友達なら黙って受け取れよ!」
ヘクターは声を荒げていた。
シュヴァインの気持ちがわからないでもなかった。しかしそれはヘクターにとっても同じだった。自分だって、辛いのだ。
商隊に入りたいなど少しも思っていなかったし、出来るなら、このままアバロンに居たかった。
それは数日前まで、ヘクター少年の希望などではなくもっと自然な、自分はこうやって時々彼と会いながら大人になって行くのだと疑いもしなかったことだった。
駄々っ子のように頑なに突っぱねるシュヴァインに苛々とヘクターは唇を噛みしめた。
「だからさ・・・おまえもいい加減にしろって!さっさと受け取れ、んで最後に思い切り遊び回ろうぜっ!」
「嫌です!」
その言葉はいくらシュヴァインであろうともヘクターにとって許せるものではなかった。
「・・・こんなことでは私は諦めることなどできません!!」
シュヴァインは『こんなこと』だと言った。
理不尽な事態だろうと仕方がないのだとヘクターは一生懸命抑えようとしていのだ。
理不尽、そう、ましてこれは今回だけではないのだ。
アバロンで生活するようになったときも、今と同じようにヘクターは無理矢理頷くしかなかった。
友人が出来て楽しめるようになったけれど、あの時だって自分の意志でも、両親の意志でもなかった。
お金の所為。
お金はないけど、シアワセーーーそんなこと嘘っぱちだと思った。
お金がなければ、小さなシアワセだってこうやって2度も簡単に壊れていく。
たかが金だけど、そのお金という問題をまえにいつも自分はこれほど無力で泣かされ続けているというのに・・・。
「こんなこと、だなんて言えるのはおまえは裕福な貴族だからだっ」
憎悪さえこめられた声だった。
しかし普段、彼に女の子のようだと思わせる“小さくて綺麗な”シュヴァインは顔色一つ変えなかった。それどころか、静かに肯定してみせたのだ。
「そうですね・・・確かに、あなたから見れば私は貴族でしょう。とりあえず生きている限り、食いはぐれることもないですから」
あなたの過去を忘れてしまっているわけでもありませんよと、ヘクターの癇に障る断りを丁寧に入れてから、さらに眉が吊り上げられた。
「私だって、あなたのこの問題が軽いものだとは思っていません。だけど、あなたの横に今私が居て、解決する手段がある問題だとは思いませんか?」
「おまえがお金を払ってくれて、俺がアバロンにいられるようにしてくれるって言うのか?」
「そうだと言ったら?」
「絶対に断る。俺だけがそこまでされていい理由があると思えない。理由のない施しなんて、ク・ソ・喰・ら・え、だ!」
一音ごとに強調されたスラングの返事は
「もしかして、馬鹿ですか?」
という涼やかなものだ。
「じゃあ言ってみろよ。俺だけ、母さんや叔父さんが堪えるしかなかったのに
、俺だけ特別になる理由はなんだよ。俺を納得させてみろよ!」
「そんなことなら難しくはない。それが、あなたの持っている強運ーーー運命ってことじゃないですか」
「は、くっだらねぇ!!」
それは、ヘクターには子供騙しのようにようにしか聞こえなかった。
その程度にあしらわれているのだと思ったのだ。
しかし鼻の皺を寄せて不満を現すヘクターにも、シュヴァインはどこまでも真剣な表情を崩さなかった。
「・・・精一杯取り組んでやっと表面層をほんの少し変えられるだけ、運命は自分の力ではどうにもならないあらかじめ決められてしまったものだと私は思っています。すべての者は運命に流されて、もしくはじたばたと往生際も悪く無駄に抗いながら生きている。九死に一生を得た者も、些細な事柄に気を取られて転がる事も決められたことだとしたら、あなたに下された運命だってこういう方向に定められたものだった・・・これで納得はできませんか?」
返事はなにも出来なかった。
シュヴァインがさらさら口にしたセリフはヘクターを固まらせてしまっていた。
日常にあまり使わない単語が羅列されたものに、その意味を探るだけで必死でよく理解できなかったのだ。
そんなヘクターの表情に少しシュヴァインはトーンを和らげると
「人はみんな一人一人それぞれに生きてゆくもの、そして、あなたはたまたまどこかの不運な者よりも、ご両親達よりも今、良運が憑いている・・・ただそれだけのことで、甘んじて悪いことじゃない」
と言葉を足した。
「・・・嫌だね・・・」
俯いたヘクターから零れたおおよそ彼らしくもない小さな声にシュヴァインは小首を傾げた。
「・・・おまえがいくらそんな難しいこと言ったって・・・俺は納得しない。貴族の施しは受けない。これが俺の誇りなんだよ!」
「誇り・・・?」
昔、二人でこういう話をしたことがあった。
あなたが苦しんでいたら、私は・・・とシュヴァインは言って、そんな状態は作らないとヘクターはしどろもどろになって答えたはずだ。
「・・・もうこんな話なんかしたくない・・・。おまえは貴族だけど俺のことわかってくれる最高の友達だと思っていたのに・・・がっかりだ!失望したっ!」
ヘクターはぼろぼろと泣いていた。そうして、悔しそうに吐き捨てられた言葉にシュヴァインは半眼を閉じるとしばらく微動だにしなかった。
「スマしてないでなんか言ったらどうだよ、お貴族サマっ!」
嗚咽を噛むヘクターにシュヴァインは目を見開いた。
その目にもうっすらと涙が滲んでいた。
「吐き気がするよ。・・・自己嫌悪にだ。俺はおまえとは違って、おまえと自分の誇りだったら、誇りなど曲げてもいいと思っていたーーー独りよがりの馬鹿だと笑えばいい。・・・最悪な気分だ」
「さよなら」
音もなく立ち上がると、すれ違いざまに氷のような一言を言い置いて、シュヴァインはヘクターの元から去っていった。
引き留めることも、広場から出て行く後ろ姿を目にすることも出来なかった。
自分はどこか間違っていただろうか?
ヘクターの中で自問が渦巻いていた。
最高の日になるはずだったのに、今までにない最低な日になっていた。
ヘクターは傍目も気にせず泣きづけていた。
涙が止まらないのだ。涙を拭いながら鼻をすすりながら、叔父さんの家までなんとか戻って、すぐにベッドに潜り込むとそのまま夕食も取らず、朝を迎えた。
前日に続いて、アバロンを去る記念の日は良く晴れた一日になりそうだった。
20130716改