ファティマ
「あ、早いじゃないか、今日は!」
待ち合わせよりもずいぶん早く現れた姿を見つめてヘクターは声をかけた。
驚いて、振り返ることになる。
声など聞こえなかったとばかりに、ヘクターを見ることもなくすぐ横を小走りに走り去ってゆく銀の長い髪。
なんで?
ヘクターは考えるよりもまえに、追いかけてその腕を掴んでいた。
「なんだよ、その態度はっ」
腹が立った。
切り捨てられたようで、一瞬息が出来なかった。氷の固まりを呑み込んでしまったように身体の内が途端に冷たくなって、悲しくて。
だから、凄く腹が立っていた。
「今になって、無視かよ」
大通りの縁に引き込んで、ヘクターはシュヴァインに問いつめていた。
不思議そうに灰青色の大きな目でひたっと見つめてシュヴァインはいつものように涼しげに言葉に耳を傾けていたが、おもむろに
「人違いです」
と言った。
「は?」
よほど驚いた顔をしたのだろう、ヘクターに吹き出して、くすくすと笑いだした。
「そんなに私と似ているのね、でも残念、間違いよ。・・・私の名前はファティマよ」
シュヴァインの声は別の名前を告げた。
「・・・嘘だ・・・」
「嘘なんかじゃないわよ」
ファティマと名のった少年がしかめっ面のヘクターに、声を潜めて言う。
「これでも私、皇帝なのよ。誰かに聞いてご覧なさいよ、すぐにわかるわ」
「・・・そんなの大嘘だぁ。だって第一に今はアバロンには皇帝はいないはずだ。先代の右腕だった奴が代行しているんだ・・・あと8年この状態が続いて、最終皇帝の即位に??」
「寝ぼけてるの?今の皇帝は私よ。ノーマッド出身のファティマ、女の子だからって私を馬鹿にしてる?」
「お、女?」
ヘクターは思わず大声になった。
「ひっどいわね、どうしてそんなに驚くかなぁ?あ・・・もしかして、間違えた相手って男なの!?」
ファティマは口を尖らせた。
どうみても姿はシュヴァインだった。
銀色の長い髪、白い顔、灰青色の大きな目、きっちりと隙無く着込む服。
でも、これはシュヴァインではないという。
馬鹿にされてからかわれているこっちじゃないのかと思ったが、嘘を言ってるようには見えないのだ。
表情がいつもにも増して女の子のようだという気にもなってきた。
本当に人違いなんだろうか・・・。
「・・・ごめん」
ヘクターはどうしていいかわからずに、一応気分を害したと口を尖らせる少女に謝った。
「いいわ、許してあげる」
すぐに陽気に笑ったファティマはてきぱきと別れを切り出した。
「じゃあね、もう私行くわ、急いでいるの・・・家に帰るの」
「家って・・・ステップに?」
ノーマッドの居住地域はステップ平原だ。
「そうよ」
当然と頷く、少女でファティマだと言うシュヴァインモドキに、ヘクターは少し困ってしまった。
「ヘクターの歳は幾つなの?」
ヘクターは16才と答えた。
「そう・・・私より上なのね。もっと若く見えるね」
ファティマは言う。
不思議はなかった。実際もっと若いのだ。ヘクターは嘘を答えていた。
ヘクターは14才、シュヴァインは半年遅れで13才だと言っていた。
ファティマというこの少女は、自分を15才と言った。ファティマだって15才には見えない。やっぱり本当は13才なのだ。
「で・・・どうしてあなたは私に付いてくるの?」
ファティマは通りの人混みをすり抜けながらすぐ後ろに付くヘクターに尋ねた。
「・・・一人じゃ危ないよ。皇帝だし、・・・女の子でしょ?」
「あら。ナイトね!」
笑って、
「でも大丈夫、心配しないで。私、強いわよ。戦いに出る戦士よ。今だってほら」
ファティマが懐からちらりと覗かせたのは短剣だった。
「ちゃんと扱えるから。それよりあなたは誰かと待ち合わせしていたんでしょ?」
「それはいいよ。きっと待っても今日は来ないと思うから・・・」
目の前に、シュヴァインはもう来ているのだから。
これはシュヴァインだとヘクターは確信になっていた。
「ねぇ。頭とか痛くない?」
「痛くないわよ、なんで?」
「頭打って、たんこぶとか出来てないかな・・・と思って・・・」
変なこというのね。
ファティマは眉を顰めて怪しそうにヘクターを見る。
ヘクターは視線に気付いていないように、そっぽを向いた。
振り切ろうとするように、ぐんと足のスピードが上げられたが、振り切られる訳にはいかなかった。
しばらくしてファティマの歩調は諦めたように戻された。
宮殿から伸びる大通りを急ぐファティマが目指しているのは街門なのだ。
言葉通り、アバロンを出てステップ平原に行くつもりなのだ。
「ステップはここからは遠いよ。どうやって行くつもりさ?旅支度してないじゃないか」
「そんなの平気。道沿いに歩けばいいのよ。10日もあれば行ける」
「無理だよ。それに食べ物だって何も持ってないだろ?」
「そんなのいいのよっ!」
いらいらと応えていたファティマが堪りかねて声を荒げて、ヘクターに向き直った。
「そんなの大丈夫っ。食べ物が無くったって、帰るのよ。邪魔しないで私は帰るんだからっ!」
剣幕に気圧されたヘクターの様子に我に返ったように、ファティマはごめんなさいと小さく謝った。
街を取り囲む外壁には普段には自由に通行を許す門があった。
ただし、役人が配されていた。怪しく不穏な者達を街に入れないように帝都アバロンを守っている。
その彼らの一人槍を片手に立っていた体格のいい男が、門に近づいていったファティマの姿に目を留めた。
男は、じいっと貴族然とした出で立ちの子供を見て横に立つ男に何か耳打ちをした。二人の役人達がシュヴァインを見て、囁き合う。最初に見つけた男がこちらにゆっくりと近づいてくる。もう一人の男が詰め所に入ってゆくとすぐに他の男が顔を出してこちらを見る。制服が異なって少し豪華だった。役が上なのだ。
男達の顔はそろって緊張していると思った。
「ほらやっぱり、ヤバイって!!」
ヘクターはファティマの腕を引っ張って走り出そうとした。
その様子に役人も慌てだした。距離にして十数メートル。
多くの通行人がいて障害になったとしても、走って逃げないとすぐに捕まってしまう。
しかし、本人が抵抗した。
「いやよ。帰ると言ったでしょっ!」
ヘクターの手を振りきって門に進もうとしていた。その手には短剣が握りしめられていた。
「ばかっ。何人いると思ってるんだ勝てやしないよ」
もみ合っている間にも役人達が人を縫ってどんどん走ってくる。
業を煮やしたヘクターはファティマを無理矢理抱え上げて走り出した。
暴れたけれど、酷いことはしてこなかった。短剣を持っているから少し心配したが杞憂だった。
シュヴァインの身体が小さくて良かったとこのとき心から思った。
抱えたまま大通りを逃げて、脇道に逸れる。
そんな状態ではやはり思った以上に長く走れなかった。追い付かれるのは時間の問題だった。
「離しなさいっ!」
拳で頭を殴られヘクターは堪らずファティマを地に下ろした。
「ねえ。帰りたいのよ・・・本当に。私は家族に会いたいの。多少無理やりをしても帰りたい。お願い、邪魔はしないでちょうだいっ!」
大きな灰青色の目は真摯で悲痛な光を湛えて、ヘクターの心を乱す。
出来るなら叶えてやりたいと思ったけれど、無理だよ。
それにこのファティマをステップに行かせてはいけないんだ。
こいつは、ファティマじゃない!
「無理なんだよ・・・」
「あなたに協力してなんて言わない。ただ邪魔をしないで!」
「だから、ダメだって!!」
言い合う二人にゆらりと大きな影が落ちて緊張が走る。
「こんなところで何ちんたらやってるんだ、おまえ達。早く逃げんかっ!」
赤い髪の戦士だった。以前シュヴァインがいっしょにいた男でヘクターは一度顔を合わせたことがあった。
「だけど、こいつがどうしても外に出るんだって・・・」
ヘクターは戦士に必死に訴える。
戦士ヴィランはシュヴァインを見下ろして、少し何かを考えていたようだが、その後一層厳しい顔をした。
シュヴァインの二の腕を掴んで引き寄せた。
恫喝だった。
「いいか、皇帝サマ。よく聞け、こんなかたちで捕まったらすぐさま宮殿に強制送還だ。逃げ出さんよう檻の中に突っ込まれるぞ。しばらく一歩も出してもらえんだろう。いいのかそれで!」
シュヴァインは、少女は悲しそうに項垂れた。
「行けっ!」
路地の細い道を今度こそ、二人で走り出した。
奥の角を回ったところを視界の端に確認したとき、ヴィランの前に役人が立ち「銀髪の子供を見なかったか」と尋ねた。
「ああ見たよ、金髪の子供と二人連れだろ?」
あっちだ。
ヴィランはあらぬ方向を指さした。
いつも話をする河原の土手に出ていた。
ここまでこれば大丈夫だと、二人は腰を下ろした。
ファティマはヘクターから少し離れて座り、膝を抱いて蹲っていた。
その身体は次第に震えだし、嗚咽が零れ出す。
ヘクターはどう声をかけていいかわからないず黙って見守っていた。
「・・・帰りたいのに、お家に、元の生活に戻りたい・・・。もういやなの皇帝やってゆくの・・・」
ヘクターはぎょっとした。
皇帝を辞めたいとファティマは言う。
知らなかった、そんな想いがあるのだ。シュヴァインだけでなく、ここにも皇帝を嫌がる者がいる。
「・・・あなたは何も知らないのよ、皇帝になってないから。・・・大きなモンスターとずっと戦ってゆくために選ばれたってことよ。来る日も来る日も・・・見たことないでしょ?モンスターの爪はチーズのように簡単に人の身体を切り開くのよ・・・人間なんてちっぽけで弱い生き物・・・」
腕からそっと顔を上げて、目を覗かせた。涙が溢れていた。
その目でじっとヘクターを見つめ、ファティマ・シュヴァインは言う。
「辛いのよぉ。もうやだよ、こんなことしていたら私、いつか死んじゃうよ。・・・怖いよ、戦うの嫌い。・・・それだけじゃない・・・頭の中に他の人が何人も生きてるの。私なのに、だんだん私で無くなってしまうかもしれないんだよ・・・それもとっても怖いの・・・帰りたいよ・・・お家に帰りたい。家族に会いたい。母ちゃんに、父ちゃんに兄ちゃんに会いたい・・・」
泣き崩れる肩にヘクターはそっと腕をまわし優しく抱きしめた。
「帰りたいよ・・・」
それはシュヴァインの声で・・・彼が泣いている気がした。
ヘクターはたまらず、ぐっと腕に力を込める。
ファティマだけどシュヴァインだった。
シュヴァインが泣いているのが、切なかった。
「泣かないで・・・もう泣かないで、お願いだから」
それ以上、街門から引っ張り戻した自分がどう励ましていいか、わかるわけがなかった。
シュヴァインは嗚咽に震え、大粒の涙を流し続ける。
「泣くなって、シュヴァインっ!おまえが泣いているのは嫌なんだよっ!」
その時、嗚咽ではなく、シュヴァインの身体がびくっと大きく震えた。
泣き声が止まっていた。
数秒後、顔が上がり、自分を抱きすくめるヘクターを見つめて。
そして。
「もう泣きません。腕を解いてください、ヘクター。ファティマは去り、私が戻りました」
冷静な声がして、ヘクターは驚いて腕の中の者を見た。
冷ややかな大人のような笑みを浮かべた、その表情は間違いなく彼が知るシュヴァインのものだった。
「驚きましたか?」
シュヴァインは薄い笑みを浮かべる。
「そりゃあね、少しはね・・・」
川辺で靴を脱ぎ水に足を晒して遊ぶシュヴァインの姿を見ながらヘクターは低く答えた。
「あれって・・・なんだよ・・・。いつもあるのか?」
シュヴァインは大きく一つため息を吐いた。
「ときどきです。・・・アバロンの、代々の皇帝の記憶を受け継いでいるっていうのはああいうことなんです。誰かの、幾十人もの記憶がそのまま私の中にある。思い出そうとしたら、他人の記憶なのにまるで自分のもののように思い出せる。・・・でも思い出したくなくても勝手に出てきて・・・。彼女が言っていたでしょ?自分じゃなくなるって。その人の記憶に引き込まれ、自分が誰だかわからなくなってしまうときがあるのですよ」
「・・・能力と技の伝承だって聞いてる・・・」
「それは曲解です。正しくは能力と記憶全般です」
「さっきのファティマって子は・・・何代か前の皇帝ってことなんだよな?」
「そうです。8代目女帝、ファティマ皇帝です」
「それだったら・・・聞いたことある。十代のうちに2地方を併合した女傑だって。斧を手に男以上の勇猛さで戦った皇帝だって・・・」
伝わる話と、さっきの少女は別人のようだと思った。泣き崩れる彼女がその女傑だとは信じられない話だった。
そう考えていたヘクターにシュヴァインは淡々と言う。
「女傑・・・確かに彼女を表現する言葉によく用いられますね。でも私からしたら、ファティマは悲しい女性でした」
無言に続きを促されて、シュヴァインは口を開く。
ファティマが即位したのは15才になったばかりの歳だった。
アバロンからの恭しくも、選択の余地のない迎に無理矢理少女は家族から引き離された。彼女は少女らしく、歴代の皇帝の誰よりも戦闘を嫌い怖がっていた。
ずっと故郷を恋しがっていた。
彼女は、恥ずかしくない功績を挙げれば故郷に帰ることも許されるかもしれないと考えて、とても努力した。人一倍に。
彼女が務めたのは約11年。でも最後の1年は完全に鬱状態に入っていた。
幾らがんばろうと故郷に帰れないことを知ってしまったから。
生きる目的も見いだせなくなって、食事は喉を通らない。痩せ細りベッドで過ごすようになった。
鎮静剤を与えられ、ゆめうつつ一人広い部屋のベッドで時間を過ごす。状態は余計に悪化していった。余命幾ばくもないと誰の目にも明らかな状態になってしまったファティマ。譫言のように呟くのは「家に帰りたい」だった。
でも、アバロンはその時になっても許さなかった。一度皇帝に就いた者は死ぬまでアバロンで暮らすことを定められている。
そしてまして衰えてみすぼらしい姿になった皇帝を、民の目に晒すことを良しとはしなかったから。
彼女は故郷を想いながら、アバロンで死んだ。
雪の朝、歩くのもふらふらだった彼女はバルコニーで雪に埋もれるように発見された。
皇帝の居室から抜け出して、ファティマは短い生涯を閉じたのだ。彼女はただステップに続く空を見たくて外に出て力つきて戻れなかっただけで、自殺ではなかったのかもしれない。
しかし、いずれにしても武勇で名を馳せた女傑の最期は悲劇だった。
唇を噛んで聞いていたヘクターは疑問を見つけた。
「そんな詳しいこと・・・おまえは記憶として全部知ってるってこと?」
「私もすでに伝承の秘術は施されています。でも今は、魔術師が私の歳が小さいからと、秘術を遮って守ってくれていることになっています。しかし、それほど役に立ってませんね。現にこうやって皇帝は現れてくるのだから・・・。不確かで見えないところは自分で文献を調べました」
あのファティマはシュヴァインの中に確かに存在するっていうことだ。
シュヴァインはあの少女の記憶を抱えていて、あの悲しみも抱えているのだ。
その他は自分でわざわざ調べて・・・。
「・・・そんなこと調べんなよ・・・」
悲しい話だから調べたシュヴァインはきっと切なくなっただろうと心を痛めたヘクターだったから、でも。
「なぜです?」
予想外に強い語調だった。
ヘクターを見据えるようにして立ち上がったシュヴァインは目を大きく見開いて、拳に力を込めた。
「ちゃんと自分で調べていろいろ知っておかないとっ!8年後、術が解かれ、すべてが雪崩れ込んだとき・・・予備知識もない中に様々な強いモノを突っ込まれたら私はおそらく発狂しますよっ!!」
恐怖に喘ぐ悲鳴だった。
「シュヴァイン・・・もう一度抱きしめていい?」
ヘクターはそっと聞いた。
しばらく会話のない時間が過ぎた後だ。
膝を抱えて風に吹かれていたシュヴァインは、ヘクターに顔を向けた。
「あんなことがあって・・・いろいろ知っても抱きしめたいですか?気味悪いでしょうに」
泣きたくなるような綺麗な微笑だった。
「いろいろ知って、抱きしめたくなったの!」
近寄ったヘクターはシュヴァインの後ろに膝を付くと、彼よりも小さな細い身体に両腕をまわした。
やっぱり、言葉は見つけられなかった。
だから、そうやって抱きしめるだけ。
心に嵐が吹き荒れていた。
小さなシュヴァインの背負う途方もない大きなもの、そしてそんな彼に言葉の一つさえ掛けてあげられない不甲斐ない自分。
泣きたかった。
悲しくて、苦しくてヘクターはぎゅっと強く抱きしめていた。
事実を知らされて呼吸もうまく出来ないほどの衝撃を受けたヘクターを癒してくれたのは、皮肉にも抱きしめるシュヴァインの体温の温かさだった。
20130716改