可愛い子
角を曲がる。
店と店の間の細い道に入る。この先にあるものはただ店の裏口だけかもしれない、人一人が通れるだけの路地だ。
自然に、普通に慌てずに。
そして、立ち止まって建物の陰で待ってみる。
すると、ほら。
男はこの何もない道に入ろうとして、正面に対峙することになった。
やっぱり自分のあとを追っていたのだ。
しかし知っている顔だった。
シュヴァインは、懐の短剣から手を離して肩の力を抜いた。
にこやかに笑う。
「お話をしたことはまだありませんが、あなたとはお会いしたことがありますね」
「ああ、あるね。何度か顔を合わしたな」
生意気に待ち伏せをしていた自分の胸ぐらいの背丈しかない、見目だけは実に麗しい少年にヴァランは苦笑を浮かべる。
正確に言って、顔を合わしたのは3度だ。
知己のジェラルドを尋ねて宮殿内部に踏み入ったときに、少年は友人の側にくっついていた。
ジェラルドが少年・シュヴァインにくっついていたというほうがいいのか。友人は彼の教育係に任命されているのだ。学問修得項目や、技術鍛錬科目は個別に専門の者が教えるから、ジェラルドはもっと基本的な生活面、人格をはじめとする総合面の教育にあたる。少年の側に控え、細々とした神経を使う役割だろう。自分には到底出来ないと、ヴァランは思っている。
あの友人は任に就いて約半年、急に老け込んだような気がする。共に36歳。ヴァランの赤髪にはほとんどないが、ジェラルドの金褐色の髪はこのところ妙に白っぽくなってきていた。
眉間に刻む皺は確実に深くなっているだろう。
可哀想に・・・。
クソガキ相手に、相当手を焼いているのだろう。
フリーファイター、アバロン帝国の雇った傭兵部隊に所属し大抵を修練場で過ごすヴァランと、次期皇帝を相手にして宮殿最奥部に詰めるジェラルドでは普段滅多に顔を合わせることはない。
しかしいろいろと噂は漏れ聞こえている。
凶悪なモンスターや人外の敵を倒すべく、数千年前にある女魔道師がアバロンの初代の皇帝に与えた術は、『能力と知識の伝承』という秘術だった。
短命種である人間一人が生涯を費やしてようやく蓄えた知識や、命をなげうって見つけた敵の弱点を、次期皇帝はその位と共に受け継ぐというものだった。その皇帝はその先をほんの少し追究し、また次の皇帝に。
そうして何代にも渡り、どんどん継承するものの量は代を経る事に膨れあがってゆく。
奇蹟の技だと、人々は魔道師に感謝した。皇帝に選ばれた者以外は、だ。
皇帝に選ばれて責任と義務の重圧、そして注ぎ込まれる幾人もの他人の記憶。
当事者ではないから、ヴァランはそれがどんなことなのかはっきりとわかるはずがないが、何十人もの記憶を受け継ぐ最後の者であるあの少年見ていると歪んだ忌むべきことだとしか思うことは出来ない。
外見は子供では彼は、子供ではない。あの少年の中には老獪な知恵、幾人にもよる専門的に身につけられた博学、戦士の経験から積まれた感といったものがすべて詰め込まれていた。
学者が舌を巻くほどの知識と、一流の戦士の経験が物心がついたときには彼の中にすでにあるのだ。
ジェラルドとシュヴァインの、その二人の会話を偶然耳にしたヴァランは小さな少年が口も達者に論じる完璧な論理理屈があまりに可愛げがなくて、耐えるジェラルドに替わりに思わず張り倒してやりたくなったものだ。
「なぜ、私を尾行されているのですか?ジェラルドが見張るようにとあなたに要求したのでしょうか?」
シュヴァインは大きな目で見上げて戦士に冷ややかに問う。
不快だと言わんばかりの物言いにヴァランは口の端を吊り上げてから、答えた。
「違うね。友人の苦労に見かねて勝手にやってるのさ。おまえが一人出歩いて気ままに怪我なんぞしたらあいつは総白髪になるか、禿げ上がるだろうからな」
ほっておかれん。
赤い髪の短く刈り込んでよく日に焼けた大柄の戦士は敬語を使うこともせず、己自身悪ガキのような表情でシュヴァインに説明した。
傭兵上がりのフリーファイタークラスは態度がなってないと、正規兵や文官、貴族の者に鼻つまみ者とされていた。
でも、話してみて別にそんなに不快じゃないというのがシュヴァインの感想だった。
歴代の皇帝が、彼らを傍に置きたかったのはこの無礼と紙一重の親しさを感じさせるところなのだろうとシュヴァインは思った。帝国の歴史の中で、いつの時代も変わらないその悪評に関わらず、皇帝は彼らを重用し戦闘メンバーに選ぶことは非常に多かったのだ。
そんなことを考えているシュヴァインに戦士は
「おい、急がないとまた約束に遅れることになるぞ」
と促した。
歩き出して、シュヴァインはふと気付いた。
「また・・・とはあなたはどのくらい今までに私の行動を見張っていらしたのですか?」
「いつもいつもじゃないぜ。まだ両手にあまるぐらいだな。おまえが宮殿から抜けるときに使う場所は俺のたまり場に近くてな」
シュヴァインは目を吊り上げた。
「監視されるのは不快です。止めてください」
「断る。俺はジェラルドのために動いている。暇があればおまえについて、奴の余分な負担を取り除いてやりたいんでね。次期皇帝だろうと、俺は納得出来ない命令にはしたがわん。おまえが、もう危なっかしく街に出ないと誓うなら話は変わるがな。どうだ?」
「それは誓えません。私は誰に何を言われようとその言いつけに従うことはないでしょう」
「そういうことだ、互いに好きなようにするだけだ」
悔しげに唇を噛んだ少年に、おいとヴァランは呼びかけた。
顎を通りの先にしゃくって、示してやる。
「姫さまが遅いから、王子さまがしびれを切らせて出迎えだ」
ヘクターだった。時間に遅れてしまったので、来てくれたのだ。
人の波に呑まれつつ必死に手を振ってる姿が小さく確認できた。
シュヴァインも嬉しそうに、手を振り返す。
今日は、大きな魚が釣れる穴場に行く約束だった。
横に立つ男に、ここまでにしてくださいとシュヴァインは頼んだ。
ヴァランは、承諾も否も唱えずただ鼻で笑った。
「おまえは何も気にせず王子さまと楽しく遊んでいればいい、邪魔はしないさ」
「・・・その王子さま発言だけは許せません。非常に不愉快です。私は男です。彼にも私にもとても失礼です。やめていただきましょう」
にやりと、男は笑う。
「そうかい。じゃあ言い直そうか、おまえの可愛い子ちゃんがやってくる。そんなこむつかしい顔をしてると嫌われるぞ」
当然さらにシュヴァイン少年の眉が吊り上がった。
「なんか文句あるかな、どうみてもあの小僧の方が数倍おまえより可愛い性格してるだろうよ」
言い返そうとしたときには、ヘクターは人混みを走り抜けて二人の前に辿り着いていた。
右手に2本の釣り竿と桶を持って、肩で大きく息を弾ませる。
「ごめんなさい、また遅れました」
殊勝に謝るシュヴァインを、ヘクターは
「いいさ、気にしてない。おまえもいろいろ大変なんだろうしさ」
と笑って流す。
ヴァランはシュヴァインの別人のような余裕のなくなった態度に目を丸くしていた。
友人だという少年を前にして、急に子供っぽくなったと思った。
その後で、感慨深げに改めてその友人を見た。
側に立つ男を気にしていたヘクター少年と、ヴァランは目が合った。
明るく深い緑の目をした快活な雰囲気の子供だった。
ヘクターは、軽装で帝国の紋章も身につけていなかったが、剣を帯びた男を包む空気に一級の戦士だと判断した。
シュヴァインは男を注視しているヘクターの様子に焦りだす。
護衛のような者を連れてくるようなそんな貴族じみた行動は、それは全くの誤解だったが、貴族が嫌いだと断言したヘクターにとってとても鼻につくことではないだろうか。
筋が通る弁解の言葉をシュヴァインが頭の中で必死にまとめ終わるよりも先にヘクターは口を切った。
「よかったよ。おまえ、いつも一人で街に出てくるし、話ではジェラルドって奴しか出てこないし、もしかして他に親しい奴誰もいないのかと心配していたけどさ。もう一人はいたんじゃん。よかった、ちょっと安心した!」
面食うシュヴァインに、満面の笑みを見せた。
ヘクターの笑顔にシュヴァインは、「そんな者ではない」とはなんだか言えなくなってしまっていた。
「小僧、うちの悪ガキを頼むぞ」
ヴァランは、ヘクターにウインクすると離れていった。
離れても、ずっと密かに後を追ってくるのだろう。
「なんだ、一緒に釣り行くんじゃないのか?竿だったらもう一本調達してやったぞ?」
ヘクターに、シュヴァインは曖昧な笑みで誤魔化した。
よかったな、と言われてしまった。
実はシュヴァインは男の名前さえも知らないのだけれど。
でもヘクターの一言でなんだか急にあの男の存在が、ちょっと嬉しいものになってしまった。
あの男であれば、型にはまった上辺だけのものではなく、自分を一人の個としてちゃんと見てくれ、普通に話をすることができるだろうか。
宮殿に帰ったらジェラルドに彼のことをさりげなく訊いてみようとシュヴァインは思った。
20130716改