ヴァランから学んだこと
「隊長さんが術唱えだしたとき、俺、襲われる、と思ったよ」
ヘクターはからから笑って、傷に障ったようだ。いたたと、呻き声を上げた。
「おまえ、思わなかった?」
「風術だったし、アキレスは魔力それほど強い方じゃないし、すぐ空間の遮断と思ったから・・・そうは考えなかったけど・・・」
ちらりとアキレスを見て、少しだけ申し訳なさそうに皇帝は言い、
「俺は風刃の方を思ったから、ビビったけどな・・・利き腕にくるかなとか」
「でも、警戒とかしてたか?」
「いやそれは・・・もうおまえの方頭にきていたし、レベル的には即断級はないだろうから別になんもーーー」
まあそうだね、とほのぼのと頷きあう二人に、実に可愛げがない奴らとアキレスは思った。
「風術の空間の遮断て音波や風圧封じだよな?」
「そう。あの場合、おまえの大きな声だろうけど・・・」
「冗談、声通るおまえの方がぎゃんぎゃんうるさく捲したててたぞ」
「違うだろ、おまえだろっ」
「両方だ」
アキレスが低い声で割って入った。
「口論の中身についてーーーあれはそこらに聞こえていってもかまわない内容とお考えか?ーーーヘクターもだ!」
アキレスは怒っている。最初から不機嫌な男だったが、今はもう、取り繕うこともしていない。
怒られるのは苦手だった。それにさすがにシュヴァインも少々反省していた。
ここまで派手に喧嘩をするつもりなかったし、アキレスという第三者がいるところであんなことまで言うつもりはなかった、言うべきことではなかったと素直に思っている。
本気ですまない、と首を竦めた。
その横では、ヘクターの意見はシュヴァインと完全には一致せず、やっぱり違うのだ。
「俺もあそこまでするつもりも言うつもりはなかったけど、こいつが意地っ張りだし・・・。でも、別に遮断しなくてもアバロンの奴ら全員に聞かせてよかったんじゃないのか。そうすれば、他人任せ、皇帝任せにせず、自分で何とかしようと思う奴が今より出てくるんじゃねえの?」
冷ややかに笑いながら。
そのほうが公平だ、とも言い出したヘクターに、アキレスが口を出す前にシュヴァイン本人が言った。
「もともと公平じゃないよ、継承術があり、皇帝という地位を与えられているんだし。皇帝の交換条件と考えれば義務となり、一任する理屈は通るよ。まあ、皇帝の方には拒否の自由はないんだけど」
優秀な師が生徒に、教科を丁寧に話して諭しているようにしゃべる男は、意味をわかっていて口にしているのか疑いたくなるが、当然理解した上で他人事のようにのほほんと話すのだ。きれいな笑みを取っ払った下から現れた素にも、どうもアキレスは違和感を感じたが、それはヘクターも感じることのようだった。
「もう少し、そういうことは感情的にしゃべれよ。昔からそうだな、自分のことをしゃべるときはいつも、おまえは変だ・・・」
「そうかな、普通のつもりだけど」
首を傾げるシュヴァインと、溜息を吐くヘクターの様子に、アキレスがさらに大きな溜息を吐いた。
一見穏やかに会話が続いていたが、ありさまは目茶苦茶だった。
テーブルにあるのは酒の抓みや、茶菓子ではなく、傷薬や消毒薬、包帯の類だった。汚れをタオルで拭って、目についたものを気ままに治療しながらのおしゃべりだった。もっともシュヴァインは着替えたきり、ヘクターも顔を洗っただけで後始末はほぼ終了扱いで、すっかり団欒メインだ。
どうも現状をまじめに考え、憂えているのはアキレスだけのようだ。
疲れて動かなくなった二人をアキレスはすかさず確保した。
そのあとは四の五の言わせなかったアキレスの手腕は鮮やかだった。
ヘクターや隊の連中は先に、皇帝には、ジェイソンに持ってこさせた長めのフード付きマントを着せて、このフリーファイターの食堂まで戻ってきた。
アキレスの気迫に呑まれた二人は、借りてきた猫のようにすっかりおとなしく並んで身を竦めているが、だからといって、いまさらだ。やらかしたことが消えることはない。
時間が経ち、二人の青痣がだんだん濃く浮かび上がってきている。ヘクターの口元、右目の周りは激しい殴り合いを誤魔化しきれないレベルだったし、シュヴァインは顎から口元が酷い。切れて出血した傷跡が、血こそ止まっているが痛々しく赤い肉色だった。
二人の喧嘩はおそらくいくらしらばっくれようと隠しきれないし、そもそも、宮殿内でこしらえた皇帝の怪我を、公はどう処理するだろうか。連帯責任、指導責任、と嫌な言葉が思い浮かぶ。目の下の青痣も化粧の白粉でどうにかできるものではないのだ。
とにかく、取っ組み合いはいろいろな意味で派手すぎたのだ。
食堂から隊員たちは追い出してあるが、殴り合いを目の当たりにした者、喧嘩後の姿を見た者、そしてその話を聞いた者たちが山ほど、興味津々に壁の向こう側で耳をそばだてて中をうかがっている興奮状態も続いている。
アキレスは出来る切り状況の改善を図ってみたが、完全に無駄な足掻きだった。
なんてことに関わってしまったのかと、ひたすら頭が痛かった。
さらに言うなら、だ。
アキレスは訴えたい。
食堂に戻ったシュヴァインは着替えている。それまで着ていた服は見るも無残だったので、今はフルフェイスを被っていたときに着ていた皇帝にしては簡素な黒い衣服だった。
それは、実は修練場の倉庫に眠っていたのをヘクターが見つけ出したというヴァランの服だった。二人はその服をとても気に入っているようだ。でなけれは埃臭い古着をわざわざ洗濯してまで着たりしないだろう。
皇帝のことは知らない、考えたくない。
ヘクターの方だ。
アキレスのヘクターの当初の評価は、実力もあるが年相応に不遜な若者、有望株の新入りーーーだったのだ。しかしこれではまるでぬか喜びだ、実態はある意味、ジェイソンと変わらなかった。
ガキだ!
ふざけている。
皇帝の直属部隊に入るのだと現れた野心的な男は、皇帝の横に置いておくとどんどん幼く見えてくる。いや、奴の野心は地位や金や名誉ではなく、近い場所、なのだろうーーー一緒に遊ぶための。
それは皇帝にしても、同じなのかもしれない。だからすぐに意気投合する。
好物を最初に食べるか、最後まで取っておくかの考え方の違いはあるにしても好むものは一緒なのだ。似たもの同士だ。
二人はただ、仲良く遊んだ頃に戻って遊びたいのだろう。
基本的にはそれだけでも、付属品が備わっているために複雑化する。問題化となる。
もう持ち合わせるのは子供の体と腕力でなく、自由に話すこともできない立場に分かれた二人なら、本気の取っ組み合い喧嘩をされたりするのは、はた迷惑もいいとこだった。
悩ましいアキレスを余所に、自由な会話は続いている。
「おまえ、ヴァランの墓に参っていなかったのか、もしかしてはじめて?」
「・・・いや、あるよ。でもそれからずいぶん時間が経ったから、わからなくなっていた。・・・実際、少しは自分で探していたんだ、一つ一つ名前を確かめて、さ。でも、そうしているうち、ヴァランは見つからなくても、ほとんど知っている者の墓ばかりなんだよね、あそこにあるの。俺じゃなくても、俺の中の誰かの知り合いなんだ。ーーーと気がついたらいろいろ思い出されてしまって、ぼんやりした気分になってきて混乱しそうだった・・・」
あえてヘクターはいっさい後半の部分には触れず
「ああ、やっぱり墓って行きづらいよな。ヴァランなら、特にさ・・・」
「ヘクターはヴァランの墓に行ったことはあった?」
「あるよ。昔な。おやっさんと一緒に行った。入り口での手続きとか大変で、・・・でもやっぱり、墓地のなかのどこ、と言われるとわからないかもな・・・」
首を竦めた。
「でもあの日のことはよく覚えているよ。墓碑のヴァランの名前を見てたら泣けてきて止まらなくなって、おやっさんはじっと待っててくれた・・・。その一回きりだったな。また泣きそうで行けないでいるうちに、アバロン出たからさ」
それから少し考えたあとで
「・・・あそこにヴァランが眠っていて、今の俺なら割と簡単に行けるんだから、ときどきは行った方がいいと思うんだけど、俺、墓ってなんか嫌だな・・・行ったって、会うことも話すこともできない・・・いろいろ思い出してひたすら悲しくなる」
ヘクターが少し困った顔で言えば、シュヴァインは優しく肯定した。
「うん・・・そうだね。墓も、死もーーー。・・・俺はずっと自分が死に慣れていると思っていた。慣れすぎて平気だと。・・・でもたとえ誰かの死は慣れているとしても、自分の誰かの死は全然違うんだと知ったんだ。知って、怖くなった・・・」
珍しいほど素直な言葉を、ヘクターは穏やかな心地で聞いている。
「とっても怖い。今だってとっても、ね。・・・だから、もう嫌だと思っている・・・嫌だ、もう二度と絶対にーーー・・・」
静かで、強い意志を秘めた言葉にしめられて、沈黙が降りた。
ヘクターは口を閉ざしている。
鋭い目つきで空気の変化を見守るアキレスの前で、沈黙は続いた。
ヴァランの死を悼んだ沈黙だった、はじめは。
ただし、今あるものはーーー。
シュヴァインの瞳にヴァランを思う寂しい色はもう消えていた。
ヘクターも同じ、身じろぎもせず壁の一点をじっと見つめていたが、その目付きは別人のように険しくなっている。
そこにあるのはヴァランの死を経て、未来を思う二人の折り合わない決意だった。
長すぎる沈黙の中で、いったん収まっていた物が再び引きずりだされようとしているのは明らかだった。
20130716改