相容れない思い
頭頂にあった太陽が西に傾き、涼しい風が吹き出した頃、再び、アキレスに声が届いた。
「ーーーおまえは、戦いの中で死ぬことをどう考える?」
とても感傷的な質問だった。
「私に力が足りなかった、注意力を怠っていたーーーそんなところでしょうか」
「乾いているな」
「まだありました、運がなかったーーー」
「・・・」
「それ以上考えても仕方ありません。自分で選んだ道ですし。他にできることがない、したいこともないなら、私にあるのはこの道だけです。考えていたら動けなくなるだけでしょう」
くだらない質問だと感じた。そんな質問をする奴は、こんなことを答えたって理解できないだろう、と思ったとき、そうだね、と返ってきた。
「そうだね、本当に、その通りだと思う。いろいろ考えていたら動けなくなるんだ。実力が足りなければ、負ける。負ければ、死ぬ。それだけ。ーーーそれだけでありたいのに、それだけなら結構、簡単なのに、誰かを連れているとそれだけで済まなくなるんだ・・・」
無感情な声だった。
「傲慢に聞こえるだろうけど、一人で戦えたらと思う。到底、力が足りなくて、すぐに死ぬんだろうけど・・・気持ちはとても楽だね・・・」
「ヘクター・ラウルのことですか?」
アキレスはずばり聞いた。容赦ない。
心の準備が間に合っていないと一瞬返事に困るけど、鋭く無駄がなくて話しやすかった。
「・・・俺が選ぶ者たち、全員だよ」
そうは言っても、今は主にヘクターのことには違いない。
「俺は子供で、そのあたりのことが上手く考えられない、だから考えずにいたいのに・・・いたいのにっ、どいつこいつもっ・・・・・・・ああ、もうっ!」
声を荒げる皇帝に、意外と癇癪持ちだなとアキレスは思ったが、事情はある。
シュヴァインもこのところずっと煮詰まっているのだから。考えたくないという本人の強い希望を無視する事態、ヘクターの帰還、そしてそのヘクターの自分とは異なった希望が、ぐいぐいと要求を突きつけ、せっついてくる。
ヘクターが戻ったことは、嬉しい。とても嬉しいのだ。
嬉しいから、奇跡が起こったような喜びだから、大切にしたい。どうか、その喜びを噛みしめ、もう失わないように、傷つけたりしないように大切に抱きしめていたいだけなのに、全く自分の思いはわかってもらえない。
「つまりは、ヘクターを奴の希望通りには、直属部隊に選ばないと」
「そう、俺は選びたくない、剣を持つなとも言ったよ、喧嘩した、それなのにあいつは無視だ!」
これは面倒な話だった。
身分差のある友人二人という問題だけではなく、決定的に噛みあわない意思の相異が本題だった。
ヘクターを見ていて、並々ならぬ熱意を持っているなと、感じているので目の前に露呈された潔癖的に激しい拒絶感にぶつかるなら、非常に大変なことだった。
面倒で、自分の手に余るので、アキレスは話を変えてしまうことにした。
「ヴァランとはーーー。ヘクターの持っている剣の正当な持ち主ですね」
「ヘクターも正当だ。いろいろ言われているようだが、ヴァラン本人の遺言で譲られている、ジェラルドが証人となるだろう、確かめればいい!」
やっかみが絡んで、口さがない者たちはいろいろ言い出すのは当然のことなのだが、面白いように喰い付いてくれたことに感謝するべきか、アキレスは喉元に苦笑をとどめた。
「・・・そうだよ、ヴァランだ」
まるで怨嗟の声だった。
アキレスが話を振ったので、怒りの矛先があらぬ方に向いたようだった。
「ヴァランが悪い・・・あんなところで死ぬから。・・・それからすべてがおかしくなった・・・おまえが悪いっ!」
ぎょっとしたアキレスを打つ据えるように、皇帝の両の手が強く石畳を打った。
怒りは一瞬で悲しみに塗りかえられた。
「・・・やっぱり、おまえが悪いんだ・・・」
背中が震えていた。啜り泣きだされでもしたらどうしようかと、アキレスは真剣に恐れたが、幸い、声が聞こえることはなかった。
だから、再び墓地は静寂につつまれたが、それは痛い静寂だった。
アキレスだって、覚えがある。死はまるで落雷だった。一瞬に襲いくる絶対的な力。落ちた当人だけではない、近しい周りにも大きなダメージが及ぶ質の悪いものだ。
アキレスは思うのだ。その周りに散った死のダメージは、どれだけ時間をかけようと、いくらわすれた気になっても、おそらく一生消えることはない。
空の青みが薄れて、目映い黄昏色が西の空を染めようとした頃、二人を追って現れた者がいた。ヘクターだった。皇帝とフリーファイター隊長が連れ立って歩いて行く姿は多くの者が目にしたはずだ。嘘と真実を取り混ぜた噂話なって囁かれているかもしれない。聞き回って、探し回ってやって来たのだろう。
さすがに、ヴァランの墓の前で沈黙に座り込み皇帝シュヴァインの姿に、距離を取って、不用意に近づいてこようとはしなかった。
その後方にはさらに、好奇心溢れるジェイソンを含め何人かの隊員が一応身を隠しつつ、様子を窺っているようだ。
アキレスがそっと音を立てず立ち上がると、ヘクターの元に歩を進めた。
その際、後ろの集団には、決して近づいてくるなと、きつく睨みをきかせて合図命令だった。ジェイソンは口を尖らしているようだったが従うと伝えてきた。
「ヴァランの墓なんですね」
ヘクターと、アキレスは皇帝には届かないよう低い声で話し合った。
「そうだ。大切な相手だったようだな」
「はい・・・とても」
ヘクターは頷いた。
ヘクターにとってもヴァランはかけがえのない者だった。
彼がいたから今の自分がある、と言っても過言ではないのだから。
アキレスは、そのままこの場で控えようとするヘクターに考えを変えた。
「行ってやるといい」
「俺は、あいつの邪魔をしたくないし・・・」
「おまえを直属部隊には選ばないとおっしゃっておられた」
「は?」
死の悲しみに沈んでいたヘクターの顔が一瞬に変化した。
「はあ?冗談、和解したはずだ。俺は、許されたはずだ」
「なら、直接、確かめてみればいい」
当事者二人が話し合うのが最良の方法のはずだった。
見て見ぬふりをして、先延ばしをするのは問題解決ではない。
アキレスは自分が、あの皇帝を嫌っていた理由がわかった気がした。
意思の見えないきれいな人形のようだから。
技能も実力もあるが意志がない。
大任を帯びながら、覇気の見られない男にもそれなりの理由があるのだとしたらーーー。
当事者たちが自分で見つけ、納得する以外に解決策などありはしないのだ。
ヘクターは血相を変えて走り出す。
アキレスはそのあとをゆっくりした足取りで追ってゆく。
ヘクターの激しい足音の接近に、シュヴァインが振り返った。
シュヴァインの白い貌はとても静かな表情だった。
「おい、俺を直属にはしないと言ったと聞いた。どういうことだ?」
ヘクターの声には、すでに怒りの色が混ざっていた。
「アキレスが言ったのか。でもちょうど良かった。一度ちゃんと話さないといけないと思っていたところだったから」
「どうしてだ、話したじゃないか、ザムジーニのところで。そんで、おまえは納得して、許してくれたんじゃないのかよ!?」
「違うよ。誤解している。許したのは黙って消えてずっと帰ってこなかったこと、それだけだ」
「はあ?じゃあ、なんだよ・・・おまえは俺を本当に、直属にしないつもりなのか?」
「ああ、しない」
ヘクターが飛びかかっていた。シュヴァインの胸ぐらを掴んで締め上げる。
「なにを言っている、おまえーーーそんなの、意味ねえじゃないか」
「おまえは、フリーファイターになった、それでいい、それで十分だろ」
怒りにヘクターの顔が朱に染まってゆく。腕の筋肉が盛り上がりぐいぐいと締め上げてゆくが、シュヴァインはされるがままに甘んじている。
「俺に、本気でアバロンでおまえの帰りをじっと待ってろと言うのか?・・・ふざけんなっ!」
ヘクターが呻くように言って、つま先立ちになるほどに締めていたシュヴァインを突きとばした。
数歩ふらついて踏みとどまったシュヴァインがきっと顔を上げ、ヘクターを睨みつける。その瞳の中にも強い怒りが滲んでいた。
「俺は、最初から言っていたはずだ。剣など持たないでくれ、持つ必要ない、聞いてないなんて言わせない。おまえが勝手に稽古をはじめて、修行だとアバロンを去って、今度は直属部隊に入りたい?ーーーそれはただのおまえの希望だよ。物事が自分の思い通りになるなんて思い上がりだよ、ヘクター。物わかりの悪いおつむに入るまで、何度でも言ってやる、俺は、おまえを連れて、戦いに赴かない。おまえと一緒に戦わないっ!」
うしろで聞いていたアキレスが、やばいと感じてすぐに動いたが、止めきれなかった。
こんな愚か者がいるなどとは知らなかった。すぐに腕を掴んで皇帝から引き離したが、これで済むような皇帝でも傭兵でもなかった。
渾身の拳だったはずだが、殴られた皇帝はこの展開は予想済みだったらしく、一切逃げを打つこなとく真っ向に受けながら、見事に踏みとどまってみせた。
ただし姿勢を正し、押さえた半顔から手をのけたとき、口元から赤い血が一筋滴って落ちた。
「今日は、先に殴ったのはおまえだ、これでおあいこだ!ーーー」
言うが早いかだった。シュヴァインが跳びかかって、アキレスが片腕を押さえていたヘクターを力ずくで地面に押し倒し、両手の拳を打ち付けた。
肉を打つ鈍い音は数発、しかしすぐに反撃がはじまった。
馬乗りになったシュヴァインは、ヘクターに引き倒されて、膝で体重を乗っけられ逆に動きを封じられる。でもほんの一瞬の躊躇いに、ヘクターが再び地面に叩きつけられるように転がった。でも決して、ヘクターは捉えた相手を放したりしてない。まだ終われないからだ。
「なぜ、俺を使わないっ、認めないっ、俺はそれに見合うだけの力をつけた!」
「見合った力なんて幻想だ!おまえは戦わず、アバロンでいればいいんーーー」
ヘクターの拳が遮って、赤いしぶきが飛び散った。
「俺を待っていたと言ったのは、あれは嘘なのかよっ、一緒にいて楽しい、て言うのも俺の思い上がりだと?嘘つきのへそ曲がりのくそ皇帝!」
下からシュヴァインの細い指が掴んだヘクターの喉元を万力で締め上げる。見かけを裏切るバレンヌ最強の皇帝の剛力にヘクターは呼吸が出来ず、身体はどんどんはがされ仰け反らされてゆく。
「戦いに出て、おまえは勝てると思っているのかっ、すべてのモンスターに、七英雄にっ」
「そんなこた、知らねえよっ」
「負けたら死ぬんだぞっ!わかっているのか、ヴァランのように死ぬんだっ」
「そうさ、ヴァランのように死ぬんだよっ、誰でも、おまえもっ、俺にそれをアバロンで祈って怯えて待っていろって、そんなことできるはずがないだろうが!おまえは、死ぬ気満々だったよなっ、昔から」
「うるさいヘクター!黙れっ!」
爪がヘクターの首に喰い込んで、肌を破り、白い指が赤く濡れていった。
「簡単な戦いじゃないんだよっ、馬鹿ヘクター、おまえは何も知らない、いったい幾人の皇帝が目標の半ばで息絶えていったかっ、ただ最後だから、そんな理由だけで、俺がそう簡単に勝てるとでも思っているのかっ!」
首に絡む指をもぎ放したヘクターが、シュヴァインの両腕を地面に押さえ込んだ。
「勝てないと思っているならっ!こんなこと、やめてしまえばいいんだ!!」
「馬鹿かっ!」
「負けると思っていながら戦う方が馬鹿だっ!勝てるわけがないっ!ずっと簡単なことだ、そんなに言うんなら逃げてしまえばいいんだっ!」
「は、どこにっ!?俺に逃げる場所なんか、どこにもないさ、死だけーーー」
ヘクターは、シュヴァインの頬を思い切りにつねり上げて、言わせなかった。シュヴァインのその考え方はどうしても駄目だった。許せなかった。
「死は、逃げじゃない、終わりだ!すべての終わりだっ!無だっ!!」
「死はーーー唯一の救いさ」
「違う、死んだって救われたりしやしない、誰かを悲しみのどん底に突き落とす命の消滅だ!ーーー逃げ場所がないなんて言うのは全力で逃げてから言えってっ、本気で逃げようとしたことなど、一度もないだろ、ないおまえが、えらそうにいうなっ!」
それからあとは、二人はただ地面で上へ下へと転がりながらひたすら殴り合いを続けた。腹に、肩に、顎に、頬に。
アキレスは介入を放棄して、見届けることにした。
途中からの言い合いは双方が決して口に出してはならない類のものに至った。耳にした者の平穏な日常を崩壊させるような危険な内容だろう。
アキレスにしても聞かされた率直な気持ちは、やめてくれ、だった。
聞きたくない。
だから、これは血気盛んな若者のただの喧嘩なのだと理解することにした。
皇帝も兵士もない。馬鹿野郎、二匹だ。
そもそも、取っ組み合いの喧嘩など皇帝と兵士に出来るはずがない。
そうではなかろうか。
ただある程度のルールは引いているようだった。武器を抜くことはしない、ヘクターは両手では殴らない、魔戦士である皇帝シュヴァインは、魔術を使っていない。だから本気でありながら、完全の本気ではありえないーーーはずだ。
アキレスはきつくなってきていた。そろそろ雑念を払って、術の継続に集中しないと維持が難しくなってきた。
ようやく距離を空けた二人が血まみれの姿で対峙する。衣類の損傷は美麗さを追求したシュヴァインのものこそ、ずたずたに破れて無残な有様になっていたが、肉体的にはほぼ互角に思われた。荒い息づかいが夕暮れの墓所に響いている。
「来いよ、俺は、まだぴんぴんしてるぜ、見ろ、わかったか、おまえには俺を止められない!」
ヘクターは唇の端をつり上げて凄絶に笑った。
凶悪な挑発だった。
挑発だったが、引き下がれないときは存在する、それが己のあり方だった。
シュヴァインは地を蹴った。ヘクターと組み合いになった。
もしかすると、純粋な膂力はヘクターの方が強いのかもしれなかった。
シュヴァインの膝が折れた。崩れて両膝が地面に着いた。押さえ込まれる。
動けなくなっていた。
シュヴァインはもう抜け出せなかった。
ヘクターも、もうそのまま動けなかった。
20130716改