アキレスと皇帝
アキレスは現皇帝、シュヴァインをあまり好ましく思っていなかった。
嫌な空気を纏っている。上に立つ者は多かれ少なかれそんなものだとは思っているが、笑みがきれいだった。バレンヌの民が夢中になるほどの美しい容姿、それは認めるが、浮かべる表情がとても不快に感じるのだ。
きれいな笑み。美しいではない。ただきれいな笑み、作られただけのうわべは、ただきれいで、きれいすぎて薄皮一枚裏には腐ったものが詰まっている想像すらされる。これはアキレス個人の感想である。人には合う合わない、それぞれの好みがあるから自分の感想などたいした意味などないが、とにかく好きなタイプの人間ではなかった。
そもそも皇帝陛下も、アキレスらフリーファイターを好んでいないらしく、即位されてからずっと距離を置かれている。それはアキレスだけでなく、フリーファイターの隊員もおそらく感じていることだろう。
きれいなだけの笑み、笑っていない双眸、必要以上の接近を拒絶する冷たい横顔。フリーファイター隊一同を集めた謁見式での印象はそんなものだった。
それ以降、陛下がフリーファイターと親交を深まるようなお渡りも一度としてなく、フリーファイターにとって、アバロンの城内に集められて、契約していようと形だけのこと、重用されることのない自分たちは自由気ままにやっておればいい。ましてシュヴァイン皇帝などは自分たちには関係のない別世界のお人だった。
そう、昨日までは。
あれはいったいなんだったんだろうとアキレスは思う。
フルフェイスで現れた皇帝は、これまでの印象とはまるで別人だった。
鬼神のような強さは予想以上、それはいいとして。
なんというか、気さくさは迷惑なほどだった。
アキレスの嫌う笑顔は一度もなかった。柔らかな笑顔で、隊員に礼を言い、薄汚れた食堂で、安い料理を一緒になって食べる。
明日からフリーファイターに加わることになっても文句が出ないほどに打ち解けた相手が皇帝陛下だとは、もうなにがなんだか、理解に苦しむだろうて。
ただし、この接近の理由はヘクターが関わっているのは明白だった。
ヘクターが現れてから、何かが変わりはじめていると感じる男が、セキの他にここにもう一人いたということだ。
帝国の方から提出を強制される書類の面倒な事務仕事を片付けて、詰め所を出たところで、ばったりある者に出くわした。
意外な邂逅、というべきかもしくはーーーまたも、立て続いての、か。
アキレスのうちにある、微妙な心地が彼の唇の端をつり上げさせた。
相手の迷惑の色を見て取って、
「昨日のようにフルメットを被っていた方がいいか?」
シュヴァインが言うと
「いいえ。被ればただ陛下の衣装の襟が汚れるだけです」
アキレスは、冗談か皮肉とも思ったが丁寧に返答した。
今日は昨日と違い、皇帝然とした衣装を身につけ、普段の麗しいとされる姿だった。
それに無理だ。今さら被っても、食堂で脱いだ時点であのフルフェイスの男はこの世から消えてしまったのだ。再び被ったら、ただフルフェイスを被ったシュヴァイン皇帝となるだけだった。
しかし、シュヴァイン皇帝に、戸惑いを持ち始めた隊員がいることにアキレスは気がついている。
アキレスもその一人だった。
対応に困る相手にアキレスは、よい方法を思い付いた。
すなわち、押しつける、だ。
「ヘクターをお探しでしょうか。ヘクターは今、格技場の方で技の基本訓練に出ているでしょう。お呼びしましょうか?」
すると。
「いや・・・ヘクターではない。ヘクターでは無理だ。おまえに頼みたいことがありきた。時間があるならば、だが」
内心、落胆しながら
「陛下にお仕えするフリーファイターが、陛下にお断りをするほど重要な予定はありません」
「それは、助かる。案内をしてもらい所がある」
「どこでしょうか」
「帝国戦士共同墓地だ。ある男の墓を探しているのだが、見つけられなかった」
「ある男ですか?」
「知っているか?ーーーヴァラン・ブロンス、だ」
「フリーファイターだった男ですね」
「・・・なんだ・・・知っているのか・・・」
そこには、シュヴァインのささやかな希望が込められていたのだが、事情を知らなければやはり感に障るだろう。
「知らない方がよろしかったようですね」
シュヴァインはちらりを男の顔を見る。
アキレスは失言が過ぎたと感じたが、詫びるのも躊躇われた。
「どうも私はーーー俺は、隊長殿に嫌われているんだ」
「知っている、とがっかりされるならこちらも困ります」
「ああ・・・違うよ、俺の記憶の混乱かなと思ったから」
「ーーー混乱?」
説明しようとしたら、アキレスの声がいっそう怖くなったので、シュヴァインは苦笑するしかない。
どうも、フリーファイター相手だと気が弛んでしまう。
記憶の中の歴代の皇帝が、意外なほどフリーファイター出自が多かった。そのために古巣に帰ってきたような親近感だったが、一方通行気味なので、気を引き締める。
勝手に相手に、自分のことをわかってくれそうと期待を抱くのは、甘えだろう。
「歴代の皇帝の記憶をすべて引き継いでいる。膨大なものだ。ーーーこれは俺があらためて言うまでもなく知っていることだろうが」
返答はなかったが、アキレスは話を聞いているようなので続けた。
「多すぎる情報が支障を来している。自分の記憶か他人の記憶か、他人の誰のものか、他人とは誰なのか、自分が誰なのか・・・ときどきわからなくなる」
以前にもこんな話を他人にしたなあ、ヘクターか、などと思いながら話していたが、先を歩いていたアキレスにくるりと振り返られた。
また自分は不用意なことを言っただろうかと心配になったが
「それは非常に重大な問題ではーーー」
そうではないらしい、シュヴァインの失敗ではないので安心だった。
「そうだね。だから最後なのだから」
だからアキレスの癇に障ったのは破綻する継承術のせい。
自分のせいじゃない。
にっこりと笑ったシュヴァインに他意はなかったが、またアキレスの不興を買ったことがわかった。アキレスは無言でくるりと背中に戻ったから。
「・・・おまえ・・・難しい・・・」
「ーーーいえ、陛下ほどではありません」
半ば声をひそめた独り言だったが、意外に返事が返ってきた。
「・・・そうかな?・・・」
これ以上は続きそうになかったので、気を取り直して話を戻す。
「だから、もしかしてヴァランの墓を知らないと言われたら、俺の記憶違いで、勘違いでヴァランはどこかで生きていることも考えられるーーーと都合良く行くはずがないね・・・」
足を止めたアキレスの向こうにある石碑に刻まれた名前はまちがいなく、ヴァラン・ブロンス、だった。
ヴァラン。
彼が生きていたらーーー。
もし生きていたら。
考えても仕方のないことだけど。虚しい想像だけはどんどん広がるのだ。
「ありがとう。もう戻ってもらっていい。ご苦労だった」
ただ単にもう邪魔だから追い払いたかったのだが、アキレスは追い払われてはくれなかった。
「このような場所に、お一人、お残しするわけにはいきません」
傭兵は無礼である。言葉使いもなっていないが、言うことを聞かないから往々にしてトラブルになる。それはつまり、権威に対してへりくだり、己の信念や誇り、善悪を曲げることをしないからーーーなのだろうか。そんなことを考えさせられた。
よりによってやっかいな相手に道案内を楽しんでしまったようだと、シュヴァインは心の中で舌打ちしながら悔やんだが、遅かった。
丁重に頼んでみることにする。
「少し、一人になりたいんだが・・・」
「無理です。不用心ですので」
「剣は持っている」
アキレスは頭上を仰いだ。広い空が広がっている。
宮殿を抜けて二人がやってきたのは、裏手の森をくり抜いたような小高い丘に広がる墓所地だった。
「このところ、飛翔系モンスターの動きが活発しています。アバロンにも接近しています。アバロンは地上の防御はまだしも、空の結界はザルに近い」
ザルなのか!?
シュヴァインが思わず振り返ると、アキレスはいたって真顔だった。
魔術師たちが終日連夜、その魔力を使って守っているのだ、目に見える強固な防壁はなくてもさすがにザルはなかろうと思うのが、自分も多少は不安を感じていることなので反論ができなかった。
「・・・それでも一人になりたいのだが・・・」
「私の存在など無視なさっていただいて結構です」
「去れ、命令だ」
「契約主は、おそれながら、あなたではありません。私はあなたの私兵ではないことをお忘れなく」
アキレスが、ただきれいな笑顔と嫌っていた皇帝は、こうして堪忍袋の緒をぶった切った。
「くそが!ーーー」
そのあと、ひとしきり、宮殿敷地内どころか明るい日差しの中で耳にすること自体信じられない悪態の限りが尽くされたが、ここまできたら、アキレスも意地がある。普段ならしないだろう、正規兵の教本よろしく片膝を付いて控える構えを取った。
「もう、勝手にしろっ」
捨て台詞を吐いた皇帝は、墓石の前に直接腰を下ろし座り込んでいた。
手に何か携えていると思っていたが、布にくるんだ酒だった。
墓に供えられた。アキレスがこれまでほんの数回口にしたことしかない高級な酒だった。
見ていると
「どうせ、甘くて不味い酒をーーーとか思っているんだろう!」
「ーーーいいえ」
「嘘だな。ヴァランだって、言っているさ。もっとましなもん、持ってこいってーーー」
腹立ちがおさまらずに難癖をつけられているのだろうが、アキレスは、自分なら金が有り余っていても買わないだろう酒だったが、他者への供え物に文句をつけるほど了見は狭くないので、そんなことはちらとも思ってはいなかった。
墓の中のヴァランはともかくも、いちばん、その酒をマシではないと思っているのが当のシュヴァインなのだろう。目の前の貴族の頂点でもあう男にとって、高級がマシ、とならない感覚があることに、妙な新鮮さがあった。
そのあとはーーー。
アキレスは、苦痛になるほどの時間を控えることになった。
シュヴァインはアキレスに声を掛けることはなく、ただ墓石を見つめ、座り続けた。
ひたすら長い時間、身じろぎせず座る背中を見守り続けることになったアキレスも、暇な時間を物思いに費やすことになる。
二人の上に広がる青空は穏やかに澄み渡っていた。
20130710改