再会
「なんで、ここにいるわけ・・・てか、その黒い髪なんだよ、染めてるのか」
前を向いたままのヘクターが、ぼそぼそと言い出した。
無視を通すには場所が悪すぎだった。子どもを叱る怖い大人がいる。
「・・・染めてはない。帽子にくっついている鬘髪だ。髪はまとめて帽子の中に放り込んである」
「そうなのか・・・」
「そう・・・」
「もう一つの方、答えてないな。なんでこんなとこにいるわけ」
「・・・」
「今夜、夜会だったよな、たしか。体調悪そうじゃないから、やっぱり俺を避けてか?・・・」
「・・・そう、かな・・・」
認めると、ヘクターは勢いよく身体ごと横を向いた。行儀悪く足を組む。
「もしかして俺から、ザムジーニのおやっさんに乗り換えたか?そりゃあ、俺のレベルじゃあ、おやっさん頼ってた方が安心できるわなあ」
腹立たしそうに言うヘクターに、シュヴァインは即答した。
「それは違う、まったくの誤解だ。ザムジーニさんにはたびたびお世話になっているけれどーーー」
「あは、やっとこっち見た?」
笑顔のヘクターは酒瓶のカウンターの中に戻すと、席を詰めた。すぐ隣に座った。
シュヴァインはそっぽ向いている。気恥ずかしくてヘクターの顔がまともに見られない。
「あれ、なんか頬赤い、腫れてる?」
「そんなことは・・・ある、かな・・・」
嘘をつこうが、バレバレだろう。
「ああ、もしかして、おやっさんにバッチンをされた?」
返事をする前に、ヘクターは吹き出している。
「あれかなり、痛いんだよね?。目から火が出る。ていうかさ、おまえ、跡が残っているよ、なんて言い訳するつもりよ」
くすくすくすくす笑い続け、まるで屈託なくて、だからつい釣られてしまうのだ。
「おまえの目はおかしいのじゃないか、で通すよ。知らん、てね」
「それは明らかに無理だろうよ。そんな言い訳が、ジェラルドさんに通じるとでも?」
シュヴァインは唇を曲げて言う。
「ジェラルドだったら、理解するよ。相手は、おまえだって」
「ひでえ、びしょびしょの濡れ衣だぜ」
ヘクターはからからと笑った。
ひどく、心地よかった。これは願望で形成された夢の中にいるのだろうか。
「なあ、おい」とヘクターが言った。
「なんだ」と見やった先で、神妙な顔をしたヘクターが、「悪かった」と頭を下げた。
「黙って行って悪かった。長い間、なんの連絡もせず帰らずに悪かったと思っている。怒っているだろうが、なんとか腹に落として欲しい。償えと言うなら、償うよ。たださ、俺は、避けられたいためにやったんじゃないんだ。真逆だ。一緒にいるためだったのに、今のこんな生殺しされているような状態は、結構、嫌なんだ。辛い」
「馬鹿ヘクターめ」
「おいっ、泣くなよ・・・」
「泣いていないっ!頬の痛みで涙がにじんでるんだ!・・・遅いんだよ、ヘクター、帰ってくるの遅すぎるんだよ!・・・それに黙って行ったのも本当にありえないだろ、そのあとも一度だって手紙がない、連絡ぐらい寄こせ、こっちからは出せないんだから、来るのをずっと待っていたんだ、手紙ぐらい書けただろうっ!ーーー・・・」
「ごめん、ごめんな・・・ああ、うん、その通りだよな・・・ほんとごめん、手紙書こうと思ったんだけどさ、いつもへとへとで、書き出したりしたら弱音とかもうべとべとぐちゃぐちゃになっちゃいそうでさーーー・・・」
「・・・所在地だけだって、つらい、苦しい、だけでよかったんだよ、それだけでどれだけ安心して嬉しかったか・・・」
「うん・・・でもさ、それってかっこ悪いしさ、マシになってきたらちゃんと書こうと思っていたんだが、なかなかマシになれなくてさ・・・」
「あれから十年だぞーーー・・・」
「ああ、十年・・・」
ヘクターが薄く笑いながら、ひどく遠い目をした。
シュヴァインの知らない顔だったが、すぐに掻き消えて、彼らしい陽気な表情に変わった。
「俺さ、こうしてここに帰ってこられてほんと、嬉しいーーー・・・」
「すぐにさっさと帰ってこればよかったんだーーー・・・」
「ああ、うん、そうしたいときもう何回も何回もあってさ、でもそんなことしたらさあ大口叩きながらあいつは馬鹿だって言われるだろうしさーーー・・・」
「そんなことはーーー」
「うん、おまえならそう言ってくれるだろうけどさ、でもさあーーー・・・」
シュヴァインはひとしきり責め立てた。思いつく限り、ずっと溜めていた思い、片っ端からだった。
ヘクターは、嫌な表情一つせず、むしろ嬉しそうに、一つ一つ丁寧に謝り続けた。店の客がすべて帰っても続いていた。
「だからさあ、やっぱり最初の目標通り、俺が強くなってないと意味がねえんだよねーーー・・・」
そして最後、シュヴァインが文句を言い尽くして、ヘクターの謝罪といい訳をすべて聞き終えたとき、するっと自然に口にすることができた。
「もういい、わかった」
わかっている。これが、ヘクターが求めている言葉だ。
「ーーー許す」
「やったっ」
間髪入れず歓声が上がった。
「おまえ、だから大好き!」
ヘクターに飛びつかれるように腕を引かれて、力一杯に抱き寄せられたとき、懐かしくて目眩がした。
かつての少年のものではない、相当な力で抱きしめられながらシュヴァインはすっかり観念していた。負けを認めたのだ。
完敗だった。もう怒ることもできなくなっていた。
自分はヘクターに対して元々、許すしかなかったのだ。
おまえ、だから大好きーーーこれは自分こその思いだ。
ジェラルドが朝、皇帝の自室に赴き目にした光景はなんとも言い難いものだった。
夜会を休んで、夜遊びに出たことは黙認していたが、それによって事態は大幅に進歩したことは明らかだった。
まだソファーの上だったらおとなしいのだが、ソファーを縁に移動させた部屋の中央の床で大人の男二人が大の字になって寝ている様は、軽く頭痛を覚えた。床のあちこちに散らばっているのは幾本もの空の酒瓶であり、ヘクターの派手な普段着はともかく、皇帝のどこで調達したのか色合いは地味だがあまりセンスの良いとはいえない古着と、黒髪付きの帽子を枕にして眠っている姿には少なくはない衝撃があった。
子どもの頃から皇帝は、いわゆる私的なよそゆきの格好は、あまりジェラルドに見せないようにしているといった誇りか、あるいは頑なさがあったはずだったが、今日はきれいに霧散しているらしい。
とにかく状況の収拾を図るべく、空瓶を集めて回っていると二人とも目を覚ましたようでもそりと動き出した。
「頭が・・・」
「ヘクター、きさま、今日は非番か?」
「いいえ・・・でも昨日の夜会出たんで遅番だから、時間、十分あります・・・」
「・・・陛下・・・」
ジェラルドの声がきしんでいるが、それどころではない。
「顔が・・・痛い・・・」
「いったいなにをなされましたか!?」
「ヘクターがーーー・・・」
「おいっ」
慌てるヘクターに満足して、
「ザムジーニ氏に怒られた。戦士ならば取り憑かれるようなことを口にするな、とーーー」
「取り憑かれること?」
「死、とか・・・」
ジェラルドだけでなく、ヘクターも変な顔をしているのが目に入ったから、少し取り繕うために言葉を足した。
「あれは俺が悪かったと思う。怒られて、痛いけどすっきりしている」
この件にはジェラルドはもうこれ以上深く立ち入ることはしなかった。
が、別の問題が持ち出された。
「そのようなご尊顔では、本日の百花婦人会のお茶会はーーー」
「無理だね。病欠で」
「わおぉっ」
ヘクターを睨めつけながら、ジェラルドも承諾するしかなかった。
「お着替えください。その出で立ちでいらっしゃるのはさらに問題があります」
「ああ・・・」
「ヘクター、時間があるなら飲み散らかしたものを片付けていろ」
「俺だけが飲んだんじゃないぞ」
護衛が付いたことで、ザムジーニはもう一杯ずつだけ酒のお代わりをくれたが、それだけでは到底満足できなくて、戻ってきてから飲み直した。酒は道すがら調達した安酒だった。二人で調子に乗って山ほど勝って、二人でほとんど飲みきったのだ。
そのとき、それぞれが互いに心の中で思ったことは、同じだったーーーこいつ、うわばみ、だ。
それなのにシュヴァインは内扉から隣室へと連れ去られようとして、自分だけが掃除を命じられたヘクターが素直に不満をこぼしたが、やはり逆らえる相手ではないのを思い知ることになった。
「一フリーファイターが、許可なく本宮内部に紛れ込んでいたと通告されたいか」
本来、捕縛、投獄されても文句はいえないことなので、ぶぅぶぅ言いながら瓶を集めに歩き始めた。
逆に言えば。
掃除をすれば、通告しないし、とりあえず今すぐ追い出されないと言われたことになる。ぶぅぶぅポーズを作ってみたが、それほど不服はなかった。
20130716改