ザムジーニ酒場
「あいつに会ったか?」
大方の料理を平らげた頃、洗い場からカウンター越し、シュヴァインの真ん前に戻ってきたザムジーニが口火を切った。
切ってくれた。
またその話題に触れられずに店を出ることになるのを見越したザムジーニの優しさなのだろうか。
あいつとは、もちろんヘクター。ヘクター・ラウルだった。
「五日前か、突然帰ってきたあと、早々に跳びだしていったが、うまくやっているのか?」
「闘技会で見事に優勝しました」
「ーーーで」
「フリーファイターに入隊したようです」
「ーーーそれでどうなった」
「どうとは・・・」
ザムジーニは目をすがめて笑う。
「喰い裂かれんばかりの勢いで何度行方を問い詰められたことか、やっと本人が戻ってきたんだ、もちろん殴り倒したんだろう?」
「・・・そんなことは・・・」
ザムジーニ相手に喰い裂かんばかりの勢いだなんて・・・そんなこと、大げさ過ぎな表現じゃないだろうか。
「なら、適当に牢に放り込んだか。だいぶ頑丈に造り込んでいるようだったから鞭打ちぐらいなら、ほどほどに愉しめるだろう」
すぐには理解できなかったが、要するに憤怒のあまりいたぶって復讐して、ヘクターは頑丈そうになったので、すぐにはへたばらず持ちこたえるとか、そういうことだろう。
「・・・いいえ・・・そういうことは、たぶん、しません・・・」
「じゃあ、なんだ」
じゃあと言われても困ってしまう。
「どうした」
うまく答えられない。
「もう興味が失せたか」
嫌なことばかり訊かれる。
そんなことわからない。
「いらなくなったか」
知らない。わからない。
「まあ、そういうことはある」
そうだとは、わからない。
「いらんなら、いらんとはっきり言ってやるのが筋だぞ」
だから、わからない。
わからない。
わからない。
「わからない、はないだろう、誰でもないおまえの気持ちだ」
口に出してない言葉をずばりと言われて驚いて、目を上げるとからかうような口調とはかけ離れた静かな男の目があった。
「でも、わからないんだ。どうしたらいいのか、どうしたいのかもわからない。・・・戴冠式の時、あのときこそ、帰ってくるかと思った。ずっと待っていた。ここに聞きに来たけど、聞けなくて・・・でも待っていた、式の間も、後も、ずっと、ずっとーーー。でもやっぱりかわらず、帰ってこない、連絡もなにもない。だからっ、死んだんだと思った。死んだ。待っても仕方がない、ヘクターは死んだ、死んだんだ。殺されたんだ。俺に殺された。俺が殺した!・・・俺が殺してしまったんだ、だからもういない、どこにもいないっ、だけど平気、俺は全く平気でやってゆける、あいつが死んだってっ、死んだってーーー俺は。それなのに、今さらっーーー」
まるで狂気だった。本人が否定しようが、居合わした者たちは揃って奇異の目を向けていた。
被さる力強い男の声が、歪んだ空気を正常に引き戻す。
「間違ってたな。生きているぞ」
大きな指の太いザムジーニの手は、まさに剣を握るときの皮のグローブをはめているような固い感触だった。
ザムジーニの両手が、バチンーーーと、シュヴァインの頬を打った。
まさに目から火花が散るほどの衝撃がともなった。
痛すぎて頭の中が真っ白に吹き飛んだほどに。
「おまえだって見た、生きていた!」
ザムジーニは強い口調で続けた。
「死だ死だ、言うな、取り憑かれる。おまえは戦士だろ!」
頬を挟む手が逃げを許さないので、シュヴァインはザムジーニを呼吸も忘れて、まっすぐ見返している。
「ヘクターは生きている。なら、今はちゃんと生きて戻ってきているあいつを見てやれ」
ザムジーニの低いが力のこもった声が地響きのように全身に伝わった。ゆっくりと掌が離れていくと、軽くなった頬が焼けるように熱くなった。
目頭も熱くなったが、それはきっと頬の痛みのせいだ。
まだ店内には何人か客が残っていたが、店内に響き渡るような活を入れられたシュヴァインに茶々を入れるような者はもういなかった。料理の注文も途絶えて、それぞれが静寂な酒をあおっている。
空っぽな気分だった。
シュヴァインもしばらく、静かな酒場の一部となって一人でちびちびとグラスをなめながら痛みに浸っていた。
けれど、ふと疑問が沸いてきた。
聞かずにいられなくなっていた。
小さなナイフで器用な手つきに皮を剥いた果実を、ザムジーニが手渡してくれた。皮付きでも十分に食べられるが、剥いてくれた意味は、皮に少し痛みがきていたからだ。
「今、生きていてもこれから、俺のせいで死ぬかもしれない・・・」
ザムジーニはふっと笑った。冷たくはなかった。
「そうだな」
肯定した男は冷たくはない。
ただ冷厳なのだ。




しばらくして気がついた。
ザムジーニは、果物と貰い物だという砂糖菓子と果物の砂糖漬けも出してくれたが、無視されている物もあった。
酒だ。
最初の一杯きり。お代わりを三度ほど注文していたが、出てくる気配がない。
酒瓶は、手を伸ばせば届きそうなところに見えていたがカウンターの中から勝手に取りだして飲むのはよろしくないだろう。
もう一度勇気を出してみる。
「酒をーーー」
「それ以上飲みたいなら護衛を連れてくることだな」
厳然として、取り付く島はまったくなさそうだった。
お腹もふくれて手持ちぶさたになったので、そろそろ帰ろうかと思ったときだった。
事態は、最悪の展開になった。
残っていた客もどんどん帰って行き、そろそろ店の閉店時間になるだろうかというとき、一人の客が入ってきたのだ。
目の前で、来店客に向き合っているザムジーニがふうと息を吐いて、腕を組んだのを見て、何か複雑な間柄か、特別懇意な者なのだろうとは思った。
「おやっさん、ただいま?」
男らしくも陽気な声を背中で聞いたシュヴァインが、そのまま石化した。
声だけで十分だった。見なくても疑わない。
ヘクターだった。
「何か食いたいんだけど、あるかな」
「ああ」
答えながら、ザムジーニはカウンター内にあった酒の瓶を両手に二本、どんとカウンターに並べたので、ヘクターがすぐ横、カウンター中央、特等席に陣取ることなく、少々離れた席に着いた。
息を吹き返したシュヴァインが立ち去るタイミングを全神経を使って図っているなかで、ザムジーニは素知らぬ顔で大鍋から料理をよそって食事の準備をしている。けれどシュヴァインに、さすがだと、感心する余裕は少しもなかった。
「酒も」
ヘクターが注文すると、ザムジーニはグラスをなぜか二つ用意して注いだ。
「ついでに、こっちのお客さんももう一杯だ」
シュヴァインの前にも置かれた。シュヴァインといえば、必死に反対の腕を回して髪を触っているふりをしている。顔を見られないための足掻きだったが、ザムジーニは面白がっているようだ。しかもこれで立つタイミングを失ってしまった。
ちらっと顔を向けられ、軽く会釈されたが、変装が効を成しているようで興味なさげに戻っていった。
「なんだ、こんな時間に飯も喰わしてもらえず逃げ帰ってきたのか?」
「早い時間に一応は食ったよ。その後、夜会の警護だった」
「夜会にフリーファイターが関わるのか」
「関わっちゃダメだという決まりはないんだ。ただ制服を着なくちゃいけないだけで。だから関わらない、関われない」
「おまえは着たのか?」
「着たよ」
こともなげにヘクターは言ったが、珍事だ。フリーファイターはお仕着せを嫌がって伝統的に着ないのに。
「場が沸いたろうに」
「まあね」
くくっと笑う。何かを思い出したようで、ひとしきり笑っていたが、きっぱりと言った。
「でもさ、そんなのどうでもいいんだよ、俺としては。夜会にあいつが出ると聞いていたからさ・・・」
でもと、声が低くなった。
「体調がよろしくないってことで、いなかった。本当かよ、たらたらした暇そうな集まりだったから、サボったんじゃないのか?それとも俺を避けているのか・・・」
「両方なのだろうよ」
ザムジーニが本人の前で意地悪く、相づちを打った。
「早く謝りたいんだけどなあ・・・。いないならもう面倒になって、さっさと夜会から抜け出してきちまったが、もやもやして寝れそうにないから、さらに抜け出して戻ってきた。まあちゃんと今夜中に戻るけどな」
「そうか」
「そう、そういうかんじ、だな・・・まだ」
ヘクターは盛大に溜息をついた。
「あと二日ぐらい我慢して、それでも接点を持てなかったら、夜中にでもお部屋訪問するつもりだ。ジェラルドさんにがっち会ったら怖えぇけど、でもそうでもしないと、あのへそ曲がりの意地っ張り、埒があかない気がする」
もぐもぐぱくぱくと食べながら、快活な声が前向きな思いをどんどんと紡いでゆく。
生きているヘクターだった。
これが、生きている今のヘクターだ。
「この肉、お代わり、酒も」
「酒はもう一杯だけだ」
「うわ、ケチだ~。そっちのお客だってまだ飲み足りないって、なあ、そうだーーー・・・」
同意を求めて振り返られて、台詞は最後まで続かず途中で途切れて消えた。
今度はやたらとじっくり見られている気配がしたが、シュヴァインは気づかないふりで前を向き続けていた。
気になってもそちらに向けるはずがなかった。
ヘクターもしばらくして前を向いた。
それから不自然な不自然な沈黙が発生した。
20130716改
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