ジェラルドとヘクター
「ずっと、あんな調子でした。暇さえあれば、陛下がスヤスヤとお眠になるこちらを、睨んでおりました」
「・・・ジェラルド・・・おまえは、まさか連絡を取り合っているのか?」
こんな表情をなさるのはいつぶりだろうか。
「ご冗談を。私はそれほど暇ではありません。偶然でした」
「偶然?偶然って何だ!もったいぶらず話せ!」
大きめな目に子どものような怒りの色を讃えて、自分に詰め寄る皇帝の様子にジェラルドは喜びを内面に抑え、完璧に普段を維持した。
「大門兵に呼びつけられたのです。一昨日でしたか。私に会いたいという怪しい男がいると。彼は名を名乗り、私にとって知らないものではなかったので会いました」
「なぜ、いつもおまえを呼ぶ!?」
いつも、は言い過ぎだったが、二回目だった。
これにはジェラルドだって、困惑である。
「さあ。それは私にはわかりかねます。本人にお尋ねになるのがいちばんかと存じます」
「・・・本人・・・?」
語気が弱まり、皇帝が怯んだ。ひどく懐かしい。昔に戻った様に子どもっぽく怯える様子に、ジェラルドは目頭が熱くなるのを感じた。遠い昔に失われてしまったものだったはずだ。
大人たちが寄ってたかって、子供たちを引き裂いたから。ジェラルドも大人たちの一員だった。
後悔はしていない。けれど他に道があったのだろうかと考えることがあった。
その結果、修復不可能と思われるほど、残された子どもはすさんでいった。心を凍てつかせた少年皇帝はジェラルドに口をきかなくなり、さらには食事も取らなくなった日にはどうなることだと思った。断食を続ける子どものまえに、ジェラルドの方が先に倒れて、生死の境をさ迷ったことも今となれば遠い遠い昔の思い出だった。
その後、少年皇帝は徐々に気持ちを落ち着かせていったが、ジェラルドは知っている。
待ち人は死んだ。
死んでしまったのだ、と呑み込み、絶望に沈んだからの安定。
諦観だった。
「決勝に進出が決まりましたので、陛下が試合をご覧になられるなら、あの少年は再び陛下に見えることになります」
「もう、少年じゃない」
噛みつくような否定だった。
ジェラルドだって認めた。もうあの危なっかしい少年ではなかった。
皇帝の白い指が拳が握った、しかし忙しなくすぐに弛められた。
言葉を探して、でも見つけられないのだろう。
もの問いたげに何度も窺われていることに気がついたが、ジェラルドはあえて知らないふりをして、茶の準備をする。
茶の準備などジェラルドの仕事ではなく、本来なら侍女を呼べばいいのだけれど、皇帝は自室に他人を立ち入らせたがらないため、ジェラルドの仕事はしぜんに多岐にわたるのだ。
そのなかでも一番大切な役目だった。
心底憎まれていようと。まして、今さら御節介だと疎まれても。
「決勝戦をご覧になるよう、予定を組み直しておきます」
「その日は、エイデル公が来るとっーーー」
悲鳴のように尖った声が強い動揺を物語っていた。
「エイデル公にはこちらから、丁重にお詫び申し上げる旨をご連絡差し上げます」
「そんなことをすると、エイデル公はうるさいぞ」
「どれほど叱責されましょうと、ヘクターの決勝を見ずにおけるわけがありません」
はっきりと告げると、ジェラルドが誰よりも敬愛する皇帝は、とてもとても困った顔をしている。
嬉しいのか苦しいのかもおそらくわからない感情の渦のなかなのだと想像が付く。
ジェラルドだってわからなかった。
なかば忘れていた少年は帰ってきた。まだ優勝には至ってはいないが、十分だろう。望んだものを手に入れた最高の帰還だといえた。
再会が、吉となるか凶となるか、など判断がつかなかった。
でもジェラルドは比較的に己が楽観視していることにも気づいている。
なぜなら、もうすでに凶はそこにあるのだから。
これ以上の存在など、信じたくなかった。
武官だった男を左遷代わりに少年皇帝の教育係に抜擢した者たちの思惑もはずれ、重要な役職ながら、長続きするものがいなかった役目を長年に渡って勤め続けるジェラルドは、下級貴族の出であろうと宮殿内で一目も二目もおかれる地位にあった。
門兵など、言葉を交わすことなどない雲の上の存在だろう。
けれど、宮殿の人間の名前などせいぜいこの二人のものしか知らないという事情があった。
そもそも、誰かに会おうとしてやって来たのではない。
ただ、どうせなら少しでも近い場所にいたいと考えたヘクターは、手持ちぶさたな時間をそこで過ごすことに決めただけなのだ。
アバロンの宮殿をぐるりと囲む分厚い門壁。
久しぶりに戻った大都の天気は穏やかに晴れ、心地よい青空が広がっている。
壁に背を預けて、ヘクターは座り込んだ。これからのこと、これまでのこと、あいつのこと。いろいろ考えるにはうってつけの場所だと思ったのだ。
だけれど、門塀はひどくヘクターを警戒しているようだった。
おそらく、髪をトサカのように逆立て七色に彩色しているところや、半眼を隠すバイザー、大切そうに傍らに置いている一振りの大剣だって。彼を宮殿の御門に居座り続ける不審人物とみなした門兵は、それでも良心的だった。
「もしかして誰かを待っているのか?誰かに会いに来ているのだというなら、言ってみろ」
警戒しながらも話しかけた。
ヘクターは、周りに発生しつつある不穏な空気に予定を変えた。
本当に会いたい奴の名前を言っちゃいけないだろうなあと、常識的な判断をして、その他の名前を、親切な門兵に告げたのだ。呼びに行っている間は留まっていても文句は言われないはずだ。
「ジェラルドさん、という人だ」
「ジェラルド?どこに勤めている者だ?」
「あー・・・、もし代わったりしていないなら、皇帝陛下に仕えている、教育係・・・だったはずだが・・・」
サーと、門兵の顔色が消えていった。門兵はすぐに隣に立つ同僚になにやら話をする。二人とも同じ顔色になっている。そして、この上なく訝しそうにヘクターを観察しているようだったが、最初の男は門の奥に走っていった。
ヘクターは元の場所に再び腰を下ろした。
やはりジェラルドだって、十分、傭兵風情の自分などが会える相手ではないということだ、と門兵たちの態度が伝えていた。
それなのに無知で無礼な子どもは、あの日、門兵に、力一杯お願いしたのだ。
「シュヴァイン陛下のおそばにいるジェラルドって人に会わせてください。呼んでください」
何度も何度も大声で連呼して、ジェラルドはやって来てくれた。
あのときも、門兵のことなどまったく覚えていないが、相当の困惑を誘って、いろいろ大変だったんだろうなあと思うと、なんだか可笑しくなった。
でも今回はさすがに無理だろう。時代は変わった。少年皇帝は、正式に帝位を継いで、ジェラルドだってあの頃以上の役割を負う重要人物だろう。
???会わなくてもいいかな。いや、むしろ、そのほうがいい。
だって、あの人、苦手だ。怖いから。
嫌われているだろうし。やっぱり、いろいろと・・・。
ただ、そんな風に輝かしいあの日を思い出し、噛みしめるだけでとても甘い心地に包まれるから、断りの報告が返ってきて、門兵たちに追い払われるまでくつろいでいる、それだけで本当によかったのだが。
破格の奇跡的対応が再びヘクターに与えられてしまった。
慌ただしい人の気配が近づいて、門兵がヘクターの横に立った。なんだ、と見上げるヘクターに、硬い表情が恭しく指し示す先にはーーー。
ヘクターは弾かれるように起立し、顔を強張らせることになった。
「おまえは、ヘクターか?」
「???はい、お久しぶりです」
「派手な出で立ちだな・・・」
「いいえ、これぐらいまったくたいしたことはありません」
しかつめらしい表情のジェラルドのまえで、不審者だと警戒されていた若者は姿勢も正しい正規兵さながらだった。
奇抜に着飾った格好だけが、いかんともしがたくその場で浮いていたが、ジェラルドはそれ以上言及することはなかった。
「戦士になったのだな」
元は武官だったジェラルドはヘクターの体つきを見て、しみじみと言った。
体中を無駄のない筋肉が覆っている良い身体だった。むき出しになっている二の腕に巻いている飾り布が隠しているがその下に走る古いが大きな傷跡が目に止まったジェラルドはなんとも言い難い感慨が襲ったが、すぐに振り払った。
「それが約束でした」
誇らしげに胸を張るヘクターに、ジェラルドは薄く苦笑した。
約束と言うが、相手はジェラルドではない。ジェラルドは、そんな重い約束をするほど親しくはなかったのだ。置きざりにされて嘆き悲しんだシュヴァインとではありえない。だったら、それはヴァランとだろうか。
「・・・あのときの手紙は・・・」
「おまえに頼まれた通りに、ちゃんとお渡しした」
ありがとうございました、とヘクターは威勢良く深々と頭を下げて、そのままの姿勢で低く訊く。
「・・・そのとき、あいつは・・・」
ジェラルドは、あいつという言葉に苦笑したが、咎めなかった。
「おまえの想像通りだ」
「怒った・・・」
「怒りなんて、ぬるいものではなかった」
ヘクターは、照れくさそうにへへへと笑った。
奇妙な取り合わせを、注目している者が多いため、知りたい相手の素性、ましてや名前などは絶対口にできないことぐらいヘクターだってわきまえている。
だからジェラルドも注意はできないことも、わかっているのだろう。
ヘクターはあっさりと一番気になっていた、自分の手紙の行方に関する情報を得られることができ、無事に渡っていることも確認できた。
もっともっと聞きたいことがやまほどあった。でもこれ以上無理だった。
たまらなかった。嬉しくて。嬉しくて。訳のわからないことを叫び出しそうだった。
幻ではない、このジェラルドの向こう側に求める相手はちゃんと存在するのだ。存在して、ヘクターに対しとても怒ったのだと。そんな不穏な話すらもヘクターには甘美すぎて、身体中に震えが走る。
もうすぐだった。
あと少し。
もう少し。
「ジェラルドさん」
かっと顔を上げたヘクターが強い笑みを刻む。
「俺、闘技大会の明日の準決勝に出ます。で、勝ちます。決勝戦だって、必ず勝ちます」
なんでもないことのように、不遜に宣言してのけた男は、その後は打って変わって真剣な顔をした。
「俺はいつ会える?俺はあいつを説得しないとならない、それができなければすべてははじまらない」
ジェラルドは怪訝な顔をしたが、ヘクターには確信があった。
まちがいなく、今の自分にとって最大の関門だという気がしていた。
「あいつは俺が剣を持つことに反対だった。おそらく、また邪魔をする!」
20130716改