ヘクターと噂話 皇帝
シュヴァインの体調が全快するのに三日かかった。
だから、ヘクターの機嫌も三日後には落ち着いて穏やかに戻っていた。
体調が回復するのは嬉しいのだが、回復するとシュヴァインは文官たちに囲まれ予定に追い回されることになり、ヘクターが近づくことなど出来なくなる。
だから、専ら、夜、ヘクターはシュヴァインに会いに皇帝の自室に行くことになり、実はヘクター自らが妖しい噂の原因を作っているのだが、他に時間が取れず方法がないのだから仕方がないと開き直っている。
シュヴァインも自由なヘクターを歓迎しているのでとめることなどなく、二人して噂を盛り上げていることになる。
しかし、シュヴァインは普段、ヘクターと違って噂について無頓着なところがあったが、その日は少し違った。
シュヴァインからそれを言いだした。
「今日、新しい噂を耳にしたぞ。なんでも、おまえが、皇帝は自分のものだと宣言したという由々しき物だ」
酒を舐めながら、シュヴァインはくすくす笑ってヘクターをじっと見つめる。
「それは・・・」
「その前後も聞いたよ。俺が木の下で眠っているときにやったってことだよな・・・遠くで何か騒いでいると感じたけど、眠くて目が開かなかった・・・噂の場面、俺も見たかったのに・・・」
不満そうにシュヴァインは口を尖らせて言ったが、ヘクターとしては違うことが気になっていた。
「怒ったか?・・・悪い。ついな。・・・あいつらがあんまりぐちゃぐちゃ言いやがるから、喋るな、触らせるか、おまえのじゃねえ、俺のだっ!???て、頭に来て言っちまった・・・」
「なんだ・・・俺が聞いたのとちょっと違うなあ。聞いたのは、熱烈な愛の宣言だってーーー」
「・・・そうなっているな・・・」
「ああ。なっているよ。皇帝とフリーファイターの禁断の愛はまた一段と深まったってーーー」
「・・・すまん・・・」
苦虫を噛んだ顔になって溜息を吐いたヘクターは、持っていた酒入りのグラスを床に置くとぺこりと頭を下げた。
「間違いなく俺の失敗だった。要らないことを言ってしまった、悪かった、許してくれ」
「許すよ」
シュヴァインは即答していた。
そして、再びくすくすと笑い出した。
「けどさ、そんな風に人に言われるのはくすぐったいものだな。俺はヘクターのものーーー。ヘクターだけのものーーー。なんだろう、そこには俺の場所があるんだって思うと、なんだかひどく・・・」
嬉しいという言葉は紡がれはしなかったけれど、シュヴァインの優しく穏やかな表情を見れば一目瞭然だった。
甘やかな笑顔は、満ち足りた一切の苦悩の欠片も見えない、いい表情だと思った。
これが、酒の力を借りてではなく、一刻も早くシュヴァインの普段になることをヘクターは心から願った。
まだ道のりは遠く、果てしないけど進み続ければ、いつか必ずそんな時間がやってくることをヘクターは疑わない。そのためにヘクターは、ここにいて、共に戦っているのだから。
それだけではない、ヘクターが今、生きている理由その物だと言えるのだ。
「・・・おい、飲み過ぎだぞ、病み上がりなんだから、ほどほどにしろよ」
「ジェラルドみたいなこと言うなよ、ヘクター。言うほど飲んでないぞ?」
確かに空瓶の具合を見ると、あまり飲んではいない。それでもこの酔い方になっているということは、まだ体調が万全ではないと言うことなのだろう。
まったく嘘ついてまで、解毒剤無しで戦うから。
これからはもっと用心深く見張らなくてはと、決意を新たにするヘクターの一方で、シュヴァインは上機嫌に酔っていた。いい気分だった。
でも酔っているのは、酒ではなく、おまえ、ヘクターーー。
口まで込み上げた言葉だったけれど、恥ずかしいかもと寸でのところで飲み込んでいた。
シュヴァインには最近一つ気付いていることがある。自分と、ヘクターのことだった。
失ってしまった、死んでしまった、自分が追い込んで殺してしまったのだと思っていたヘクターが戻ってきたことで、壊れていた自分がまともになってきたと感じている。
皇帝でありながらも持つことの出来なかった情感を取り戻すことが出来た。
それは、世界を、民を、愛しいと心から思うことだった。
ヘクターがいる世界、ヘクターをはじめ、自分の大切な仲間たち。目に映るようになった人々???。
皇帝の座にありながら、皇帝にあるまじき精神だった自分を認める。
やっと少し正常に、皇帝の端くれとして、愛おしい者たちとその住まう世界を守るために戦えるようになったのだと感じる。そのためになら多少の無茶だろうと苦にならない。
その上に、だった。
自分には皇帝という漠然とした広がりだけでなく、ヘクターの横に確かな居場所があるのだと教えられたことがとても嬉しかった。
「・・・おい、何、一人にやけているんだ。・・・ああ、こら、おまえ。かなり酩酊してるだろ。もう寝ろーーー寝るならベッドで寝ろ」
「・・・嫌だ。・・・ベッドに入ったら・・・おまえ、帰るだろ。・・・・・・なら、やだ・・・おれ、ねない・・・」
「いや、もうそれ、ほとんど寝てるから・・・」
「・・・・・・ねて、ない・・・」
「目も閉じて何ぬかす、さっさとベッドに行け。今日はお開きだ」
「・・・じゃあ、ヘクターも・・・いっしょに寝る、なら・・・ねる・・・」
「は?・・・子供か、おまえは」
「・・・うん、子供・・・ジェラルドに・・・いっつも、いっつも・・・言われてる・・・」
このまま続けていても埒があきそうにないので、ヘクターはよっこらしょっと、膝を抱えて蹲るシュヴァインの身体を抱え上げる。
完全に眠りに囚われてとろとろになっている。
細くて軽い身体だった。この身体がでかい大剣を一日中でも振るい、最高位の魔術を諳んじて人知を越えた破壊力を生み出すなど、未だに信じられなかった。
居間から、扉を潜って寝室に移動すると大きな天蓋付きのベッドにシュヴァインを寝かせた。掛布を広げてやりながら、自分はまだ飲み足りないのでこのあと、街にでも出るかと考えたときだ。
大人しく、寝てしまったものだと思っていたシュヴァインの腕が急に持ちあがりヘクターの首に回された。
強く引かれて、うわっと声を上げたヘクターはシュヴァインの上に傾れ込む。どうにかシュヴァインに顔をぶつけることだけは避けられたけれど、がっちり両腕に捕まっていた。
藻掻いて取れない。首に掛かる細い指を一本一本もぎ離そうとしても一本外したときには前の指が戻っている。抜け出せなかった。
「おい・・・」
「ヘクターも、今日はもう、ここで寝てゆけばいい・・・決定っ!」
「・・・いや、それは無理だって。おい、こら、ほんとヤバイって・・・離せ、これは、まじに危険だからっーーー」
事は同衾がどうこうなんて、ぬるい話ではないのだ。ヘクターの顔付きがどんなモンスターの前よりも強張っていた。
シュヴァインをベッドの上に置こうとしたとき扉の開く音が聞こえた、誰かが部屋に入って来ている。深酔いして、意識もあやしいシュヴァインは気付かなかったようで、しどろもどろにお気楽が続いている。
「・・・危険・・・じゃないよ・・・襲ったりしない、から・・・だいじょうぶ・・・へいき・・・んふふふ・・・」
皇帝のこの部屋に入ってくる者というのは限られていて、怖ろしい予感はすでにひたひたとそこまでやって来ている。
力負けして動けないヘクターの背後で、低い咳払いがした。
怒気さえ滲むそれがジェラルドのものであることはもう振り向かなくてもわかったが、今のヘクターにとって可能なのは冷や汗を流すことだけだった。
なんで俺が怒られなくちゃならないんだろう。この場合、悪いのはシュヴァインで、シュヴァインだけでいいのではーーーとヘクターはぶつぶつ小さく不満を訴えた結果、ジェラルドはヘクターから外したシュヴァインの腕を毛布の下にきちんと入れてから、ヘクターを見て不気味な笑顔を浮かべた。
ちなみに、ジェラルドの登場に狸寝入りかもしれないがシュヴァインはベッドの中で大人しくなっていた。
ジェラルドはヘクターを鷹のような厳しい目で見据えると
「ここしばらくないほどの面白い話を聞いた。それについて、ヘクター、おまえの了見を聞きたいものだ」
「は、い?」
嫌な嫌な想像が浮かんだ。ジェラルドが聞いた話とはーーー。
「シュヴァイン陛下を、己の持ち物だと即刻首を刎ねられても文句の言えないことを言った馬鹿者が宮殿内にいるという。おまえはどう思うかね?」
「ーーーそんなの、俺は、ただの噂だと思います・・・」
ヘクターの意見は通用せず、ヘクターは思った。
噂話なんて、クソ食らえっ!!!
完
20160305