ヘクターと噂話 居眠り
ヘクターもアバロンの宮殿生活に慣れてきた。
だから、その気配に気付いても、またかーーーと心の中で溜息を吐く程度だった。
今回は特に、溜息だって表に出さない。
その理由は、うつらうつら居眠りを始めたシュヴァインを、不必要に起こしたくないというものだった。
フリーファイターの修練場の脇にある林の縁にある古木の根元、いつものようにジェラルドの目を盗んでやって来たシュヴァインがさっきまでは楽しげに話をしていたが、声が途切れたと目を向けると、ゆらりゆらりと不安定に身体を揺らし船を漕いでいた。
ジェイソンが心配そうに皇帝の様子を見ては、ヘクターに視線を送る。そのあたりは、一番若い隊員だろうとちゃんと気を遣う。
起こすのは忍びないが、倒れないか心配でたまらない。だから、何とかしてーーーっていうところだった。
ヘクターは無言のまま、顎でジェイソンを促したが、ぶるぶると首が横に振られた。
正面に座るヘクターより、横に位置するジェイソンの方が近く、腕を伸ばしそっと肩を押してやれば木の幹にもたれ、シュヴァインの身体は安定するだろうに。
もう一度ヘクターは促したが、さらに激しく首が振られただけだった。
ヘクターの一からだと、立ち上がらないとシュヴァインに届かないというのに。
下草の上にどっかり腰を下ろしているヘクターが立とうとした場合、身に付けているいろいろな物がーーー特に警戒しているのは装飾品などが動いた拍子に擦れて音を立てて、折角の安眠を妨害してしまう可能性が高いから嫌なのだ。
しばらく無言の攻防が続いたが、頑なにジェイソンが折れないので仕方なく慎重にヘクターは腰を上げた。
予想通り鎖が揺れてかすかな音が音が鳴ってしまったが、起こすに至らず、変わらずシュヴァインの身体は揺れ続ける。
ヘクターは静かに近寄って、そっと肩を押した。
そして、ああ、と気付く。
これをジェイソンは嫌がっているのだ。
一度、うたた寝中に声を掛けた隊員の腕を、寝ぼけたシュヴァインは掴み取って捻り倒した。
悪意は全く無いのだ。
それは身についたただの条件反射で、むくつけき大男が地べたに頬を押しつけられ苦鳴を上げ、さらにその隊員の身体から火柱が立ったのだって、本人だって不可抗力だろう。無意識だ。
さすがに側にいたヘクターは大声でシュヴァインの名を呼んでいたが、ほぼ同時に我に返ったシュヴァイン自ら火術を停止させ、ほとんど火傷には至らなかった。が、腕の方は数日痛んだらしい。
皇帝自ら心からの平謝りをしたし、ヘクターもあれはまあ仕方ないと思っているのだが、隊長のアキレスは苦り切った顔をし、隊員の皇帝を見る目は親しみと恐怖の度合いを深まらせて一層複雑な状態になりつつある。
大抵は憎んだり怒ったりはしていない。ただ、純粋にびびっているのだ。
帝国一の美貌の持ち主と謳われる皇帝の外見をまるで無視する桁外れの能力に。
人間、自分の常識で量れない物には恐怖感を感じる。そういうことだとヘクターは思っている。
かく言うヘクターは、もうそんな初期状態は昔に通過しているので、じゃらじゃらと身に付ける装飾品の中に火術を防ぐ効果のある物が数個増えたぐらいだ。
そんな出来事が、ジェイソンに、うたた寝をするシュヴァインの肩を押すことを躊躇わせているのだとわかったが、大げさに怯えすぎだとヘクターは感じた。
呪文を必要としない程度の術では即死、大火傷はないし、大声を出したらシュヴァインも目を覚ますんだから。
そもそも、もうわかっていることなのだから防御して腕を取られないように対処すればいいだけじゃないかと、一度実際にジェイソンに言ったら大騒ぎに反論してきたので、今は口にしないでおく。
そんなことになったらシュヴァインの眠気も吹っ飛ぶだろうから。
いろいろ思いながら、ヘクターもちょっと緊張しながらそっとシュヴァインの左の肩に触れて、静かに力を込める。
前屈みに気味だった身体が仰け反って幹に寄りかかった。
条件反射も目覚めることもなく、無事に目的が果たされ、固唾を呑んで様子を見守っていたジェイソンがほっと息を吐いた気配に釣られて、ヘクターも吐息だった。
まあ、必要ないなら火柱体験などはあまりしたいものではない。
20160305