ヘクターとちびっ子
裏庭の隅っこ。
緑豊かな庭園は手入れも行き届いた人工林を併設していた。
少々汗ばむような日差しも木漏れ日の揺れる木陰に入れば涼し過ぎるぐらいで、快適とはいいづらく、ヘクターは暖を求めてごろごろ下草の上を転がって日当たりまで移動した。
ーーーやっぱり、これぐらいじゃないと、よくない。
昼寝の話だ。
初めての遠征は、つつがなくあっさりと終わった。
半分様子見と顔合わせのようなもので、皇帝シュヴァイン、ホーリーオーダー・ソフィアとフリーファイター・ヘクターの三人に、前任のメンバーからセキとガーネットが加わっての五人組で行われた。
残りの揃わなかった二人のメンバーこそが、ほの暗い問題があるんだろうとは思ったが、シュヴァインはもちろんだったが、ヘクターにとってソフィアは強く美しく、フリーファイターの自分にさえ感じのよい女性でまったく悪くなかった。
今回のターゲットは雑魚の群れの殲滅だったので、さらに問題になることなど生じずーーー敢えて言うなら、大ベテランであるセキとガーネットの厳しい、たえず試験をされているような視線が気になったぐらいで、拍子抜けするほど簡単に終わった。
当然、こんな楽なことがこの先続くなどとは思っていなかったが、とりあえずヘクターの心を占めているのは満ち足りた満足感、幸福感。
うっかりするとにやけてしまいそうな、目標を達成した充実感だった。
ヘクターは、自分がシュヴァインと共に戦うという目標に到達できたことは素直に喜んでいいと思っているので、堂々と喜んでいる。
でもそれ以外は結構、いろいろどうでもよくて、するとこうしてアバロンに戻ってきてしまうともう何もする気が起きなくて、困ってしまうのだ。
シュヴァインは宮殿に着くが早いか、どっと警備兵や文官やらが取り囲んで、ヘクターが一言労いの言葉を喋る暇もなく、シュヴァインもヘクターを気にしていたが問答無用に連れて行かれてしまい、あっという間に一人取り残されたヘクターを唖然とさせた。
アバロンに戻ったら、つまらない。
率直な感想だった。自由に話もできない。
守ることを最優先と考えていて、遠征の中、シュヴァインが危険に晒され続け精神を摩耗させることも避けたいところだったが、でも外にいる方が自分たちは自由だった
う~ん、と微妙なジレンマも味わいながら・・・。
要は少し、暇なのだ。
皇帝シュヴァインは、アバロンに戻れば戻ったで多くの務めがあるようだとよくわかったが、ヘクターは違うのだ。
ヘクターしかできない仕事などないのだ。
何もすることもなくて、ーーーまあ、フリーファイターの一員としてのすべきことはあるにはあるのだが、あまりやりたくないと、こっそり抜け出して一人サボっている最中だった。
今回の遠征など、それほど疲れるような仕事ではなかったけれど、ぽかぽかと気持よい日当たりで寝そべっていると、うとうととしてきた。
いつの間にか眠ってしまって、ヘクターは懐かしい夢を見た。
最近はほとんど見なくなっていた、遠い日よりさらに遠い日々の夢だった。
くすぐったい夢だった。
でも身体にドンと加えられた衝撃に、すぐに起こされて現実に戻っていたが目を開けたヘクターの前に、懐かしい夢を見た原因が、ああ、このせいかとーーーわかりやすく存在した。
ヘクターを見つめて怯えるような表情になっているのが、夢の二人とは大きく違っていたがーーー。
でも、違うに決まっているのだ。
ヘクターの前にいるのはヘクターの幼い弟妹ではない、アバロンの宮廷魔術師だったから。
若いなと思った。
たぶん、ヘクターの弟妹の歳よりも若いーーー幼い二人がヘクターを見つめていた。



可愛いのがやっていたなと頭の隅っこでは気がついていた。
まだ子供のような話し声が近づいてきていたが、ヘクターは別に捕って喰うつもりはないので放って置いた。
ルビーとアリエスはヘクターの存在に気づいていなかった。
手に持ったカップのシチューをこぼさないことと、今日のお昼はどこで食べようかとよい場所を探しだすことに気を取られていて、足下には少し気が散漫になっていた。
だって、ここには普通、誰もいないのだ。
アリエスは水術で、ルビーは火術の魔術師だった。
宮廷魔術師と一口に言っても、術が違えば部所が違うから普段二人が一緒にいることはない。大人に混じって宮廷に仕える二人は、休みの時間を待ち合わせて一緒にお昼を食べていた。
年が近いことはとても心強さと親しみを感じた。アバロンにやってきた時期も近かった。
最初こそ、お互いに、同性だったらもっとよかったのに、話しやすかったのにと思ったものだったけれど、そんなことなど関係なかったと今ではすっかり仲良くなっていた。
とても気が合うよい友達だった。
二人ともまだ細く小柄だったが、アリエスがもうすぐ十六歳で、ルビーは十五歳。
アバロン宮殿でも最年少クラスの魔術師だった。
次に近いのは十九歳の土術使いの男の子で、アバロンでの生活も二人に比べてずいぶん長い、体格だってよい彼だと、同じ成人前だと言ってももう親近感はほとんど感じられなかった。
するとルビーとアリエスはいつも二人だった。二人ぼっち、だった。
今日は朝から少し宮廷の中の様子が変わっていた。
理由は二人も知っている。皇帝陛下が遠征から戻られているから。
直属の戦士を入れ替える騒動があった後の初めての戦いから戻られている。
ご無事で戻られて一安心だったけれど、二人にとって、それだけで、それ以上のことにはならないはずだった。
けれど、そうじゃなくってしまったーーー。
大変なことになっていた。
林の中の、茂みの影にいつもはない足があるなんて思わなかった。
誰かが寝ているなんてまったく思わなくて、短い昼休みを少しでも有効に過ごすために二人で急いで移動していて、うっかりけつまずいたルビーは転んでしまったのだ。
転んで、手に持っていたお昼ご飯のパンは草の上にころころと転がってゆき、シチューは思い切りこぼしていた。
つまずいた足とは逆の足の、黒い皮の長靴の上にーーー。
靴につまづいて、倒れて足の上に載っかっているだけでなく、もう一方の靴は自分のシチューにべったり汚れることになってしまっていた。
シチュー塗れの様子を目の当たりにしたルビーは、すぐに謝らなくてはと思った。
思って、靴の主の顔を仰ぎ見て、謝罪の言葉も真っ白に頭から消え、ルビーは固まってしまっていた。
アリエスの方も、「ルビー、大丈夫?」と言ったきり、自分たちが対峙する相手が誰なのかを知って硬直していた。
のっそり上体を起こした男は、派手な金色の髪をしていた。
大きな剣が近くに置いてあった。
派手な布で体を覆っていて、アクセサリーもジャラジャラと飾られていた。
その姿は、一度遠くから見かけたことはあった、今一番近づかないように気をつけなくてはいけない話題の危険人物なのが一目瞭然だったから。
二人の視界はじんわりと滲んだ。



夢から覚めたばかりのぼんやりした頭で、「どうした?」と不思議そうにヘクターは聞いた。
返事は返らない。
「ん?ーーーああ、これか・・・」
シチューをこぼしてしまって悲しんでいるのだとすぐに気がついた。
独り言に言って、そのあと腕を伸ばす。
「泣かない、泣かない、こんなこと平気だ・・・俺の分をやるーーー」
泣きそうになっている頭を撫でてやって、このあたりでヘクターもはっきりと目が覚めた。
泣きそうと言うより、引き攣っている。
ヘクターは黒いグローブの手を宮廷魔術師の制服を着た少女の頭の上から外して、はははと、笑う。
金色の髪の少女というほどの宮廷魔術師がオレンジ色の瞳でひたっとヘクターを見つめていた。
小さく震えながら。
怯えきっているーーー。
さあ、困ったぞ、というところだ。
女性の身体に無断に触る。フリーファイターが一番やってはならないことのリストにも載っていることだったはずだ。
もう一人の子は青みの強い白銀色で、青い眼の感じも男だろうと思って少しほっとしたが、問題はこの女の子の方ーーー。
「いいか、街ではこの手の類は大騒ぎになる。おまえらはただの悪巫山戯のつもりでも、進退問題に関わる大問題になるぞ、くれぐれもするな!」
アキレス隊長が厳しい口調で、話していたことを思い出した。
でも、もうやっちまった・・・。
ーーーは?
と、思った。
ーーー進退、問題?
進退問題ってなんだ?・・・。
初遠征を終えたばかりのヘクターの表情も、次第に引き攣ってくる。
長く伸ばして立てた髪を派手に染め、さらに濃い色のバイザーで顔を覆う恐ろしげな格好をした男がみるみる顔つきを変えたことを、ルビーもすぐに見て取った。
「ごめんなさいっーーー、わたし、不注意でした、許してください、ごめんなさいーーー」
ルビーが弾かれるように動いて、ヘクターの横に跪いて謝っていた。
アリエスも手に持っていた物を取り落として、ルビーの横に倣っていた。
「僕も謝ります、どうか許してくださいっーーー」
いやいや、今は許してとかの問題ではなく、進退問題だった。
降って湧いた危機感が、アキレスとジェラルドの恐ろしい顔となって頭の中ぐるぐると回る。
でも、許してくださいが悲愴に繰り返されている。
なんだかよくわからなかったが、ヘクターとしては気になるのはただこの一つの点だ。
「これはーーー問題にならないと思うか?・・・」
「しないでくださいっ!」
「お願いです、しないでください!」
尋ねてみて、戻ってきた二人の言葉にヘクターは、大きな大きな安堵の吐息を吐いたのだけれど、必死な二人はどこまでも必死で、ヘクターからの許しの言葉をひたすら待っていた。
自分が、進退問題勃発とようやくなれたばかりの直属部隊から引き下ろされることになるのは非常に困るが、それ以外ならヘクターにとってひどく適当でもすまされるものだった。
靴にかかったシチューなどなんだって言うんだろう。
こと、こんな年若い女の子たちだった。
ヘクターは昔から小さな可愛いモノに弱くて、たぶん一生変わらないのだろう。
元々、怒るようなことでもなかったけれど、冷静になってみると、もの凄く一生懸命謝られていた。
これではまるで、自分は街にたむろするような悪漢だった。
そうなのか、そうなのだ・・・としみじみと感じながらでも、結局。
まあ、別にいいが、となった。
でもーーー。流し切る前に、ヘクターは踏みとどまっていた。
そっちは、少し見過ごせないと思った。
「おまえたち、ここで少し待てるか?」
ヘクターは立ち上がった。
少年少女はヘクターを見上げている。
でも強張ったままで、返事はできないようだった。
「少し待ってろ、いいか?」
できるだけ優しい声を出したつもりだったが、通じているかどうかはわからなかった。
二人が頷くのを確認するとヘクターはくるりと背を向けた。
すたすたと去ってゆく男の後ろ姿を見送ることになったルビーとアリエスはほっと全身の力を抜き、息をつく。
「・・・今のうちに・・・」
「・・・うん、今のうちに・・・」
二人はそっと顔を見合わせていた。



でもやっぱり、二人は逃げることはできず、その場で待っていた。
待っていろと言われた。
それに返事もしたのだから、約束を破って逃げ出すことなどできなかった。
何が起こるんだろう、などと怖いことを話し合うことなどできず、ただじっと黙って待っていると、まもなくフリーファイターの男は戻ってきた。
緊張の元が再び二人の前に立ったが、少し落ち着きを取り戻したルビーとアリエスは、戦士がそれほど怒った顔をしていないことに気がついた。
むしろ、逆だった。笑っていた。穏やかに。
「よく待っていたな・・・もう、いないかもと思ったがーーー」
言ったヘクターは、さっきの姿勢のまま地面に膝を付いている二人前に野営に使う蓋の付いた調理鍋を置いた。
驚く二人の前に、自分も座り込むと鍋の蓋を取って見せた。
「フリーファイター隊の食堂の物だから、味付けが合わんかもしれんが、余所の物も一度くらい食べてみるのも面白いだろ?ーーーおまえたちの物は、駄目になってしまったからな」
二人はさっと顔を見合わした後、口々に言う。
「でもそれはわたしたちが悪いから・・・」
「僕たちが不注意で、自分でしたことだから・・・」
「さすがに、これだけの量は、俺でも一人では食べんぞ?・・・まあ、残ってしまったら捨てればいいのだがーーー」
軽く押してみると、二人は小鳥のように見つめ合ってヘクターには聞こえなような小声で思いを交わしている。そんな仕草がとても可愛らしかった。
押しつけることはできなかったが、このままでは昼食を落としてしまった二人は抜いてしまうのだろうと思ったヘクターは代わりの物を用意したのだ。
三分の一は自分の分だったが、もしも二人が食べなかったら全部一人で食べればいいことだった。
ヘクターにとって空腹の経験は辛いことだったから、そのまま黙って見過ごすことはできなかったのだ。
自分に怯えている二人が受け入れるかどうかは別として、食事を駄目にした原因の発端として、できることをしてやりたかった。
その結果がどうなったかーーー。
予定外な三人の昼食会となったのだ。
ヘクターはサボっている最中なので、食堂を行くことも憚られた。
だから今日はウエストポーチに持っている簡易食を囓るぐらいですませるつもりでいたのだけど、大義名分ができたので胸を張って貰いに行った。
食事の時間に現れたヘクターに嫌みもたっぷり盛られたが、遠征明けでみなに大目に見られているのだと気がついた。食堂の奴らも気前よく要求した三人分をくれて、鍋のシチューの他にパンと肉の塊と果物も貰ってきていた。
草の上に並んだ料理にルビーとアリエスは目を丸くしていた。
「大きな肉!」
「シチューの中にも・・・すごいね」
「おまえたちは、肉を食わないか?ーーー食っちゃいけないのか?」
聞かれ意味が、宮廷魔術師は、ということだと理解してぶんぶんと首が振られた。
「食べていけなくはないけど、こんなに出てこないの・・・」
「まあ、俺達のように、脂ぎった物ばかり食べないのかもしれんが。こうゆうのは、食べたくはないか?」
「ううん、食べたい!」
明るい笑顔がこぼれて、ヘクターも自然に笑っていた。
野菜を嫌いな奴はたくさんいても、肉を嫌いな者など滅多にいないのだ。でもいくら好きであっても、貧しいためにそうそうには買えないという事態があるとしてもーーーというヘクターの感覚は二人にも共通しているようで安心だったが、肉を前にはしゃぐ様子は、ヘクターから摩訶不思議で気むずかしい宮廷魔術師というイメージを二人からきれいに払拭していた。
なら、ヘクターの弟妹と似たような少年と少女だった。
誤解が生まれそうなので一つ弁明するなら、宮廷魔術師にもフリーファイターの各人と同等、いやそれ以上の食費が帝国から彼らの食堂の方にちゃんと支払われている。
ただ、肉じゃない食材に食費の多くを使っているだけで。
魔力高めるといわれる高級海草類、キノコ類、植物性タンパク質だった。
そのあたりの物は、見た目も地味であまりルビーやアリエスの舌には美味しいとは思えないが、貧しい食事が与えられているということでは決してない。
とはいえ。
やっぱり、肉!と盛り上がる。
庶民には肉だろう!
肉はお祭りの象徴でもある!
なんだか、ヘクターにとってもとても不思議で楽しいことになっていた。
しばらく忘れていた久しぶりの感覚で、面映ゆいせいか心が少しチクチクする気がしたが、でもこういうのも悪くないとヘクターは思った。



「怖くないのか?」
ヘクターは聞いてみた。
「はじめ、怖かったよ」
肉にかぶりつきながら答えた。
でも、もう平気ーーーとルビーは恥ずかしそうに小さく言った。
「だって、フリーファイター・ヘクターと言ったら話題の人だものね」
指先に付いた肉汁をぺろっと舐めながら、それに、ヘクターも怒っていたし、とても怖い顔をしてたよ、とアリエスに真面目な顔で言われて、ヘクターは慌てて言った。
「それは、少し違うぞ・・・」
アリエスが真面目な顔だったのは、はじめて相手の名前を口にするから緊張していたこともある。
ヘクターがびびっていた事情を説明すると二人はくすくす笑った。
「ヘクター・・・には、妹がいるの?」
ルビーもドキドキしながら、そう読んでいいと許されたヘクターの名前を口にした。
「ああ、おまえよりもう少し大きいんだが、寝ぼけてて、うっかりなーーー」
「でもびっくりした・・・ルビーが捕まえられてしまったと思ったから・・・」
「捕まえて、どうするんだ?ーーー捕まえて、バリバリ食うほどは、いくらなんでもフリーファイターだろうが、そこまで野蛮ではないぞ?」
ヘクターの冗談に、またくすくすと笑った後、どちらともなく硬い顔になった二人はそっと、ヘクターに聞き返していた。
「ヘクターは、魔術師が嫌いではないの?」
「戦士の人は大抵、僕らのことが嫌いだよ。魔術師は、薄気味悪いってーーー」
戦士は、でなく魔術のない人は、だった。
魔力のある者は全体のほんの一部に過ぎず、なら魔術師は世界の大抵から嫌われていることになる。
ヘクターは、ルビーやアリエスに自分が戦士で、二人とは毛色の違う職種の者であることを線引きして強調し、距離を空けた上で、怖がらせないよう気をつかって話をしていることに気がついていた。
本当は最初、二人はヘクターのことがとても怖かったのだ。
戦士は大柄で、力も強い。大きな武器を軽々と扱い、戦うこと、倒すことの専門家だった。
彼らの膂力と戦闘技能を前にしたらルビーやアリエスなど、動かない草花を抜くように簡単に、こてんぱんに倒されてしまうのだろう。
その上、ヘクターと言えば皇帝陛下に直々に選ばれたぐらいの屈指の優れた戦士なのだから。
その他にも、二人の耳まで聞こえてくるいろいろな噂もすべて本気にしてしまっていたのだ。
でもやはり、噂は噂でちゃんと吟味しないといけないと今回、あらためて思った。
ヘクターは、ぜんぜん暴力的でも野蛮な人ではなかった!
皇帝陛下に逆らって、殴り合いの喧嘩をして大怪我をさせたという話も、きっとただのでたらめなのだ。
だから、もう平気。
自分たちは、ヘクターのことは平気!
ーーーでもと思った。
でも、それなら戦士のヘクターだけでなく、魔術師だって、自分たちだって同じことだった。
まだルビーやアリエスには自在に操れる技術はないけれど、技術や技を習得した能力の高い魔術師であれば、身体に触れることもなく相手を一瞬で倒すことができる。
だから魔術師は、魔術のない者からは、化け物と恐れ罵られることになるのだ。
戦士も同じように悪口は言われても、化け物とまではあまり言われないと思った。
異常さなら、魔術師のルビーやアリエスたちの方がはるかに上なのだ。
「ーーーなんか、こんな話をしたことがあるような・・・」
ヘクターは独りごちる。
思い出の中だった。
厳密には言葉にして交わしてはいなかったけれど。この手の話に出くわすのは二度目なのだと気がついた。
ヘクターはルビーとアリエスを見つめて、静かに微笑んでいた。
「力は、力だ。ただのエネルギーだ。恐怖を感じるなら、その力を振るう人間の心のあり方にだ、と俺は思っているよ。もしその人間が怖いならその人間の持つ力は恐ろしい物になるが、そうじゃないなら頼りになる素晴らしい力になるんじゃないのか?ーーー」
「・・・でも、でも、上手く使えなくて、そんな気はなくても誰かも傷つけてしまうことがあるかもしれなかったら?・・・」
ルビーは真剣に訴えた。
「だから、今、厳しい訓練を受けているんだろ?失敗しない奴などいないさ。いずれそんなことはなくなる。対処をしている最中ならもう心配は要らない」
「・・・僕はそんな、いい人間じゃないからいい力になれる自信はないよ・・・」
アリエスの憂鬱な思いは、誰もが多かれ少なかれ生きてゆく中で感じるものだろう。
「自信は自分で掴み取るものだよ。いい人間になりたいならなるように生きる。違う、逆に走りたいと、本気に思ったのならーーー」
アリエスは、人間としておかしいとか、責められると思ったけれど違ったのだ。
「それが、自分で正しいと心から信じたならそちらに向かって走ったらいいんだ。どんな結果になるかわからないが、少なくても、本気の行動を俺は頭ごなしには止めないーーー」
ヘクターは莞爾と笑っていた。
物騒な笑顔だった。
挑戦的で、破壊的。こういう思考がある限り、ヘクターは皇帝だって殴ることができるのだ。
頭ごなしには止めないけど、もうさんざん議論しての果てなら、力尽くしかあるまい。
力があるけど少し馬鹿で、本人が自ら幸せを放棄しようとするなら自分が止めるしかないのだ、とーーー。
けれどルビーとアリエスの二人は、そんなヘクターの表情を、晴々とした強い意志の漲る、男らして格好いい笑顔だと思った。

「力は、おまえたちを助けるよ。・・・自分の恵まれた力に怯えている必要などない。持てる力を最大限に使って、まず自分が幸せになることを考えればいいんだよ」
骨付き肉を片手に持ったヘクターは言う。
大きな骨。大きな肉の塊だった。食べやすいところを二人に切り分けても十分あった。
子供の頃のヘクターには考えられない贅沢だった。
帝国の恩恵だろう。
でもそれだけではないと思っている。
個々がそれに見合わなければここには来られなかったし、そして役目を大きく怠ればいつまでもいられないはずだ。
なら、相互の関係だった。
帝国の前で、個を捨てる必要はないとヘクターは思っている。
それが、たとえ皇帝であろうともーーー。
ヘクターの思想はとても危険なものだった。本人もちゃんとわかっている。
だから、少しだけ声を潜めたヘクターが口にしたことは、恵まれた力を帝国のために、それ以外に力を振るうは人間としてもっとも禁忌なことーーーというルビーとアリエスが学んだ教えとはまったく違うものだった。
「どうしてーーーって。決まっているだろ。人を幸せにしようが、自分が不幸では意味はないよ」
自分のために魔力を使っていいなんて言われることなどあるとは思わなかった。
「ただし、幸せになるようにちゃんと考えて使わなくてはな。うっかり使ってみて、大失敗だった、不幸になってしまったは恥ずかしいぞ、目も当てられないーーー」
ヘクターはわかりやすい言葉で、でもとても難しいことを言っていると感じた。
噛みしめるように聞いて、心の中でも反芻して、そして。
うん、わかったーーーと二人は頷いていた。
ヘクターの言っていることは正しいことだと思った。
正しいけど悲しいこと、ではなく正しくて聞いていて、素敵だと感じることだった。
ヘクターに言われたような強い生き方が、本当に自分たちにできるかどうかわからなかった。
でもヘクターが言うように、自分に備わった力を使おうと胸を張って思える日をいつか迎えるためにも、やっぱり自分たちにはまだまだ魔術の研磨、修練は必要不可欠で頑張らなくちゃいけないと思った。
ヘクターは、不思議だと思った。
髪の色もでたらめに派手で不思議な趣味だったけれど、それだけでなくて、性格もとてもとても不思議で変わっていると思った。
怖い人かと思ったけどぜんぜん違った。
穏やかで優しい人だった。
ーーー限りなく特定に限定でそれ以外はあっさりと要らない物と切り捨てられる。その特定にたまたま二人が入ったというだけだったが、二人にとってそれで十分だった。
ルビーのアリエス以外にはじめての、アリエスにとってもルビー以外で唯一の、大切な友人ができたのだと感じた。
「ーーーで、ここからはもっとも大事なことだぞ。よく聞け。それでも、もし力が余っていたら、魔力のない俺のためにどうか惜しみなく貸してくれーーー」
最後のこれだけは巫山戯た感じに、にいっと笑いながら言ったヘクターにつられて二人は、再びくすくすと笑っていた。
とても心が軽くなっていた。
軽いだけでなく、ぽかぽかしていた。
二人がヘクターと食べた三人の昼食は、今まで食べたどんな物より美味しくて、思い出す中で一番楽しい時間だった。
この日から、宮廷魔術師のルビーとアリエスは、ヘクターのことが大好きになった。
ヘクターも、素直で可愛いルビーとアリエスのことはとても気に入ったから、この先もアバロンに戻ったとき、ときどきこうした二人との時間を作るようになった。
めざとい奴らがすかさず、フリーファイター・ヘクターが宮廷魔術師を誑かしたとか、毒牙にかけたとかいろいろ言いだして、変な噂が流れたりもしたが平気だった。
もともと噂話など、どこ吹く風のヘクターだから、だけでなく、ルビーもアリエスも平気だった。
なぜって、嘘ばっかりの噂話なんて当てにならない物だと二人はもうしっかり知っているし、何か言われたってもう嫌いになれないぐらいヘクターが大好きだったのだからーーー。




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