半妖エンディング
「もう一杯お代わりはいかがですか?」
空になったカップに気づき白薔薇は茶器に手を伸ばす。
「いや、有り難いが遠慮しとく。みんなで一緒に飲みたいからな。これ以上お代わりしていると彼らが着いても飲めなくなりそうだ」
金獅子はて申し訳なさそうに辞退し、白薔薇も自分のカップにも注ぐことはしなかった。
「遅いな・・・」
「予定の時間もとっくに過ぎてしまって・・・。早く到着するかもしれないとずっと待ってる身は切ないですね」
「全くだ」
深いため息を吐いて金獅子は長い足を組み直し、白薔薇は一向に開かない扉を見つめる。
針の城の最上階、一段と広く華美な部屋、ファシナトゥールの王の私室だ。
その場所は今、薔薇の君の敬称を受け継いだ白薔薇の部屋となっていた。
眠りから覚めた白薔薇の回復を確認した後、オルロワージュを倒し、事実上の王と見なされていた少女は、白薔薇に王として“初めてで最後”の命令をした。
それは、『あなたが新しい薔薇の君になって』だ。
『白薔薇だったらね、このオルロワージュの城のいいとこはちゃんと守りながら、でもオルロワージュの悪かったところもしっかり知ってるから、誰よりも巧くやってゆけると思うんだ』
突然の少女の言葉に誰もが驚いた。
アセルスは決断に至った想いを真剣に説明した。巧いとは言えない不器用な言葉を聴いた者達から反対する者は現れなかった。
アセルスが事前にうかがいをたてた指輪の君も面白そうに笑って承知したという。
『白薔薇に、“薔薇の君”を継いで欲しいの、もし嫌じゃなかったらだけど』
真剣な光を湛えるアセルスに白薔薇は、うっすらと涙を浮かべて頷いていた。
かけがえのない少女から、かけがえのないものを与えられた・・・そんな涙だった。
白薔薇の目指した王は、オルロワージュのような力と恐怖の象徴ではなく想いの要となるものだった。
だから。
「ねぇ。ちょっと、白薔薇。ボクにはお代わりを訊かないの?」
二人の女性とともに同じくテーブルを囲んでいたゾズマである。不服そうに口を尖らせて王に訴えるのだ。
あら、すみませんと苦笑を浮かべた王が改めて、ゾズマにお茶のお代わりを勧めると
「もうボクは五杯飲んだから飲めない」
と男は平気で答えるのだ。
昔と『変わらない』喜びがそこにはあった。

王の部屋の目を見張るような繊細な曲線の脚をもつ大きなテーブルに付いて三人がひたすら待っている者とは、アセルスだった。
アセルス。
オルロワージュを倒したことで、数年の間王としてファシナトゥールにいたが白薔薇と交代し、その後リージョンを不在とすることが多くなっていた。
彼女は、ファシナトゥールの妖魔の王・オルロワージュの血を与えられて事故から生還した人間の少女だった。
特殊な存在だった。人で生まれながら妖魔になった。人ではなくなったけれど妖魔にはなりきれていない。
半妖、である。
彼女はそんな新しい自分に悩んだ末、ありのままに素直に受け入れることを選んでいた。過去を引きずることをやめ、『今』の一番彼女らしい、誰にも真似できない人生を怖がらずに謳歌することを決めたのだ。
妖魔としての血を封じ込むことなくファシナトゥールの友人達を大切にして、年の取り方が緩やかになったアセルスには人の世界は以前と同じ付き合い方が出来なくなってしまったけれど、切り離されることは考えられなかった。
アセルスは外のリージョンの雑踏の匂いを自由に楽しみ、ファシナトゥールの薔薇が恋しくなれば帰ってくる、そんな生活を送るようになっていた。
しかし、一年に一度今日という日には必ず帰ってくる約束をしている。
白薔薇が妖魔の君となった記念の日だからだ。
アセルスをはじめ、ファシナトゥールの者すべての再出発の日だったから。
そんな尤もらしい口実を付け、必ずみんなが顔を合わせることを取り決められた日だったのだ。
何十回目の集まり。
一年に一度の待ち遠しい日だ。

「アセルスが遅れている理由はなんとなく理由がつくけどさ。もう一人。あいつも遅いっ!もうそろそろ腹を決めて来ないと、『後で大人しく行っておけばよかったと思うことになるよ』って言い含めてあるんだけど。・・・言葉が足らなかったかな・・・?」
腕を組んでしみじみと自問するゾズマに言葉を聞きつけた金獅子が少々大きめな艶やかな唇を吊り上げる。
「あいつをそんなふうに苛めるなよ。あいつの立場は微妙なんだから、来づらいのはわかるんだよ。・・・あいつはあんたと違って繊細なんだし・・・」
相手の気持ちを想像した金獅子は苦しげな表情をした。
「・・・なあ、あんたはさ、そんなことしたら余計に態度を硬化させるんじゃないかとか考えないのか!?」
大柄の迫力の美女に睨まれてゾズマは肩を竦めた。ゾズマが華奢に見えるような獅子姫だ。長い黄金の髪はまさに鬣のように華やいでいる。
あいつとは、ラスタバンだった。
ファシナトゥールの嘆きの状態を誰よりも深く憂えたラスタバン。
その彼は今、ファシナトゥールには居ない。
闘いに敗れながら、命を絶たれることなく生き延びたことを酷く恥じた彼は身体の回復の後、アセルスの『自分で勝手に死なないこと』という条件を呑んで、ファシナトゥールから姿を消した。
「大丈夫ですわ、金獅子姫。あの方は来てくださいますわ。強い方です、避けることなくあの頃のいろいろな想いをわたくしに話して下さいました。そして、このお茶会には同席してくださることを承知してくださいました」
優しくフォローに入った白薔薇に、二人が目を丸くした。
「承知って!?」
「来ることをお約束してくださいました。・・・一度、あの方とゆっくりお話をしたくてわたくし会いに行きましたの」
「聞いてないよ。キミ一人で行ったの?」
「ええ、一人でですが・・・なにか問題がありましたか?」
不思議そうに微笑む白薔薇は、その名に相応しく美しい。そして、新しい薔薇の君としても恥ずかしくはないとゾズマを呻らせるのだ。

コトっとバルコニーで小さな音がした。
聞こえるかどうかの音が耳に届く前に白薔薇は椅子を蹴っていた。純白の歩きにくい細身の長いドレスをものともせず駆けて外に飛び出していく。
流石に目前の白薔薇を邪魔だと押し倒すわけもいかず、出遅れてしまったゾズマが渋面を作り、その二人の様子に金獅子は苦笑した。
「そんなことでいじけなるな、男だろ」
ぽんぽんと肩を叩いて励ましてやりながら後を追った二人を待っていた光景は。
「まるでねぇ、王子様とお姫様だわね?」
目のやりどころに困る金獅子の横でゾズマが、ちっと不満そうに舌打ちした。
白薔薇を両腕に抱きとめた人影。
白薔薇より頭半分すらりと長身に、短めに切りそろえられた緑の髪が艶やかに光沢を放つ。
腕の中の女性に優しげになにか囁いてもう一度抱きしめた後、その貌が上げられた。
「しっかり時間に遅れちゃった。ごめんね」
アセルスは、満面の笑みを浮かべていた。

「金獅子、嬉しいが、少々腕の力が強すぎるのじゃ。わらわは潰れてしまう」
涙を浮かべて金獅子はバルコニーの縁に見つけた小さな少女を胸に抱きしめていた。
零だった。
「ごめんなさい、零。でもとっても嬉しくて・・・」
少女の姿になった零の背に合わせて床に膝を付き、金獅子は謝ったのもつかの間、小さな身体を再び豊かな胸にさらにぎゅうぎゅうと押し付ける。
「だって、あなたがここに来てくれるようになるなんて思ってもみなかったわ。信じられないわよ、もう離さないんだからっ」
「大げさな・・・」
少女は苦笑を浮かべて、嗚咽に震える黄金の美女の背を優しく撫でてやる。
性格が合って金獅子とは特に仲がよかった。共に境遇を呪い、男を非難しながら切ない想いに苦しんでいた。
しかし、零は金獅子を残し一人でファシナトゥールを飛びだしたのだ。
命を掛けた逃亡劇に他の姫を巻き込むことは出来なかった。
そうするしかなかったけれど、それなりに得た成功が、零の中で後ろめたさになっていた。
「・・・実はな、やはり来るつもりはなかったのだ。しかしあまりにしぶとくせっつかれてな。恥ずかしいことじゃが、根負けした」
零の言葉に、横に立って見守っていたアセルスが、あははと笑う。
「しぶといのはそっちよ。今回こそはって何日も前からずっと側にくっついてたのに、もうけんもほろろでさ、頷いてくるそうな気配は全くないし、約束の時間は来ちゃうし、私だって意地はあるし。もうどうしていいかわからなくなったよ」
「そうか、泣いて落としたんだね、アセルス!」
すかさず入ったゾズマの突っ込みに、二人の再会の様子に満足そうにしていたアセルスの顔がみるみる真っ赤になった。
図星だったようだ。
「う、うるさいよ、ゾズマっ!結果オーライじゃないかっ!相変わらず嫌な奴、そんなところに気づかなくてのいいのにさっ。・・・いいよ、好きに笑っていいよ、もう絶対にあなたの前だけでは私泣かないと決めたから!!」
「そ??んなことを言うとボクはもう張り切って泣かせたくなるよね?。ど??んなふうに泣かされたい????ん。でもまずボクもね、抱擁??」
さりげなく警戒して離れていたけれど一瞬油断したアセルスはゾズマにがばっと抱きつかれて、きゃーきゃー騒ぐ。
アセルスの背は出会った頃に比べてずいぶん伸びていたが、ゾズマにはまだまだ届かなかった。
露出度の高い服を好む男は、相手の体を突きとばそうと手を付けば、生肌になるからうかつに触ることも難しいのだ。それでもなんとか逃れようと暴れるアセルスにゾズマの静かな呟きが聞こえた。
「なんだかね、会うたびにどんどん大きくなっているんだよね、アセルスは。あんなに弱っちょろい女の子だったのに。・・・キミはボクらを置いて変わってゆくんだね・・・」
振りほどこうと躍起になっていたアセルスの腕がゾズマの背に廻された。
「安心してよ、もう身長は止まったみたいだよ。ほんとは密かに背ぐらいはあなたを超えてもいいかなって思っていたんだけどね」
くすぐったそうに笑ってから、アセルスは「ただいま、ゾズマ」と腕に力を込めた。

椅子を勧められてもアセルスは腰を下ろせなかった。
気になっていた。
まだ座れなかった。
メンバーが揃っていないのだ。
「あのさ・・・イル・・・いないみたいだけどどうかした?」
小さな声で聞く。
部屋に姿のないイルドゥンがずっと気になっていた。
「あんたがなっかなか来ないものだからね、あいつったらね・・・」
金獅子が意味深に眉を顰めた。
「えっ、怒っちゃった?うわ、どうしよう・・・早く謝らなきゃっ!?」
息を呑むアセルスに、金獅子は笑い出した。
「金獅子姫のご冗談ですよ、アセルスさま。あの方は今薔薇園の世話をされているでしょう」
「薔薇?」
「わたくしがお願いしました。アセルスさまが遅れてみえることを酷く心配されて・・・なにかをしているほうが気が紛れるでしょうから」
白薔薇はテーブルの上の使用した茶器を片づけて、替わりに上等な特別のものを用意しながら、アセルスに微笑んだ。
「アセルスさま、到着されてそうそうで申し訳ありませんが、呼びに行っていただけますか?」
「ん・・・私はそんなの別にいいけど」
答えてから、アセルスは白薔薇の意図に気付く。
「ありがと、白薔薇。うん。行ってくるね!」
嬉しそうに踵を返して扉に向かう。
思い出したように振り返った。
ゾズマを。
「付いて来ないでね。それでも邪魔しに来たらゾズマに失望しちゃうからね」
指を差されて宣言されて、驚いたゾズマはとっさに言葉を失った。
「じゃあね」
にっこりと笑顔を残してアセルスは扉の向こうに消えた。
立ち上がろうと思っていた矢先だった。
ゾズマは、力を抜き背もたれに身体を預けた。
「イルには決して負けてないつもりなんだけどさ・・・ボクって最近アセルスに負けてる気がする・・・」
失恋の予感を独り語ちる男に女達は楽しげに笑った。

なんて声を掛けようか。
遅れたことを謝るのが先かな。
それとも・・・。
咲き誇る優しげな白い大輪の薔薇園の中で姿はすぐに見つかった。
厳しげな黒い背中。
イルドゥン。
アセルスの剣の師匠であって・・・誰よりも・・・。
言葉に迷って足が止まってしまったアセルスを、イルドゥンが振り返った。
さらりと揺れた闇色の髪がイルドゥンの白い頬を際立たせた。
痛いほどの切なさだった。
「おまえは遅すぎるぞ」
アセルスの想いなどお構いなしな不機嫌な低い声が投げかけられる。
「ごめんなさいっ、反省してます!!」
身を竦めるアセルスにイルドゥンがつかつかと歩み寄った。
「次は遅れないようにす・・・」
イルドゥンの腕がアセルスの頭を引き寄せていた。
「・・・会いたかった」
甘い囁きに、アセルスは震える吐息をついた。
「私だってとっても・・・。ただいま、イルドゥン・・・」
それだけをやっとの思いで言葉にしてアセルスは愛しい男の肩に額を寄せた。




ファシナトゥールを表すものにやはり薔薇はなによりも相応しいのかもしれない。
ファシナトゥールでは薔薇が絶えることはないからだ。
ファシナトゥールである限り、薔薇は色を変え、香りを変えて次々に新しい花を咲かせてゆくだろうから。

これは薔薇のリージョン・ファシナトゥールに咲き乱れる薔薇の華の話だ。
20130710改
inserted by FC2 system