人間エンディング
「おばあちゃん、お客様だよ」
ベッドで眠っていたアセルスに少女はそっと声を掛けた。
あのね、イルというとってもきれいな男の人だよ、ほんのり頬を染めて報告する孫娘にアセルスは優しく微笑んだ。

「今日は玄関から来たのね、はじめてじゃない?娘も孫達もあなたにびっくりしていたわよ」
ベッドから半身を起こしたアセルスは指を口元に当てくすくすと笑う。
皺が刻まれた細い指だ。
指だけではない、孫に囲まれる年に相応しい時の流れをアセルスは全身に刻み込んでいる。
イルドゥンは、それが美しいと思った。
「起きていていいのか?気を遣うなかではあるまい、横になっていろ」
「今日は気分がいいから・・・」
男の深い色の瞳に、そっと視線が落とされた。
「やっぱりあなたに見られていると思うと恥ずかしい・・・。私はしわくちゃのおばあちゃんだもの」
掛布の上に置かれる手を男は、そっと握る。
「ああ、後悔をしてるわけじゃない。私は幸せ者だと思っている。進みたい道を選んであの人と結婚して子供を育てて、孫に恵まれて・・・」
アセルスはイルドゥンを見つめた。
「それに、あなたではなく人に戻ることを選んだのに、あなたはこうして会いに来てくれる」
「会いに来ることは喜んでくれるようだが、一向に私の求婚はききいれられないな」
青年の優しい笑みにつられて、「またあなたはそんなバカのことを」と微笑んだ。
62歳の春に夫に先立たれて淋しさから抜け出せられないアセルスの元に約40年の時を置いて、イルドゥンは現れた。それから7年。
昔話、妖魔達の近況、たわいのない話をして、一緒にお茶を飲む。
こんな日が来ることをどうして想像できただろう。
はじめは、傷つけて別れた男のかつてと変わらない姿に抵抗感をみせたアセルスだったが、イルドゥンはかつてにはなかった柔らかさで彼女を包み込んだ。
アセルスの喪が明けたあとに、イルドゥンは結婚を申し込んだ。
それはこの男の成長を表す冗談なのか、それとも信じられないが本気で言ってることなのか判断は付かなかった。が、苦笑を浮かべた老婦人にやんわりと振られたあとも男はそれを何度も口にした。

いろんなことがあった。
あっという間だったわ。
アセルスは話し続けた。孫のことから始まって次第に遡り、彼女の一番苦しんだときの話になっていった。それはまた彼女がもっとも深く輝いた時間だったのかもしれない。
最期だからいいわよね。
そう前置きしてアセルスは言った。
「私はあなたと一緒に時間を過ごすことは選べなかった・・・。でもね、それとは違うことなのね。・・・私は、イルドゥン、あなたが好きだった。いいえ、今も私はあなたが好きだわ」
イルドゥンはふわりと笑った。
「私も君が好きだ、ずっと変わらなかった。アセルス、君に出会えなければ、君と別れなければ私は私にはなれなかっただろう。今だから言える、なによりもだれよりも君が愛しい・・・」

「凄い図ね、おばあちゃんと美形兄さんの告白シーンよ」
「だれもが似合いだと言うだろう」
二人は楽しげに笑いあった。

「しゃべり疲れたわ」と、アセルスはイルドゥンの胸にもたれながら眠りについた。
69歳の生涯だった。


風の優しい暖かい日だ。
祖母の葬儀の最中、牧師の言葉をうわの空で聞いていた孫の男の子は、そっと姉に聞いた。
「あの男はもしかして死神だったのかな。だっておばあちゃんはあの男が来て・・・」
おさまっていた涙がまた溢れ出す。少年は得体の知れない訪問者と祖母を二人きりしたことをずっと悔やんでいた。
夕食を食べていってくださいねという母の言葉を伝えようと扉を叩くと、黄昏の光が差しこむベッドに横たわって祖母は永遠の眠りについていた。
男の姿はなかった。
「バカね、違うわよ。おばあちゃんの顔見たでしょ?とってもしあわせそうだった。あなただってそう思ったでしょ?だったら死神じゃないわよ」
涙を浮かべてはいるが穏やかな姉の言葉に弟は少し考えると、頷いた。
頭を撫でてやりながら少女はふと思う。
あの男の人はどうなんだろう。
おばあちゃんを微笑ましたあの人も、悲しみだけではなくておばあちゃんの笑顔で少しでもしあわせであればいいなと思った。
20130710改
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