「記憶の欠落してる部分とかはないのじゃな?」
少女は怖いほど真剣な顔をした。
「・・・うん、たぶん。・・・でもなんで?」
アセルスは少々気押されしつつ答えたあとで、不思議そうに首を傾げた。
「ヤブ医者のところへ行くことに、あの男どもは何も云わなかったのか?」
男どもとは、イルドゥンとゾズマのとこだろう。
「私、黙って来ちゃったから・・・。あの先生ヤブなの?奇蹟をおこすお医者さまだって噂を聞いたことがあるけど・・・」
驚いて尋ねると、渋い顔をされた。
「奇蹟もおこすだろうが・・・」
零は断言した。
「悪辣非道、言語道断な技も奮う」
悪辣非道って、言語道断ってなんだろう、想像できないと一人悩むアセルスの姿を見つめながら、それでもはぐれ妖魔一匹が、ファシナトゥールというリージョンを敵に回すようなことは、幾らあやつでもやらかさないはずと考えた。
零は、そう信じることにする。
そうでなければ、不安でたまらない。
取りかえしのつかないことをしてしまった恐怖感のようなものを零は感じているが、さいわい本人は何もわかっていない。
教えてしまうのは可哀想に思えて、この話は打ち切ることにした。
しかしだった。
教育係達は何をさぼっているのだろうか、危険事項を教えることもしないで、こんな無防備に少女を置くなんて。
珍しい生き物というならばアセルスの横に並ぶものなどそうそうにいないだろう。懐の中に自ら飛び込んだ研究対象に嬉しそうに笑う妖魔医師の顔が、はっきりと零の脳裏に浮かぶのだ。
考えると沸々と腹が立ってきた。
しかも、ヌサカーンのあとに少女が赴いたのは、指輪の君だという。
ヌサカーンが「あの方であればもっと違う答えをくださるかもしれないね」と唆したことは聞いた、が。
小さな可愛らしい少女は、ぎりっと奥歯を軋ませる。
・・・あの男め、わらわが助けも求めようとしたときには無視して扉を開こうとはしなかったというにっ!
8歳ほどの可憐な少女の姿をした妖魔に、アセルスは思わず数歩退いていた。
白い肌に癖のない藤色の髪、愛らしい唇、星を取り込んだように輝く瞳。抱きしめたくなるような容姿に反して少女から立ち上った妖気は子供のものでは決してない。
頬を引きつらせるアセルスの視線に気付いた零は、一瞬で妖気を消して「すまぬ」と小さく苦笑した。
そしてあらためて、アセルスを見つめると
「・・・しかしおぬしは弱いのか強いのか、賢いのか阿呆なのかわからぬな」としみじみと言った。
零の様子を見て、詳しくは教えて貰えなかったけれど、自分が答えを求めて訪問したヌサカーン先生とヴァジュイールさまにもっと気を遣わなくてはいけなかったのだろうと、アセルスは反省していた。
でも間違っても『でもなんだか、ヌサカーン先生とヴァジュイールさまよりも、零が一番怖いよ・・・』とは口にしないところはいくらかは褒められるはずだと思うのだ。

「結局ね、自分でちゃんと考えなくちゃダメってことだよね。逃げていてはいけないってことを教えてもらった気がする・・・」
「オルロワージュのいいなりは嫌じゃと言っておりながら、指輪の君の言葉が欲しいなど思っておったのが可笑しいわ」
肩を竦めたアセルスに、零はころころと笑う。
小さな神社の境内だった。
ファシナトゥール、オルロワージュの元から抜け出した零姫が身を寄せる場所だった。祀られる神と相性が悪かったのか、零が姿を消すことなくここに居ることに妥協したためかオルロワージュはここしばらく乱暴な真似はしてこなかった。零は静かな場所で、それでも警戒を解くことも出来ない日々を過ごしてきた。
零は、アセルスを通して彼女に血を与えた男を思いだしていた。
噎せ返るような薔薇の香り、そして細く冷たい指の感触・・・。
美しいが、冷たい男だった。我が儘で、甘えた子供のような男だった。
他所を拒絶してるくせに、寂しがり屋なのだ。
手に負えない。
・・・しかしもう、いない。
生涯逃れることは出来ないと思っていた薔薇の君を倒した半妖の少女は零の前にはぐれた子犬のような目をして現れた。
社に続く石垣の縁に二人は腰を下ろす。
「で、決まったか?」
「決まらないからここにいるの・・・」
零の横でアセルスはすらりと伸びた長い足の剥き出しの膝小僧を見つめる。
アセルスは簡単な手紙だけを置いて、ファシナトゥールを飛び出していた。
一人きりが寂しくてしょうがない自分に気付いてしまった。だからしばらく一人で動いてみようと思ったのだ。
自分で持てるだけの荷物を持って、はじめて宿を一人で借りて。野宿もした。
焚き火の熾し方のコツがわかってきた。一人の食事が最近になってやっと味わえるようになった。
私だって、一人でも平気だよってちょっとは言えるようになったと思うのだ。
でもそれとは違う話だった。
共に戦ってきたみんなと一緒にいるほうがやっぱり楽しい。イルドゥン、ゾズマ、白薔薇、金獅子、そして零。
迷うことは何もない。このままずっと一緒にいてもいいのじゃないだろうか?
これが今の私の新しい道だった。
・・・じゃあ。
古い道は?
私がちっちゃなころから夢見ていたものは・・・。諦めてしまっても後悔しないだろうか?
・・・こちらを選んだら、彼らと別れることになるだろう。
人の夢を追って、妖魔の彼らと付き合うなんて勝手すぎる。
優しい彼らが許してくれても、自分で許せないとアセルスは思うのだ。
子供のころからの夢を取る?
仲間達・・・イルドゥンを選ぶ?
どちらを捨て去ることができる?
私は・・・。
抱きしめられてびっくりする。
見かねた零がアセルスの頭を引き寄せてぎゅっと胸に抱きしめた。
着物に焚きしめた香に大人を感じたせいかもしれない。
アセルスは何故かお母さんを思いだした。

そんなに決断を急ぐことはない。とりあえずファシナトゥールに戻ったらどうかという零の提案に、アセルスは頷いた。
「あれでもあの男、人気はあるからな。あまり不在にしているとミルファークの誰かが押し切って恋人に納まってしまうかも知れん」
零がびっくりすることを言う。
あの男って誰のことかと、しらを切ろうとしたが、口に出たのは別のことだった。
「押し切られることなんて、そんなこと・・・」
「そうかな。わらわは、あのタイプは強く出られると弱いと思っておる」
その一言で急に帰りたくなったのだ。
ただし、零が誰のことを言ったのか、アセルスはすっかり確かめるのを忘れてしまったがーーー。
「やっぱり零も行こうよ。もうオルロワージュはいなんだから大丈夫だよ。ファシナトゥールでみんなと一緒にいると楽しいよ」
小さな少女は、女性の笑みを浮かべた。別の感情を押し込んでいて、それがなんだかアセルスにはわからなかった。
「オルロワージュがいるファシナトゥールになどいたくなかったが、あの男のいなくなったファシナトゥールにはわらわの居場所はないのだよ」
オルロワージュから逃れるために小さな少女の姿になったという零。アセルスの鳩尾ほどの背の小さな女の子だから・・・抱えて持って帰っちゃうこともできるかなとアセルスはちらっと考えた。悲しすぎることを言う零だけど、無理矢理にでも連れて行っちゃえばなんとかなるのじゃないだろうか。変わったファシナトゥールの空気が零を和ませるかもしれない。
「じゃあまたさ、私ここに遊びに来るね。そうだ、今度はみんなを連れてこよう!!」
出来るからと実行したらあいつと同じだ。
『オルロワージュ』になるわけにはいかない。指輪の君に言われたばかりだった、『すべてが思い通りになるわけではない』ーーー。
アセルスはことさら明るく零に手を振って、ドゥヴァンの小さな神社を後にした。
ファシナトゥール。
帰ると決めたら、一刻も早くみんなに会いたくなった。
突然走り出したアセルスと、すれ違った青年が振り返る。
少女の表情がとても眩しかったからだ。
20130710改
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