ヘクター少年の決意
ヴァランがザムジーニに会いにこなくなっても、アバロンの時間は、ヘクターの毎日は流れてゆく。
心にぽっかりと開いてしまった穴を塞ごうかとするように、嬉しいことも煩わしいこといろいろ変わらず押し寄せてくる。
出会って一年以上のなかで、“シュヴァインのことなのに本人が知らずヘクターが知っていること”について、これまでなかったほどの派手な口論をしたけれど、シュヴァインはヘクターを嫌うことなく会いにくる。ーーーこれが嬉しいこと。
しかし、シュヴァインがやってきて、彼と顔を合わせることはヘクターに焦燥感も与えていた。
漠然とした不安。
漠然と、それ以上をまだ突き止めたくない問題だっただろう。
「ねえ・・・、ヘクター。触ってもいい?」
中庭の縁で腰を並べて夕方店に出す料理の材料の下ごしらえの野菜の皮むきをしているときだった。
上手くはなってきているが、已然として苦手な様子のシュヴァインは早々に気もそぞろになって、なにか別事に気を惹かれて立ち上がっていった。
目を向けているのは、エディレンヌ・ヴァランがヘクターに与えた大剣だった。
大きな剣は、まだヘクターに使いこなせるものではなかったけれど、ザムジーニの家の中では少しでも身体に馴染ませるために肌身離さないように持ち歩き、時間を見つけて一人素振りをするときも、ザムジーニの手合わせにもすべてこの剣で行っていた。
重くて、振り回すどころかヘクターが振り回されなくてはならない重量もたっぷりの名剣であり、そしてヴァランの形見でもある剣を、シュヴァインが黙然と見つめていたあとに、そう言った
「いいよ。重いよ」
「うん」
小さく頷いて、シュヴァインは両手で剣の柄を掴んで自分の身長とかわらないほどの大剣をひょいと持ち上げていた。
器用に芋の皮を剥いていたヘクターの手がこの光景に止まってしまった。
ヘクターが重いと呻る思いの剣を掲げて、庭の中央まで進んだシュヴァインは無造作に振り上げていた。
そうして止めるまもなく、落下の勢いのままに横に走らせた。
「わ、危ないってっ!!」
重力と質量に速度が加わって生み出されるスピードは、ヘクターよりも小柄なシュヴァインを木の葉のように翻弄して、一回転の果てに引きずり倒されるだろうと、ヘクターは悲鳴をあげたのだ。
思わず腰を浮かせたが、予想は大きく外れていた。
慣れた動作で軸足の体重移動をやってのけて、まるで舞でも踊っているように鮮やかな剣の軌跡をヘクターの目に焼き付けて、数歩間続けて、ぴたりと踏みとどまった。
ヘクターは、言葉がなかった。
剣の方に心を囚われているシュヴァインはヘクターの表情を見落としていた。それとも無視していたのかもしれない。
よく使い込まれた風格のある剣を握りなおして、無言で感触を確かめていたが
「ヘクター・・・これを私にちょうだい」
なにかをねだるようなことがなかったシュヴァインが、吐息混じりに、そうっと言う。
「欲しい、この剣。使いたい・・・」
目を上げてまっすぐにヘクターを見つめて、お願い、とーーー。
「どうして、そんなこと言い出すんだよ。俺には似合わないって言いたいのか?」
「そうじゃない」
機嫌の悪くなったヘクターを慌てて宥めようとするシュヴァインが、元通りに剣を置くと芋の桶の前に膝をついていた。
ヘクターの正面だった。
目付きも悪く、目を合わさずにそっぽを向いてしまったヘクターを覗き込んで、微笑んでいた。
「ううん。ヘクターが譲られたんだもののね。貸してくれるだけでいい、ちゃんと返すから。借りるお礼もちゃんと払うようにするから」
「どうして、そういうこと・・・。おまえに貸したら、俺はどうすんだ?俺の剣がないじゃん」
「・・・ヘクターは戦士になるつもりなの?」
銀色の髪が優しく揺れる。小首を傾げられたヘクターは
「そうだよ。ヴァランみたいになる、この剣で、俺も強い男になる」
どうして?と、小さく訊いた。
今度は、シュヴァインの番だった。
「ザムジーニと話をした。ヘクターは客扱いも上手くて、料理の感もいい。味付けをいい線だしているって。・・・子供はいないから、この先、その気があるならヘクターにこのお店を譲ってもいいと思っているって」
「ザムジーニが、そんなことを?」
「うん。本当」
寝耳に水の内容に驚いたヘクターに、シュヴァインは頷いた。
次の瞬間、がりりっとヘクターは奥歯を噛みしめる。
「そんな話、なんでお前がザムジーニとしてるんだよっ」
「ヴァランには子供がいたのかという話から、子供というつながりで、ザムジーニの話になって、そのときに」
あっさりと流そうとしたが、ヘクターは収まらなかっただろう。
「前、俺が商人のなると言ったとき、なりたいのかと訊いてきたよな。でも今は違うんだな。俺に、おまえ、押し付けようとしている」
「誤解です、そういうわけじゃない!」
「じゃあ、なんだよ、おまえの方があの剣上手く扱えるから、とか言うのかよ!」
「違います、あれはヴァランの剣だから、だから欲しいと!」
「嘘つき」
ぼそりとヘクターは言った。
「なぜ嘘!ヴァランの剣だ、私が欲しいと思ってもおかしくないことだ」
「でも、嘘だ。おまえの目、それだけじゃない。純粋に欲しくて仕方がないっていっている目じゃないよ、そんなのわかるさ」
心から、欲しいと思うとき、もっと瞳はきらきらするものだと思っていた。
兄弟の面倒を見てきたヘクターは、毎日のように無邪気にいろいろ欲しがる表情と向かい合っていた。
シュヴァインはもっと違う顔をしていた。
「俺の邪魔をするつもりなのか?」
「ヴァランの剣が欲しいのは嘘じゃない。でもーーー」
両膝を着いていたシュヴァインが音もなく立ち上がっていた。
「ーーーそうだね。だって、私はヘクターに戦士になどなって欲しくないって思ってる。なる必要などないよ」
「俺の将来をおまえが決めんな、俺はヴァランのようにフリーファイターになるんだ!」
意気巻いたヘクターの宣言に、シュヴァインは一瞬表情を苦しげに歪めていた。
しかし、すぐにヘクターが見とれるほど優雅に微笑んでいた。
「・・・なら。違うよ、それは私に決められるよ。ヘクターがなりたくたって、駄目だと言えばヘクターはなれない。バレンヌは雇わない。そのくらいの権限は皇帝にあるよ」
「はぁ?・・・なんだよ、それ」
頭にカチンとくる言い草だった。
「事実だよ」
涼しい返事は反駁を許さないもので、さらに頭に来た。
「だから・・・ヘクターは剣を扱うような物騒な職業なんかにつかなくて、此処で、アバロンでいて欲しいんだ。私のかわらず遊びにこられる場所として、ずっと」
意地悪ではないのだ。シュヴァインの真剣な訴えだった。
握られた拳を優しく包んで、二人にとって、これが一番いいことだと疑っていなかった。
ヘクターは憤っているけれど、冷静になったらわかってくれる。フリーファイター、傭兵とは金のためならば己の命も投げ出すようなやくざな生業だった。
壊し、奪うことはあっても生み出すことのない仕事、危険なだけで。
一攫千金に大金を得ることもあっても、死んでしまったら使うこともできないのだから。
「食堂付きの宿屋は人々にとって重要な職業だよ、食べなくては生きてゆけない人々が商品を運び、彼らを温かく持て成して疲れを癒す重要な役割だから・・・」
一生懸命、言葉を尽くして納得してもらおうとしていた。
「・・・うるさいよ、おまえ」
「ーーー?」
低過ぎる声をうまく聞き取れなかったシュヴァインは太陽に映える金色の伸びた前髪の陰になっているヘクターの目を窺っていた。
「おまえが言ったってさ、まったく説得力ないんだよ・・・。そんなに重要な仕事だと思ってるならおまえが食堂のオヤジになればいいじゃんかよ。一人じゃできないんだったら、俺が手伝ってやるよ。・・・自分じゃあ、やらないくせに」
くいるように見つめて瞬きもしないシュヴァインの肩がゆっくりと盛り上がって戻っていった。
深呼吸しているのだと知れた。
気を落ち着かせるために。
シュヴァインはヘクターの暴言に、息を呑んだがそれでも大人に、踏みとどまろうとしていた。
その態度は反対に言えば、自分をあくまでも子供扱いしているようものだと、ヘクターは感じた。だから余計に煮えるように腹が立つ。
シュヴァインは、自分を対等に考えていないのだ!
そう思っているから、ヘクターを必要としない、距離をおいて。大人になったときでも、己は皇帝になるけれど、ヘクターはこんなところで一人いろと言っている!!
「・・・俺に命令すんな。命令していいのはザムジーニだけだ」
「・・・命令なんて、私は、していないよ?・・・」
「してる。態度が命令してんだよ、従えって。俺は間違っていて、おまえの方が正しいって、偉そうにっ・・・嘘つきで偉そうで、とてもムカーーー」
昔から、短気という点ではヘクターよりもシュヴァインの方に軍配があがるのかもしれない。
このときも、先に殴ったのはシュヴァインだったのだから。
殴られるなどと思っていないヘクターは避けることもなく、まともに喰らってひっくり返って後頭部を壁にぶつけた。
「痛ぇ・・・。クソっ・・・このっ、よくも、殴ったな・・・」
頬のあたりがガンガンして、頭がジンジンした。
シュヴァイン曰く、ちゃんと一般人であるヘクターに力加減はしていた、だったがみるみる黒煮えていっただろう。
そして、かなり痛かったと、穏やかな心地に昔を懐かしみながらも、思い出したヘクターは顔を顰めるのだ。
触るに触れない顔をそうっと指で押さえながらゆっくりと立ち上がったヘクターはーーー。
「なにをやっているっ、やめないか!!」
ザムジーニが騒がしくなった中庭に、勝手口から顔を出して大声で怒鳴っていた。
「ヘクターっ」
ヘクターの首を右腕で首を捉えて、反対の手でシュヴァインの襟首を掴み上げて引き剥がす。
勝負を途中で遮られてしまった子供たちは、腕に噛り付き、足をばたばたともがいたが傭兵上がりの今でも包丁以上の物がぴったりとくる体格のいい男相手に通じはしなかった。
それでもいつまでも諦めない二人に、割れ鐘のような大声が叱り付けた。
「己達がしでかしていることがわかっているのか!」
「わかっているよ、ザムジーニ、でも、こいつがっ」
「ヘクターが悪い!、ヘクターが私をっ」
「たわけっ」
一喝した。
「足元を見ろ!」
取っ組み合いをはじめた二人の足元で、野菜を入れていた桶が転がっていた。
地面にぶちまかれた芋や玉葱は、少年達の靴の下でいつくか潰れて砕けているものもあった。
相手の顔にこしらえた青痣にも動じない二人だったが、ザムジーニの示した無残な野菜たちの様に息を呑むと、動きを止めた。
「おまえたちが喧嘩をしても止めんよ、だがこれは関係ないものだな。おまえたちの言い分に大儀があろうと、これがこうなっている理由になるのか?」
迫力に押されてうな垂れると
「二人できちんと拾い集めて、洗いなおせ」
同時に飛びつくようにしゃがみ込んでいた。
「・・・踏んじゃって潰れているところは・・・?」
敷石の上で下ろしたようになっているところーーー恐る恐る訊いたシュヴァインに、
「勿体ない。今日仕入れた新鮮なモノばかりだ。おまえ達専用の夕飯のシチューだ。今日は特別に、食べていくといい」
「・・・はい」
最初から煮崩れたようなシチューをザムジーニ監視のもと無言で並んで食べて、時間が少々遅くなり本来夕方になる前に戻るはずのシュヴァインをザムジーニが宮殿まで送っていった。
夕闇が危険だということと、もう一つ。衣服のあちこちが破れて、口の端を切って腫らせているわけをジェラルドに伝えるためだった。
黙って返して、少年皇帝は意地になり報告もしないなら、憶測に騒いだ周りに大きな問題になる可能性があると判断がされたからだった。
「強くなりたい。俺、強くなりたい。ヴァランの剣が恥ずかしくないぐらい、シュヴァインが口に出ししないような立派で強い戦士になりたい。フリーファイターになるんだ」
決意を固めた目だった。
それから数日した夜だった。
喧嘩の後が派手に残っているヘクターはベッドから起きあがって、厨房にザムジーニを訪れていた。
青緑の瞳はザムジーニの大きな背中を見据えて、一言一言噛みしめるように言う。
「ーーーヴァランだって、そう望んでいた。だから、俺に剣をくれたんだと思う」
「たとえその通りだとも、それはヴァランの意志だ。剣を譲り受けたからと、思いまで継ぐことはないな。そんな安い思いでは使物にもならない。今時は、フリーファイターの枠に入るだけでも並大抵のことじゃない」
手を休めた元戦士は諦めろと、暗に言う。しかし、ヘクターは。
「ヴァランの意志だからじゃない。俺自身、そうなりたいからだ」
静かに首を横に振っていた。
「ヴァランのように強い、フリーファイターになりたい。フリーファイターになって、一緒にいるんだ」
「可哀想だから、一緒に戦って護ってやりたいのか?」
「違う。ああ、それもあるけど、でも一緒に戦って、俺が一番したいことは、ヴァランのようにさせないことだ。無茶じゃなかったら手伝うけど、無理だと思ったら、俺はあいつをかかえて逃げるんだ」
「逃げる、敵を背にしてか?」
「そうだよ」
ザムジーニは嘲笑うように、挑発だったがヘクターは乗らなかった。
「俺は逃げるよ。倒したって、死んだら意味ないんだ。多くの人が喜んだって、シュヴァインは凄く泣いた、ヴァランだって、あんなところ見ていたら、考えを変えていたかもしれない。・・・でも冷静じゃないとき本人では特に、わからないんだ。・・・だから、シュヴァインは俺が止める」
シュヴァインが死んでしまった世界で、誰かが笑ったって、ヘクターは欠片だって喜べないのだ。
それはヴァランの死がヘクターに教えたことだった。
強い男、戦士の誇りと見事な生き様、雄々しい魂。
その他に、一見矛盾した思いだった。戦士というアウトローに向けられる人々の冷たい態度、人間に対してかそれとも戦士にか、心に沸き起こった嫌悪感だった。
そして。
大事だと思える相手のためなら己の犠牲だって厭わない、深い愛。
ヴァランの死が、ヘクター少年に与えた衝撃は、ある意味シュヴァインを超えて、とても大きなものだったのだ。
もともとそちらの方向に目を向けてはいた。
が、ヴァランは後戻りの出来ない深みにまで突き落としていったのだ。
「毎日毎日、桶の芋を剥いて、ずいぶん上手くなった。でも俺、昔のザムジーニみたいに戦う男になりたいんだ」
大鍋の底を真っ黒に染めた煤の汚れを額に汗を浮かべて磨いていたザムジーニは振り返ると、ヴァランが連れてきた少年を厳しい目で見下ろした。
ヘクターは怯まない。
「今の状態だと、シュヴァインに置いていかれしまう。もっと必死にならないと、あいつは先にいっちゃう。今の俺はもっともっと必死にならないと。・・・あいつは七英雄を倒すために強くなってゆく。でも俺は、そういうあいつを連れて逃げるためにあいつよりかもっと強くならなくちゃいけないんだ」
だから。
ヘクターは心から頭を下げた。
「ザムジーニ、俺に、力を貸してくださいーーー」
20130716改