シュカブラ・マネット=ミュステリウム — 神秘の波間を漂い游ぐ者たち —   作:磯崎雄太郎

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ACT1−1 人攫いたち

 たとえば自分が、ギリギリアラサー、あるいはアラフォー突入世代だとする。

 そんな男が攫われることは、まずないだろうと、大半は考えるだろう。

 よほど子種に困った亜人ならわからないが、まあ常識的に考えて三十四になるおっさんが攫われるなんて、想像がつかない。

 

 人身売買の基本は女子供、あるいは若い男と思っているだけに、自分がまさかそんな目に遭うとは夢にも思っていない。

 こんな冴えないおっさんが、何を今更期待され、どこに売られるのか。

 

 だが、世の中には人がどうしても集まらない過酷な労働環境というものはあり、そこでは、子供だろうが老人だろうが、男女関係なく鞭打たれ、働かされる。

 

 その日、ユラ・ヨイボシはまさに、その魔の手に囚われんとしていた。

 

×

 

 キタカタ雪原。白雪天山のずっと麓にある雪原で、主に冬場を指してそう呼ばれる土地だ。

 雪解けの時期になれば青々とした緑が生い茂るのだが、さすがに十二月半ばでは、そんな光景は期待できそうもない。

 村の連中は冬を越すため、春から秋にかけ食料をかき集め、干したりして保存食を用意する。

 

 そんな雪原には、独特な漁法が存在した。

 雪釣り、という漁である。

 木のうろに住み着いているシビレデバネズミを糸に括ってそれを雪に放ち、雪中のユキウナギやユキヘビなどを取る釣りだ。時にはユキギツネがかかることもある。

 この北方地域のキタカタ村では子供でもできることであり、過酷な冬を生き延びる知恵だった。

 

 シビレデバネズミのシビレ毒は、人間にあたっても数十分痺れるくらいで、死には至らない。だが、雪に住む獲物を捕らえるには充分だ。

 シビレている隙にトドメを刺せば、それでいいのだから。

 シビレデバネズミ自体も、かなり簡単に捕まる。煙で(いぶ)り出し、網で捕えればいいのである。

 

 さても、雪原で一人雪釣りをする男が一人。

 ユラ・ヨイボシだ。

 今年で三十四になる、少し陰りのある表情の男である。黒い髪に黒い目、極東系の生まれなのは間違いないそれらの特徴。背丈は五尺七寸(約一七三センチ)。山子(やまご)であると同時に、村の練兵隊に属して鍛えており、体は非常に筋肉質。体重は身長に比して重たく、八十六キロ。そのほとんどが頑強な骨と筋肉であった。

 

 護身程度とはいえ、剣術諸々、戦闘の技能は積んでいる。なので、一人で雪釣りをするにしても、よほどの相手でもなければ問題にはならない。

 雪解けの時期には猪や鹿を矢で射抜き、冬はこうして雪釣り。獲物をある程度採った後は、木こりの山仕事の日々だ。

 

 平凡な山村の、ごく普通の男。強いていえば、嫁を取らない変わり者。

 つい考えすぎてしまうのかなんなのか、相手の気持ちを深読みしすぎて結局空気の読めないやつになっている、そんな男だった。

 繊細といえばそれまでだが、その割には図太くもあり、周りの目というものを気にしているのかいないのか、よくわからない。

 

 故に女の方も気を遣いすぎ、互いに疲れ、破局というのがお決まりである。

 気難しい男なのだ。暇さえあれば何かしらの書を繰り、写本を作る遊びなんぞをしている。

 日記——というか私小説を書いていたりもしていて、平凡で素朴な村民には、「そんなことがなんになるんだべ」としか思えず、彼はとにかく周囲から浮いていて、変人に思われていた。

 

「これだけ取れれば、しばらく食うには困らんか」

 

 ユラは獣の毛皮を内張(うちばり)し、本衿(ほんえり)に毛皮を貼り付けた着物に袴という格好で、羽織は綿入れしてある温かなもの。足元は足袋に雪駄、底には革を貼り付けスパイクのように鉄製のペレットが打ち込まれ、雪上でも歩きやすい作りになっている。

 背負った背負い子には、狩った獲物が放り込まれていた。干して燻製にし、保存食にするのだ。

 

 ここ「シャンバラ」——形式上はサークル制シャンバラ連合国、という変わった国家組織である——は東西交通の要衝であるため、古くから東西文化——和洋が混交し、混ざり合うのが普通であった。

 故に、西の大王国や極東の国の者が共に暮らすのはなんらおかしなことではない。

 街並みは王国風でも住民や衣類は極東系とか、その逆も、むろん本当にごっちゃりと混ざることもある。

 

「おっと」

 

 糸を引く感触があって、ユラは竹竿を引く。ユキウツボがシビレデバネズミに喰らいつき、そのシビレ毒で麻痺していた。

 抵抗のできないユキウツボの頭をユラは山刀で落とし、背負い子のカゴに放り込む。

 かれこれ三時間は狩りをしている。十分と言える成果は出した、その自覚はあった。

 

「さて、帰るとするか」

 

 ユラは山刀の血を雪で拭い、鞘に収める。それから竹竿を肩に引っ掛け、歩き出した。

 村まではおよそ一キロ。歩いても二十分とかからない。

 と、そのとき。

 

 明らかに敵意と思しき、奇妙な気配を感じた。

 ——魄獣(はくじゅう)? いや、それにしては妙にどろりと、悪意が粘ついたような人為的な感覚を伴っている。

 それは明確な害意を持ち、ユラを、どこかから付け狙っていた。

 

 咄嗟に山刀を抜く。藪を払ったり樹皮を剥いだり、獲物を捌くための刃物だが、今武器になるものはこれくらいなものだったし、なにより手に馴染んだ刃物でもあった。

 来るなら来い、と思った刹那、足元に矢が突き立てられた。ユラはすかさず足を引いて構えを取る。しかし背後から太い、革の籠手に覆われた腕が伸びてきてユラを羽交締めにし、ほとんど本能的に肘打ちを相手の脇腹に打ち込む。

 だが胴の革鎧に勢いを殺されてしまい、反撃にもならない。

 

「放せ、なんだお前らは!」

「みりゃ分かんだろ、人攫いだよ。ちょうどお前みたいに体力のあるやつが必要な現場があるんだ」

「くそ、ふざけるな!」

 

 その時、首筋に針を突き立てられた。なんらかの毒が塗り込まれていたのか、体から力が抜け、眠気が襲いかかってくる。

 

「ネムリムシの眠り毒だ。人間なら、特に亜人でもないなら一発でぐっすりだ」

 

 ユラはそのセリフを最後に、意識を失った。

 人攫いの山賊たちは合計三人。弓を持つもの、ゴテゴテしたカラクリ杖を携えるもの、ユラを締め上げ毒を刺し込んだもの。

 彼らはユラを担ぐと、そそくさとその場を離れるのだった。

 

 こうしてユラは、まさか想像もしていない、己が虜囚になり奴隷として売られるという経験をすることになるのだった——。




 マイペースに更新していきます。
 設定が先に来ていて、次いでキャラ、そこからやっとこストーリーをざっくり考えて書いているので、定期的な更新は現状お約束できません。ご了承ください。

 随時加筆修正、自作の挿絵の追加などしていきます。
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