その薬指、予約します
「お前、あの人に何かした?」
昼休憩中の食堂内。一人でずるずる麺をすすっていると、隣に座ってきた同僚からこそっと耳打ちされて固まった。無遠慮に「何かした?」などと聞けるのは、十年以上革命軍でともに切磋琢磨してきた間柄であるが、そうでなければ無視する質問である。
口の中の麺を胃の中へ押し込み、コップの水をぐぐっと呷ってひと息。
「何かって?」
「そりゃあお前……告白したとかされたとかそういう意味だよ」
「してない」
「本当に?」
「……なんでそう思うの?」
「いや、あれは明らかにヘンだろ」
と、視線を二つ奥のテーブルに向けたので私も同じ方向に視線を移す。
そこにはコーヒーを片手にむすっとした表情で新聞記事を睨むように読んでいる参謀総長ことサボさんがいた。
温厚で爽やかな印象のはずが、ガンを飛ばしそうな顔だなあ、なんて思いながら同僚の「話しかけても妙に苛々してるし、仕事もやけに早いし、機嫌悪すぎる」という話を軽く聞き流す。実際それは否めないが、だからといって私に助けを求めないでほしい。私だってほとほと困っている。
「放っておいていいんじゃないかな。そのうちきっと――」
「怪しい、なんか隠してんだろ」
「……まあ正確には『すべて片づけてからにしましょう』って言った」
「バッカお前ッ!――はあ……なんてことしてんだ」
耳元で大声を出されて思わず耳を塞いだ。周囲にいた仲間たちも「なんだなんだ」と視線をこっちに向けてきて居たたまれない。幸いサボさんには届かなかったよう(というか周りの音が聞こえてなさそう)なので安堵する。
「仕方ないでしょ。サボさんの立場はそんなことしてる余裕ないし、負担になりたくないもん」
「もん、じゃねェよ。お前アホだな」
「はあ? あんたに言われたくない」
「うるせェ。すべて片づいたらっていつの話だよ。さっさと収まりやがれ」
私の額を小突いた同僚はこんなふうに言っているが、私が一方的にサボさんに想いを寄せていた当初は「メンクイ」だの「早く玉砕しろ」だの散々酷いことを言ってきたくせに、脈があるとわかった途端手のひら返しも甚だしい。
私だって告白しようと思ったことはあるが、それはもう昔のことだ。参謀総長になった今、とてつもなく忙しくしている彼の負担に自らなりにいくような真似は御免である。大きな戦いもこれから控えているし、私だって戦場に立つのに、その場の熱に浮かされて恋人という枠に収まるのは互いに重荷だろう。
だから、断ったのに――どうしてあんな機嫌悪いんだろうか。ちらっと盗み見たサボさんは、やっぱり表情が怖かった。
「そう言われてもなぁ。あの頃とは立場が違うっていうか、こっちにも考えがあるわけよ」
「お前の考えなんか知らねェよ。大体、あんな状態の総長に話しかけるの怖ェだろうが。早くどうにかしろ」
「……」なるほど、それが本音か。
同僚は言いたいことだけ言うと、早々に席を立って別の仲間の元へ行ってしまった。薄情な男だ、背中を押してくれているのかそうでないのかよくわからない。
ふと視線を感じてそっちに目を向けると、ばっちりサボさんと目が合った。見つめ合うこと数秒、しかし彼のほうからあからさまにぷいっと逸らされて、思わずむっとする。もう、何なのよ。
*
「……機嫌が悪いのは私のせい、ですか?」
こちらの言葉にサボさんの書類を持つ手がぴくっと動いたあと、おもむろに顔が上がって目が合う。同僚の言っていた通り、仕事の鬼と化していた彼の目は血走っているように見えた。
執務室には私と彼の二人きり。コアラさんから「まだ仕事してるよ」と呆れた返しをもらって、夜の十一時を過ぎた今こうして訪ねてきたわけだが、こんな質問をするのは自意識過剰かもしれないと思いつつ、回りくどいのも嫌いなので直球で尋ねた。でも、そうしたら案の定彼の表情が曇って睨まれる。
「わかってるなら、どうしてあんな答え方をしたんだ」
とても低い、暗い声だった。サボさんの怒っているところはこれまでに何度か見たことあるものの、こうして目の前で問いつめられることは初めてで委縮してしまう。
「だってそれは……事実じゃないですか。あなたはこれから危険な場所に行くし、私だって戦場に赴くんですよ。何も今じゃなくたって――」
「おれは困る」
「へ?」
「そもそもあの男と随分仲がいいみてェだが同期だったか。無防備に額を小突かれてたよな」
手にしていた書類を机の上に置いたサボさんが指を組んでじっと私を見据えてくる。きっと同僚のことを言っているのだろうが、昼間のあのやり取りを聞かれていたのかと思うと背筋が凍った。私、なんて言ってたっけ。
「あれは別に、ただの軽口というか……いつものことです。サボさんが気にするようなことは何も、」
「だから、お前が良くてもおれが嫌だって言ってんだ。いい加減わかるだろ」
そんな横暴な、とは言えず口ごもって結局何も言い返せない。わかるけど、わかりたくない。そんな都合よく捉えたら、せっかく押しとどめていた気持ちがぶり返してしまう。自分と彼の立場を常に言い聞かせて、恋愛に現を抜かしている暇はないと戒めているのに。
「どうしても嫌だって言うんなら予約するまでだ」
「よ、予約ですか。えっと、どういうことでしょう」要領を得ない言い方に首を傾げていると、ゆっくり立ち上がったサボさんが私のほうに向かって歩いてきた。構える余裕もなく左手をすくい取られて、「あっ」と思ったのもつかの間"ちゅっ"という可愛らしい音が鳴る。
「~~ッ」薬指にキスされた! 何してくれるんだこの男。
あまりの衝撃で言葉が出ない私をよそに、サボさんの表情はいたって真顔のまま変わらない。それどころか、
「もう遅いから寝ろ」
こちらの戸惑いやドキドキといった忙しない感情などを無視して、私の背中を扉に向かって軽く押しやった。ちらりと振り返ると、もう話すことはないというように再び椅子に座って書類に目を通しはじめたので仕方なく執務室を後にする。
ぼうっとしたままふらふらと廊下を歩いていく。すれ違った見張りの兵士に「どうしたのか」と尋ねられたが、頬に集まる熱のせいでなんと答えたのか定かではない。