『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』まえがき
いまの10代には、かつて駅前の一等地に書店が必ず存在していたことも、駅の売店に雑誌だけでなく、文庫や、文庫よりも一回り大きい新書サイズの小説(ノベルス) やコミックスが並べられていたことも、多くの中高生がマンガ雑誌やファッション誌を書店やコンビニで買って読んでいたことも、想像が付かないだろう。
かつて書店は市街地や商店街、学校近くやオフィス街のあちこちにある「ふらっと寄る」「雑誌の発売日に必ず行く」場所だった。1985年に大阪の書店組合が採ったアンケートでは、20代の4人に1人以上が「毎日」行くと答えていた (「本屋に来ている人に聞いている」点は割り引く必要はあるものの)。いまでは「本好きが、わざわざ行く」場所になっている。
戦後の新刊書店のうつりかわりをまとめた新書は、どうも存在しないようだ。書店の危機が叫ばれ、数が減りつづけているのに、どんな道をたどってきたのか、手軽に知る手段がない。
いわゆる「本好き」「本屋好き」的な視点からの語りや取材をした書籍、個性的な書店を取り上げた雑誌の特集やムックはたくさんある。けれども本書で掘り下げたいのは「普通の書店」の商売はどのように成立し、変わり、また、どんな背景から競争に敗れ消えてきたのか、
新品の書籍・雑誌を扱う新刊書店と、中古本を取り扱う古本屋では事情が異なるから、前者にしぼる。日本語では本来「新刊」の対義語は「既刊」、「古本」の対義語は「新本」だが、出版業界では一般的に、発売まもない新刊であれ、ずっと前に出た既刊であれ、中古品の古本ではなく新品の本を扱う書店のことを「新刊書店」と呼ぶ。本書でもこの言い方を用いる。
本書では「町の本屋」と書くときには中小規模の、多くは大規模チェーン展開をしていない、地元資本の書店を指す。
また、おもしろエピソードや特徴的な個別の書店に注目し始めるとキリがないので「書店経営」視点からに限定し、書店ビジネスの構造や時代ごとの変化を大づかみに描いていきたい。なお、理解しやすくするために、時系列順 (編年体) での記述ではなく、テーマ別に「町の本屋」とそれ以外のさまざまな勢力との攻防を軸に各章を分けた。
出版業界をめぐるクリシェ(決まり文句) には、誤りや疑問符が付くものが多い。
日本の紙の出版市場のピークは1990年代半ばで、その後は減少傾向がつづく。本が売れない理由として、1990年代から2000年代にはマンガ喫茶、ブックオフをはじめとする新古書店、公共図書館の増加などが語られ、おおよそ2000年代以降はインターネットの影響、2010年代以降はスマートフォンの登場が「犯人捜し」の標的になってきた (いまやマンガ喫茶は激減、ブックオフは本よりもトレーディングカードゲームなどを主たる収益源にしているが)。
しかし出版市場が最盛期に向かおうとしていた1980年代後半から、すでに町の本屋は年間千店単位でつぶれはじめている。1990年代後半以降に「紙の本の売上が減ってきた」のはまちがいないが、町の本屋の退場は、それだけでは説明がつかない。
「本が売れなくなったから専業書店ではむずかしくなり、文具や雑貨などとの兼業の重要度合いが増している」とも言われるが、1950年代の東京都の書店組合の調査では兼業書店が半数弱。書店団体である日書連(日本書店商業組合連合会) の調査では、1980年代前半を除けば1960年代から2010年代後半までほぼずっと兼業書店の割合が多い。
それもそのはずで「むかしは何もしなくても本が売れ、本屋が儲かった」と言われるが、実際には平均的な中小書店は1960年代後半の調査ですでに赤字だった。本屋は小売業ワーストクラスの利益率のうえ本の値段が安く、まともな商売として成り立っていなかった(「小売業」とは商品を仕入れて消費者に売る事業者のこと。どれだけ規模が大きくても「小売」と呼ぶ)。
近年、地域に書店がひとつもない「無書店自治体」の存在がよく報じられている。出版文化産業振興財団 (JPIC) 発表では2024年11月時点では全自治体の28.2%。
だが同じJPICの1996年調査では、全国の町村のうち
・書店、図書館が両方ある町村25%
・書店はあるが図書館はない町村39%
・図書館はあるが書店はない町村5%
・書店も図書館もない町村31%
これが出版業界最盛期の読書環境の実態だ。
ひとつめの調査の対象は「市区町村」、ふたつめの調査は「町村」だから単純に比べられないが、地方・田舎の書店環境はむかしからひどかった。最近マスメディアやソーシャルメディア、政界でさわがれているのは、都市部の大型書店も減少したことで、長年、地方の書店事情など気に留めなかった人たちもやっと「リアルで本を買える場所が減ってきている」と危機感を抱きはじめたからにすぎない。
ネットやスマホの台頭はどの国でも変わらないが、書籍市場の規模、書店業が比較的安定している国もある。2024年1月には、アメリカの出版情報メディア「パブリッシャーズ・ウィークリー」では、北米最大の書店チェーンであるバーンズ&ノーブルのCEOが「『大幅な』成長期に入りつつある」と語り、同時期にオーストラリア発のメディア「The Conversation」では「雑誌はデジタル時代に死ぬはずだった。なぜそうならなかったのか?」と、紙の雑誌の需要の底堅さが報じられた。
欧州先進国の書籍市場の統計を見てもおおむね安定している。
ネットやスマホの登場以前から日本では町の本屋はつぶれ始めており、登場以後も米濠仏伊独西などの国では紙の本の市場はくずれていない。なんでも「ネットやスマホのせい」で済ますのはバカのひとつおぼえだ。
できている国があるのだから、日本も安定した書籍市場に変えていけるかもしれない。だが、そのためには「なぜそうならなかったのか」、言いかえればそもそも日本の書店産業が歴史的にどのような経営環境にあったのかを知る必要がある。具体的には雑誌や書籍の流通構造、本の売上に対する書店の取り分の割合といったビジネスモデル、商慣習、法規制などだ。
書店を取り巻く競争環境を簡単に整理すればこうだ。
まず、出版社―取次―書店の「垂直的な取引関係」がある。書店は「取次」(本の仲介卸売業)、「出版社」との関係で、取引の条件、つまり日々の商いの基盤となる部分が規定されてきた。どんな本をいつ何冊仕入れられるか、また書店の決済(入金や出金) の方法や時期はどのようなものなのか、マージン(粗利率、本が売れたときに得られる取り分の割合) はいくらで、本の売値はいくらなのか、といったことは取次と出版社との関係で決まってきた。
しかし「垂直的な取引関係」によって決まる、書店業のマージンやキャッシュフロー(資金繰り) は町の本屋にとってはきびしい条件だ。そのため、経営を成り立たせ、相乗効果を上げるためには、書籍や雑誌以外の「兼業商品」をあつかうか、あるいは客の来店を待つだけではなく書店側から客先へと営業・配達に出かける「外商」(外売) の必要が生じてきた。だから「兼業商品・外商」の動向も、書店の盛衰を左右してきた。
雑誌と書籍だけを扱い、店舗での販売のみを行う「専業書店」が「正統」な本屋というわけではない。
次に、本を売る店どうしの「小売間競争」もある。書店と客をうばいあう小売として、雑誌を扱うスタンド(たばこ屋や雑貨店などの軒先に雑誌や新聞を置くマガジンラックを設置した業態)、
駅や病院などの売店、全集や事典を企業や家庭などに営業に出向いてセット売りする外商(外売) 専門会社といった今は存在感を失った相手もいれば、コンビニ、チェーン書店、ネット書店、図書館流通センター (TRC) といった今も争っている相手もいる。町の本屋は自店と近い場所にある競合に勝つか、あるいは勝てないまでもライバルを妨害する必要もあった。
「垂直的な取引関係」「小売間競争」いずれにおいても弱者である町の本屋が負けて消えるのは当たり前だろう、と思うかもしれないが、ではなぜ1980年代なかばまでは生きのこれた(大幅な減少傾向が確認されたなかった)のか? かつては町の本屋や書店団体が出版社や取次、あるいは小売業のライバルに対し取り得た交渉や妨害の手段があったからだ。
ところが書店経営の競争のルールを大枠として規定する「法規制」が変わった。「法規制」は法律の条文と、実際に法律を運用する機関である公正取引委員会 (公取)、そしてそれらの大元になる方向性を決める国の競争政策によって決まる。具体的に言えば、独占禁止法、大型店舗の規制をあつかう百貨店法・大店法・まちづくり三法などがある。
ここで少し本書のタイトルについて説明したい。
このタイトルは、書店団体・小売全連 (現・日書連) が出版社に取引条件改善を求めた「最高正味7・5掛獲得運動」のさなか、仙台金港堂店主・藤原佐一郎が組合加盟書店への調査をもとに悲惨な経営実態について解き明かした論考「書店の労働生産性向上のために このままでは書店はツブれる」(1971年) を踏まえたものだ。何十年も前から町の本屋は「こんな契約、条件では店がつぶれる!」と出版社や取次に対して、時にリアルな懐事情を開示しながら切々と訴え、戦ってきた。だが根本的な解決からはほど遠く、実際に次々につぶれてきてしまった(金港堂も支店3店と外商部門は続いているが、本店が2024年に閉店した)。本書はそのことを検証した、不本意な「答え合わせ」とも言える。
「つぶれる」という言葉は強い。
当の書店から反発が起こり、売りづらくなるのではとの懸念から「消える」「なくなる」のような比較的穏当な言い方に変えられないかと何度も平凡社の編集、営業の方々から提案された。
しかし私は本屋がまるで自然現象のように「消えた」とか、いつのまにか「なくなった」かのような言い方はしたくない。
一店一店が、その店主、従業員ひとりひとりが忸怩(じくじ)たる思いを抱えながらも耐えきれなくなり「つぶれて」きたのである。
「つぶれる」という言葉から、閉店、廃業を選ばざるをえなかった重みを想像してもらいたいと考え、あえて付けた。
(私の父方の祖父は食品を扱う個人商店、母方の祖父は畳屋を営んでいたが、どちらも今はない。人生をかけて取り組んできた個人事業、中小・零細企業が閉業したときのいわく言いがたい感覚、寂しさは、多少理解しているつもりだ)
中小書店は客単価(顧客ひとりあたりの売上) の安さ、利益率の低さ、返品率の高さがもたらす返送運賃の負担、ベストセラーの入荷しづらさ、注文品の入荷の遅さ、取次が決めた本を書店に送りつける配本システムによって似たような品揃えの書店 (いわゆる「金太郎飴書店」)になりやすい……といった問題に直面してきた。そしてこれらの多くは東販 (現トーハン)・日販など主要取次が生まれた1949年頃からずっと課題だと言われ続けている。
「垂直的な取引関係」によって構成される書店業界の課題の根幹は、長年ほとんど変わっていない。
しかし「兼業商品・外商」「小売間競争」「法規制」といった周辺の動きは、時代によってどんどんうつりかわっている。
書店業にはこの二面性がある。
いまや書店業をめぐる諸問題の根源を先送りしてきたツケを払わねばならない。と同時に、昨今語られる書店像は歴史的に見ればほんの一面にすぎず、失われ、忘れられてきた本屋の姿、クリシェによって見えなくされてきた側面がある。
本書では「根幹」と「うつろい」の両面を描いていきたい。
まずは書店経営の基本構造を決定づけた、日本の出版流通の特徴がいかにして成立していったのかについてから話を始めよう。
※ここに掲載したバージョンでは、書籍版では紙幅の関係で省いた図版も加え、ウェブで読みやすいように改行を増やすなど、若干の違いがあります
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