―――ベッドの上。
しかしそれは、一般的な男女による夜の行為では、けしてない。
俺は若菜のベッドの上に、仰向けに寝かされている。抵抗も何も出来なかった。体が動かないのだ。
こたつの中に俺を閉じ込め、好き放題に、散々にいたぶった若菜。もはや体の自由が失われるほどのおなら責め。それほどまでに臭く、大量のおならを想像出来るだろうか? 想像など、出来ないはずだ。実際に味わわなければ、けして分からない。
その若菜が、こたつを使っての“遊び”に飽きた。ただそれだけの話。男女の愛の確認行為などではない。俺の悲鳴がこたつの中から聞こえる、そんなシチュエーションに飽き、自分の尻肉を通して直接悲鳴を味わいたくなったから、最もスタンダードな“遊び方”に移行するだけだ。
手錠足枷で身体を束縛されなくても、俺は意志通りに身動きをすることすらできない。9日にわたって発酵した蛋白質系の腐卵臭ガスは、こたつの中で、俺の精神も身体も、限界までズタズタに破壊した。……それでもなお、“遊び”はようやく中間地点を過ぎたところであった。
仰向けになった俺の顔の上には、若菜のムチムチのヒップが鎮座している。股を押しつける顔面騎乗ではない。完全に尻肉を載せ、割れ目に鼻を差し込ませる。そして鼻先に肛門がくるよう調整する。若菜得意の体位である。
「ねぇ圭くん、いま何発目か覚えてる?」
「…ふご……ぐ…むぐ……ぅ………」
喋る自由すらない。
声はすべて、痩せ形の若菜が持つにはどう考えても豊満すぎるヒップが吸収してしまう。
「85発目だよ〜!エヘ、ちゃんと数えてるから心配しないでね?」
頭の中で引き算をする。
あと、36発もこの地獄のガスを浴びなければならない。
しかも若菜の責めは、一発一発ごと、若菜のテンションが上がるごとに、確実に威力を増している。今の俺にとって、36という数字は永遠の先、遙か彼方のように思える。
「がんばってよ〜、ちゃんと約束通り、これが終わったらおしまいにしてあげるからっ!」
そう言って若菜は、体を上下にゆさゆさと揺らす。シルエットだけ見れば騎乗位で体を揺らしているように見えるかもしれないが、実際は、尻に全体重を載せ、俺の顔を圧迫しているに過ぎない。次なる一発を、さらに強烈なものにするために、ガスを下におろしているのかもしれない。
「あっ、エヘ、すごいの出そうかも♪」
さっきまででも、十分すぎるぐらい「凄い」爆音っ屁の猛襲だったのに、今の若菜には、それすら「普通」だったというのか。
「いくよ〜、んっ!」
ふむっっしゅぅぅぅうううぅうーーーぅぅうぅーー…………
「ほげぇッ!!? ぐぶッ、むぅぅううッッ!!!!」
それは、長い長い、長すぎるすかしっ屁だった。
長いだけではない。濃度も、それまで以上。――それまでであっても、極限まで濃いと思われていたのに、それを遙かに凌ぐ濃さ。若菜には、頂点というものがないのか。これで最上だと思っても、まだまだ上がある。井戸から出た蛙が驚いた大海は、ただの池に過ぎなかった、ということが、何度も、何度でも繰り返される。
……ーーーぅぅううーーぅうぅううーーーううっっっ!!!!!
こんなに長い、途切れないおならなどあるのか。
いや、あるのだ。俺は現にそれを目にしているのだ。信じたくはないが、確かに。
永久に続くのではないかと思われた長すぎるすかしっ屁が止まったとき、俺の頭は、少しもモノを考えることが出来なかった。普通の人間がする3日分に及ぶのではないかと思う量のガスを、一気に鼻穴に注入されたのだ。
今のは、60秒は肛門が開きっぱなしでガスを排出し続けただろう。とても信じられない。
過去最高の長さの放屁に、当の本人の若菜もキャッキャと子供のようにはしゃぐ。
「すっご〜い!何いまのっ!びっくりするくらい長かったね!しかも超臭そうな音だったし!」
「むぅぅうううッ!!!むぐぅぅぅぅうううッッ!!!!」
「ごめんね〜、今のは相当キツかったよね。でも、すっごく長かったけど途切れてないから、今ので1発だからね、エヘヘ」
今ので1発。
60秒間極悪臭を嗅がされ続けて、36というカウンターは1しか減っていない。……絶望した。もう絶望する他ない。
このレベルのものをあと35発も嗅がされたら、本当におかしくなってしまう。
ぶびゅうぅうぅーーーーぅぅぅううぅッッ!!!!!!
「ぐぶうううぅうううッぅぅぅううッッ!!!!」
「エヘ、軽めの一発っと♪」
軽め?
嘘だ。そんなの嘘だ。今のは、ついさっきまで「普通」に繰り返していた爆音っ屁と変わらないではないか。臭いも、音も、量も。……俺は、若菜の中の「標準」がまた一段階釣り上げられたことを認識する。さっきまでの「普通」は、もう「軽め」になってしまっている。
底なしだ。今の俺は、底なし沼にとらわれた、非力な動物だ。
「エヘヘ、臭い?」
「は、が、むぅぅ、むぅううぅぅうッッ!!!!」
「なら今度はすかしね♪」
ぷっすううぅううぅううーーーーーーぉぉぉーーぅぅぅうっっ!!!!!
「はぎゃああぁぁああぁぁああッッ!!!!!」
凄い、物凄い勢いで、大量の超濃縮ガスが送り込まれる。
さっきのものほどではないが、今度のすかしも約30秒に渡って吹き続けたのではないか。肺の中の、いや、血液中に解けている分も含めて、全ての空気が根こそぎメタンに変えられたような錯覚に陥る。猛烈に卵臭い世界にたった一人で取り残されたような……
「すかしだと反応いいね〜。すかしっ屁、嫌い?」
「ぐううぅううッ!!!ぐむぅぅううぅうううッッ!!!!」
「ねぇ、嫌い?顔にむすーってされるの、もう嫌?」
尻をグリグリと押しつけ、答えを強要する若菜。
それに対して、俺は言葉で返答する手段を持っていない。だから精一杯の意思表示として、尻がぎゅむっと載った顔を、悲痛なまでに振ることしか出来なかった。もう嫌だ。やめてくれ、と。
「そっか〜、そんなに嫌なんだ。………じゃあ、もっかいすかしちゃお♪」
むっしゅううぅぅううううーーーぅううぅううーーーっっ!!!!!
意地悪な一言のあと、間髪入れずに放たれる高濃度の卵っ屁。
「うぐうぎぃぃぃいぃぃいぃぃいいいッッ!!!!!」
「エヘ、また長いの出ちゃった。すかしだと長いおならいっぱい出せて楽しいんだよ〜。臭いもすっごい臭くなるし!」
そのどちらも、俺にとっては何が何でも避けたいことだというのに。若菜は笑いながら自分の楽しみを打ち明けてみせる。いかに長い屁を、いかに臭い屁を出すかが、彼女の一番の楽しみだということを暴露する。
初めて若菜のおならを味わう人間には(そんな人間が俺以外にいたならば)、すかしっ屁は逆に楽な一撃かもしれない。一瞬の苦しみが過ぎ去れば、普通の人間はその濃さに耐えられず、気絶してしまうからだ。そういう意味では、可愛い若菜の容姿からは想像もできないような下品な爆音の方が精神的にはこたえる。
だが、長年にわたっての“遊び”で下手に耐性をつけてしまった俺にとっては、すかしっ屁ほどの地獄はない。連続して地獄を見せられ、さらに気絶という手段で逃げることすら許されないのだから。
「圭くんもテスト頑張ったみたいだけど、私も圭くんにおなら嗅がせたかったから、すっごく頑張ったもんね」
尻の圧力が増す。
若菜にとっての休憩時間も、俺にとってはまるで休憩ではない。恐るべき尻圧に耐えている間、俺は呼吸もままならない。僅かに吸える空気は、ほとんど純粋な若菜のおならだ。
「いつも通り勉強してたら、もしかすると圭くんに負けてたかもしれないもんね〜。危ない危ないっ」
だが若菜は、普段の自分の点数から100点以上も成績をあげてきた。俺に勝ち目はなかったのだ。
俺はうなだれる。あの勝負を気安く受けてしまった自分に対する後悔だ。そのせいで今の俺は、これまでにない最悪の地獄を見ている。
そんな俺に、若菜がかけた言葉は、あまりにも意外なものだった。
「……でも、ちょっとだけ、圭くんに勝ってほしかったかな」
…………え?
その言葉を、俺は頭の中で反復する。
回らない頭で考える。
この勝負、若菜が勝ったら、おなら責めが待っていた。
しかし、俺が勝ったら、そのときは……
『もしも私が負けたら、私のこと、好きなふうにしていいよ』
その若菜の言葉が、俺の中でよみがえる。
あのときははぐらかされてしまったが、その意味は、当然――
「ねぇ圭くん、私、……圭くんのこと、好きだよ」
それは、考えてもみなかった言葉。
幼馴染みの若菜から聞く、初めての言葉だった。
「ずーっと好きだったよ。大好きだったよ。圭くん、私……。全然言えなかったけど、怖かっただけなの。もし圭くんに嫌われてたらどうしようって。だって私、圭くんに酷いことばっかりしてきたから……。でも、こうするしかなかったんだもん。昔からずっと圭くんのことが好きで好きで……。気がついたら好きな人におなら嗅がせたいって、変なこと考えるようになっちゃってたの。初めてふざけておなら嗅がせたら、もうやめられなくなっちゃって………」
いつもの若菜とは違う、告白。
いや、これがいつもの若菜だったのかもしれない。
俺が気づいてやれなかっただけで、本当の若菜なのかもしれない。
「10年以上一緒にいて、言えないなんて変だよね。ごめんね。でも、ちゃんと言ったよ、今日、ちゃんと言ったよ。圭くん。大好き」
きっぱりと言い切ると、若菜は、それまでずっと俺の顔面を覆っていた尻を持ち上げた。
久しぶりに見る光。
上から、若菜が顔をのぞかせる。赤面。興奮のためだけではなさそうだった。
俺の返事を待っている。
なぜ今なのか。どうして明日ではいけないのか。……そんなことは愚問だ。若菜は今、この瞬間を選んだのだ。
それは今までにないほど強烈な“遊び”の最中だからなのかもしれない。……いや、そうではないだろう。考えてみれば、9日間も“遊び”を我慢するなんて、今までの若菜にはあり得なかったことだ。彼女は心を決めていたのだ。今日言おうと。高校三年生になって、進路で離ればなれになってしまうかもしれない今日しかない、と。
だから彼女は勝負で俺に勝って欲しかった。そういうことなのか。俺の方から、意志を示してほしかった、ということなのか。
だとしたら、俺は、男として、……幼馴染みとして、失格だ。
「わ……、わか、な………」
なんとか、声を言葉にする。
声帯が上手く震えないが、振り絞る。
若菜の誠意に、俺はこう答えるしかないだろう。
「――俺も若菜のこと、好きだよ」
ぱぁっと明るくなる、若菜の表情。この表情が俺は、何よりも好きだった。昔から。
若菜に彼氏が出来ないことに、俺は内心安堵していた。だが俺達は幼馴染みだと思っていた。ただの幼馴染みだったのだ。昨日までは。いや、ついさっきまでは。
「あ、え、エヘ、よ、よかったぁ〜っ!」
若菜はニコニコと笑う。
「私、もし嫌いって言われたらどうしようって思って……。だ、だって誰かに好きって言うのなんて初めてだったし……」
わたわたと慌てる様子。愛らしい。
「圭くん、ありがとう。これで私、嬉しいよ。えっと、えっと……、なんて言ったらいいのか分かんないけど、今日から私達、彼氏と彼女だねっ!」
なんとも若菜らしい一言だった。俺はその一言に、笑みを浮かべる。――が、
どすんっっ!!
解放されたと思い切っていた巨尻が、降ってきた。
「え、エヘ、エヘヘ、なんか恥ずかしいよ〜」
そして――
ぶむうううぉぉーーぅぅぅーーぉぉぉおおっっ!!!!!
「ふ、ふっげぇえええぇえええぇッッ!!!!!」
爆弾。
さっきの超ロングすかしっ屁を超える、あの倍以上の濃さの爆弾。
長さは長くこそなかった。いや、それすら定かではない。俺は溢れ来る極濃の腐卵臭に耐えきれず、意識は暗い闇の中へと落ちていってしまった――
――そしてさらに、次の瞬間、
ぼぶううううぅうううーーーーぅぅぉぉぅうぉっっ!!!!!!
「げふうぅぅぅううぅうぅうッッ!!!!!!」
皮肉にも、俺は意識を引き戻される。気絶させた臭いと同じくらい強烈な濃さを浴び、今度は逆に闇の中から現実へと、無理矢理連れられてきてしまう。
一瞬で気絶させるほど臭く、一瞬で覚醒させるほど臭い。
矛盾したように見える事柄を両立できるほど、今の2発は、恐ろしい臭いだった。
「エヘ、嬉しいなっ。圭くんと恋人同士だね!」
若菜の声は、どこか遠くから聞こえるような気がした。
「で〜もっ、忘れないでね? 圭くんが嗅ぐ約束のおなら、あと30発も残ってるんだから!」
若菜は、約束は必ず守る。それがどんな約束であれ。
「あとの30発は、とびっきりくっさ〜〜いの、嗅がせたげるねっ。もう、1発かいだら気絶しちゃうようなやつ! でも、気絶しても次の1発が臭すぎて飛び起きち>ゃうの。気絶して、起きて、また気絶して、また起きて……。エヘ、あと15回もそれを繰り返すんだよ〜♪」
地獄はここからだった。
嬉々とした若菜の声色。よほど、俺の返答が嬉しかったと見える。
そしてテンションがここまで上がった若菜は、もう止められないだろう。
きっと俺は本当に、気絶と覚醒を、連続して15回繰り返す羽目にあう。人体にとって、明らかに有害だ。地獄だろう。生きた心地もしないだろう。
俺は愕然とする。
若菜の本気を知る。
だが、あと15回、あと30発という言葉は、もう永遠のようには聞こえなかった。