定期テストが終わった。
 若菜は「テストが終わるまで」どころか、全教科の結果が発表されるまで、“遊び”を休んだ。その間9日間に渡って、俺は小学生のころからほとんど毎日苦しめられ続けてきた地獄の臭いから解放された。
 平日でも休日でも、修学旅行でも学級閉鎖でも、何があっても頑として“遊び”をやめることがなかった若菜が、これほどの長期間、“遊び”から遠ざかるのは本当に異例のことだった。
 それは俺をある一面では安堵させ、……そして怯えさせた。
 若菜はこの9日間、ずっとガスを溜め続けている。
 高校生に成長した若菜の体で、9日分のガスを溜めるとはどういうことなのか、俺は想像せずにはいられない。そして自ら恐怖するのだ。

 だが、今回のテストは若菜の“遊び”がなかったこともあり、俺は本気で勉強ができた。
 これほどまで、真剣に打ち込んで勉強するのは初めてのことだった。何しろ、今回のテストは懸かっているものが違う。下手をすれば、入学試験よりも切羽詰まっていた。
 その甲斐あって、俺は今回の定期テストで、これまでにないような好成績を打ち出した。
 どの教科担当の教師からも
「高沢、どうしたんだ。急に点数があがったな」
と声を掛けられる。俺はそれに、適当に笑って誤魔化すしかなかった。まさか、点数が悪いと幼馴染みに屁を嗅がされてしまう、とは言えない。

 そして今日、全教科の点数が開示された。
 若菜の部屋。
 俺と若菜は、10日前にそうだったように、こたつに入って対峙する。
 手には互いに、採点済みの答案用紙。
「圭くん、罰ゲーム、覚えてる?」
「ああ。若菜、お前こそ覚えてるんだろうな?」
「うん。じゃあ、見せ合いっこしよっか」
「いいぞ」
 若菜と俺は、同時に答案を机の上に載せる。
 俺には、自信があった。これまでの成績が100点差だったのならば、それぐらい覆せるぐらいの点数を取ったのだ。今までの俺は真面目じゃなかった。今回は真剣だった。それだけのことだ。俺だって、素は成績の悪い落ちこぼれではなかったのだから。――しかし。

高沢 圭祐

国語:81
数学:90
英語:85
日本史:82
世界史:78
地理:79
化学:82
物理学:81
生物学:80

Total:738

星崎 若菜

国語:98
数学:86
英語:100
日本史:100
世界史:96
地理:97
化学:91
物理学:91
生物学:100

Total:859

「な、なんだよこれ……」
「……121点差で私の勝ち、だね。エヘ」
 若菜の成績は、信じられないほど良かった。
 確かに、今までの若菜も、なかなかの秀才ではあった。しかし、100点を3教科で取るほどまで、ずば抜けていたわけではない。それどころか、数学以外の全教科で90点以上……。ここまで良い成績なら、間違いなく、若菜は学年で一番だ。
 俺も点数を上げた。前回のテストと比べれば、100点近く上げた。それで若菜に追いついたと思っていた。……しかし、若菜の方も点数を上げていたのだ。彼女は、100点以上も。
「こ、こんな点数、勝てるわけ……」
「“遊び”がなくなって、圭くんもこのテスト期間は集中して勉強できたかもしれないけど、それは私だって同じだったんだからね?」
 その若菜の言葉で、俺は初めて気づく。
 俺は今まで、真面目に勉強をしてこなかった、と言い訳していた。だが、それは若菜も同じだったのだ。彼女も、それほど真剣に勉強をしてきたわけではなかった。それでもなお、学年の上位に食い込む成績だった。そんな若菜が本気で勉強すれば、彼女がぶっちぎりの学年一位に君臨するのは当然だった。

「じゃっ、圭くん、覚悟できた?」
 若菜が、立ち上がる。
 一方の俺は、情けないことに、床に釘で打たれたようにピクリとも動くことが出来なくなってしまった。恐怖と絶望は、人を硬直させる。それは嘘ではないようだ。
「わ、わ、若菜、お前、まさかこの9日間、ずっと溜め込んで……」
「ん〜、流石に少しも出さなかったらパンクしちゃうからちょっとずつガス抜きはしてたけど……、でもだいぶ溜まってるよ〜!」
 そう言いながら、若菜は下腹をさする。服を着ていると分からなかったが、彼女の腹は明らかにポコンと膨らんでいる。
「エヘヘ、それにね、ずっと溜めてるとお腹の中で発酵するって言うか熟成されるっていうか〜、ん〜と、とにかくかなり……やばいかもよ?」
「や…やば…いって………」
「もちろんニオイだよ〜、ニ・オ・イ♪ 昨日ね、ちょぴっとだけガス抜きしたときに自分で嗅いで、もうあんまり臭くておならした本人が失神するかと思ったよ! な〜んてね、エヘ、でも冗談でも誇張でもないよ〜」
 俺は身震いする。
 今まで若菜が、自分のおならをここまで臭いと表現したことは、なかったのではないか。
 俺も若菜自身も、9日間寝かせたガスというのは、今だ未知。その量も、濃さも、熟成度も。
 だが俺には分かる。前に3日間溜めたガスを嗅がされたときは、そのガスは、あきらかに平常のそれとは格が違った。今回は、その期間が3倍になっていることからも、想像は、できる。
 若菜が近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待って……」
「男に二言はかっこ悪いよ〜」
 前にこの部屋で勝負の約束をしたとき、若菜はこたつの中に爆音っ屁を連発してからこう言った。「このこたつに顔を突っ込むことの百倍苦しむことになる」と。だが、今の俺の本能はそうではないと告げている。これから始まる“罰ゲーム”は、そんなことの千倍、万倍、いや億倍、絶望に満ちている、と。
 ――俺は為す術もなく、若菜のジーンズに包まれた巨尻を押しつけられる。
「む、や、やめ――」
「やめないよ〜、勝負に負けた圭くんが悪いんでしょ? はいっ、覚悟っ!」

ぶむうううぉぉおぉぉーーぅぅぅぉぉぉぅうっっ!!!!!

 ジーパン越しであってもなお、俺は顔面に風を感じた。それほどまでに、強烈な一発だった。

ふッふぐぅうううッッ!!!ぐぉっぇえぇええッッ!!!!

 それは、今日一番であるにもかかわらず、俺が嗅いだことのあるどんなおならよりも臭く、湿っぽくて、毒々しいものだった。
 臭いは間違いなくおならなのだ。他の毒性があるガスなどではない。明らかな腐卵臭。
 だが、その濃度が格違い。普通の人間に比べて、ではない。今までの若菜のガスと比べても、全く持って格違いだった。
「あふぅ〜、ん〜っ、9日ぶりに思いっきり出すのって格別っ!いくらでも出そうっ!」
 若菜は快楽に満ちた声を出す。こんなに艶っぽい若菜のあえぎを聞けたのならば、さぞ幸せだろう。が、俺にその余裕はない。顔を溶かすような極悪臭に耐え忍ぶので精一杯。

あぐ、ぅうぅううッッ!!!!げふッ!あがぁぁあッッ!!!

 若菜の一発は、初めのたった一発で、俺の言語機能を完全に麻痺させた。
 臭い、臭いと叫び回りたいのに、その言葉が出ない。思いつかない。発声できない。
 目が白黒と動くのが、自分でも分かる。それに、若菜も気づいたようだった。
 本能的に顔をガクガクと動かし、尻から離れようとする俺の後頭部をぐっと押さえつけ、再びたまらなく柔らかで、しかしジーパンのせいで少し堅い尻肉の海へと突き落とす。
「あれ圭くん、もうおかしくなっちゃったの?も〜、ダメだよ〜っ!分かってるでしょ? まだあと120発も残ってるんだからっ、エヘ♪」

ぼぉっぶぅうぅううぅううーーーぅぅううっっ!!!!!

ふぐぅぅッ!!!ふぎゃあぁぁぁーーーぁああッッ!!!!

 ……………

 …………

 ……

 …

 ……

 …………

 ……………暑い。

 閉鎖された空間。
 照らし付ける赤色灯。
 “遊び”、いや“罰ゲーム”開始から30分余り。
 俺は若菜の部屋のこたつの中に閉じ込められていた。
 両手両足には手錠。どこからこんなものを買ってきたのか分からない。
 もちろん、ただ閉じ込められているわけではない。……大量の、濃い腐卵臭ガスと一緒だ。
 脚を入れて暖まるにはちょうど良い温度のこたつの中も、全身閉じ込められれば苦痛でしかない。しかも意地の悪いことに、温度機能は「強」に設定されているらしく、ガンガンとした暑さが俺を苦しめる。水も欲しい。そんなところにたまらないほど臭いガスを投入されたならば、それは本当に、地獄の体現だ。
 こたつ布団で密閉された周囲。それが唯一捲れ上がった一部分からは、大きく丸い物体が顔を見せている。決まっている、若菜の爆尻だ。今や若菜はジーパンも脱ぎ捨て、ピンク色のフリルがついた、少々子供っぽいパンツを丸出しにしていた。若菜の下着が見られるなんて、と学校の男子には羨ましがられるかもしれない。それならば、この状況を代わってくれ、と言ってやりたい。
「圭くん生きてる〜?」
う…うぅ……
「エヘ、よかった生きてて。じゃあ次、47発目いくね〜っ」

ばっぉおぉおおぅぅうーーーぅおぉぅぉぉおおっっ!!!!!

えぎぎぃぃいぃぃいぃーーぃぃッッ!!!!!

 こたつの中の臭気が、さらに濃くなった。
 もう、頭が割れそうなくらい臭い。目に見えるすべてがゆがみ、ひしゃげる。
 それなのに逃げられない。逃げ場がない。こんなに苦しいことがあっただろうか。いや、ない。今まで散々地獄を見せられたと思っていた。だが、あれは地獄でもなんでもなかった。その入り口ですらなかった。
 俺が味わっているものは、間違いなく、『生き地獄』だ。
 47発。
 若菜が放ったおならに、ぷぅとか、ぷすとか、そんな可愛いものは一発たりともなかった(今の若菜ならばそんな可愛い小さなおならでも一人の男を簡単に悶絶させるだろうが)。
 全てが地鳴りのような轟音。何も知らない人間であれば、音を聞いただけで裸足で逃げ出し、下手をすればショックで気絶してしまうような、常識では考えられないおなら。それをいくら繰り返しても、若菜の溜まりに溜まった9日分は、一向に消費されないようであった。

やべでッ!ごほげほがッ!!!もう、やべ、やべでッ!!!!

 俺はかろうじて声をあげる。だがそれも、踏みつぶされた蛙が出すような、情けない声だった。
「心配しなくても、今日は“罰ゲーム”が終わったらやめてあげるよ〜。エヘ、まだ74発も残ってるけどっ」

ごッ、ごもぉッ!!!ゆ、ゆる、じでッッ!!!!

「ん〜?早く終わらせてほしいの? それなら……、それっ!」

ぶぼぉぉぉぉおおぉぉおおおぉぉうっっ!!!!
ぶっぶりっぶぅぅぅうぅうぅぅうーーぅうっっ!!!!!
ぶっすうぅうぅうーーーーーぅぅううぅうううぅっっ!!!!!

ごあぁぁぁッ!!!!ぐ、ッぜえぇぇええぇええッッ!!!!

 立て続けに、その勢いだけで全てを屈服させるような暴力的なガスを3発も。
 当然、放出されるガスの量、臭いは、音の比ではない。こたつの中はもう十分すぎるぐらい若菜の卵っ屁で充満しているのに、それでもまだ足りないというように追い打ちを掛け、中の空気を濃縮させる。
 濃い、濃い、濃い、濃い、濃い、濃い、濃い、濃い、腐卵臭の海。
 俺はろくに動かせない両手足を、限界までばたつかせる。
「嬉しい?早く終わるように、一気に3発出してあげたよ〜」
 嬉しいはずがない。今の3発は、地獄の釜の薪を一気に追加させたも同然だ。
 若菜に手加減はないのか。情けはないのか。……いや、あるとしても、それを見せる理性を、9日ぶりの放屁という快感が上回ってしまっているのだろう。
ぐ…ぐざい…あ…づい………こ…こごがら…出じで………
「暑いの? やっぱりこたつの中だと暑くて苦しいのかな?」
ぐ、ぐる…じぃ………
「ん〜、ここにサイダーあるんだけど、飲みたい?」
 若菜の提案は、願ってもないことだった。
 せめて水分が欲しい。心の底から、欲しい。
 だが、経験は語る。若菜が、タダでそれをくれるはずがない、と。
ほ、欲…しぃ………
「え〜?そんなに欲しいの?私のジュースなんだけどな〜」
 そう言うと、若菜の声が途絶える。その代わりに、グビッグビッという音がかすかに聞こえてきた。若菜がそのサイダーを飲んでいるらしい。
「ぷはぁっ!ん〜っ、キンキンに冷えてておいしぃ〜っ! 冬に暖まった部屋で飲む冷たいサイダーっていうのも良いもんだよね〜っ!」
 わざとらしい若菜の反応。だが、俺にその演技っぽさを汲み取る余裕などない。とにかく、水が欲しい。水が……
の、飲みたい…お…願い……
「そんなに飲みたい?」
た…頼む……飲ませて………
「ん〜、それならちょっとくらい、分けてあげよっかな」
 俺の中に希望が宿る。そして若菜はその希望を、踏みつぶす。
「その代わり!私のお尻に、顔、くっつけて?」
……か……お………?

「そう!顔密着ですかしっ屁を思いっきり吸い込めたら、サイダー分けてあげる!」

 いつも、いつもこうだ。若菜の出してくる条件は、けして釣り合わないものばかり。
 たとえ「10万円やる」と言われても断固拒否したくなるような若菜の特濃すかしっ屁を、120円ばかりのサイダーで嗅げと言ってくる。
 しかし厄介なのが、状況によっては金額よりも価値あるものが存在するということだ。灼熱のこたつの中に閉じ込められ、凄まじい濃度の腐卵臭で体の内側から、加えて精神的にも追い詰められている今、俺にとって、冷たいサイダーは喉から手が出るほど欲しかった
「どうするの?早く決めないと、私が全部飲んじゃうけど〜?」
 若菜はそう言って、コクンコクンと音を立てて、またサイダーを飲む。
 最も辛い、そして容易にできる精神的拷問とは、餓死しそうな人間の前で、美味しそうに飯を食べることだ。
わ、……わ、かった! だ、だから、がはッ、み、水を………
「エヘ、じゃあ早く、顔つけて?」
う、ぐ…ぅ……、う、ううぅう………ッッ
 おそるおそる、俺は若菜の尻に顔を寄せる。
 極悪臭の発生源であるそこに、顔を近づけるだけでも困難なのだ。普通の状態ならば、けしてそんなことはしない。しかし今は、この熱に晒されて喉がからからだった。人間は、水がなければ生きていけない。
「近づけるだけじゃダメだよ。誤魔化さないで、ちゃんとお尻の割れ目に鼻を押しつけてっ」
 あくまで若菜は、ゼロ距離でその放屁を浴びることを強制する。
 立場的には、俺が圧倒的に不利。若菜の機嫌次第で、俺はどうにでもなってしまう。一方の俺は、水が飲みたい。そして一刻も早く解放されたい。……俺に抵抗する力も、拒否する権利もない。
 俺は、若菜の尻割れに鼻を埋める。自ら、地獄へと歩を進める。
 もはや、何が何だか、俺には分からなくなってしまっていた。何が地獄で、何が天国なのか。俺の意志は何ぞ望んでいて、若菜の方はどうなのか。俺は本当にこの激臭を耐えきれるのか。そもそもこの激臭を、俺は本当に避けようとしているのか……?
 交錯する、そして混乱する。
 尻割れに鼻を埋めただけで、頭がどうにかなってしまいそうなくらい臭い。
 そしてこのパンツの布1枚隔てたところに、ほとんどゼロ距離で存在するであろう若菜の肛門。普段は厚い尻の肉に阻まれていて、誰にもその姿を現したことがない肛門。秘められし菊の模様をした穴は、想像の及ばぬほど大量で、濃いガスを打ち出すのを、今か今かと楽しみにして、ウズウズしている。
「準備できたね。エヘ、ちゃんと嗅げたら約束通りサイダーあげるから。がんばってねっ!」
 俺の鼻先が、禁断の菊の動きを敏感に感じ取った。
 目で見ずとも分かる。今まで慎ましく身を縮めていたそれは、まるで本性を現すかのように、驚くほどの大きさに広がった。

ふっっすうぅうぅううーーーぅううぅうーーぅぅうううぅっっ!!!!!!

うッぐぅぅッ!? ぐっげええぇえぇえッッ!!!!!

 まさしく、俺の鼻に接する形で肛門が存在していたらしい。そこから衣擦れのような音をあげてあふれ出したおならの感触を、俺は鼻だけで感じ取った。その熱さも、風圧も、ドロッとするような、ずっしりとするようなガスの質も、そしてそれまでにも勝る臭いまで……、俺は全てを、自分の鼻だけで受け止めざるを得なかった。

くッ、かッはぁッ、けほッ、ごほッ

 声さえも出ない。視界が一瞬、濁った黄色に染まったあと、涙がボロボロとこぼれてくる。
 この9日間、若菜が何を食べて過ごしていたのか知らないが……、この臭いが、かつては美味しい食べ物だったなんて、信じられない。
「ねぇ、やっぱりすかしっ屁は臭い?」

げッげぇぇえッ、がほッ、ぉえッ

「……な〜んだ、喋れないの?」
 呆れたように若菜は言って、尻を軽く振る。

ぶっふぉおおぉぉおぉおぅうーーぉぉおおおっっ!!!!!

ぬ、ごぉおぉぉぉぉおおぉおおッッ!!!!!

 予期せぬ巨大な一撃。尻から顔をほんの少しだけ離していた俺の顔面を、あきらかに常識の5倍はあろうかという量のガスが包み込む。
「あっ、いけない、出ちゃった! もったいない、あと69発になっちゃった……」
 その口ぶりから推し量るに、今の一発は意図しての不意打ちというわけではなく、若菜にとっても「うっかり漏れてしまった」一発だったようだ。
 今の爆発力が、「うっかり」のレベル。若菜にとっては「もったいない」一発……。そのことに、俺はぞっとした。確実に、若菜の加減も壊れてきている。彼女もタガが外れてきているのだ。
「……ん〜、まぁいいや」
…わ…かな……がはッげほげほッ!! み…ずを………
「あっ、そうだった!ごめんごめん、忘れてたよ。はい、どうぞっ!」
 若菜は、こたつの中に尻を突き出した格好のまま、器用にこたつ布団を捲ってペットボトルを投げ入れ、すぐに閉めた。少しでもこたつの中にガスを溜めているガス室状態を保ちたいらしい。
 だが、いずれにせよ、俺のもとに冷たいサイダーのペットボトルが届いた。
 俺はぐらぐらする頭をなんとか制御しながら、むさぼるようにそれを手に取る。振ってみると、500mlの中身の半分は残っているようだ。
 冷たいそれがこたつの熱で温まる前に、俺はいそいでキャップを開け、飲み口を加える。手錠のままだと動きにくいが、それくらいの動作は可能だった。
 ゴク、ゴク、ゴクリ。
 久々に喉を通る、正常な飲み物。卵臭で充満するこたつの中で飲むサイダーは、けして美味いとは言えなかったが、少なくとも体に水分が補給されたというのは、命が救われる思いだった。

ぶぶっふぅぅぅぅう〜〜〜〜ぅぅおぉぉぅぅううぅっっ!!!!!

 が、その至福の時間にも、若菜は容赦を見せない。
 極限状態の中で得られた幸福に、俺は心を奪われすぎていた。周りが見えなくなっていたのだ。そのせいで、自分の顔のすぐ隣に、まだ若菜の尻がズデンと存在していることを忘れていた。

うッうげぇえぇえええッ!!!!ぶへぇッ!!!

 極悪の臭いが鼻をかすめただけで、俺は口いっぱいに含んでいたサイダーを吹き出してしまう。もったいない。限られた水なのに。
「あ〜、ちょっと〜、こたつの中汚さないでよ!」

ばっふうぅうぅううーーーぅううぅうぅぅぅううっっ!!!!!

ひッご、ごめッ、ぎぃぎぎぎぃぃぃいいッッ!!!!!

 休む隙すら与えぬ追撃。このこたつの中にいる限り、あのドでかい尻から逃れることなどできはしない。どこに逃げても、極濃腐卵臭爆重低音っ屁の射程圏内だ。
「せっかくサイダーあげたんだから、大事に飲んでよ〜」
わ、かった、だ、から、ゲホッ、おなら、やめ――

ぶっふすぅぅぅうしゅぅぅぅぅぅうーーぅぅぅうっっ!!!!!

あッがああぁああーーぁぁッッ!!!!!

「ん〜?おならの臭いも、良いおかずでしょっ?」

ぐ、げえ、が、ががががぁあ………ッッ

 もう、俺に与えられる自由など、ないらしい。
 与えられたサイダーも、俺にゼロ距離すかしっ屁を嗅がせるための餌に過ぎなかった。目的を果たしたら、餌を幸せに食べさせる必要などない。そういうことのようだ。
 俺はむせかえるような地獄の中で、必死の水分補給をするしかなかった。いつ来るかわからない、横からの爆音に身をこわばらせながら、サイダーを喉の奥へと流し込んだ。味などしない。ただ、生きるために水を飲んでいるという感触しかない。
「……圭くん、…これ……間接キスだね」
 ぼそり。
 若菜が、独り言であるかのようにつぶやく。
 今俺が飲んでいるペットボトルは、さっきまで若菜が飲んでいたもの。
 俺がつけている飲み口は、さっきまで若菜が唇をつけていたもの。
 ――だが、俺にそんなことを気に掛ける余裕などあるはずがない。
 中身を吐き出さずに飲むだけで精一杯なのだ。それが間接キスだとか、そんな甘酸っぱいことを考えることすら出来ない。このこたつの中では、どんなに輝かしい青春の香りも、腐った卵の臭いにかき消されてしまう。
「ねぇ、なんとか言ってよ〜!」
 若菜の催促も、俺には、自分で思考する力すら残っていない。
 今の俺の頭は、動物園の猿以下だ。思ったことを口に出すことしか出来ない。それはときに言葉にならない悲鳴であり、ときに場に全くそぐわない本能からの意志である。
………ぐ、……ぐざ…い……
 そう答えると、こたつの外がシンとした。
 黙り込む若菜。その中で、俺は悪臭に耐えながら、ちびちびとサイダーを飲むことしかできない。
 今の俺に、若菜の気持ちなど、考える余裕はなかった、のだが――
「………もう」
 若菜の尻が、ずいっとこたつの中に押し込まれる。
むぐッ!?
 顔の横から、若菜のヒップアタックを食らう形になった俺。情けないことだが、若菜の巨尻に押されては、今の俺の抵抗力などたかがしれている。いとも簡単に、俺の顔に尻が押しつけられる。

ばおおぉぉお〜〜〜〜〜ぉぉおぉおっっっ!!!!!

ぐ、ぐもぉぉおおぉぉおおおッッ!!!?

 破壊力抜群の一発の前には、俺に為す術など、残されていなかった―――

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