「ん〜、圭くん、お尻からお顔離しちゃったときの罰、覚えてるよね? 残念だなぁ、お尻にくっつけてるうちは手加減してあげたのに」
「ひッ、ひぎ……ッ、て、てか、手加減………?」
「そうだよ〜。何か勘違いしてるかもしれないけど、今のだって十分手加減してあげてたんだからね?」
手加減してあげていた。
今のが?
今の、超絶的な爆音っ屁が、手加減?
そんなまさか。
「あ、信じてないでしょ。エヘヘ、今のなんて今朝にベッドの中でしてきたおならの半分以下だよ〜。大きさも、臭いもね」
今ので、半分。
今の倍の大きさ。今の倍の臭い。
俺はそれを想像してみる。……が、叶わない。明らかに若菜の言っていることは、想像を絶している。
「とにかく! 圭くんは私のかる〜いおならにも耐えられなかった罰ですかし卵地獄行きで〜す!」
「ひ、やめ、お願い、若菜、もうやめて、お願い――」
「エヘヘ、やめないよ〜。今度は手加減もなしだからね!『地獄』だから当然だけどっ」
「やめ、臭い、臭いの、やめ、うわ、うわあぁぁあああッッ!!!」
「じゃあいっくよ? すかしっ屁、解禁〜♪」
すかあああぁぁーーーーぁぁああーーーぁあああっっ!!!!!
長すぎるすかしっ屁。常人から考えればその長さは、間違いなく“異常”。
今までの大爆音とは対照的に、音を出すことを躊躇っているかのような空気音。
しかしそれはあくまでも「見せかけ」に過ぎない。若菜自慢の一発が、「音」と同時に「臭い」を出すことも躊躇っているかと言うと、そんなはずはない。むしろその逆。「音」を控えたのは、すかしという形にすることで「臭い」を倍増、いや、それ以上に増幅させるため。
跳び箱の中で若菜の尻から顔を離した俺は、顔面を密着させていたつい先ほどまでと比べても、ガスの直撃を避けることが出来たはずだ。
それなのに、ながーい、ながーいすかしっ屁によって、俺の前髪はそよ風に吹かれるようになびいた。そして鼻で呼吸をする以前に、肌と空気で臭いの濃度を理解する。息を止めることに我慢できなくなって、呼吸を開始した瞬間が、真の地獄の始まりだ。
「むおぉおぉおぉおおッッ!!!臭ッ!!
くっさぁぁぁああぁッッ!!!!あがぁぁああぁッッ!!!」
喚く。喚き散らす。
跳び箱の中で、暴れに暴れる。
外部から見つかってはいけないという俺の理性を彼方まで吹き飛ばすようなその臭いは、若菜とは長いつきあいの俺でも、前代未聞のものだった。
若菜は言った。昨日、レバニラ炒めを食べた、と。
その臭いは、まさにレバーとニラがストレートに含まれた、凶悪なもの。それも、「若菜」という毒ガス製造器を通して悪臭レベルが指数関数的に膨れあがった“レバーとニラ”だ。さらにその臭いを強めるスパイスとして、妙な“脂っこさ”が加えられている。これはおそらく、若菜が今日の昼に食べたというとんこつラーメンによるものだろう。そして。その臭いの全てを包括するように存在する、確かな“ゆで卵”的臭いの存在……
「うがあぁぁぁああぁああッ!!!臭いッ!!!臭いッ!!!!!」
バンバンバンッ。
俺は跳び箱の壁を、内側から思い切り叩く。
脱出したい。なんとかして、脱出したい。本能的に。ここから逃げたい。
しかし、積み重なった跳び箱はそう簡単に壊れない。この中から脱出するための唯一の出口は、頭上の穴。しかしそこは若菜の大きな尻でぴったりと封がされている。この拷問臭の根源である、若菜の巨尻によって……
「臭いの? 臭いよね〜、だって今の私、全っ然遠慮してないもん、エヘヘ」
若菜の「遠慮0」の威力を、俺は思い知る。
こんなにも臭いのだ。今までの若菜の「おなら責め」は、本当に遊び以下のものだったのだ。
中学生にして、若菜はこんなにも恐ろしい兵器を体内に手に入れた。そして年を重ねるごとにパワーアップしてきたそれは、おそらく……、まだ発達途上だ。10代半ばにして、この超絶的な破壊力なのだ……
そこで俺は気づく。
おかしい、と。
今までの「おなら責め」。それによって、俺は幾度となく気絶させられてきた。
はじめのうちは俺が気絶してしまうと若菜も焦ったものだが、慣れてくるとそれも平気になり、最近では俺を気絶させることを好きこのむほどになっている。
しかし、今、こんなに臭いおならを嗅いでいるのに、どうして俺は気を失わないんだ?
出来ることなら、今すぐにでも意識を失いたい。楽になりたい。気絶すれば、それで終わりなのだ。
もっと臭いを嗅げば気絶出来るのか?……と言っても、いくら気絶したくともこの臭いを進んで嗅ごうとはけして思わない。それに、臭いが鼻に侵入すればするほど、頭が冴え、意識がはっきりしてきているような気がする……
「あ、圭くん、ひょっとして早く気絶して、楽になりたいと思ってるでしょ」
俺が急に静かになったのを不審に思ったのか、まるで俺の心を読み取ったかのように若菜が言う。図星だった俺は黙り込む。しかしその沈黙が、若菜に俺の心理を伝えてしまった。
そして若菜は、その心理を徹底的に打ち崩しに掛かる。
「エヘヘ、そうはいかないよ〜! すかし卵地獄は気絶させないくらい臭いんだから!」
若菜の言葉に、嘘はない。そのことを、俺は身をもって知った。
そう、臭すぎるのだ。臭すぎて、気絶を許してくれないのだ。
一定レベルを超える刺激を加えられれば、脳はそれをシャットダウンすべく気を失わせる。
しかし、それすら超えるレベルの、いわば「超刺激」を加えられると、脳はその安全装置の機能すら制限され、ただ為す術もなく、暴走を始める。結果、意識は皮肉にも逆に冴え渡ってくる。
「わ、かな、頼む、もう十分、だから、出して、そろそろ、外に………」
「え?何言ってるの?」
涙が流れる。
鼻をもぎ取ってしまいたい。
そんな俺の、悲痛な懇願を、若菜はばっさりと切り捨てる。
「もしかして、今ので終わりだと思ってる?」
え?
そんな、
まさか………
「やだなぁ圭くん、『地獄』って言うくらいなんだから、一発で終わるわけないじゃん! 今のなんてほんの挨拶だよ。これからが本番っ!」
「ひ、ひぎ……、あ、挨拶……、本…番………?」
「確かに今のも遠慮なくムスゥーッってさせてもらったけど、でもやっぱり今朝に出たひっどいやつと比べたらまだまだ全然なんだもん。私としては、やっぱりせっかくだから今朝に一人でしたおならくらいの奴を圭くんに味わってほしいんだよね〜」
「そんな、さっきまでのは手加減で、今のは手加減なしなんじゃ……」
「ん〜、確かにそうなんだけど〜。さっきまで手加減してたやつは今朝のやつの足下にも及ばないって感じで、今のすかしっ屁はようやく足下くらいまでは来た、って感じかな?」
俺に見えるのは、若菜の突き出された尻だけ。
しかし、分かる。
跳び箱に尻で蓋をして座っている若菜の表情は、満面の笑みだろう。女の子らしい、澄ました笑いではない。前歯を見せた動物が本当に悦楽に浸っているときの、最高の笑いだ。
「さて、お喋り休憩はこのくらいにして、次、いっちゃうよ〜。……って言っても、跳び箱の中にいる圭くんはずーっと臭かったとは思うけど!」
「ぐ、がが、お、お願い、やめ――」
「だめだめ、やめないよ!だって顔離しちゃダメっていう約束破ったのは圭くんの方なんだから!」
むしゅうううぅうぅうううーーーーぅううぅううっっ!!!!!
「お、おががああぁぁッッ!!!ぐぜえぇえええッッ!!!!!」
「エヘ、もういっちょ〜!」
ふっすうぅぅぉぉぉぉぉおぉおーーーーぉぉぉぅうおぉぉっっ!!!!!
「はッ、はッぎゃあぁぁあぁああぁぇえぁぁあえええッッ!!!!!」
一撃を加えられ、力尽きかけたときに、奮い立てるかのような鞭打ちの追撃。
臭いは、確実に増している。
もうこれほどまでに臭いおならとなれば、悪臭レベルも判別できなくなるのではないかとも思うが、そんなことはけしてない。分かるのだ。臭いが、明白に濃くなっていることが。肌でも、鼻でも。
「エヘ、すかしっ屁2連発しちゃった。ちょっとキツかったかな? ん〜、でも結構朝のおならに近づいてきた感じ!そろそろ同じくらい臭いの出せそうかもっ」
「若菜、も、もう、もうやめ、おねが――」
「やめて、って言われると、思いっきりやりたくなっちゃうな〜。圭くんも私のそういう性格、知ってるでしょ?」
何も考えられない。
それぐらい臭い。
脳の危機回避回路は、自力での脱出が不可能と判断した瞬間、“情け”をかけての懇願に手法を切り替える。だから俺は跳び箱の中の毒ガスに藻掻きながらも、若菜に助けを乞うだけだった。長いつきあいの間に、知っているはずなのに。若菜が、“情け”を“快楽”に変えるのが大好きだということを。
「やめて、お願いだから、許して、もう許し――」
「だめだめ〜!もう我慢できないよ〜! んっ、それっ!」
ふっしゅぉぉぉおぅぅぉぉぉぉぉぉぉおーーぉぉぉおっっ!!!!!
跳び箱の中というごく狭い空間で懸命に藻掻く俺にくだされたのは、どんな“情け”でもない、
それ以前をも上回る高濃度卵ガスだった。
「うッあぁぁぁあぁッッ!!!うあぁぁぁああぁぁあッッ!!!!!」
手をばたつかせる。いや、振り回す。
狭い空間の中で暴れると、壁に体のあちこちがぶつかる。が、そんなことはもう頓着の外だった。静かな衣擦れ音と共に、体に纏わり付く明らかに普通の空気とは“濃度”が異なるガス。ネットリと張り付いてくるそれを、俺は少しでも振り払おうと暴れ回った。そんなこと、無意味と知りながら。そのときの俺は、ほとんど狂乱状態と言ってよかっただろう。それほど臭かった。若菜との長い付き合いの中でも味わったことがないほどの濃度が、頭上から密閉された空間に注ぎ込まれたのである。
「そうそう!こんな感じ!朝に出たやつもこんな感じに臭かったんだよ〜!」
一方の若菜は浮かれた声をあげている。
自分が尻で蓋をしている跳び箱の中で、幼馴染みがこの世の終わりのような苦しみに藻掻いているのに、どうしてこんな楽しそうな声ではしゃげるのだろう。
……それは、彼女が真性のサディストだから。おならを嗅がせることに悦楽を感じる変態性癖の持ち主だから。
俺はそのことを、ついに認めざるをえない状況に立たされていた。
「ぐ、ぐざいぃいぃッ!!!!臭いッ!!!臭いッ!!!!!」
「エヘヘ、これが若菜の本気だよ〜。死にそうでしょ?」
「し、死ぬッ、ほッほんとに、臭くてッ、し、死んじゃ――」
「だいじょうぶだよ〜、流石におならで死ぬことはないって!所詮はおならなんだから!」
そう言われても、そのときの俺は本気で若菜のおならに殺傷能力があると思わざるを得なかった。こんな地獄の――若菜に言わせれば“すかし卵地獄”の中に長時間放置されたら……、ましてや放置されるどころか、臭いが薄まる前にどんどん追撃を注入されたら……、人一人は、簡単に壊れてしまうのではないか。
普段からおなら責めという非常識な行為を受け続けている俺ですらこれなのだから、若菜の本性を何も知らない人間が、初めてでこれをやられたら……
考えるだけでぞっとする。
「ん〜、ま、今日のところはこれくらいで勘弁してあげよっかな。今朝の超臭いおならと同じくらいのやつも出たし!」
それは俺が何よりも待ちわびた言葉だった。
いつもそうだ。これで終わり。その言葉を、俺は若菜からのおなら責めの度に待ち望む。
そして今日も、そのときがやってきたのだ。
「んしょ」
若菜が尻を持ち上げる。
紺色のブルマで包まれた、丸々と巨大な肉の塊。それで塞がれていた跳び箱が、ついに解放される。
蓋が取られても、ずっしりとその場に居座る性質を持った若菜のガスはほとんど拡散しようとしない。跳び箱の底に溜まっている。
その中で腰を抜かして倒れていた俺は、力を振り絞って立ち上がる。
体中の筋肉が痙攣している。臭いに苦しみ、暴れ回ったせいだけではなかろう。臭いそのものが脳や筋肉に悪影響を及ぼしているとしか思えない。
「ぐ…が……ッ、う、ぅううう……、ぅ……うう………ッッ」
手を伸ばし、なんとか跳び箱の縁を掴む。
そのまま、自分の体を持ち上げるようにして、腕と足の両方の力を振り絞りながら、俺はなんとか立ち上がることが出来た。
これでは、家に帰れるようになるまでどれくらいかかることやら。しばらくは体が言うことを聞きそうにない。
そう思いながら、俺は何よりも待ちわびた、跳び箱の外に顔を出した――
んむぎゅっ!!
――俺は、何が起こったのか、まるで分からなかった。
顔を覆う、とても柔らかで大きなもの。
視界が奪われる直前に見たものは、紺色の、巨大な……桃………?
そして俺は気づく。
むにゅむにゅとしたその巨大な物体に、信じられないほど強烈な、しかし嗅ぎ覚えのある、あの極悪な腐卵臭がこびりついていることに。
「む、むがぁぁぁッ!!!?むぐぅぅうッッ!!!!」
「ごめ〜んっ。今ので終わるつもりだったんだけど、かる〜く一発くらい出そうかも」
若菜からの宣告。
それは、一度解放の喜びを味わったからこそ、なおさら辛い。
「んぐッ!!!むぐぐぐッ!!!!」
「だいじょうぶだいじょうぶっ、一発だけだって!」
想像できる。
今の若菜は、跳び箱のそばで膝に手をあてるようにして前屈みになり、尻を突き出している。
そしてその尻を、モグラ叩きのごとく跳び箱から顔を出した間抜けな俺に、思い切り押しつけているのだ。
彼女は本当にさっきの思い切り臭いすかしっ屁を最後にするつもりでいたのだろうか?
……おそらく、それは本当だろう。さっきの口ぶりからして、あの一発は若菜が好む「最高のフィニッシュ」にふさわしいものだった。
ということはつまり、若菜は本心から「これで終わり」と言ったあと、下腹部に微妙な感覚を感じ、いとも簡単に前言を撤回したのだ。俺の喜びの気持ちなど考えず。
いつもそうだ。
興奮の境地に達した若菜は、普段の他人に気配りのできる若菜ではない。
自分の快楽だけを求める、究極の異常性欲者なのだ……
「むぐ…ッ、ごぉ………ッ!!」
俺は、諦める。そして宣告を聞く。
「じゃあ、オ・マ・ケ♪」
ぶっむぉぉぉおおぉおおぉおおーーーぉおぉっっ!!!!!
意識が一瞬飛び去り、そして強引に引き戻される。
「む、ぐ、ぅぉぉぉおぉぉおぉぉおッッ!!!!!」
理性や意識とは全く離れたところで、俺の体全体が逃げることを欲した。が、若菜はそれを許さない。ブルマに包まれた大きな大きな柔尻に俺の顔面を密着させたまま、片手で後頭部を押さえ込む。大した力ではないのかもしれないが、それ以前の散々なガス責めによって衰弱しきっていた俺の体は、その束縛から逃れることが出来ない。
若菜の言う「オマケ」は、間違いなく今日の中でも特上の一撃だった。
顔に感じる、ガスの量が、そして質が、まるで違う。
単に「少し残っていたから出した」とは思えない破壊力。それが故意なのか、それとも若菜の意識とは外れたところで残っていた未知のものなのかは、分からない。
しかし、確実に一人の人間をダメにしてしまうだけのニンニク臭だけは、そして、それ以前の全てを吹き飛ばしてしまうような、濃すぎる卵臭だけは、紛れもなく本物。
段違いの「オマケ」に、俺の脳もショートを起こす。
考えられない。何も。
「あちゃ〜、オマケが一番やばかったかなぁ〜」
若菜のそんな声を、どこか遠くで聞いた気がした。
その言葉を最後に、俺の意識は闇の中に飲まれていった。
俺が目を覚ましたのは、夜も更けたころだった。
こんなに長い間、意識を失っていたのは初めてだった。
目を覚まして、時計を見たときはぎょっとしたものだ。
あの後、気を失った俺をなんとか倉庫から引きずり出した若菜は、人目に付かない校舎の影を見つけて俺を運び込んだ。そして、俺が目を覚ますまでそばで付き添っていた。
こう考えると、この若菜が、あんなにも恐ろしいことをしでかしたなど、夢だったのではないかと思う。
しかし、あれは間違いなく現実だった。
中学生の一コマ。
俺にとってそれは、青春で飾られるものではない。幼馴染みが確実に成長しているという恐怖。優しい若菜の二面性。それを、嫌でも感じさせられた時期だった。
あの後、ほとんど1週間にわたって体育倉庫は使用禁止になった。
と、いうよりも、使用不可能になったと言った方が正しい。
若菜の凶悪なガスは重く空間に残り、いくら換気をしようともなかなか抜けてくれなかったのである。
事は警察を呼ぶ自体にもなり、パトカーが何台もやってきて、倉庫周辺を調べていた。
一時は生徒の間でも話題になった「謎の毒ガス事件」だったが、中学生時代の多くの出来事がそうであるように、それは時間が経つにつれ、生徒や教師の間から忘れられていった。
しかし、俺は忘れるわけにはいかなかった。
今でも覚えている。
なにしろあれは、俺が若菜の「開花」を初めて感じた、決定的な出来事でもあったのだから。
そう、それはあくまでも「開花」。
花が満開になるまでには、まだ時間がかかる。
若菜の成長は、それで終わりではなかったのだ。