「さっぶ……」
肌に冷たい北風が感じ取れる今日この頃。季節はまるで秋を押しのけるかのように冬へと様変わりし、赤黄色に染まっていた紅葉はいつの間にか姿を消していた。
そんな中、私はふと思う。
何故この季節もこの短いスカートを履き続けなければならないのかと。
「杏奈もそう思わない?」
「え?」
私の隣でピザトーストを頬張る彼女の名前は八奈見杏奈。私の小学生の頃からの幼馴染で親友でもある。
「え?じゃなくてさ。足寒くならないの?今日結構風強いけど」
「んー」
口にしていたピザトーストを数回咀嚼してから飲み込む杏奈。口周りに付いている食べかすが彼女のトレードマークだ。
「全然?最初は少し肌寒かったけど温かいピザトーストを食べると身体も心も温まるんだよ。温かいからカロリーゼロだし最高だよ!」
屈託のない笑みを浮かべる杏奈。
ピザトーストはそんなにハイスペックではないぞ。
けど杏奈が寒くない理由は何となくわかった気がする。人は何かを食べている時には体温が上がる。そのせいで彼女は寒さをあまり感じないのかも。
ただでさえ私なんて寒すぎて足をペチペチ叩いて喝入れてるのに。それに部屋が暖かすぎると寒暖差で痒くなるし、叩いた所も赤くなって痛くなる。本当に嫌な季節ったらありゃしないよ。
「あっ」
そんなことを考えていると杏奈は前方に何やら知り合いを見つけたようだ。
習うように視線を向けると私達のもう一人の幼馴染の袴田草介、そしてその彼女の姫宮華恋が仲睦まじい様子で登校していた。
「くぽぇ」
聞いたこともない奇声をあげる我が親友。ま、目の前で好きな男が彼女といちゃついているのを見るとね。
あの二人ほっぺを突きあったりこのクッソ寒い中片方に手袋だけ外して手を繋いだりしてるし。
「……違う道で行く?」
「…ううん大丈夫。草介は私の好きな人、華恋ちゃんは私の親友。その二人が幸せなのをみているだけで私も幸せだから」
幸せな人は瞳孔ガンギマリで睨みつけたりはしないことだけは言っておこう。
この様子を見ただけでわかると思うが八奈見杏奈は小さい頃からの幼馴染である袴田草介に恋をしていた。いや、現在進行形で恋をしている。
そのきっかけは詳しくは私も覚えていないけど小さい頃に草介と結婚の約束をしたとかしてないとか……それがきっかけかどうかもあやふやだが確かそんなだったはずだ。
だがそんな彼女の恋路は数ヶ月前、突如として私達の前に現れた正ヒロイン、姫宮華恋が現れたことで事態は急変。
華恋は杏奈をものともせずにあっさりと恋のレースで抜き去り、見事一着ゴールイン。見事に優勝商品の草介を掻っ攫った。
そして敗北者の杏奈は正真正銘、正ヒロインではなく負けヒロインへとなりさがってしまった
「でもね?私最近思うんだ」
「……何を?」
すごく嫌な予感がするがとりあえず返事だけはしておく。
「あの二人さ。私の行く先々でイチャついているんだよね。学校、植物園、カラオケ。何なのかな?私に二人は恨みでもあるのかな?」
そう言われても困る。本当に。
「そうだよ……今思えばあの乳牛女が全部いけないんだよ。乳牛女がいなければ今頃草介の隣には私がいたはずなのに」
どうやら杏奈の中では親友=乳牛女らしい。ということは私も乳牛女になるわけか。
呪怨を唱える彼女を尻目に視線を真下に向ける。
うん。今日も地面が凄い見えやすい。だからこの苛つきは勘違いだ。そうに違いない。
「草介も草介だよ!あんな下品な乳に惑わされて!男って本当に見る目ないって言うかさ!」
それにしても隣が喧しい。これ以上の呪怨を聞いてもいいことはないので私はポッケからイヤホンを取り出し耳にはめた。
「でね!この前なんてカラオケで二人のデュエット聞かされたんだよ!私は無言でマラカスだよ!本当に少しは私の気持ちを考えて欲しいよね!」
お前は私の気持ちを考えろ。
まさかイヤホン引きちぎって話しかけてくるとは。おかげでイヤホンキャップがどっか行ったんですが。
「あの、これ落としたけど」
杏奈に殺意を向けていると後ろから男の頃が聞こえてくる。
「あ、おはよう温水君」
彼の名前は温水和彦。最近色々な意味でクラスで話題になっていて私が
「おはよう八奈見さん。これ多分
「あ、どうも」
どうやら私たちのやりとりを後ろから見ていたらしい。
良かった。これで今日も推しの声を聞きながら寝落ちすることができるし幼馴染兼親友を処分しなずに済む。
「温水君も食べる?カロリーメイト」
おっと。いつの間にかピザトーストは完食していたらしい。呪怨を吐いている最中に食べ切るとは無駄に器用な所があるzその器用さを少しは恋幕で使えれば良いのに。
「いや、遠慮しとく」
「何で?これ最新作のメープル味だよ?」
「人の食べかけとか嫌だし」
「は?私のは汚くないですけど?」
早速私を置いてけぼりにし会話に花を咲かせる二人。
私──
要するに近いのだ。私の親友兼幼馴染の杏奈との距離が。
最初に気にし始めたのは杏奈が草介に振られて温水に乗り換えたという噂をクラスの女子の会話から得た時だ。
もちろん杏奈を尻軽扱いしたそいつらにはグーパン制裁をしてしまいちょっとした問題になったがそんなことはどうでもいい。
だけどその話を聞いて驚いたのは本当だ。
噂の発端となった旧校舎の階段で一緒にお弁当を食べているのは事実だだし、その現場は私も確認しに行ったが2人は仲睦まじい様子だった。
それからも気になり二人が出入りしている文芸部の様子や休日のおでかけ、今みたいに学校での関わり方をチェックしているが、確かに噂になってもおかしくないほど仲が良い。
特に気がかりなのは杏奈の彼に対する態度だ。
私は杏奈の草介への長年の想いを知っている。それ故に温水に対する態度が異常なのだ。
告白まがいの友達になろうイベントに始まり、ほぼ毎週2人は休みにあっているし、部活でもずっと一緒だ。
一応『私が彼氏できていないのに温水君にできるのは抜け駆けだから』みたいな言質は取ってはいるが、それもどこまで本当かは不明だ。
だから気になる。何故こんな男と急に仲良くなったのか。杏奈は彼のことが好きなのか。そして温水という男は一体何者なのか。
私はそれらを知るために前々から調査を続けていた。その調査結果によると温水は────
『味のしないガム』
『歪んで使えないホチキスの芯』
『短くなりすぎて削れない鉛筆』
何とも悲しい評価だった。
基本的に客観的な視線が必要だと思って周囲が彼のことをどう思っていたのかを調査したのが仇になったらしい。今まではとの関わりが深い主要人物、そして彼本人に対するアタックは控えていたが、考え直す必要がありそうだ。
「杏奈と温水って本当に仲良いよね。もしかして
「「は?」」
そうと決まれば即日決行。どストレートに突っ込んで二人はどういう関係なのか確かめる。
その甲斐があったのか二人は全く同時に驚嘆の声を上げて私に目を向けた。
「ちょっと弥生ってば冗談きついって。私が温水君と?」
ないないない。そう言うように手をぶんぶんと横に振る。温水も杏奈と同感なのか、どこか呆れたような目をしていた。
「私は草介一筋だし。それにもし彼氏作るとしても私の理想は大人な男の人だから!」
へーそうなんだ。正直杏奈の好みはどうでもいいけど遠巻きに子供っぽいって言われている温水が少し可哀想。
「ふーん?けど付き合ってもないのに休日に二人で出かけたりする?」
「ここ最近は部活動で色々あったからさ」
「部活動で色々あったら二人っきりで観覧車に乗るんだ」
「ぶっ!?」
そう言うと杏奈は口から飲んでいたコーヒー牛乳を吹き出した。すごい汚いんだけど。
「な、なんで弥生がそのことを!?」
「たまたま見えたから」
(計画通りに)たまたま(双眼鏡で)見えたからです。嘘はついてない。
「顔すごい近づけてたしさ。私びっくりしちゃった」
「ち、ちちち違うの!あれは──」
「八奈見さんが僕のことからかっただけだよ」
「……」
何だそうだったのか。てっきり杏奈が温水にキスでもしたのかと思ったけど違うらしい。流石にこちらの早とちりだったか。
早とちりに反省しているとある違和感に気づく。それは温水も感じ取ったようで私達は違和感の要因である杏奈に視線を向けた。
「どうしかした八奈見さん?」
「……そういうとこだよ温水君」
……ん?何だその反応は?
温水も理解不能ならしく言葉を失う私達。
「や、八奈見さん?なんか不機嫌になってない?」
「は?なってませんけど?」
どこぞの悪役みたいにおやつカルパス食いちぎる杏奈。
それで不機嫌じゃないは無理があるでしょ。
「あーやだやだ。これだから温水君は乙女心がわかっていないって言われるんだよ。ね、弥生」
「あ、うん」
どうやら私も乙女心には縁がないみたい。女なのに。
「この間も志嬉屋先輩にデレデレしてたし、馬剃さんとカラオケで勉強会してたしさ。本当に見境がないよ温水君は」
「いやそれは部活での目的があったからで……海音さんもそんな驚いた顔しないでくれ」
そんな顔もするだろう。
まさかの温水が肉食系男子だったとは……これはメモしておかなければ。
「志嬉屋先輩の行動観察とか……一歩間違えれば変態だよ?」
一歩間違えなくても変態だと思う。
温水もそこには思うところがあるのか、苦しそうな表情を浮かべながら胸を押さえる。
「馬剃さんとも裏でコソコソやっているみたいだし……」
「八奈見さんこれ食べる?魚肉ソーセージ」
「……食べる」
おい待て。露骨に話題逸らしたぞこの男。そして杏奈、お前は話題を逸らされたことに気づけ。そして朝からどれだけ食べる気だ。飼い慣らされた犬かお前は。
ん?犬?
「犬……は!?」
「
温水の奴……まさか杏奈を餌で釣っている?魚肉ソーセージを出したタイミングといい、プレイボーイな部分があることといいその可能性は大いにありうるぞ。
のほほんと杏奈と会話をしている温水を盗み見る。
……ここは慎重に聞き出す必要がありそうだ。
「温水。一つ聞きたいんだけど」
「ん?」
「犬って好き?」
「好きだけど……って何でそこで驚くの?」
ま、まじですか?本当ですか温水さん?
「じゃ、じゃあ犬飼ってたりする?」
「今は飼ってないけどいつか飼えればばいいとは」
なるほど。つまり───
犬=杏奈→犬好き=杏奈が好き→いつか飼えればいい=杏奈を調教できればいい
───これ事案では?
「弥生?」
「はっ!?」
不思議そうな顔をした杏奈が肩を突いてきた。
「大丈夫?さっきから様子が変だけど」
大丈夫──その言葉そっくりそのまま返したい。
「平気。少し考え事してただけ」
けど今はその時じゃない。私には堂々と『温水のペットになりかけてるけど大丈夫?』と口にできるほどの度胸はないし、まだ確証もないからだ。
口にでかけた言葉を変えて返すと、杏奈は首を傾げながらも魚肉ソーセージの空袋を温水に渡した。
ゴミくらい自分で持って帰りなさい。
「そろそろ急ごっか。学校遅刻しちゃうよ」
「……そうだね」
非常に何か言いたそうな温水を気にもせず杏奈は急足に信号を渡る。
ため息を吐きどこか諦めた表情を浮かべながら、自転車を押す温水を尻目に私は思考を巡らせる。
やはりこれからは積極的な調査の遂行が必要だ。温水本人はもちろんの事、家族や周囲の人間にフォーカスを当てなければ。
これでもし温水が普通であれば何も問題ない……わけではないが、杏奈が気になっている?男が変態のクズ野郎なら即刻離れさせないと。一応あれでも杏奈は私の親友兼幼馴染だ。
「おーい!」
ふと、前方から杏奈が私を呼ぶ声が聞こえてくる。見ると杏奈がこちらに手を振っていた。温水も私のことを見ている。
「今行く」
言ったところで信号は青のランプが点滅しかけていた。
私は一度白い息を口から出すと小走りで信号を渡った。