みんな好きになる、つい助けたくなっちゃう~「弱いロボット展」は思わず気持ちが動かされる体験だった
2025年2月1日~2日の2日間、日本科学未来館(東京)で「弱いロボット展」が開催された。僕にとっては以前から一度、生で見てみたかったロボットたちが集う展示会だ。
皆さんはロボットが「弱い」と聞いて何を想像するだろうか。すぐ壊れるとか? 強さの概念があるということは戦うためのロボット? それとも物理的に力が弱いということ?
どれもちょっと違う。展示会の公式サイトには「まわりとの関係性を志向する〈弱いロボット〉たち」と表現されている。それがどういうことなのか、探りながら当日の様子をレポートしたい。
助けてあげたくなっちゃうロボット
まずは僕が特に好きになったロボットを1体、見てもらいたい。名前を「トーキング・ボーンズ」という。
見た目からしてかわいいこの子は、昔話を語ってくれるロボットである。話している様子を、動画で見てほしい。
「桃太郎」と声でリクエストするとおはなしを始めるのだが、話しながら内容をすぐに忘れてしまう。
昔々……と物語が始まって間もなく、「えっと、誰とおばあさんが住んでいたんだっけ」という調子。
まごまごしているので、思わずこちらも「おじいさんだよ」と教えたくなってしまう。そうすると「そうだった! おじいさんとおばあさんがね……」と話の続きをしてくれるのだ(そして、「何を拾い上げて家に持ち帰ったんだっけ……」に続く)。
これは子どもたちのために作られたロボット。ただロボットがおはなしを話しているだけだと、録音したものを再生しているような味気ないものになってしまう。でもこうやって途中で忘れることで、子どもたちとのコミュニケーションが生まれる。
単に答えさせたいだけなら「じゃあここでクイズです。誰とおばあさんが住んでいたでしょう!?」なんて問題を出す方法もあると思う。でもそうじゃなくて、こんなふうに困ることで、こちらは思わず「助けたい」という気持ちになってしまう。優しさを引き出し、より積極的なコミュニケーションを呼び起こしているのだ。
弱いロボットとは
今回の主催者である豊橋技術科学大学インタラクションデザイン研究室(ICD-LAB)の代表 岡田美智男先生は、著書「〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション」(講談社)の中で、弱いロボットについて、ロボット掃除機のルンバを例に挙げて説明している。
このロボットが袋小路に入り込むことのないように、テーブルや椅子を整然と並べなおす。もっと動きやすくしてあげようと、観葉植物の鉢などのレイアウトを変え、玄関のスリッパをせっせと下駄箱に戻す。そうしたことを重ねていると、なんだか楽しくなってくる。(中略)このロボットの〈弱さ〉は、わたしたちにお掃除に参加する余地を残してくれている。あるいは一緒に掃除をするという共同性のようなものを引きだしている。
出典:岡田美智男「〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション」Kindle版、講談社、2017
ルンバには、不完全であることで人の協力を引き出し、また協力した人に対して達成感さえも与えてしまう。そういった側面があると指摘されている。
実際その通りで、筆者の身近な人に聞いてみても、それがルンバのキャラクター性というか、ペット感につながっていると考える人は多い。また筆者の家のロボット掃除機は中国製の安物なのでルンバほど賢くないが、「だからこそかわいい」と感じてしまう瞬間すらある。
こうしたあり方がまさに弱いロボットであり、「まわりとの関係性を志向する〈弱いロボット〉」なのだ。
目撃! ロボットが助けられる現場
さて、展示に話を戻そう。会場には、ルンバ以上に“弱い”お掃除ロボットがいた。そのまんまの名前の「ゴミ箱ロボット」だ。
ゴミ箱のロボットなのだが、ルンバのように自分でゴミをどんどん吸い込んでいくわけではない。彼らは自分でゴミを拾い上げられず、ゴミの近くでモジモジするのだ。
会場ではフロアにたくさんのゴミ箱ロボットが解き放たれていて、実際に助けてあげられた。
ゴミを入れてあげるとちょっとお辞儀するような動きをするのがかわいい。思わず「もっと助けてあげたい」という気持ちになってしまう。よく考えたらこちらは働かされているのだが、そうしたことに満足感を覚えてしまう。
同じく、床をうろうろしていたのがこの子。
「アイ・ボーンズ」という、手指消毒用のロボット。こちらに差し出した右手の先からアルコールを噴射してくれる。ただ、決して人の手をセンシングして腕を伸ばしてはこない。人の近くに寄ってきて……モジモジしている。しょうがないなあ……と思ってこちらから手を出してやると、シュッとアルコールをひと吹きして、おずおずと去っていく。
会場でこのアイ・ボーンズを眺めていると、事件が起きた。僕が「まさに弱いロボット!」と感じた出来事である。
アイ・ボーンズの1体が、うろうろするうちに展示室のドア際の壁に引っかかってしまったのだ。
しばらく観察していると、素通りする人はほとんどおらず、通りすがりの来客たちはみんな気にかけて「大丈夫?」と声をかけたり、少し頭をなでていったりする。全ての人から優しさが引き出されていた。
それでもロボットを直接動かしたり方向転換させたりする人がいなかったのは、単に「展示物に触ってはいけない」という意識が働いたためだろう。最終的にはスタッフの方が気付いて、アイ・ボーンズは元の部屋に運ばれていった。
まだたくさんいるボーンズシリーズ
さて、最初に紹介した昔話のロボットと、今の手指消毒のロボットの見た目が似ていることに気付いた方も多いと思う。これらは「ボーンズ」というシリーズなのだ。他にもいろんな子がいる。
この子たちは勉強を教えてくれるロボット。上の動画では愛知県について教えてくれている……んだけど、やっぱり途中で忘れてしまう。「ものづくりが盛んなね、地域なんだよ」「飛行機やね……何が有名なんだっけ……」「道路を走る乗り物じゃないかなあ……」「タイヤがあるような気がするなあ……」。そこで「車だよ」と助け船を出すと、「そうだった! 車が有名なんだよ」と話を続けてくれる。
忘れることだけではなく、この「あのね、……がね、……なんだよ」といったロボットらしくないしゃべり方にも意味があるようだ。
「愛知県はものづくりが盛んな地域なんだ」と流ちょうに話してしまうと、どうしても機械っぽいというか、ただ録音を再生しているような、会話感のないものになってしまう。そこで、言葉を考えながら探り探り話すようにすることで、相手に伝えようとする気持ちを伝えるとともに、聞き手から話に参加する気持ちを引き出しているのだという。
この子たちは「ポケボーキューブ」。ステージの上で、3人で内緒話をしている。そのうち1体を手で持ち上げると……「あわわ、あわわ」と慌てだす。2022年には、この様子がかわいいとSNSで爆発的に話題となり、「あわわロボ」としても親しまれている。
この「あわわ」、実はアラート音として実装されたそうだ。このロボットはステージ上に置かれることで位置情報を特定していて、持ち上げられると位置が不明になるため、それを知らせるために「あわわ」と言うのだとか。
これらボーンズシリーズはその名の通り、骨をモチーフにしたシリーズ。大きいサイズのアイ・ボーンズが最初にあって、のちにシリーズ展開されたのだという。
なぜ骨なのかというと、もともと博物館の展示物案内をしてくれる「子ども館長」のような存在をイメージして作られたから。博物館といえば化石=骨、という連想から来ているそうだ。
かわいい動きを生み出している機構も気になるので、ちょっと見てみたい。
たとえばこの小さい子(ポケボーキューブ)はサーボモーターが2つだけ入っていて、それぞれ左右への首振りと、上下方向のうなずきに使われている。二軸だけの動きなのだが、ばねが入っていてユラユラするのがかわいさを増している。
このばねを使った動きは、先に出てきたゴミ箱ロボットや、次に紹介する「む~」に共通する、機械らしからぬヨタヨタ感を演出するためのポイントだそうだ。
そして、しゃべるセリフは事前準備されているものと自動生成を組み合わせているとのこと。特に人に話しかけられた時の反応は生成AIをうまく活用し、自然な反応ができるようにしているという。
他にもたくさんのロボットが
もちろん他にもいろんなロボットがいる。こちらのロボットは、「む~」。
大きな一つ目は写真で見るとちょっと怖いが、目の前にしてみるとポチャッとしていて、動きも相まってかわいらしい。話しかけると、うなずきながら「アアアア……」と言葉にならない声で応えてくれる。
何か意味のある会話をしてくれるわけではないが、「元気?」という質問に対して「アアアア……」と返ってくるとなんとなく「ああ、元気なんだな」と思ってしまうし、「好きな食べ物は?」というようなオープンクエスチョンに対しても、何かがんばって答えようとしてくれているな、という様子を読み取って愛おしく思えてしまう。
また、人間の声だけでなくお互いの声にも反応しているようで、一時は「アアア!」「アアアアア!!」「アア!」と3体が大合唱になってしまい、別の来場者が「パニックにならないで! 大丈夫だから!」となだめる場面も見かけた。何も言語をしゃべっていないのに、会話ロボット以上に雄弁なのだ。
こちらは、展示されていたロボットの中では古株の「コムソウくん」。「麻袋の中から外の様子をうかがうかわいいクリーチャー」と説明されており、ソーシャルなロボットの原点となったそうだ。
「もきゅ」はコースター型のロボット。テーブルの上をゆっくり動き回っていて、これが自宅の食卓にあったら、水槽の魚と一緒に住んでいる気分になりそうだ。
動いているのはコースターなのだけど、上にコップが乗っていればコップが意志を持って動いているように見えるのも不思議な感じ。
「トウフ」は顔もないし体と頭の区別もない、見た目はただの立方体。でも話しかけると簡単な受け答えのセリフとともに、ちょっとプルっと動く。これだけですごく「生きている」感じがする。
マイクのロボット「ウィムボー」。話すとちょっとうなずいたり体をゆすったりする。話をちゃんと聞いてくれているようで、思わずたくさん話してしまいそうだ。
動くランプ、「ルーモス」。こちらの顔を照らしてくれているのがわかると思う。これだけで「こちらを覗き込んでいるのかな」とか「慰めてくれているのかな」とか、いろいろ想像してしまう。上のアニメーションでは動くだけだが、ランプの色が変わったり、手元を照らして手伝ってくれたりもするようだ。
リズムでコミュニケーションできるマシン「タント〜ン」。目の前のスイッチをたたくと、そのリズムと同じように……ではなく、“そこそこそれっぽい感じに”目の前の空き缶をたたいてくれる。この決して完璧ではない再現度は、子どもに教えているみたいな気分になる。正確にたたき返してくれていたら、決して生まれてこない質感の体験だ。
こちらは「ナミダゼロ ホーム」。今日あったことを話してあげると、質問したり共感したりしながらこちらの話を引き出してくれる。3人が違う声をしていて、3人とわいわい話している感じがすごく良い。
見たロボット、もれなく大好きになってしまう展示会
というわけでいろんなロボットを紹介してきたが、どれも「完成したものを提示するのではなく、見る人と一緒に体験を作っていく」方向で作られている、と感じた。
体験、という表現はありきたりなのだけど……それは、ロボットが忘れたところを教えて助けてあげたい気持ちであったり、あるいは「アアアア……」という発声から意味を読みとる解釈であったり、また違ったリズムをたたくロボットに「一生懸命覚えようとしているんだな」と思う推察であったり。とにかく何らかの形で、心が通じているような気がしてくるのだ。
それでいて、そういったコミュニケーションの面白さだけでなく、最初に紹介したゴミ箱ロボットのように、最終的に「人の助けを借りて仕事をする」という機能まで身に付けてしまっているのがすごいな、と思う。
……などといろいろ語ってしまったが、単に「かわいい~~」という気持ちで見ても思いっきり楽しめる展示会だったと思う。見たロボット、もれなく大好きになってしまうのだ。
今回の弱いロボット展は残念ながら終わってしまったけど、ICD-LABでは不定期で、愛知県豊橋市の「こども未来館ココニコ」などで弱いロボットたちの展示をしているようだ。ぜひチェックして足を運んでみてほしい。