まだ冷える春の日の事だった。
特に小雨が降り始めてからは、冬並みの寒さに唸っていた気がする。
みるみる体から熱が逃げていくと共に、視界が赤く染まる。
雨のせいではない事は、体から溢れて足元に貯まる液体を見て分かった。
遂に感覚や思考すら白い海に融けた頃、ふと気づく。
凍えるほど寒かったはずなのに、今は少し温かい。
高校卒業の日。感動は薄く、代わりに妙な脱力感だけが残っていた。
敷かれたレールを邁進した…という程ではなく、精々柔らかい畦道をトロトロ歩いていただけの高校生活。
数少ない友人と形ばかりの別れを告げた後にはすっかり感動も抜け落ちていて、わずかな疲労感と漠然とした不安を抱えていたことを覚えている。
これまで、曲がり角でぶつかって恋に落ちるだの、突然謎のハイテクロボのパイロットに選ばれるだの、そんな漫画のような出来事とは無縁な人生だった。
行き先は既に内定済み。荷物をまとめた後はすぐにでも就職し、ほどなく下宿暮らしが始まることだろう。
今までと変わらず、ほどほどに生きていくのだろうと信じて疑わなかった。
…さて、いつからそうしていたのだろうか。
古めかしい洋風建築。
道端にずらりと陣取る屋台の数々。
周りを見渡す限り、見慣れない風景の数々を囲まれている。こんな中世の市場通りじみた場所には覚えがない。少なくとも地元にここまで手の込んだテーマパークは無かったはず。
しかも無駄にクオリティが高いんだ、コレが。一般客もスタッフも、双方の見分けがつかないほど自然に振る舞っている。学ラン姿で道のド真ん中に突っ立ってる俺が空気読めてないみたいな…いや実際読めてないか。
いつまでそうしていただろうか。
現実逃避がてら頭の中でまくし立て、ようやく言葉を絞り出した。
「どこだよ…ここ?」
どれだけ周りを見渡しても、違和感しか感じない。
杖を携えた長耳の女性に、大槌を担いだずんぐりむっくりの男。
怪しげな露店で、店主と値切りを白熱させる小柄な男。
ふと、何か大きなものを目の端に捉えた気がして上を向く。そして、驚愕した。
遠近法もクソもない、距離を誤認させるほどの巨躯。
ずっと誰かに憧れていた
『何者か』になりたかった
自らの信念を杖とし、確固たる道を歩くことができる誰かに。
この物語は、"本当"を追い求めた青年の数奇な運命を辿る冒険譚である。
朝である。
「あ、やっと起きた」
「……フンムグ」
迅速に
「…駄目か」
「当たり前でしょ。ほら起きて」
「うっす…」
今朝の勝者は彼。というか勝てた試しがない。
OKじゃあ、もう一度だけ説明しよう。
俺はピーター…ではなく『シロカネ・宇今』。
ちなみに"宇今"と書いて"ウコン"と読む。父曰く
そんなこんなで面白おかしい両親だったが、俺が中学2年の時交通事故でポックリ逝ってしまったもんだからもう大変。親戚の家で世話になってはいたがどうにも馴染めず、非常に肩身の狭い思いをした。少しでも学費を安くしようと山一つ向こうの高校に進学してしまったことが祟って事故に遭い、なぜか今に至る。
「今日はどこまで行く?」
「5階層まで降りてみない?」
「ん」
相棒と言葉を交わしつつ顔を洗い、手早く準備を済ませる。朝に弱いことは承知の上、荷物の用意は昨夜の内に終わらせてある。
「おはよう…今日も早いね」
「ヘスティア様こそ、最近は早起きしゃないですか」
「二人とも朝早くから出ていっちゃうからね…そろそろ慣れたよ」
「別に寝ててもいいんですよ?」
「せめて見送りくらいはさせてくれよ、さみしいじゃないか…」
まだ目をショボショボさせている彼女はヘスティア。行く宛もない俺を拾ってくれた
ちなみに漢字は間違っていない。彼女はわざわざ天界から降りてきた、正真正銘の女神なのだから。
「じゃ、行ってきます」
「行ってきます、神様」
「いってらっしゃい、二人共」
今にも二度寝をかましそうな女神に見送られた二人は、各々の得物を携え、今日も『未知』へと挑む。
「ベル、来るぞ!」
「うん!」
妖しく光る苔に照らされる洞窟で、二人はそれぞれの得物を構え、襲いかかる怪物を迎え討っていた。
「はぁッ!」
短剣を逆手に握る少年が先行し、爪を振り上げた
「でぇぇいッ!」
次いで青年は手に取る長剣を掲げ、飛びかかるゴブリンを袈裟斬りで打ち据える。振り下ろされた剣は刃を食い込ませ、力任せに両断された。
「…よし。宇今、少し休もう」
「ん、了解」
短剣を鞘に収め周囲の安全を確認した少年は、急所を潰され絶命したゴブリンから手早く魔石を抉り取る。
(…たくましいな)
視線の先には、生き物の死体を捌き指先を血で濡らす少年。それを眺める青年は灰となったモンスターが落とした魔石を拾いつつ、ふと剣の違和感に気付く。
「あ、ちょつと欠けてる」
「えぇ、また? 宇今、もうちょっと丁寧に戦わないと…」
「わーってる、またエイナさんにどやされるのは勘弁だからな」
ちなみに、刃が欠けるのはこれで3回目。今までは見逃してもらえていたが、そろそろ弁償も視野に入る頃かもしれない。
「難しいんだよな、力加減」
「いっそ棍棒でも使ったら?」
至って真面目に武器変更を提案した少年だったが、青年は何故か顔を逸らした。
「あー…最近スマートに戦えるように心がけててさ。棍棒は、な。」
「そうなの?」
「ソウナノ」
初めて魔石をくり抜いた日、散々嫌がった挙げ句その日の昼飯を
「でも剣折っちゃ駄目だよ」
「ぐ…以後気を付ける」
なんとなく話題が途切れ、辺りに静寂が訪れる。
別に気まずいわけではない。ただ無性に肌がピリつく感じがしただけだった。
「…なぁ、ベル」
「どうしたの?」
「いや、なにか…なにか嫌予感がするんだよ」
ここは
「…?何も聞こえないけど」
「
俺より耳が良いであろうベルですら気づかないほど微妙な差異。物音がないからといっても、たまたま近くにモンスターがいないだけかもしれない。
ただ、ある程度の
「何…この足音…?」
十数
「マズい、何かヤバい奴が…」
言い切る前に、薄暗い洞窟の中でソレと邂逅した。
巨大な筋肉を蓄えた肢体。
右手に携えた削り出しの大石斧。
そして、頭の横から天へと伸びた2本のツノ。
そう。
皆さんお待ちかね、ミノタウロスである。
「ブモォォォォォォォォォォォォ!!!」
「「来たァァァァァァァァァァァ!?」」
半狂乱でこちらへと疾駆する猛牛を見た俺達は、それはもう心の底からビビリ散らかし、反射的に全身全霊のガン逃げをブチかましていた。
「おおおおちおち落ち着け!ままだあわあわあわあわ」
「宇今が落ち着いてぇ!?」
「だってアレやべぇって!!あの目は絶対俺達を殺しに来てるッ!俺は知能が高いから分かるんだぁぁぁ!!!」
「ほんとに落ち着いてぇぇ!?」
「分かってるよチクショォォォ!?」
今世紀稀に見るほど取り乱しまくっている相棒を見て逆に冷静になった少年は、錯乱状態の青年を連れて走る。
走る、走る、とにかく走る。
しかし、明らかに格上の怪物をそう簡単に撒けるはずもなく。逃走劇は唐突に、残酷な事実によって幕を下ろした。
「い、行き止まり…!」
絶望する間も無く、怪物が門から顔を覗かせる。
そのまま叩き潰されるかと覚悟を決めかけた時。莫大な威力を秘めた刃が振り下ろされ、けたたましい音と共に地面へと倒れ伏した。……いや、俺じゃない。ミノの方な。
灰となり爆散するミノタウロスの後ろには、一人の少女が立っていた。美しい金の髪と瞳、実用性のギリギリを攻めて軽量化された鎧………と大胆に背中を空けた服。寒そう。
「大丈夫…?」
「あ…………………………………はい」
妖精の如く儚げな雰囲気を纏う少女が声をかける。
膝を曲げ、下を向いた事で顔に落ちた髪を耳にかける仕草一つ一つが天然の産物。天然物のあざとさと無垢なるエロスを目の当たりにした青年は少し動揺し、少年は…………………完全に停止した。
「あの…」
「……………………………………………ご」
「ご?」
「…………ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!」
「…え…」
「…あれまぁ」
まさに脱兎の如しガン逃げを決めた少年。それを呆然と見送る二人の冒険者。
「すんません、ありがとうございました!」
「え、あ、うん…」
頭を下げ、脱兎の逃げた先へ走り出す。恐らくは先程の青年以上にテンパっているであろう相棒を一人にできるわけもない。
何より、あの面倒な
「いつまで落ち込んでんだ、ベル!こういう日は美味いもん食って忘れるに限る、だろ?」
ミノタウロスのみならず命の恩人ですら逃げ出した事を悔やみ続ける相棒を慰めるため、彼が今朝弁当を貰った店に繰り出すことにした。ヘスティア様に事情を話した結果、『男同士でしか話し合えないこともあるだろう?』と気を回して頂いた。
「あっ、いらっしゃいませ!こちらの席にどうぞ!」
鈍色の髪の娘に案内されるままに、キッチン横のカウンターに座る。
「…あ〜、中々いい店だな」
「うん…」
勢いに任せて連れてきたまでは良いものの、人を励ました経験など皆無。やはりヘスティア様も呼ぶべきだった。
(外面だけ取り繕うならまだしも…いや、それはちょっとなぁ)
どうしたものかと頭を悩ませていると、カウンターの向こうから恰幅の良い女主人マスターが現れる。単純にデカい。
「いらっしゃい、坊主共!駆け出しがウチに来るとは随分と太っ腹だねぇ!」
「あー…今日はえらく稼げましたから、祝勝会に、少し。ここの料理がとびきり美味いと聞いたもんですから」
作り笑顔を浮かべる青年と、憂いの隠せない少年。
少なくとも祝いをする顔ではない。
「しけた顔してんじゃないよ、ガキンちょ共!特別に大盛りにしてやるから元気出しな!」
「…はい、ありがとうございます!」
二人の様子を察したのか、常連でもない新米冒険者二人に惜しげもなくサービスする粋な店主。
「はい、今日のおすすめだよ!」
厨房から2つ、クソデカスパゲッティが出てきた。ここだけワ◯ピースの世界観だぞ。あとはマンガ肉があれば完璧だな。
「頂きます!」
「いや、頼んでないですって!」
お、案外イケるな。いや普通に美味い。オラリオの味付けはシンプルなものが多いが、こっちは出汁のような複雑な旨味を感じる。久々の日本食にも匹敵する食事に、何故か少し涙が出た。
その時、店員の声と共に店内がざわつき始めた。
「ご予約のお客様、ご来店ニャ!」
どこかで聞いたフレーズに、思わず麺が詰まる。美味い飯に気を取られて、完全に失念していた。今日がロキ・ファミリアが遠征から帰ってくる日。
励ましに来た食事の場で自らの醜態を憧れの彼女に聞かれる、上げて落とすとはこの事か。放課後の教室で「アイツまじキモいよねー笑」とか雑談のネタにされていた中学の頃を思い出す。
片や熟練の冒険者達…特にガラの悪い
片や料理の値段を見て顔を青くする相棒。
麺を啜りながら、チラチラと双方の様子を伺う。
その後ベルはアイズさんに見惚れたりシルさんと話してて好調、俺も適当に話を合わせる。
じきに宴もたけなわとなると、いよいよベートが動き出した。
「よっしゃぁ! アイズ、そろそろ例のあの話、みんなに披露してやろうぜ!」
「あの話?」
「あれだって、帰る途中で何匹か逃したミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末したろ? そんでほれ、その時いたトマト野郎の!」
「......!」
「いかにも駆け出しのひょろくせえガキが、逃げたミノタウロスに追い詰められてよ! そいつ、アイズが細切れにしたクッセぇ牛の血を浴びて、真っ赤なトマトみてぇになっちまったんだよ!」
「それでだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっかに行っちまって。うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんの!はははっ! 情けねぇったらねえぜ!」
「あの状況では、仕方がなかったと思います。」
「っ......!」
「いい加減にしろベート。そもそも17階層でミノタウロスを逃したのは、我々の不手際だ。恥を知れ。」
「あ? ゴミをゴミと言って何が悪い!」
その言葉。
愛すべき相棒を散々コケにするその暴挙。
堪忍袋の緒が切れる、というよりは、心の臓が破裂したというべきか。
…要するにブチギレってこと。
それを自覚する前に、青年はゆっくりと席を立ち。
「【
死んだ魚のような目で詠唱を呟いた彼の姿は搔き消え………次の瞬間、騒ぎ立てるチンピラ
地を蹴らぬ飛翔には音も立たず。
衝動による奇襲には殺意もなく。
ただ、当然の摂理かの如く。
ただ、眼下の仇敵をしばき倒さんと。
ただ、万力の握り拳のみを以て。
その拳を、ゲンコツを、無防備な脳天に叩きつける。
ゴォンッッッ
酷く酔って弱体化した
続いて傾いた頭がぐらりと揺れ、手元に置かれていた真っ赤な煮込み料理の皿に思いきり
「ハッ!誰が何だって、
普段よりなお低い声で出た、最高級の皮肉にマウントの香りを乗せた
(綺麗に決まって)気持ちよかったです。
「……………………………………………………………」
のそりと振り返り真っ赤に染まった無様な顔を晒したチンピラだったが、思いの外反応は薄い。
__と思ったら少しずつ震えてますね。着信かな?(すっとぼけ)ちゃんとマナーモードにできて偉いね。
「…………………………………………………………ぇ」
いや、どうやらふざけている場合ではないようだ。
「………………………………………………………めぇ」
そうですよねスミマセンだからその殺気をどうか収めて頂けませんか流石にチビッちゃうよ嘘でしょ短気すぎでしょ馬鹿なの死ぬの?
「てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」
「よぉしベル、逃げるぞ!」
命の危機を感じた青年は相棒の首根っこを掴み、即座に魔法を発動。店の屋根数m上空まで一気に飛び、着地と同時に走り出す。
「宇今、お代!払ってないよね?!」
「悪いが命の危機だ!なぁに見逃してもらえるさ!」
「嘘でしょぉぉぉぉぉ!!??」
…一方その頃店では。
我を忘れて怒り狂うチンピラと、慣れた手際で組み伏せ鎮圧するドワーフの老兵。
ほとほと呆れ果てたといった様子で、その光景に頭を抱える妖精の女帝。
恐らくはLv.1であろう全く無名の冒険者が、酔っていたとはいえLv.5に一発入れたという事実に気づき、あと単純に『なんだあの魔法ワケワカメ』と驚愕する小人の勇者。
……そして、大暴れのとばっちりを食らった店側の従業員。そのうち特に騒ぎ立てるのが得意な一人は、ただ目の当たりにした、この上なくシンプルなその現象の名を叫ぶ。
「………食い逃げだニャァァァーーーー!!!!!!」