彼女の言う「追試」とは、こうだった。
「先ほどの資料、セクション2の内容は覚えていますか?」
「ま、まぁ、大体は……」
「曖昧な物言いはおやめください」
「う……、覚えてます……」
「それでは、記憶しているセクション2の内容を始めから説明してください。日本語で構いません。一字一句違わず、である必要はありませんが、書かれていた内容は漏らさず網羅するようにお願いします」
 さも簡単に彼女は言うが、僕は言葉に詰まった。今度はいわば暗記問題。しかしそれは単純なものではない。今日の資料の「セクション2」は2ページに渡ってぎっしりと文字が敷き詰められた節であった上、数字のデータがズラリと並んでいた。それを全体で5分という短時間の中で、セクション2を読むのにかけた時間は1分にも満たない。記憶には残っているが、それが完全なものであるという自信は全くない。彼女はそれを、「完璧に」説明するよう求めているのである。
 さらに言えば、僕にとって状況は、極限状態である。何しろ、僕が座る目の前のデスクの上では、彼女がこちらにパンティ丸出しの巨尻を向けているのだ。それも今回からは、両手でお尻の両脇を抑え、尻肉を軽く左右に広げ、「準備万端」の体勢をしている。……僕からしてみれば、撃鉄を起こした拳銃の口をこめかみに当てられているも等しい状況である。
「社長、どうしましたか。始めてください」
「え、えぇ……と………」

ぶすううぅうーーーーーぅううううううッッ!!!!

 ——と、そこで唐突に放たれた乾いた音は、先ほどの3発に比べれば短い一発だったが、半ば不意打ちで顔面へ吹き掛けられたガスに、僕は思わず嗚咽を上げた。
うぐへぇえッッ!!!?く、くッさぁああぁああッッ!!?!!
 短い一発というのは飽くまでも、彼女にとっては、である。一般的に言えばかなりの量のガス。その悪臭で僕を苦しめておきながら、彼女は相変わらずの抑揚のない口調で言う。
「社長、言い淀まないでください。少しでも言葉に詰まれば、お若い社長は舐められます。毅然として、問いには即答してください」
ゲホッ!! わ、分かってる、分かってるから……」
「では迅速に、どうぞ」
 顔面めがけて突き出されている巨尻に向かって、僕は必死に記憶を辿り、先ほど読んだ資料の「セクション2」に書かれていた内容を頭の中で絞り出す。
「セクション2では、『カシワ』と海外競合企業の財務比較について述べられており、まず始めにC社の主要事業では、プラス幅が昨年比……、……さ、前年比、22ポイントの——」

ぶばずッッ!!!

ふぐぎッッ!!!?
「その数値は小数点以下1桁まで示されていました」
 短く鋭い一発からの、容赦なき指摘。1問目のように僕の回答を聞いた後に誤りの回数分まとめて「ペナルティ」を与えられるのではなく、2問目は僕がミスをするたびにおならを嗅がされる形式らしい。そして今の一発は、言わば警告のイエローカード。それを受けて僕は慌てて、
「う、に……、22.5ポイントの——」
と言い直す。が——

ぶむごほおおおぉおぉおぉおーーーーぉおーーーぉおぉおおおおおおっっっ!!!!!

ふむぎゃあああぁあーーーぁあああッッ!!!!!

 ——彼女のパンティの布地が一部ふわっと膨れ、吹き掛けられたのは、レッドカードの大放屁。
 僕が記憶にない情報を当てずっぽうに答えたことはお見通しだった。彼女は校門から重低音を轟かせたのが嘘のように何ら態度を変えずに、
「22.8ポイントです。数値は正確にお答えください」
と誤りを訂正する。
「うぐ、げふッ、も、申し訳ない……」
「謝罪の必要はありません。それよりも、回答を続けてください」
 彼女は一切の情けも与えてはくれない。僕の回答はまだまだセクション2の冒頭を述べただけ。彼女の問いに対する回答責任は、そのセクションの内容全てを説明するまで終わらない。
 僕は顔面に染み付くように残り続ける大根腐卵臭に苦しめられながらも、思考を止めるわけにはいかない。
「……に、22.8ポイントの上昇で、C社の好調な業績が表れている。一方N社は同事業でアジア地域の販売が落ち込んでいて、日本、中国、ベトナムにある支社では、……え…えー……、……約30%の——」

ぶりゅッッぶすううっぅううーーぅううーーーぅううううううううぅうッッ!!!!!

うぅううぅぅぐええぇええッッ!!!!
「31.4%です」
ぐふッげほッッ、う……、さ、31.4%の落ち幅を示している。そ、そのため、N社の販売圏奪取が『カシワ』の事業拡大の最善手であると考えられる。その場合、主たる競合となるのは、N社の他には、T社、P社があり——」

ばッッふうぅぅううーーーーーぅううーーぅぅううううぅうううッッ!!!!!

んぎぃえぇッッ!!!?ぐぜあああぁああッッ!!!!!
「1社足りません」
「ひぎッ、ひぃ、ひぃ……ッッ、てぃ、T社、P社、それと……、え、S社、があり——」
 本当に些細な数字の間違いやデータの不足があるたび、目の前のデスクに、ずどむ、と鎮座している巨尻から情け容赦無用のガスが噴射する。僕はその恐怖と戦いながらも、短時間で頭に叩き込んでいた資料の中身を、懸命になって思い出す。
 しかし驚異的なのは、彼女の記憶力である。デスクに四つん這いになってお尻を突き出し、僕の回答を聞いている彼女は、あの資料を見ながら答え合わせをしているわけではない。先ほど印刷された資料は離れた別のデスクの上に置かれていて、彼女はタブレット端末などを見ている様子もない。僕の答えている内容が正しいかどうかを、彼女は自身の記憶だけで判定しているのだ。それはつまり、今朝出来上がったばかりの資料の内容を、彼女は一字一句欠けることなく完璧に記憶し、理解もしていることを意味する。そんな完璧な秘書を前にしては、僕が「あんな短時間で覚えられるはずない」などと泣き言を口にすることもできない。

 その後も幾度となく激臭の大根っ屁を嗅がされながらも、僕は必死でセクション2の内容説明を続けた。
 しかし、あるパラグラフまで記憶を遡ったところで、自分の口から、言葉がぱたりと止まってしまった。
「…………あ、…え……ぇと………」
 頭の中で脳みそをフル回転させる。これに続く内容は、次に示されていたデータは……
「どうしましたか。続けてください」
「あ、あぁ、もちろん、………つ、次…に…………」
 しかし、どうしても出てこない。
 詳細な部分はともかく、資料の内容は概ね記憶できていたと思っていたのだが、今まで説明した部分に続く内容が、頭の中からすっぽりと抜け落ちている。斜め読みで読み飛ばしてしまった部分だったろうか。どうしても思い出せない。
「社長、先を続けてください」
 そう言って彼女は、心なしか、両手に力を入れて、尻肉をさらにぐいっと広げたように見えた。
ひッ
 それは僕にとって最大級の脅迫。もし「これ以上覚えていない」などと言ったときに目の前の肉感たっぷりの巨尻から噴き出すガスを想像すると、心拍数が急上昇する。
「え、えー……、つ、次に、国際社会における『カシワ』の立ち位置を考察すると——」
 僕はなんとか繋ぐ言葉を絞り出す。が、自分でもその回答が誤りであることは分かっている。これは先ほどまでの続きではなく、セクション3の内容だ。そして当然、彼女がそれを見逃してくれるはずもない。

ぶばぶふううぅううーーーーぅううううーーーーーぅうううううッッ!!!!!

んぅがあぁぁあぁぁああーーぁあああッッ!!!!!
 やや広げ気味の尻肉の合間から破裂音と共にペナルティの一発がぶちかまされる。
「…………」
 そして彼女は、何も喋らず、無言。
 先ほどまでは僕の誤りのたびにペナルティの放屁と共に指摘と訂正をしていたが、今度はその救いの手すらない。少しでもヒントとなる取っ掛かりがあれば思い出せるかもしれない、そんな僕の甘い考えを見透かしているかのように。
 こうなれば、悪臭に耐えながら、セクション2の続きをなんとかして思い出すしかない。そのきっかけのために、頭に浮かぶ記憶の断片をかき集める。
「うぐ、各企業の財務状況……、い、いや、地域毎の経済トレンド……、じゃなくて………」

ぼぼぶずううぅううぅううーーーぅうーーぅううぅううううううッッ!!!!!

うぐッッ、ふ、んぐぐぅ、ううぅうう……ッッ!!!!
「…………」
ゴホッゴホッ、そ、その……、新事業戦略の市場開拓戦略……、…い、いや、違う………」

ぶりッッぶりぶりぶううぅううぅうーーーーぅうーーーぅうぅうううッッ!!!!!

ひッッぃぎぐふうぅうううッッ!!!!!
「……………」
ひ、ひぃ、ひぃ……ッッ、う、うぅぅ、…え、えぇ…と………ッッ
 だが、しかし、思い出せない。
 覚えていない。答えられない。
 捻り出そうとも、当てずっぽうに喋ろうとも、僕の思考はすっかり袋小路に迷い込んでしまっていた。
 そして無言を貫く彼女も、いつまでも僕の答えを待っていてくれるわけがない。
「…………………はぁ」
 小さな音で溜息をついた彼女の両手の指が、目の前の分厚い尻肉にみちっと埋まる光景が僕の目に映る。彼女がそのまま尻たぶを左右に広げると、パンティは尻の割れ目に吸い込まれるように食い込み、黒タイツは尻圧に負けて真ん中からビリリッ!と縦に裂ける。そうして彼女が僕に向けた巨尻を左右に広げた直後、その凶暴な化け物が真の牙を剥いたのである——

んむっっしゅううぅうーーぅうーーぅうーーーーーぅうぅううぅううぅううう……っっ!!!!!

んな…ッッ!!!? ふぎぎゃあぁああああぁあッッッ!!!?!?
ぐざッッ!!!!ぐざいぎいいいぃいーーぃいーーぃいいぃいいいッッッ!!!!!!
だッッ大根ッッ!!?!?大根ぐぜええぇええーーーぇえええええええッッッ!!!!!

 その生暖かい風が僕の顔面を直撃した瞬間、本能的に感じた。これは人間が嗅いでいい臭いではない、と。
 先ほどまでも十分すぎるほど臭かったガスのレベルが、明らかに上がった。
 腐った卵と腐った大根。臭い成分のその二大要素に変わりはない。だが、先ほどまでが「家の台所で腐らせた卵と大根」だとすれば、今の一発はまるで「高温多湿の倉庫で大量廃棄された大根と卵が腐り果て、そこに閉じ込められた」というほどに、咽せ返るような重苦しい激臭。彼女はお腹の内に「大量廃棄された大根と卵が腐り果てた倉庫」を凝縮させて隠し持っている……。改めてそう認識させられる、圧倒的なすかしっ屁だった。
 僕は思わず、椅子から床に転げ落ちた。
 臭さのあまり捻じ曲がったのではないかという鼻を抑え、自分でも訳のわからない声を発しながら悶絶する。あのガスの直撃を受けた顔の表面に、大根卵臭が一瞬にして染み付いてしまったとすら感じる。
ひぎッ、ひぐげぁえッ、ぇぐ、げふ……ッッ!!!!
 そうして、ようやく平静を取り戻した僕が顔を上げると……、デスクから降り、仁王立ちし僕を見下ろしている彼女の突き刺さるような視線と目が合った。
ひッひぃいいぃッッ!!! ごッごめんなさいッッ!!!おッ覚えてませんッッ!!!すみませんッッ!!!も、もう思い出せませんッッ!!!
 その本性を知っている者相手ならば視線だけで男を這いつくばらせる、そんな彼女の目で睨まれては、僕にできることは、潔く「降参」を認めて謝ることだけだった。巨大企業の社長という立場など関係なく、獣に睨まれた小動物のように震え上がって。
「………………」
 半身になって床に転がったまま頭を下げる僕に何の言葉もかけず、彼女はスタスタとその場を離れる。そしてすぐに戻ってきて、僕の前の床に、紙の束を落とした。先ほどの会議資料だ。
「追試は不合格です。追々試を行います。社長、『カシワ』のトップがそのように情けなく床に這いつくばっていては困ります。早く立って席についてください。社長にはもう一度、資料を隅々まで頭にインプットして頂きます」
「ご、ごめんなさい………」
「再度、資料に5分間目を通してください。二度目ですので、当然、私からの質問の内容は子細なものになります。十分に読み込んでください」
「は、はひ………」
 そうして僕がよろめきながら資料を拾って起き上がり、椅子に座ったところで、再びタイマーをセットしながら隣に直立する彼女から、容赦ない宣告が下される。
「ペナルティはひとつにのミステイクにつき、3発とします。なお、全てスカシとしますので」
ぃぎッッ!!!? すッスカシッッ!!!? そ、そんな、そ、それは——
「取締役会まで時間がありません。社長には危機感を持って資料をインプットして頂かなければなりません。それに、一度もミスしなければペナルティはありませんので。………危機感が足りないようでしたら、読む前にもう一度スカしますが」
ひぃぃいいッッ!!!! いッいやッッ!!!いいッッ!!!大丈夫ッッ!!読む!!読みますッッ!!!!
 取締役会が始まるまでの時間、僕は全身から冷や汗を噴き出させながら、こうして議事の「事前レクチャー」に臨むのである……

「ところで、その指標には、各国の経済安定指数による補正が必要なのではないかな」
「ッ!! は、はい、社長のおっしゃる通りで……」
「それから、P社の動向を踏まえると、中川専務の提案には一定のリスクが残るはずだ。資料のセクション2に成長率の記述があったろう。18.2%だったかな」
「……そ、その通りです、社長」

 取締役会で、ズラリと並んだ『カシワ』取締役達を見渡せる位置に座った僕は、議事の進行の中の適切なタイミングで意見を質問を飛ばした。鋭い質問というのは、人に返事を窮させるが、けして悪い印象は与えない。それが納得できるものであれば、それは圧迫的な問いではなく、建設的な意見になる。
 2時間弱の取締役会を無事に終えた僕は、嗣実さんと、社長室フロアに戻るエレベータに乗った。
「ふぅ……。無事終わったね」
「はい。社長、完璧なご対応でした。取締役の中でも、社長に対する畏怖の念が増したことでしょう」
「ははは、だといいんだけどね。嗣実さんのおかげだよ。どうもありがとう」
 社員達の前では、「社長」として威厳を持って振舞わなければならないが、こうして周囲に彼女しかいない場では素の顔が出るというもの。しかし彼女の方は全く気を緩めることなく、冷ややかな流し目を送ってくるので、僕は思わず身をすくめる。
 結局「追々試」でも、彼女の厳しすぎる判定によって僕の回答はことごとくミスが指摘され、完全防音の社長室の中には僕の絶叫が21回も響き渡った。しかし、その彼女の厳しい「事前レクチャー」のおかげで、取締役会での的確な質疑が行えたことは疑いようもない事実だった。
 取締役会へ向かう直前、社長室は絶望的な濃度で大根腐卵臭が充満していた。最強設定でフル稼働させてきた空気清浄機で、少しはマシになっていると良いのだが……。僕はそう願い、また、もう今日は彼女の肛門から大根っ屁が噴き出さないことを祈りながら、エレベータと共に上昇するのだった。

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