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 清恵様と出会うより以前の私の人生は、本当に悲惨なものでした。

 小学生の頃、両親が離婚した私は、父親と二人で暮らしていました。
 私の生物学上の父親は、ろくでもない男でした。酒を飲んでは母親に暴力をふるい、それが原因で離婚したにも関わらず、逆らえない母親に強引に首を縦に振らせて私の親権を主張したのです。しかし、父親にしてみれば、母親にふるえなくなった暴力の矛先として、娘の私を抱え込んでおきたかっただけでした。私と二人で暮らし始めた後も、父親は酒を断つ気も見せず、私を暴力で支配し続けました。

 そんな日々の中、中学1年生になった頃、私の体に『異常放屁体質』が発現し始めました。
 自らのガスの異様な臭さと量に私は不安を感じていましたが、家庭の中にも外にも相談できる相手がなく、一人思い悩むことになりました。
 家でガスを放てば、激怒した父親から殴られることは明白でした。この体質をはっきりと自覚した頃には、自らのガスをコントロールして溜め込むことが出来るようになっていたため、私は家ではガスを溜め、学校の使われていない女子トイレや公園の公衆トイレでガス抜きをしていました。
 しかし、私のガスは、あまりにも臭すぎました。放課後に人気のないトイレでガス抜きをした翌日まで臭いが残り、異臭騒ぎになったこともありました。公園の薄汚いトイレでガス抜きをしていたら、隣の個室に潜んでいた変質者の男が泡を吹いて倒れ、匿名で救急車を呼んだこともありました。
 そうした生活に耐えられなくなった私は、思い切って、自分の体質のことを、保健室の養護教諭に打ち明けることにしました。
 養護教諭は、初老の穏やかな女性でした。あの日の放課後、私の赤裸々な告白を聞いた彼女は、驚いて目を丸くした後、
「良いお医者さんを紹介してあげる」
と言って、私の手をやさしく握りました。
 アルコールに溺れて定職にもついていない父親との貧しい父子家庭だった私は、病院にかかるお金はない、と断ろうとしました。しかし彼女は、
「大丈夫よ、つぐみさん。先生の知り合いだから、お金なんていらないのよ」
と言うと、立ち上がって、忙しなくどこかへ電話を掛け始めました。

 その翌日、私が養護教諭に呼ばれて再び保健室へ向かうと、そこにいたのは、医師と共に私の学校を訪ねてきた、柏 清恵様でした。
 これが、私と清恵様の出会いでした。
 後から分かったことですが、清恵様は、成長期の女子が私のような体質・症状を訴えたらすぐに情報を流すよう、全国の小中学校や胃腸科がある病院に秘密裏の指示を出していたようです。情報提供した養護教諭や医師には多額の報奨金を支払うという約束の上で。
 そうまでして、清恵様は私のような日本に二人といない稀有な体質の女子生徒を探していました。当時、『カシワ』の代表取締役社長を務めていた清恵様は、多忙な中、私の訴えを受けた養護教諭からの連絡を受け、全てのスケジュールをキャンセルした上で、この日、私に会いにいらっしゃったいうことでした。

 大きな黒塗りのリムジンに乗って場所を移し、清恵様がお連れになった専門医からのカウンセリングを受けた後、私は清恵様と二人きりでお話することになりました。
 清恵様の第一印象は、柔和さと凛々しさを兼ね揃え、他者とは明らかに異なる雰囲気を纏った、別格の女性、というものでした。子供ながら当然『カシワ』がいかに巨大な企業かは知っていましたし、そんな会社の社長さんが一体何故、という思いで、私は清恵様と向き合いました。
 そこで清恵様がおっしゃった言葉を、私は今でもはっきりと思い出せます。
「つぐみさん、貴女はその体質を恥じる必要は全くありません。ありのまま生きれば良いのよ」
 ——その日初めて会った、見ず知らずの女性からの言葉であったにも関わらず、その言葉は、思い悩んでいたコンプレックスの全てから私を救ってくれるような、清らかなものに感じられました。
 何故、清恵様の言葉が、そこまで当時中学生だった私の胸を打ったのかは分かりません。それこそが清恵様が生まれ持った天性のカリスマ性というものだったのでしょうか。とにかく私は、この瞬間以来、清恵様に心酔し、心から信頼するようになったのです。

 それから清恵様は、私のことを、パトロンとしてサポートしたい、とおっしゃいました。
 突然の申し出に、私はもちろん驚きました。どうして私にそこまで、と尋ねると、清恵様はその問いには答えず、ご提案を続けました。
「つぐみさん。私は貴女の人生を、金銭的・環境的にサポートしたいの。一流の家庭教師、習い事、カウンセラー、なんでも提供します。不自由な思いは一切させません。その代わりにひとつだけ、条件があります。将来、私の孫が『カシワ』の重役につく時、貴女に秘書に就いて欲しい。それが条件。そのために、貴女が超一流の秘書になれるよう、貴女には不断の努力してもらう必要があります。厳しい努力になるかもしれないけれど、貴女にはその才能、能力がある。そして私のサポートで、それが100%開花すると、約束するわ」
 呆気にとられる私に、清恵様はこう続けました。
「もちろん、これを受け入れるかどうかは、つぐみさん、貴女の自由よ。もしこれ以上、関わって欲しくないのであれば、私は潔く身を引き、もう干渉することはありません。その場合、今後は医師だけが貴女のカウンセリングにあたって、私は二度と、貴女の前に現れないわ」
 そして最後に、口元をきゅっとつり上げて微笑みながら、尋ねました。
「さて、つぐみさん。ここで決心して頂戴。私からの申し出を、受けるかどうか」
 ——少し考えた後、私は、清恵様のご提案を受けることを決めました。

 私が清恵様のご提案に頷いた後、すぐに問われたのは、「父親から離れたいか?」ということでした。
 医師とのカウンセリングで、私は家庭事情の一部を話していましたが、清恵様は既にそれ以上の情報をお調べになっていたようでした。
 私はすぐに答えました。「離れたい」と。父親から、あの家から離れたい。そして、自身も暴力の被害者であったとは言え、私を見捨てて去っていった母親の元へ行きたくもない、と。
 その返事を聞いた清恵様は、穏やかな表情を浮かべたまま、小さく頷きました。
「分かりました。貴女は今日から、元の父親がいる家に帰る必要はありません。学校も、少しの間だけお休みしましょう。この後のことは、全て私に任せなさい」
 そう言われた後、再びリムジンに乗り案内されたのは、テレビドラマでしか見たことがないような豪華なホテルのスイートルームでした。私はそのホテルで寝泊まりし、その間、通っていた中学校を欠席しました。
 そして1週間後には、私を養子として受け入れていくれる里親が見つかりました。
 私自身が「豪邸には住みたくない」と希望したため、受け入れてくれた安堂夫妻は、ごく庶民的な夫婦でした(それでも、都内のマイホームで暮らしているあたり、裕福であったことには違いないでしょうが)。幸せな夫婦ながら、事情があって子供を授かることが叶わず、養子で子供を受け入れることを望んでいたようです。
 こういうものは普通、児童相談所などを通す必要があり、親権を主張する父親との間の手続きに冗長な時間がかかるものですが、私には世界でも指折りの優秀な弁護士がついて父親の言い分は全て却下され、あっという間に養子縁組として正式に里親の娘として迎え入れられることになりました。
 養子に入って姓が「安堂」に変わったのと同時に、清恵様の発案で、私は名前も平仮名の「つぐみ」から「嗣実」の文字に変えることになりました。清恵様の力は本当に強大で、正式に戸籍の名前を変更することすら、造作もなく行うことができてしまいました。

 そうして「安堂 嗣実」となった私の人生は、がらりと様変わりしました。
 これは今も変わりませんが、思春期の私は自分の感情を表現することが苦手で、学校でもほとんど友達がいませんでした。父親からDVを受けていた家庭環境もあり、また『異常放屁体質』のコンプレックスも抱え、本当に酷い人生だと思っていました。
 しかし、清恵様との出会いで、それまでとは打って変わって幸せな生活が始まりました。
 私は、このような環境を与えてくださった清恵様に心から感謝し、懸命に勉学に取り組みました。
 元々の生真面目な性格も幸いし、また当然、清恵様がつけてくださった一流の家庭教師の指導を受けたこともあり、私の成績はみるみるうちに上がり、都内最難関の女子高校に入学することができました。十分な環境が与えられずに落ちこぼれていた中学1年生までのことを考えると自分でも驚きでしたが、今思えば、清恵様は私に一定の資質があることを、始めから見抜いていたのでしょう。

 高校に進学して少し経った頃のことでした。
 清恵様は、お忙しいスケジュールの中でも、私との定期的な面会の時間は必ず確保してくださっていました。私生活のこと、学校のこと、勉学の状況、そして『異常放屁体質』の現状……。清恵様と二人でお話しする時間は、私にとって、心からリラックスできるひとときでした。
 その日の定期面会もいつも通り、『カシワ』本社最上階の社長室で行われることになり、清恵様から頂いたVIPパスを使って清恵様のもとを訪れると、そこに待っていたのは、清恵様と、一人の男でした。それも、ただごとではない様子でした。清恵様が座る椅子の横に置かれた台に仰向けに寝かされた男。彼は首から下の全身をロープで台に固定され、目にはアイマスク、耳にはヘッドホン型の耳栓を装着させられていました。
 驚く私に、清恵様は開口一番、さらに驚きの一言をおっしゃいました。
「嗣実さん。この男に向けて、放屁してみて」
 それを聞いて戸惑う私に、清恵様は真剣な表情で続けました。
「大丈夫。この男は何も見えていないし、聞こえない。あなたのおならだとは分からないから。それにこの男、社内で不祥事を働いて懲戒される、ろくでもない男なの。遠慮する必要は少しもないわ」
 普通の年頃の女子高生であれば拒否したでしょう。しかしその頃にはもう、私は清恵様のご指示に背くことなど考えられないようになっていました。私はそれほどまでに、心の底から清恵様に憧憬していたのです。
 私は清恵様に促されるがまま、台に乗せられた男へ近づき、制服のスカートを捲ってお尻を男の顔に向けました。清恵様が見る前で……、そんな恥じらいの気持ちを抑えて下腹部に力を入れ、放ったのは、

ぷすぅぅぅうぅうーーーーぅぅう……っっ

という、ごく小さく短く控えめなスカシでした。
 当時、清恵様が用意してくださる専用スペースで普段行なっていたガス抜きに比べれば、笑ってしまうほど瑣末な、赤子のような放屁でした。しかし、それを顔に受けた男——目を耳を塞がれ、鼻と口だけ出した男の反応は、私の想像を超えるものでした。

んがああああぁああぁああぁああッッ!!?!?
ぐッッ、くッ、くッッせええぇええぇえーーーーぇええええぇえッッ!!!?
なッなにこれッッ!!?オェエェッッ!!!!たッ卵ぐざひッッ!!!!
どッ毒ッ!!?なッなんでずがッ!!!?しッ、死ッ、ぐぜぇえええッッ!!!!!

 男は、大声で絶叫しながら暴れようとするも、拘束された台にそれを阻まれて虚しくガチャガチャと音を鳴らすことしかできていませんでした。
 私が驚きながら清恵様の方を見ると、清恵様は何も言わず、また相当な臭いが届いているにも関わらず不快な表情を見せたり鼻を覆ったりすることもなく、ただ黙って、しかしどこか不敵な微笑みの影を表情に浮かべながら、私のことを見つめていました。
 そしてその時、私は、驚きと同時に、気持ちが激しく高揚し、自分の中に恥じらいを上回る興奮が芽生えていることをはっきりと自覚したのです。

 その後も清恵様は、定期面会の際に、「放屁責め」の訓練として男を連れてきました。
 最初の数回は目隠し、耳栓をつけた男が対象でしたが、私はすぐに慣れて、相手に音を聞かれていても、姿を見られていても、おならを嗅がせることができるようになりました。
 初めは羞恥心から音を立てないスカシを嗅がせることが多かったものの、清恵様に諭されたこともあり、次第に下品な音の放屁も嗅がせられるようになり——むしろ、男が音だけで萎縮してしまうような濁点付きの爆音を放つことによって、男に対して優越感を抱き、それを快感に思うようにまでなりました。
 私がすぐに放屁責めに順応したことを、清恵様は大変喜んでくださりました。それは私にとって大きなモチベーションになりました。
 男の顔に跨って爆音を連発し、初めておならだけで男を気絶させた時は、清恵様は私の頭を撫でてくださいました。
 その月の月経が終わってホルモンバランスが乱れ、しばらくお通じが来ていなかったタイミングでの面会の際に放った、

むっすうううううぅうーーーーーぅうううーーーーぅうううぅう………っっ!!!!

という長いスカシで、男が、

んぎょがげえええぇえぇええぇええぇえええぇッッッ!!!!!

という奇妙な悲鳴を上げ、たった一発で白目を剥き、泡を吹いて痙攣し始めてしまった時には、清恵様は手を叩き、
「素晴らしいわ、嗣実さん」
と賛辞の言葉をかけてくださりました。
 私にとって、清恵様からいっぱいに褒めて頂けることは、本当に嬉しく、この上ない幸せでした。
 清恵様は、初めから、いえ、私とお会いになる前から見抜いていたのです。思春期に『異常放屁体質』を発現した私が、深層心理の中に、自らの臭すぎるおならを異性に嗅がせることで快楽を見出すという倒錯的加虐性癖を抱いている女であるという事実を。
 この性癖は、清恵様によって訓練され、矯正されたものではありません。清恵様は、私の中に隠れていたそれを呼び覚ます手助けをしてくださったに過ぎません。
 こうして私は、本当の意味で、自らの体質と正面から向き合い、それを自らの武器として使いこなすことができるようになったのです。

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