永六輔のラジオに「給食の時間に「いただきます」を言わせないでほしい」 | 小骨の視点

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この問題、先日UNDERCOVER NAGOYAに行った際に店長のTADA君にこう聞かれた。


TADA店長「藤原ヒロシさんのBLOG見てますか?」


僕「当然見てるよ」


TADA店長「ヒロシさんが給食のいただきますの件を記事にしたの読みましたか?」


僕「あ、まだそこまで見てないから家に帰ったら早速チェック入れるね」


まず、洋服屋である人間が道徳の話しを最初に切り出したTADA君に大変好感を持った。


元々、彼は性格が大変良いことは百も承知だが、お子さんがいるTADA君にとっては凄く不謹慎な問題に思えたんだろう。


僕も早速、藤原ヒロシさんの記事を読んだ。僕は人身売買の話しの記事までしか読んで無かったからその後に書かれた記事だった。


声欄

記事抜粋コピペ。

「最近は,給食のときに「いただきます。」と言わない学校があるんだね。給食費を払ってるから「いただいている」わけではないと,保護者からクレームがあったそうです。本日の朝日声欄より」(twitter より)doi ちゃん経由、岡口さんという方のtweetかな。
ちょっとビックリだな、、。レストランで高額払っても、「いただきます」言いますよね。バカな親もいるもんだ、、。

ちなみに,保護者からのクレームで「いただきます」というのを止めた学校は,その代わりに,給食開始の笛を吹くことにしたそうです。詳しくは,本日の朝日新聞関東版の声欄で

そのクレームに屈した学校はもっとバカだ、、。



この内容はTADA君からも聞いてはいたが「いただきます」の代わりに「笛を吹く」って全く有り得ないニュース、いやこれ事件でしょ!?


昔、関西と関東では外食の際、食べ終えた後に一言「ごちそうさん」や「ありがと」という一言をどっちが多く言うかという検証番組があり、明らかに大阪、関西だ断トツで食べ終えた後やコンビニで何かを買った時に一言お客さんがお礼を言う割合が高いという結果だった。

これは僕の考えだが、僕も外食、コンビニ、どこでもそうだがサービス業を経験したことのある僕としては自分がお客の立場であっても必ず一言添える癖が付いている。


他人で二度と会うことのない従業員にでも「有り難う」外食なら「ご馳走様」は必ず言う。当然、「いただきます」も。


それに含まれた意味合いは色々な視点で例えることができるが、挨拶の基本はお互い気持ち良く終わろうという意思表示であり、上座、下座で考えたことは一切ない。

またサービス業だからと言って相手に横暴になることは絶対にない。


但しこれが反対でサービス業側が横柄だったり、明らかに僕の腰の低さから人間性を勝手に決めた場合は直接相手と揉める。

正確に言うとブチキレる。

その後、横柄な従業員が言う言葉は決まって


「そんなつもりは全くありません」


いや、明らかにあったから僕が怒った訳で、今回の事件もお金を払ってるのに感謝の意を払う必然性がなければ良いという考えは絶対に反対だ。

近頃よく耳にするあの単語モンスターペアレント

モンスターペアレントとは学校などに対して自己中心的で理不尽な要求をする親を意味する


僕の母親の話しになるが時代が時代だったので、とにかく近所でも恐い母ちゃんとして当時は有名だった。

例えば、僕と友達が喧嘩すると一方的に友達の子供を擁護し


「あんたが我慢しなさい」

とか外出先とかデパートでイタズラ、例えばエスカレーターを逆走した後の母ちゃんの癇癪とかハンパなかった。


酷いときは場所構わず制裁を受ける。殴られることもよくあった。


だからと言って母親を逆恨みする様に僕はならなかった。


母ちゃんが言ってた

「嘘をや泥棒をする人間は本当は凄く頭が良い人間がやることであって小さい器のお前はケチな盗っ人になるな!」

「泥棒になるなら大泥棒くらいの根性でないと駄目だ」


という教えは今も貫いている。


もっと言うと僕に落ち度がなくても当時のテレビで例えるなら「あばれはっちゃく」の父ちゃんの考え方とうちの母ちゃんは接点があり、人様に迷惑かけた可能性があった場合、とにかく相手に平謝りするのが絶対で、その後、僕を呼び出しどやしつける。


この教育が絶対に正しいという確証はないが、僕は嘘を付かないこと。正直でいることをモットーにしている。

付け加えて言えば、「愛想」「挨拶」「礼儀」のこの3つは僕は人を測る際の目安の基準であって、この3つが欠けてる人とは仲良くなれない。

嘘なんかは例外だ。

但し、その後に正直に謝る人間は別だ。



話しを元に戻すと「いただきます」は感謝の意であったり「ご馳走様」も同じことだ。


コンビニでお釣りを貰う際に僕が「有り難う」と言うことに上座である僕が、コンビニでわざわざ不況の中、沢山あるコンビニでお宅を選んであげたんだよ的な思想の方は、先のモンスターペアレントであって利己主義にしか聞こえない。



これは別の書籍で読んだのだが日本のキャビンアテンダントの笑顔や接客は真ん中の国では大変評価されている。

しかしその反面こういう意見が書いてあった。


「面白くもないのによくいつもニコニコ笑顔ができるな」


確かに愛想はマックの接客で例えると「有り難うございました」という発音のキーの問題で相手が不愉快になるか?ならないかの問題であったりして、そうなると本心は感謝の意がなく発音次第、要は役者の芝居と同じになるから分析してくと嘘になるかもしれない。


でもマックの仕事はマックジョブと世界で呼ばれるくらい低賃金で迅速かつ愛想が絶対だ。


向こうの国でオリンピックがあった時も世界的にマナーが悪いことを懸念した当局は厳重にマナーに対してオリンピック開催までプロパガンダともとれるくらい斡旋した。


要するにマナーがなってない。


相手を思いやる気持ちがない。


損得勘定でしか表現しない。


という言葉が浮かんでくる。


その方はどの店に入っても相手が気を遣うのは当然という考え方なんだろうか?


仮にその方がサービス業だった場合、最高のもてなしで相手は冷淡であっても当然で良いのか?という話しにまでなる。


いただきます、と言う言葉は深い。料理してくれたことだけではなく食事にありつけた事に対しての感謝の意も含まれるからだ。


僕等が生きていく為には生物から命を奪わないと生きられない。


エレルギーは常に他の生物が代償となって生きている。


ベジタリアンの方でも植物は当然生きていて、もっと言うとロシアの研究では植物(木)が伐採される時に絶叫を上げてることが実験で分かったと当時僕が28歳の時に友人に聞いた。

サボテンに話しかける話しや、またクラシックとロックの右脳左脳の話しも植物には関係していてクラシックは右脳に比例し活発に成長するなど植物は感情を表さないから問題が無いようで、実際に感情があったり悲鳴をあげたらベジタリアンの人も考え方が変わるかもしれない。



僕等は常に生きてる以上、何かが犠牲になってるからこそ生きられる。


それに対しての感謝の意も給食費を払ってれば関係ない事とは全く意味が違ってくる。


合掌の意味を知らないのだろうか?


僕は無知だが自分が無知で学歴がないことや立場を知ってることと、自分の立ち位置や無知さ加減を知らない人間の浅はかさを知ると本気で腹が立つ。


単純に強いものが勝つという動物社会の食物連鎖に近い発想だ。

倫理の概念がない。


僕等は人間なのだからお互い尊重し、問題がある場合は議論するのは大いに結構だが今回の問題は議論ではなく単に利己であってモンスターペアレントという単語に行き着く。


幽霊を信じないならお盆も無しでいいじゃないか!までの発想レベルだ。


墓石に供養しても本当に物理学的な検証で言えば、それは正しいことなの?的にも聞こえた今回の問題発言にはあきれた。


日本は今、結束力が色んな意味で必要なのに常に個人を優先するその母親の発想は全く理解できない。


笛で育つ子供達が哀れに思えてしょうがない。


無知は罪だ。


多分、こんなことがまかり通ってしまうのだから、その方に倫理や色んな話しで唱えても水掛け論になりそうだな。

僕はご都合主義や利己主義が露骨な奴は大っ嫌い。


ってことはだよ。その方が亡くなった場合、お金を貰ってる訳ではないから合掌しなくて良いことになるよね?


そういう人が増えてるのかと思うと真面目に大問題だね。



書籍「インディアンの教え」を無理矢理でも近くに言って僕が2時間かけて朗読したいくらい、その考え方を指摘したい。

この合掌の意味分かってるとかの問題よりもっと手前に問題がある。
SUPER BARBARIAN的な日常生活-永六輔のラジオに「給食の時間に「いただきます」を言わせないでほしい」


道徳観からまず教えないとアカン。無知は罪。罪と罰はドフトエフスキー。



この方の思想はリスキー。



こちらのメインBLOG「PARANOIA TRAINの日々」も宜しく。
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