【往復書簡】カタギを巻き込まなくちゃいけないよ。
壇珠さんの記事へのお返事です。
壇珠さん、おはようございます!!屋久杉トレイルに参加して、念願の縄文杉を見てきました!!念願と言いましたが、ガイドツアーに参加している自分が情けなくて、前半は恥辱にまみれていました。ガイドさんから「ポケットに手を入れて歩くと危ないですよ。周囲は崖ですからね」と怒られた時は、正直「死なせてくれ」と思いました。死なせてくれないこの国が憎い、だから俺は不良少年になったのだとさえ思(っちま)いました。
五人一組にガイドさんが一人つくスタイルだったのですが、集団行動なので写真を撮るために立ち止まるなどの行為は許されません。何をするにも許可が必要で、隊列を崩すことはNGです。スポットに到着した時だけ「ここで写真を撮ってくださいね」とか「ここで水を飲んでくださいね」とか「ここで幸せになってくださいね」などと言われます。わしゃ幼稚園児かと思いました。私は未熟なので「写真なんか撮らない!」「水なんかいらない!」「幸せになんかなりたくない!」と、ガイドさんの助言をことごとく突っぱねました。
縄文杉は立派でした。ただ、縄文杉の周辺は人混みでごった返し、ガイドさんでごった返していました。そこかしこから「みなさん見てください。縄文杉さんですよ」という声が聞こえてきて、さんってなんだよ、縄文杉は縄文杉だろ、縄文杉も大変だな、俺も縄文杉も恥辱にまみれているんだなと思いました。恥辱の友を得た私は、よし、後半は自分の好き勝手に歩こうと思いました。隊列を組んで歩く様は、葬式の行列のように暗く、俺は絶対にそこに染まらない、能動的に隊列からはみ出して、薔薇色の道を行くのだと決めました。
登山は人生に例えられることが多く、山道が苦しいからこそ頂上の景色は美しいなどと言われますが、あれは嘘だなと思いました。縄文杉を見るのに片道六時間かかるのですが、ヘリコプターなら六分だと思いました。ヘリコプターで見たとしても、俺は同じくらいの感動を縄文杉に感じるだろうなと思いました。だったらヘリコプターの方がいいなあ、登山なんて貧乏人の遊びだよなあと思いました。終了後、ガイドさんから「楽しかったですか?」と聞かれました。私は「楽しかったけれど、それはこちらに人生を楽しむ力があったからで、あなたのおかげではない」と思いました。
壇珠さん、あたしゃ、こういう時に「自分もみんなと同じようにガイドツアーを楽しめるような人間だったら、人生楽だったろうな」と思います。登山は好きなのです。貧乏人の遊びだなんて思っちゃいないのです。ただ、徒党を組むことができないのです。何かを強制された瞬間に「こんな人生はイヤだ!」となって、なんだか死にたくなってしまうのです。しかしながら、歩いている時、壇珠さんのことを考えたら元気になったり、笑えたり、なんなら一人で爆笑したりもできました。心の友、壇珠さん。あなたがいてよかった。本日も風神の思いをぶちまけさせていただきます!!
M様の「わたしはわたしに還りたい」という言葉に、雷神(※風神も可)の魂がピクリと反応しやした。M様のおっしゃる意味は、もちろんのこととてもよくわかるのです。でも雷神(※風神も可)的には、そんなこと言わないでおくれよ!!と思ったのです。M様は、これまで生きてきた時間もずっと、M様だった。いろんなことがあって、本当の自分を押し殺してばかりだったという思いがあるのかも知れないし、自分に嘘をついてきてしまったという思いがあるのかも知れない。それは私にはわかりません。けれども、ぜんぶM様だったじゃないか!!と思いました。
俺たちはみんなどこかに、M様と同じような思いを抱えて生きている。それがザ・人間だと思います。その時間を「自分じゃなかった」と否定して、最後だけは好きにしてみたい、などと考えなくたっていいじゃないか!!最後の時間を前に、あまりに謙虚すぎるぜ!!胸が痛むぜ!!と思いました。これが自分の勝手な思いなのだとわかっていながら、ここに書くのは自分の弱さだとわかっていながら、自分が先にそのような弱さをさらしていかなくては、M様と同行している圭吾さんに、書簡のお返事を書く資格もねえぜと思いました。
もっと逆に、これまでの自分は超ナイスだったと、ぜんぶがベストだったと、心が折れたり、自分を隠したり、怯えたり我慢したりして、自分なりに人間らしい切なさ悲しさを受け止めて生きてきて、最後にこんな選択ができる自分かっけえわ、百点満点中五億点じゃねえかと、そう思って自分を傍若無人に認めちまっていいじゃないか!!と、拳を震わせながら思いました。
壇珠さんの記事は全文名文で、部分しか引用できないことが歯痒いのですが、愛。俺の中の福山雅治が「イッツオンリーラブ」と言っています。そうなんだよそうなんだよ、なんで俺はこんな人間になっちまったのかとか、なんで俺の人生はこんなんになっちまったのかとか、自分や自分の運命を呪いたくなることもありますが、呪うこともひっくるめてラブ。闇堕ちすることも含めて、俺たちは、あらゆる瞬間を自分の好きなように生きてきて、自分の好きなように死んでいくのだと思います。自由じゃない人間なんて一人もいない。いま、この瞬間も、自由を行使した結果がいまの俺たちなんだよと!!涙を拭きなよベイビーと!!
M様はとても真面目な女性で、嫌な感じの男性から「俺も山が好きなんだけどね、ストック(杖)は最初から使った方がいいよ。そうじゃないと体が慣れないから」とか、馴れ馴れしく言われていました。M様は、その男性のことが嫌いなのに、言うことはしっかりと聞いて、最初からストックを使っていました。私は「なぜ嫌いな人の言うことを聞くのか。聞いてもいいけど、ストックなしで歩いてみて、自分の体に合った方を選べばいいのではないか」と提案しました。観察眼だけは鋭い私は、屋久杉トレイル参加者全員がストックを使っている中、ガイドさんだけは誰一人ストックを使っていないことに気づいていました。ストックを使うと中心がズレて、結果的に骨が歪むリスクがあると思って、体幹が大事だと思いました。
以前、壇珠さんとお会いした時に「家の階段を降りる時、忍者のように一切の足音を出さないで降りる練習をしている」と伺い、一緒に特訓した記憶が蘇りました。登山が疲れるというのは嘘で、疲れる歩き方や、疲れる考え方をしているから、疲れるのだと思います。私は「歩けば歩くほど元気になる歩き方」と「いきなり十二時間歩くと思うとしんどいが、今日がスペイン巡礼の最終日だと思えば楽勝という考え方」を採用して、ノーダメージで屋久杉トレイルを終えることができました。これは、決して私に体力があるとかではなくて、気持ちの問題、意識の問題だと思うのです。
一般の方々を観察すると、実に真面目で、前の人が歩いた道を一歩たりとも踏み外さず、なぞってなぞって歩いているのです。でも、登山がうまい人は、前の人が歩いた道より「楽に登れる道」を選ぶので、歩数も少なくなり、自分で選んでいるという自主性も発揮できるから楽しく、結果的に疲れないし、元気です。我らが祖国ジャパンでは一般的なレールを踏み外したら終わりみたいな考え方が強いですが、道を踏み外した方が楽しく、道を踏み外した方が楽になれるのだと思います。
壇珠さんは、心の使い方だけではなく、体の使い方も群を抜いていると思います。重いタンスを、自分一人で持ち上げたお話には、戦慄しました。おそらくなのですが、真のメンタリストとは、真のフィジカリストでもあると思うのです。一般の方々は実に真面目だと言いましたが、悲しいことに、真面目になるほど疲労はたまり、呼吸は荒くなり、自分のペースを見失い、骨は歪み、体幹は衰え、いよいよ杖がなくては歩けない本当の老いぼれになるのだと思うのです。ロシアの武術システマの四原則は「呼吸」「姿勢」「リラックス」「動き続けること」と言われています。我々は、ナチュラルにこの原則を守っている気がします。
そして私は知っているのです。我らの書いたものを読んでいることを、本気で隠している人々が実際にいるのです!!私はこれまで、「ブログを読んでいることを周囲に知られたくないので、友達申請は出せないのですが、いつも読んでいます」「友達に読んでいると知られたくないのでコメントできないんですが、応援しています」「仕事関係の人とつながっているので、いいねもつけられないのですが、大好きです」などというDMを、幾度となくもらっているのです!!いや、よくも言えたものだなあ!俺は危ない新興宗教か?閲覧注意コンテンツだってのか?つながっていると知られたら、社会的に迫害を受けるのかよ!!恥ずかしいことなのかよ!!と思います。
私はそういうメッセージに傷つくセンサーを備えていないので微笑ましいことと感じますが、しかし大変失敬であります。ならばこちらも壇珠と名乗るのはやめて、潔く恥部と名乗ろうかと思います。雷神アニサキス恥部。ひと目で狂人とわかるネーミングです。このように名乗ると友達どころかフォローまで外されると思いますが、そんなことは問題ではないのです。
我らから逃げた人は、本当は自分自身から逃げているのです。恥から逃げる人は、本当は自分のことが恥ずかしいのです。恥をさらす人物に触れるのを恥とする人は、自分がいとも簡単に他者から恥存在だと思われる気しかしないのです。我らは恥をさらしながら、社会の逆風にたてがみをなびかせる獅子である!!その獅子から逃げ、他者からの承認のみを餌とする人は、まさに社会のおこぼれを拾うハイエナに成り下がっちまうのだと思うのです!!
そうだそうだ!!その通りだ!!応援していますってなんだよ!!俺は知ってんだかんな!!応援していますって言う人に限って、口だけでなんにもやらねえってことをな!!なんだよその「いつもためになる投稿をありがとうございます」ってよそよそしい態度!!ためになってない奴が「ためになる」とか言うんだよ!!その態度が、その存在が、暗に俺たちを否定しているってことに気づきやがれ!!この・・・愚民が!!!!!!!
しかしながら、私が一番愚民なので平気です。雷神アニサキス恥部の体液したたる果汁愚民です。やっぱりあれですよね、恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく言ったもの勝ちですよね、人生は。私があまりにもスタスタと歩くものですから、屋久杉トレイルのガイドさんから「何かそういうお仕事をされているのですか?」と聞かれました。私は「パリ五輪の射撃で二位を取りました」と答えたのですが、ピンとこなかったみたいで、ガイドの男性は「すごいですね」とぼんやりした顔で言っていました。不届き者め、お前は非課金おじさんを知らないのか、そんな程度でガイドを名乗るな、お前は人生を損しているぞと思いました。
ガイドツアーの衝撃がすごくて、ガイドツアーの話ばかりしてしまって恐縮ですが、ガイドツアーにもそれなりのユーモアがあるのです。まだ名前のつけられていない屋久杉の前に着いたら「名前を考えてみてください」とか言われます。そのあとに「でも、デカ杉とかはダメですよ」とガイドさんが言って、参加者があははと笑うという、地獄のようなテンプレがあります。私は、とてもじゃないけれど笑うことができず、血流が止まり、体温が下がり、耳が聞こえなくなり、視力を失って、こんな世界は生きていけないと思いました。
こんな時、私は壇珠さんを思い出すことにより、生きる力を取り戻していました。俺と壇珠と縄文杉の、恥辱トリオ。今日も元気だ空気が美味い。ホテルに戻ったら、宿のオーナーから「屋久島楽しいですか?」と聞かれました。聞かれ方がなんだかマウントを取られているように感じて、現地の人から言われたなら「最高です!」と言えたのですが、移住者のお前からなんでそんなことを言われなきゃならないんだよ、屋久島がお前のものみたいな言い方をするなよ、屋久島は最高だけどお前の屋久島と俺の屋久島は違うんだよと思いました。わかっています。自分が面倒臭い人間だということは。面倒臭い人間ですとも!!面倒臭い人間だからこそ、しっかりと人から嫌われて、しっかりと人を愛することができているのだと!!
全文引用を止められない俺です。左様、左様!!弱者こそが恐ろしく、弱者こそが残酷なのです。弱者こそが恐怖で世界を支配しているのです。支配しないといられないのが、弱者だからです。圭吾さん、聞いてください。あたしゃある時、某ハリウッドスターの属する団体に加わらないかと誘われたことがあるのです。加わった暁には、大きな力を得られるのだと言うのです。またある時には、世界の支配者層の運営する団体に所属しないかと誘われたことがあるのですが、それもやはり、ごく少数の勝ち組がこの世界を牛耳っているのだから、支配する側に回らないのは、明らかな損だと言うのです。
私はそれを聞いて、フルスイングでお断りしやした。じゃあ負け組の労働者階級にいるままでいいんですね?などと最後っ屁をかけられましたが、我は孤高の恥獅子。雷神アニサキス恥部。労働者階級とは笑止千万。一般企業に勤めることすら禁じ手の、労働者階級のさらに下のカーストに属するのだ。見るがいい、この往復書簡も他の記事も、無料で書いているのである。人を支配しようなどという者たちに、我のたてがみを切り与えるものか。ならば我らは奴隷界でさらに恥をさらそうという者のために、このたてがみをドネーションするが本望だと思いました。
そうして書かれた我らのホームラン書簡を、恥文書として隠れて読んでいる隠れキリシタンならぬ隠れ風雷タンたちよ。私はあなたたちを許す。許すどころか讃える。あなたがたが自分をさらし、恥をさらし、それにより爆死することがあったなら、言うがいい。(株)風神雷神の発行している社会の害悪となる書物を読んだせいで、自分は社会の洗脳が解けてしまって、こいつらに洗脳されて解放的になってしまっただけなのだと。そうやって私たちを売り飛ばすがいい。あなたがたは裏切り者のユダではない。むしろ、この書簡の効果を謳って生きながらに死んだ、殉職者なのだ。
最高過ぎて震えちゃいました。屋久杉トレイルの最中も、この文面が何度も蘇りました。五人一組のチームで動いていたのですが、私以外の四人は全員途中で負傷をして、歩くペースがだださがりになっていました。ガイドさんは、お金をもらっているから当たり前なのですが「ゆっくりでいいですからね」と引き攣った笑顔で対応していました。が、私は「金を取られた上に時間まで取られるのはたまらねえ。弱い奴らは置いていけ」と思いました。それが真の優しさだろと思いました。
置いて行った時に「なんで置いて行くのですか」と言う人は市民です。市民は、被害者でいることが好きなので、なにかあるとすぐ他人のせいにします。しかし、真の実力者は「ここで食らいついていかなかったら男が廃る。女が廃る。人間が廃る!!」と一念発起して、人間を覚醒させます。ガイドもガイドだ。一般人の顔色を伺いながら、お前はお前の一生を費やすのか。それが好きなら問題はないが、お前の笑顔は偽物だ。偽物の生き方を続けるつもりなのかと、つくづく私はガイドツアーに向いていない人間なのだと思いました。
こいつアホなんだな、調子いいこと書いてんな、ビッグマウスなんだな、言いたい放題してるだけなんじゃねえの、と思われることに対して、怖い怖いと言いながらも実は心はざわついていません。だからこそそれに対して鼻息荒く、「おうおうおうおう、言ってくれるじゃないの!失敬だな君は!」と言えるのだと思います。そしてきっと圭吾さんもそうなのだろうと勝手に思っていますが、どうでしょうか。
自分がなぜこうなったのだろうと考えると、それは世間でよく言われるように、自信があるからとか、自己肯定感が高いからとか、自己効力感が高いからというのが、あまりしっくりこないというか、言われてみたらそうなのかも知れないけれど、そんなものを育てた覚えはなく、もっともっと惨めな理由からこうなったと感じるのですが、圭吾さんはいかがですか。
私は、自分が惨めだったから、社会的なステータスゲームがどうでも良くなった結果、ひたすらに楽になったという方がしっくりきます。なにしろ落ちこぼれがゆえに暇だったので、壮大なことでも考えていないとやっていられなくて、ミクロからマクロまでいろんな発想を行ったり来たりして自分の弱点と人生に都合のいい言い訳を考えているうちに、一般的な考え方を軸にすることから足を洗ってしまったような、そんな感じがします。現に、自分のことを雷神(※風神も可)と名乗りはじめているのだから、足を洗ったどころか自発的に狂人でいるほうを選んでおり、自己肯定感高いんですね、などと言われたら「雷神なのだから当然だろう」と口では言いますが、もう肯定する必要がなくなっただけだという感覚です。自己肯定感不要症という持病を抱えているにすぎないのかも知れません!!
まさしくまさしく!!行く先々で惨めな俺です。どこに出しても恥ずかしい俺です。どうしようもないくらい、自分が自分であることを止めることができない、恥辱にまみれた痴女クラブです!!
惨めですよね。哀れですよね。ゴールまで一緒に走ろうと約束した友達が、途中でレースを棄権していたことを知った時の惨めさに似ています。気がついたら、自分一人になっちまっていました。しかしながら、我々風神雷神エクスタシーズは、本当は誰もが惨めで哀れな存在であり、その惨めさやその哀れさによって、大爆笑できることを知っています。恥辱を乗り越えた先ではなく、恥辱の中に最高の楽しさがあることを知っています。
あまりにも人生が退屈だったものですから、面白いことを考えたり、面白い映画や面白い漫画を読みまくった挙句、面白くないものに対する不感症みたいになりました。そんなんじゃ生きていけないよと脅されても「そこまでして生きていたいと思いません」とシラフで思い、生きて行くためにはやらなくちゃならないことがあるんだよと脅されても「面白いと思えないならやれない。遊びじゃないと動けない」という、生意気ボディになってしまいました。生意気ボディとして生きて、生意気ボディとして死ぬならそれはそれでいいのかなと思っていたのですが、不思議なことに多くの人から文章を読まれるようになり、駄ボラを吹いてシノギとすることができるようになりました。
これまでは「カタギを巻き込んじゃいけないよ」と自らを律していたのですが、最近、一般の方々も「本当は自分をひっくり返したいのだけれど、自分の力だけではなかなか難しいから、風神雷神サンダーライガーズの力を借りていろいろぶち壊してもらいたい」と思っているような気風を感じます。実はみんな壊されたいのではないか。ぶっ刺されたいのではないか。おかしな人間に出会って「こんな人間がいたのか」と脳震盪を起こし、これまでの常識が見事に崩れ去って「なんだかどうでも良くなってきちゃった」と開き直り、空いたスペースに心地よい風が吹く。祖国ジャパンはみんながビクついて生きております。家や金や仕事や社会的な信頼を失うことにビクつき、良い子のマニュアルに縛られ、窮屈な日々に耐えている人が大量におります。いまこそ我々風神雷神ときめきメモリアリーズが、能動的に人身御供となって、風穴を空けて、カタギをバンバン巻き込み、愛の嵐をぶちまける時だと感じております!!歌え!!弱者撲滅ソング!!轟け!!強者(狂者)応援ソング!!命の限り!!嵐の限り!!!!!
©️「弱者撲滅ソング」作詞 作曲 風神雷神
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