高校で行われる恫喝的な校歌・応援歌指導についての個人的な一問一答

先日、『弁護士ドットコム』にて埼玉県立浦和高校で行われている恫喝的な校歌指導の問題点を指摘する記事が公開されました。

私のnoteでも、出身校である福岡県立修猷館高校で行われている同様の応援歌指導を問題化してきました。私のnote記事や浦和高校についての報道への反応で、「私の高校でも似たようなことがあった」という趣旨のものが日本の様々な地域からあり、こうした恫喝的な校歌・応援歌指導はある特定の高校の固有の問題ではないようです。

4月になれば、日本各地の高校で新入生に向けてこうした恫喝的な校歌・応援歌指導が行われるでしょう。そのことに疑問を持つ新入生、在学生、保護者、教員等もたくさんいるとは思いますが、「これが我が校の伝統である」という言葉の前にそうした疑問の声がこれまでかき消されてきました。恫喝的な校歌・応援歌指導に疑問を持つ人に向けて、現状を理解し、どういうアクションを起こすことができるか、どうやって生き延びることができるかの参考として、私の個人的な考えを一問一答形式で共有します。

何が問題なのか?

Q:校歌・応援歌指導とは何ですか?

A:校歌・応援歌指導は、日本各地の主に公立高校で新入生に対し行われる通過儀礼です。応援歌や校歌を教えるという名目で、長ランなどを来た応援団員が、生徒を一人ずつ恫喝しながら点呼をしたり、応援歌や校歌を絶叫させるものです。応援歌指導・校歌指導以外には、応援指導、応援練習、応援歌練習、校歌練習など呼び方は様々です。
 具体的にどんな様子かは、25年前の私の出身校の事例をまとめてますので以下のnote記事をご覧下さい。


Q:なぜ校歌・応援歌指導が問題なの?

A:私が考える校歌・応援歌指導の主な問題点は以下の通りです。
1)威圧的・暴力的な行為:殴る蹴るはしないとしても、大声や罵声による心理的圧力をかけていること。
2)強制性:多くの場合公立の高校であるにもかかわらず、参加が実質的に義務化されていること。
3)事前の説明や同意の欠如:校歌・応援歌指導が行われることが秘密にされていて、事前の説明や生徒の同意なしに一方的に行われること。
4)偽りの「一体感」の賛美:この威圧的な指導を乗り越えることで高校のメンバーとして承認するというメカニズムを作り、無理やり「一体感」を捏造していること。
 これらの点についてもいかにまとめてあります。


Q:校歌・応援歌指導はどういう歴史的背景がありますか?

A:戦前の旧制高校間で行われていた応援合戦を各地の旧制中学校が模倣したものが戦後にリバイバルしたものではないかと思っています。ただし、私より年長の人で「腰を振って絶叫しながら歌ったりはしなかった」と言っている人もいるので、戦前から戦後にかけて連続的なわけでもないようです。詳しくは歴史家に調べていただきたいです。

Q:学校への帰属意識や一体感を作るイベントならやる意義があるのでは?

A:人権を無視してまで帰属意識や一体感を作っているとしたら、それはファシズムです。少なくとも公立の中等教育で必要なのは帰属意識や一体感を捏造することではなくて、個々人の人権を尊重して、生徒が学びにアクセスできるようにすることです。公立の学校でこの種の威圧的・恫喝的なイニシエーション(通過儀礼)を通過しないとメンバーシップを認められないというのは、かなり基本的な人権問題です。大事なのは一体感を作り出すことではなくて、均質ではない集団でも差別や排除をしないことです。

Q:理不尽な暴力への耐性をつけるためにもこの種の暴力的・恫喝的な指導を高校入学の時点でやるのは必要なのでは?

A:実際には、耐性をつけるというよりは、「これが伝統だ」という言い方で理不尽を押し付け、理不尽に従順に従うだけの人間を作るメカニズムになっています。本当に必要なのは暴力に対して従順な人間を作ることではなく、そうした暴力を問題視して社会を変えることができる人間を作ることです。仮に理不尽への耐性として校歌・応援歌指導をやるなら、その前後にこうした指導のファシズム的な特性についての理解を深める講義や議論をやるべきです。そうした実践は、田野大輔『ファシズムの教室』で紹介されています。


Q:それぞれの学校の特色だからあっても仕方ないんじゃないの?

A:このnoteのシリーズで書いてきているように、同じような実践が日本のいろいろなところで行われていて、それぞれの学校が「これは自分たち独自の文化だ」と言っています。(私もこんなことをやっているのは自分の学校だけだと思っていました。)結局、戦前の旧制高校のバンカラ文化や応援合戦を、当時の旧制中学校が模倣し、それが戦後の新制高校でリバイバルしたと考えるのが自然です。「かたつむり」を指す言葉が近畿を中心に伝播したことを論じた柳田國男『蝸牛考』のように、学校制度を通じて日本中に広まった学校文化で、それぞれの実践は全体的に見れば特に独自なわけではなく至って凡庸です。
 それぞれの学校の特色ではなく大きな構造をなぞった凡庸な現象だということは以下の記事で議論しています。


Q:校歌・応援歌指導はそれぞれの学校の伝統だから認めるべきでは?

A:伝統というものは歴史のある時点で「これが〇〇の昔からの伝統だ」という形で捏造されるものです。(詳しくはエリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャー編『創られた伝統』を参照。)応援歌指導が伝統的だとするなら、その伝統が成立した20世紀前半の旧制高校・中学校がどういう社会情勢や政治文化の中に置かれていたかを内省し、その上でその伝統のどの部分を維持しどの部分を変えるべきかといった検証を行うこともできるはずです。ですが、創られた伝統であることを忘却しているので、「伝統だ」ということを鸚鵡返しすることしかできないのです。

Q:校歌・応援歌指導は生徒が自主的にやっていることだから、学校が悪いわけじゃないんじゃない?

A:放課後の時間や体育館などの場所を提供しているので、実質的には学校の行事です。それを公式な行事と言うかどうかは別にして、時間と場所を提供している以上、学校には責任があります。生徒の自主的な活動という名目で、学校の管理を応援団や応援歌指導員の生徒に下請けに出しているという見方もできると思います。


これからどうすればいいのか?

Q:校歌・応援歌指導は完全にやめた方がいいの?

A:私は応援歌指導という文化を残してもいいとは思います。バンカラ文化の中のマゾヒズム的な快楽自体は理解できます。ただ、1)何をやるかを事前に説明したうえで、2)生徒に個別に同意をとり、3)完全に自由参加とし参加するかどうかで成績やその後の取り扱いに差を設けないこと、をクリアするべきだと思います。指導する側にしてもされる側にしても、やりたい人がやるのを止める気はありませんが、やりたくない人に強制的にやらせるのは強く反対です。

Q:校歌・応援歌指導がある高校に入学する新入生です。校歌・応援歌指導があると聞いていて、楽しみにしています。

A:あなたが楽しみにするのは悪くありません。楽しんでください。ただ、あなたが楽しむために、嫌がっている人に無理に参加させる必要はありません。

Q:校歌・応援歌指導がある高校に入学する新入生です。校歌・応援歌指導があると聞いて怖いです。参加したくありません。

A:威圧的・恫喝的なイベントなので、参加したくないなら参加する必要はありません。友達、学校の担任の先生、保健室の先生、親など信頼できる大人を探して相談しましょう。それでも「参加しろ」と言われるようであれば、教育委員会、弁護士、チャイルドラインなどに相談しましょう。弁護士ドットコムの記事やこのnote記事などを持っていくといいでしょう。


Q:校歌・応援歌指導がある高校に子供が入学します。本人が楽しめるようであればいいのですが、そのような性格ではなく心配です。

A:本人が嫌がるのであれば、無理に参加させる必要はないと思います。学校に相談して「学生の自主的なイベントなので教師は関知してません。」とか「うちの高校の義務なので頑張らせてください。」というような回答が来るようであれば、弁護士ドットコムの記事やこのnote記事などを持って、教育委員会や弁護士などに相談するのがいいと思います。

Q:校歌・応援歌指導がある高校で教員をやっています。こうした指導には反対なのですが、学校の中では「伝統を守ろう」派の教員が多数派です。また、私は年齢・職位が相対的に低く権限や発言力がありません。どうすればいいでしょうか?

A:威圧的・暴力的な指導の強制をやめさせることができないとしても、面従腹背で、個別に困っている生徒を助けてあげてください。困っている生徒にうまく名目をつけて指導を欠席させたりすることはできると思います。
 また、探究学習などで校歌・応援歌指導の歴史を調べたりこうした指導の問題点を研究する学生のサポートをすることもできるかと思います。以下の2冊が校歌・応援歌指導への直接的な言及があり、研究の出発点として適切だと思います。


Q:校歌・応援歌指導がある高校を昔卒業した卒業生です。校歌・応援歌指導がきつかったですが、今では良い思い出です。今の若い人にも理不尽に耐える経験をして強くなってほしいです。

A:あなたが校歌・応援歌指導を今では楽しいと思っている気持ちは否定しません。また、理不尽に耐える経験があなたを強くしたことも否定しません。しかし、感じ方は人それぞれなので、自分がよいと思ったものを他のすべての人に強制することはできません。


なぜ今さら問題化するのか?

Q:なぜ今になって校歌・応援歌指導を批判するのですか? 自分が現役の学生の時に批判しなかったのですか?

A:これは私の個人的な話ですが、私が高校に入学した25年以上前はインターネットも普及しておらず、このような威圧的・恫喝的な指導があることが完全に隠されており、正直、応援歌指導を受けてびっくりして頭が真っ白になりました。うまく飴と鞭を使い分けられて、「これが高校か」と納得してしまいました。
 というのも、当時の福岡の公立中学校はかなり荒れていて、かなり個別的な具体例ではあるのですが、英語の授業で「Sunday, Monday, Tuesdayは触って、揉んで、チューしてと覚えましょう」と教えられたり、合宿で大浴場に入る時に「両手をあげて股間を隠さず『こんなに大きくなりましたー!』と叫びながら風呂に入るように」と指導されたりしました。(私の通っていた中学校が特に荒れていたようで、すべての福岡市内の公立中学校がこんな感じだったわけではないと思います。)それに比べれば、応援歌指導は文化的に見えたし、当時の私には学校の外側の世界を想像したり考えるための知識がありませんでした。

Q:自分の恨みを校歌・応援歌指導にぶつけているのではないですか?

A:恨みがあるかないかと言えば、私はあると思います。ただ、それと関係なく幸せになったので私のことはもう良くて、今の若者に無駄なことで精神的ダメージを負ってほしくないという気持ちが強いです。


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筑波大学人社系助教。南カリフォルニア大学映画芸術研究科にて映画メディア研究の博士号取得。博士論文では第二次世界大戦前の日系アメリカ人の映画を中心とする文化史を研究。資本主義社会における文化と芸術について、特にその受容者側(観客/消費者/ユーザー/市民)に注目して研究をしている。
高校で行われる恫喝的な校歌・応援歌指導についての個人的な一問一答|渡部宏樹(Kohki Watabe)
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