法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』の販売後に判明した、神社内オブジェクト破壊や弥助の立ち位置などの意味について

  1. 発売は3月20日
  2. 神社内オブジェクト破壊機能の意味
  3. 予想以上にメイン主人公は女忍者
  4. 人間は意外と自国の文化を知らない

発売は3月20日

 今作の舞台となっているだけあって、日本では苦戦していた過去シリーズとくらべてヒットしているらしい。
 Amazonの評価は星が3未満と低めだが、具体的なプレイ内容にふれた低評価は少ない。

 100人以上が参考になったと評価して最上位に表示されている星1評価は下記のとおり。

ネット環境がないとゲーム自体出来ないので注意をして下さい。もう買わない。即売り

 良くも悪くも現在のゲーム全般に興味関心が薄い層まで作品の存在がとどいたことがうかがえる。

神社内オブジェクト破壊機能の意味

 まず、発売前の試供映像で、神社内のさまざまなアイテムが破壊できるようになっていることが報道などで注目されていた。
 圧力になりうる政治家などならともかく、宗教への敬意などから反発することも自由ではあるし、描写するだけの意味を要望する権利もある。予告段階で書かれた宇野ゆうか氏のエントリのように。
アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」について〜それが何を意味するのか理解してこそ、適切に冒涜できる - 宇野ゆうかの備忘録

今までのアサシンクリードシリーズのゲームシステムから考えると、神社の祭壇を破壊不可能に設定して、プレイヤーが神社の祭壇の前に来ると「これは破壊できないな」「ここには神がいる」などと呟くか、あるいは、神社の神域に入った時点で「神聖な物を破壊してはならない」と警告が表示され、もしそれを破ったら、ペナルティが発生するシステムにしておくのが、良いのではないかと思う。

 しかし反発のなかでは、日本の作品では実在する建造物を描写するにあたって必ず許可をとるかのような主張もあった。実際は下記エントリで例示したように許可をとりようがないような多数の建造物や、外国の宗教施設を破壊する作品は多数ある。
実在神社をモデルとした『アサシンクリード』の破壊描写に許可が必要であるかのように産経新聞や電ファミニコゲーマーなどが問題視 - 法華狼の日記
 もちろん寺社を破壊する作品も『伊賀忍法帖』や『さくや妖怪伝』や『ストレンヂア 無皇刃譚』のように史実由来から伝奇活劇まで複数ある*1

廃寺内部で右手前に主人公、左奥に敵が立つ。中央奥に首の落ちた本尊。

 つまり神社内のオブジェクト破壊が可能ということ根拠に『アサシン クリード シャドウズ』を特異視することは難しい。発売前で表現の意図を確認しづらいのであればなおさらだ。
 宗教施設破壊が初めて可能になったという考えから差別を見いだす反応もあったが、実際は過去作で攻略のために十字架を倒壊させていることが「すをばふ@swepacr」氏によって即座に指摘された。


揚げ足取りなんて時間の無駄だし愚かな行為なのでそんなつもりではなく、アサクリは十字架が壊せないという言説に引っかかってた理由がわかってスッキリした気持ちを共有したい。
アサシンクリードブラザーフッドロムルス教徒のアジト「第6日」というステージで十字架をぶっ壊して進路を開くシーン

 ちなみに上記の十字架をよく見ると倒壊によって微妙に折れているが、『アサシン クリード シャドウズ』の鏡は落ちるだけで破壊されていなかった。意味を見いだすほどのことではないが。


 それでも制作者が抗議を受けいれたためかバッチがあてられ、神社内のオブジェクトは破壊できないようにされ、シリーズの特色であるパルクール移動が鳥居では制約される状態で発売された。


教会に登って辺りを見渡すとマップが開放されるゲームで鳥居に登るなと警告が出るの
これぞまさに日本だけの特別扱いってやつが実装された感じですね

 そこで実際にプレイした「ノザキハコネ@hakoiribox」氏によると、そもそもオブジェクトは下手に接触してはならない障害物としてゲームデザインされているという。


ステルスやっていて気づいたが積んである道具とかに触れて崩してうっかり音が出ると敵が気が付く仕様なんだなこれ。神社は難易度下がってしまったなこれで。


物陰に隠れてやり過ぎそうとしたらうっかりぶつかって荷物崩して音が立って敵にバレたの、オッ忍者映画みたいですごいなって思った。

 ストーリーとしては、神社で狼藉をはたらく傾奇者を成敗するクエストもあるという。映像が話題になってから販売まで時間がたっていないことから、抗議への対応とは考えづらい。


住吉大社にて「皆が大切に敬っている神社で狼藉を働く者は許せん!自由の使い方を間違えておる!」と傾奇者を成敗するクエストが始まり批評性があるなと思った。


事前収録した声つきイベントだしそんな急に突貫で突っ込めるもんじゃ無いと思うんだけど、仮にそうでも自由に批判して自由に応えるんならそれならそれで別にいいんじゃないっすかね?

 つまりゲームデザインでもストーリーでも宇野ゆうか氏のエントリで要望されたペナルティを組みこんだ描写だったようだ。
 ちなみにバッチがあてられていない南蛮寺では試供映像の神社と同じように破壊できたという。やはり少なくとも日本差別ではなかったようだ。


南蛮寺を見つけたのであまり気は進まないがキリスト教の祭壇を攻撃してみた。デカくて重いイコンだけは台座と一体化して判定が無かったが十字架や燭台は吹っ飛んで無惨に床に転げた。くだらない気分だった。


いちおー見てみたんですけど聖書、十字架、ロザリオは攻撃を当てると飛んでくし床に落ちる、燭台は砕ける、重量がある台座とイコンは動かないってカンジですね。他の建物と同じく大きさと重さで動くオブジェか不動オブジェかが決まってるみたいです。

予想以上にメイン主人公は女忍者

 産経新聞の呉座勇一インタビューなどで見られるように誤解されてきたが、そもそもキービジュアルや予告で明らかにされていたように黒人侍の弥助は単独主人公ではない。
ゲーム『アサシンクリード シャドウズ』が日本を舞台に外国出身の黒人男性を主人公にした差別性は、漫画『ゴールデンカムイ』が北海道を舞台に和人男性を主人公にしたくらいに差別的な可能性はあるが…… - 法華狼の日記

提示している代案を見ると、呉座氏はゲームについて誤解をしているらしい。インタビュアーの産経記者、高橋寛次氏も訂正や補足をしていない。

仮に弥助を登場させるとしても(主人公に)日本人の侍もいて、弥助もいる、という形にすべきだったのではないでしょうか

 そしてIGNのレビュー記事で指摘されたように、最初は女忍者の奈緒江でしかプレイできない状態がつづくのだという。
『アサシン クリード シャドウズ 』レビュー 技術革新によって切り開かれた、新時代のオープンワールドと目を見張るストーリー

発売前の印象とは異なり、50時間ほどのプレイのうちゲーム冒頭の10〜15時間ほどは奈緒江のみを操作することになる。序章と呼ばれる一部のチュートリアルを除いて弥助の登場は先送りにされ、プレイヤーは奈緒江の視点から戦国の乱世に臨むことになるというわけだ。

 弥助はたしかに過去作になかった戦士要素として作品の顔になった主人公だが、シリーズのモチーフになっているアサシンが女忍者に対応することからもどちらに重心があるかは予想されたことではあった。
 著名ゲームでたとえるなら『スーパーマリオワールド』でヨッシーという乗れる恐竜が作品の顔になったからといって、人間が主人公ではなくなったとか今後は恐竜ばかり主人公になるなどと解釈するようなものだ。
 主体は現地人にあるのだとすれば、外部の進んだ文明人の視点で現地人をみちびく物語類型、いわゆる白人救世主とも構造が異なる。そもそもシリーズで常に主人公が現地人だったわけではない。


アサクリ四作目のリベレーション(2011)はイタリア人主人公がトルコで戦います

アサクリ六作目の4(2013)ではイギリス人主人公がカリブ海で海賊をやります

十二作目のヴァルハラ(2020)では北欧ヴァイキングの主人公がイングランドを略奪します

 以前に『アサシン クリード シャドウズ』を「黒人の救世主」と解釈して批判する宇野ゆうか氏のエントリがはてなブックマークをあつめていた。
『将軍 SHOGUN』『ラスト サムライ』『アサシンクリード シャドウズ』~白人酋長または白人の救世主について - 宇野ゆうかの備忘録

アサシンクリード シャドウズ(Assassin's Creed Shadows)』だが、なぜ多くの日本人が不快に感じたのかというと、要するに、弥助が「黒人の救世主」になっているからだろう。もっとも、ゲームを作っているUbisoftは、ほぼ白人の会社である。

もし『ラスト サムライ』が、トム・クルーズが、まるで大名のように高価で豪華な甲冑を着た「伝説の侍」になり、彼が道を歩けば地元の庶民たちが直立してお辞儀をして、日本人の首を不必要に切り落とし、抑圧者から日本の人々を解放するカリスマヒーローになる内容だったら?で説明できると思う。こんな内容の映画、絶対に日本人から認められなかっただろう。

 白人救世主の構造は「白人が気持ちよくなるためのもの」と人種を限定したものではない。たとえば日本人が異世界転生して遅れた異世界を啓蒙していくようなジャンル作品も同様に批判されうる。
 それらが批判されるのは現地人の主体性を物語からうばうためだ。ゆえに現地人に埋没して自国の侵略を止めようとする『アバター』ですら白人救世主と批判される。
第52回 青い肌の「白い救世主」の物語 | 談話研究室にようこそ(山口 治彦) | 三省堂 ことばのコラム

映画『アバター』で人種に関してつとに指摘されるのは,ここで取り上げたキャスティングの偏りというよりは,この映画が「白い救世主」(white savior)の物語であるという点です。

 外国人が傲慢にふるまったり暴虐をはたらく描写への反発をおぼえることも自由だが、白人救世主とは異なる問題だ。その暴虐がシリーズで初めてというわけでもない。
 そして実際のゲームの弥助は相手を切るたびに謝る珍しいキャラクターだった。


弥助がステルスキルする時のボイスに「すまん!」があるの、今までのアサクリにはなかった感覚でこのゲームでの弥助の性格をかなり象徴している様に感じる。

 しかし謝罪するキャラクターと判明すると、それはそれで弥助を善人あつかいしたい汚い欲だといった反発がされた。どうすれば「日本人」は認めるのだろうか。


これ要するにアサクリ弥助を善人扱いしたいというUBIの汚い欲が出まくってるってことだよね。
町中での私闘でわざわざ敵を断首したり手足もいだり串刺しにしたりする弥助サマが、欧米人の異常な暴力性の化身ではなく、むしろ倫理的なヒーローだということにしたがるヨーロピアン自己肯定感オナニー。


 また、主人公が史実から初めて選ばれたことへの批判もあるが、意味がよくわからない。架空の主人公に史実の人物が協力するような構造も歴史劇でありふれている。アニメや漫画、小説などで有名作から無名作まで多数あるだろう。

 正確な考証がもとめられる学習漫画でも、架空の主人公を史実の偉人が教えみちびくタイプがある。実在した人物であっても架空の主人公にかかわる範囲は基本的にフィクションと理解しながら読むものだ。

人間は意外と自国の文化を知らない

 その他の多数ある考証の誤りだが、予告などの解像度の低い映像の段階で注目されてきたため、単純な誤認による指摘が少なくないようだ。


ブルーシートでお花見みたいな事、過去にあったんですか?


そもそも近づいてみたらブルーシートじゃなくて布でしたよ。
なんでブルーシートみたいな色にしたのかだけマジで謎ですけど。

 一方で、販売後に楽しんでプレイしたり、その映像を確認した立場から具体的な考証の誤りや違和感への指摘も出てきている。
 もちろん外国の歴史でなくてもゲームの再現で完璧な考証は難しいものだが、しかし調べると思っていたよりも正確だったという事例も複数ある。


白髭神社で般若心経
どういうことだってばよ


出だしからどう聞いても般若心経ではないし回向でしょそれ。神仏習合の時代は神も現世で苦しんでいる存在の一つなので経を聞かせて徳を積ませる奉仕をしてたの。


34秒くらいから法儀の最初に唱える開経偈、1:13くらいから最後に唱える四弘誓願なので時間経過しててガッツリ神前読経の法要やりましたってかんじかなと思います。


アサクリ流石だ、船の上に城建てた😳
もう私はたとえラスボス戦で大阪城が変形ロボになろうが驚かない。
※追記 これ、フィクションかと思ったら安宅船(あたけぶね)という実在した船をもとにしてるようです。勉強になりますね。

#アサクリシャドウズ #AssassinsCreedShadows


僕も「デカい側面はあったけどミニ城はやりすぎぃ!」と思ったけど念の為調べたら、お城乗っかってるのあったぽいですw
画像の出自や真偽まで調べてないですが、プラモまで出てる勢いで「なくはない」ぽいw


茶事イベントで着物の帯が紐で細くイメージと違い、しかし念のため調べてみたら
帯は安土桃山時代の頃までは腰ひも程度であり、ただ結ぶだけで、今のように太くなったのは江戸時代からだと知り、日本文化への研究と恐ろしい作り込みに驚嘆した…


異彩放ちすぎのシャドウズのサブクエ、どんなはっちゃけかと思ってたけど与謝蕪村が元ネタだったのか……
#AssassinsCreedShadows

与謝蕪村の絵巻物に書かれている西瓜と真桑瓜の化け物可愛過ぎる(笑)

 もちろんありとあらゆる考証が細かいわけではなく、あくまでゲームのフレーバーとしてディテールをつまみ食いしているだけだろう。


アサクリあるある
なんでそれ間違っちゃったのとなんでそんなことまで知ってんのが混在している

 しかしたしかに最後のネタなど本当に知らん……何それ……怖……となった。

*1:『ストレンヂア 無皇刃譚』開始13分47秒ごろ。