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第4話 : 群れ断つ刃


 

 空気が変わった。

 

 無機質な岩肌が冷たく露出し、洞窟を満たす湿り気が、肌をなめるように纏わりつく。

 足元では赤苔が淡く発光し、どこか生々しい血を思わせる色彩で辺りを照らしていた。

 

 そして、そこに──再び戻ってきた。

 

 広間。

 あの、恐怖と敗走の記憶が焼きついた場所。

 

 今、その空間は、まるで瘴気を孕んだ蟲の王国だった。

 

「……ざっと数えても、五十はくだらねぇな」

 

 黒髪の男──モルドが、低く、唸るように呟く。

 その言葉は、決して誇張ではない。むしろ、数えるだけ無駄なほどに、地を這い、壁を登り、天井からぶら下がる赤黒い影が充満していた。

 

 ギチギチと脚と脚が擦れ合う、あの忌まわしい音が洞窟の中に木霊する。顎の刃が不気味に鳴り、まるで一斉に咲いた死の花が笑っているかのようだった。

 

 しかし──悪夢はそれだけでは終わらない。

 

「……あそこ、『ウォーシャドウ』まで……!」

 

 スコットの声が震える。通路の先から、漆黒に滲む人型の影──それは、輪郭すら曖昧な“何か”だった。ぬるりと空気を裂き、無音で歩くその様子は、異質そのものである。常識という言葉から最も遠い存在が、確かにそこにはあった。

 

 さらには、天井から逆さに吊るされたまま、蠢く蝙蝠たち。大口を開け、よだれを垂らしながら、羽ばたきもせずにただ待っている。そこに意志などない。ただ喰らうことしか知らぬ獣の目が、下の獲物を見下ろしていた。

 

「っは……いいじゃねぇか」

 

 静かに、しかし確かに笑う声が響く。

 

 モルドだ。

 

 唇の端が釣り上がり、粗野でありながらも確かな熱を帯びる。

 

「やっと……俺の剣が、鳴くってもんだろうがよッ!」

 

 ぐっと剣を構え直す。

 

 足は震えている。手も冷たい汗で濡れていた。だが──それを隠すように、彼は前だけを見る。逃げ出したい衝動を殺し、喉の奥から湧き上がる恐怖を、闘志に変える。

 

 そして、足を一歩、地へと叩きつけた。

 

「……同じミスは繰り返さねぇ。今度こそ、全員で生きて抜けるぞ!」

 

 モルドの低い叫びに、仲間たちは即座に応じた。

 

 ガイルは無言のまま頷き、腕に抱えた巨大な盾をぐっと構える。揺れる金の髪と、彫刻のように浮かぶ筋肉が、洞窟の仄暗さの中でも際立っていた。

 

 スコットは、ヒビの入った短剣をそっと地に置き、腰の予備──刃紋の美しい新しい短剣を抜いた。くるりと器用に手の中で回し、ふわりと低く身を沈める。それはどこか軽やかで、どこか獣じみた動きだった。

 

 ──そして。

 

「ユー、行くぞ!」

 

 モルドの声が届いたその瞬間、赤いマントの男は静かに顔を上げた。

 

 口を開くことはない。だが、その茶色の瞳には、確かに一つの意思が宿っていた。

 

 ──邪魔をするな。

 ──道を阻むな。

 ──ただ、前へ。

 

 無言の中で、確かな覚悟が燃えている。

 

『──ギイイイイィィィッッッッ!!!』

 

 耳をつんざく咆哮が、次の瞬間、広間を埋め尽くすように轟いた。

 

 赤黒い蟻たちが、怒りにまかせて一斉に殺到する。

 黒き影の『ウォーシャドウ』が、音もなく滑るように迫り──天井にいた『バットバット』たちが、狂ったように羽ばたき始める。

 

 空間が、魔物の殺意で飽和した。

 

 そして──殺戮が、始まった。

 

 モルドとユーが前線を駆け抜ける。

 ガイルが鋼盾を掲げて酸弾を弾き、スコットが軽やかに動いて陽動と補助に徹する。

 

 役割は完璧。戦況は、理論上は悪くない。

 

 ──だが。

 

「……え?」

 

 モルドの喉が、勝手に震えた。

 視界の端、隣を走っていたはずの──ユーの姿が、忽然と視界から消えていたから。

 

 一瞬の空白。

 目を疑う。

 その瞬間には、もう──

 

 五体の『キラーアント』の向こう側に、()()

 

 長剣を振り下ろした形跡すらない。

 ただ、銀の刃に滴る赤黒い液体が、それが事実であると語っていた。

 

『……ギッ……?』

 

 斬られたことにすら気づいていなかったのか。

 怪物たちは、一拍遅れて、鈍く首を傾げ──

 

 次の瞬間、ズバァ、と濁った音を響かせて、胴から脊柱ごと、左右にぱっくりと裂けた。

 

 飛び散る血と臓腑。空間に舞う肉片。

 遅れて崩れる足音とともに、崩れたそれらは灰となり──紫紺の結晶がひとつ、ぽとりと静かに残された。

 

 まるで、それだけが現実であるかのように、光を反射して。

 

「お、おい……速くねぇか、あいつ……!?」

 

 モルドの声が震え混じりに漏れる。

 その目に映るのは、音すら追いつかない剣閃。

 

 赤のマントが戦場を舞い、鋼の鎧が火花を散らす。

 振るわれる刃が、ただの攻撃ではなく、質量を持った衝撃として広がり──『キラーアント』たちを容赦なく、纏めてなぎ払っていく。

 

「……速すぎる……! あんな動き、さっきは──いや、最初はしてなかった!」

 

 ガイルが目を見開く。

 冷静な観察眼を持つ彼ですら、視界で追えないという衝撃。

 

 それは、成長というにはあまりにも急激すぎた。

 

 ──飛躍だ。明らかに、進化している。

 

 加速。圧倒的なまでの加速。

 その剣はもはや斬撃ではなく、一瞬だ。

 

『キラーアント』の硬質な外殻など、豆腐のように両断される。

『ウォーシャドウ』は、影すら残さず一閃され──

『バットバット』に至っては、剣が届く前に、その剣圧だけで肉が裂け、飛沫と共に吹き飛んだ。

 

「……あれ、本当に人間なの……?」

 

 スコットが、呟く。

 

 力の暴走? 否。

 それはもはや、純粋な殺意の具現でしかなかった。

 

 敵を倒すためではない。

 生き残るためでもない。

 ただ、進むために──殺す。

 

 その姿は、まるでこの世界に適応し、なお進化を続ける異形の化物。

 

 否応なく、三人の胸を支配するのは──畏怖。

 

 異常な速度。

 異様な力。

 そして何より、痛みを恐れぬ無謀な戦い方。

 

 その剣筋には、まるで己の身を案じるという概念そのものが存在していない。

 

「……自分の命なんか、どうでもいいって顔だな」

 

 ガイルが低く、呟く。

 

 冗談でも冷やかしでもない。

 その声には、確かな戦士としての危機感が宿っていた。

 

 事実として、その言葉に誰も否定を返す事は出来ず。

 

 圧倒的な殺意の奔流。

 それに飲み込まれながら戦う仲間に、声をかけることすらできなかった。

 

 ──そして、その時だった。

 

『──ゴグギギアアアアアッッッッッッ!!!!』

 

 耳が破れるかと思うほどの、咆哮。

 同時に、床が()()()

 

「なんっ……!?」

 

 広間全体が揺れる。

 地鳴りのような振動が、足元から這い上がってくる。

 

 そして──闇の奥から、異形の影が姿を現した。

 

 それは、ただの『キラーアント』ではなかった。

 

 躯体は一回りどころか、二回り以上も膨れ上がり、まるで巨人と蟻の中間のような異形と化し。

 甲殻は赤みを帯びた黒に染まり、ただの節ではなく岩盤を彷彿とさせる重厚な質感を纏っていた。

 

 表面には、まるで呪紋のような異様な亀裂が走り、光源の届かぬ迷宮の闇の中で、鈍く、妖しく煌めいている。

 両の顎は二枚刃のように肥大化し、ギチギチと、まるで刃物同士が擦れ合うかのような金属音を響かせていた。

 

 そして、腹部の裂け目から──

 

 ずるり、と。

 粘性の高い酸液が垂れ落ちる。

 

 床に触れた瞬間、耳に焼きつくような腐蝕音が広がり、足元にいた通常の『キラーアント』が、悲鳴を上げることすらなく()()()

 

 ──音もなく。

 ただ、静かに、喰われた。

 

 まさに、災厄の化身。

 

「っ……クソがッ! 落ちてた魔石、喰いやがったのかよ……!」

 

 モルドが低く唸るように悪態を吐いた。

 

 ──そうだ。こいつは、明らかに()()だ。

 

『強化種』

 

 ごく稀に現れる、魔石の残滓を怪物自身が取り込み、異常進化を遂げた変異体。

 

 魔物も、喰らい、育つ。

 冒険者が【ステイタス】を更新して強くなるように──奴らも、紫紺の結晶を貪ることで力を増すのだ。

 

 そして、思い出す。

 己等がこの広間から逃げる際、無数の『キラーアント』と死闘を繰り広げ、倒し。

 しかし、魔石の処理など、考える余裕すらなかった事を。

 

 それらが地に転がり、残されたのだ。

 

 ──養分として。

 

 おそらくは、あの群れの中の一匹。

 結晶を喰らい、己を喰らい尽くす勢いで進化し。

 そして今、ここに顕現した。

 

「っ、不味いぞこれは……ユー、慎重に──」

 

 冷や汗を垂れ流し、視界の端。ガイルが声をかけた、その瞬間だった。

 

「……え?」

 

 気づけば、()()にいた。

 

 ガイルが声を発した瞬間、赤のマントはすでに強化種の眼前にあった。

 音もなく──ただ在るように、そこに立っていた。

 

 振り返ることも、迷うこともなく。

 

 その背に宿すのは、決意でも使命でもない。

 

 ──ただ、斬るという本能。

 

「え、ちょ──!」

 

 言葉が空気に溶けるより早く、赤のマントが翻った。

 

 刹那、空間が軋む。

 

 空気が引き裂かれる音さえ、遅れて届く。

 視界が揺れた。時間が歪んだと錯覚した。

 

 ──そして、()()は起きた。

 

 斬撃。

 

 一閃。

 

 音もなく、巨大な蟻──『強化種』が、真っ二つに裂けた。

 

 顎も、甲殻も、脚も──何もかもが無抵抗のまま、左右に崩れる。

 血も肉も断末魔すらも、一拍遅れで追いかけてくる。

 その背後にあった岩壁までもが、静かに、真っ直ぐ切り裂かれていた。

 

 切断面から、ぱらりと岩の欠片が零れ落ちる。

 それはまるで、舞台装置が終幕の合図を告げるように──あまりにも静かだった。

 

 誰一人、声を出せず。

 鼓膜が拒絶したのかと思うほど、広間は静寂に包まれていた。

 

 銀の剣が、ゆっくりと下ろされる。

 

 殺意も怒気もない。ただ、行動だけがそこにはあった。

 

 そして。

 

 戦闘は──もう、終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 =====

 

 

 

 

 

 

 

 ──斬った。

 

 踏み込んだ覚えはない。足音すら聞こえなかった。

 ただ、視界の中に()()がいて──次の瞬間、真っ二つに裂けていた。

 

 肉が割れる音。甲殻が砕ける手応え。

 残響すら残さず、空間ごと断ち割ったような感覚。

 

 剣を振るたび、身体の奥に熱が灯る。

 心臓の鼓動に合わせて、火が脈打つ。

 だが──それは、激情でも高揚でもなかった。

 

 冷たい。

 凍てつくような静寂が、心の中心に巣食っている。

 

 怒りも、ない。

 恐怖も、ない。

 歓喜も、ない。

 

 ただ──

 

 刃を振る理由すら曖昧なまま、目の前にある障害を排除している。

 それだけ。

 

 まるで、機械のように。

 否──それすらも甘い。

 今の私には、きっと命を奪っているという実感さえ、ない。

 

『守護者の剣 Lv.10 を獲得しました』

『あなたの攻撃力が100%上昇します』

『キャベツを獲得しました』

 

 ──まただ。

『声』が、脳髄の奥底へと響き渡る。

 思考の表層など軽々と突き抜け、もっと深いところ。

 存在の根幹に、直接刻み込まれるように。

 

 それは、もはや通告ではない。

 呪文。あるいは、祝詞。

 血と肉と魂に意味を刷り込んでくる。

 

 そして、私は──

 

 ぞくり、と背筋を撫でられるような感覚に包まれた。

 

 心地が、いい。

 

 快感と呼ぶにはあまりにも淡い。

 高揚と呼ぶには静かすぎる。

 

 けれど確かに、この感覚は私を満たしていた。

 

 ──これは正しい。

 

 脳が、そう判断していた。

 いや、違う。脳など介していない。

 もっと本能的な、名もなき部分が、これを正義だと錯覚している。

 

 まるで、斬る事そのものが役割であるかのように。

 殺す事こそが存在意義であるかのように。

 

 記憶はない。

 名も、過去も、目的すらも失っている。

 

 けれど──

 

 身体は、動きを知っている。

 

 剣の振り抜き方を。

 足の踏み出し方を。

 敵の急所を見極める勘を。

 そして──命を断つための刃を。

 

 誰に教えられたのかもわからない。

 だが、この技術は染みついていた。

 まるで、魂が何度も繰り返してきた所作を、無意識になぞっているかのように。

 

『セブンリーグブーツ Lv.2 を獲得しました』

『戦士タイプの歩行速度が6%上昇します』

『イチゴを獲得しました』

 

 ──刹那、剣に伝わる確かな感触。

 

 肉が裂け、骨が断たれ、甲殻が砕け、血と臓腑が飛沫をあげる。

 剣越しに伝わるそれは、どこか懐かしい記憶のようでさえあった。

 

 甲殻を断ち切る手応え。血の温度と重さ。内臓が刃を滑らせる感触──

 

 全てが、異様なまでに馴染んでいる。

 

 違和感は、ない。拒絶も、ない。

 ましてや、迷いなど──最初から存在していなかった。

 

 人間とは、これほどまでに簡単に殺す事に順応できるものなのか。

 あるいは──

 最初から、私は()()()()()()だったのか。

 

『ファントムブレード Lv.2 を獲得しました』

『戦士タイプの攻撃速度が6%上昇します』

『澄んだ水を獲得しました』

 

『声』は鳴り止まない。

 一体倒すごとに、新たな力と活力を囁き続ける。

 

 それはまるで、手柄を立てた犬に骨をくれるかのように、機械的で、無慈悲で──だが、なぜか安堵を覚える音。

 

 ああ、また──

 また、認められた。

 また一つ、存在に意味が与えられた。

 

 何かに評価された。何かに認められた。

 それだけで、今この場所に存在していいと、許された気がした。

 

 胸の奥が、じわりと温まる。

 だが、それは嬉しさとも違った。

 空腹にスープを流し込まれた時のような、ただの満たされだった。

 

 無意識に、口元が緩む。

 けれど──それに気づく者は、誰一人としていない。

 

 それほどまでに、その笑みは微かで、儚くて──

 まるで、笑顔という感情すら忘れかけた者が、ただ表情を真似ただけのよう。

 

『守護者の鎧 Lv.14 を獲得しました』

『あなたの最大HPが140%上昇します』

『空のボトルを獲得しました』

 

 斬りつけた瞬間、返り血が弧を描き──紫の体液が、頬を掠めて熱を残す。

 

 ──まだだ。終わってなど、いない。

 

 前方に蠢く気配がある限り、この刃は止められない。

 

 剣を握る手に、迷いは無く。

 目的も、理由も、記憶もない。けれど──『声』がある。

 そして、その声に従って刃を振るうだけの、この今だけは──確かに生きていると感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

『守護者の剣 Lv.48 を獲得しました』

『あなたの攻撃力が480%上昇します』

『グラム Lv.4 を獲得しました』

『戦士タイプの攻撃力が200%上昇します』

『守護者の鎧 Lv.63 を獲得しました』

『あなたの最大HPが630%上昇します』

『キュイラス Lv.11 を獲得しました』

『戦士タイプの最大HPが1100%上昇します』

『ファントムブレード Lv.3 を獲得しました』

『戦士タイプの攻撃速度が9%上昇します』

『セブンリーグブーツ Lv.3 を獲得しました』

『戦士タイプの歩行速度が9%上昇します』

『肉×12 を獲得しました』

『魚×15 を獲得しました』

『野草×18 を獲得しました』

『澄んだ水×13 を獲得しました』

『野キノコ×7 を獲得しました』

『イチゴ×9 を獲得しました』

『ブドウ×11 を獲得しました』

『空のボトル×13 を獲得しました』

『キャベツ×10 を獲得しました』

『トマト×9 を獲得しました』

 

 

 

 

 

 

『通常より強大な個体の撃破を確認』

『ククルカンの宝玉 Lv.1 を獲得しました』

『【メテオ】が解放されました』

『【メテオ】の効果値が10%上昇します』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──地上の空気が、やけに澄んで感じられた。

 

 長い時間、濁った地下に潜っていたせいだろうか。それとも、あの戦場の熱気と血の匂いが、今も鼻にまとわりついているせいか。

 ひゅう、と夜風が吹き抜けるたびに、冷気が体に浸透し、汗ばんだ背筋をなぞっていく。なのに、なぜか火照りは消えない。

 魔石灯の明かりが灯る街並み。夜空には星が浮かび、遠くに喧噪がかすかに聞こえる。

 

 ──信じられなかった。

 

 俺たちは、まだ今日を生きていた。

 たった一日で、あれだけの怪物を相手にして。

 死にかけて、震えて、それでも──生きて、帰ってきた。

 

「……たった一日で、この量……?」

 

 オラリオ北西区──通称『冒険者通り』。

 昼も夜も、剣と魔法と金に飢えた猛者たちが行き交うこの通りの奥に、ひときわ異質な建築物がある。

 

 石造りの巨大な円形ホール。柱の一本一本が天を貫くように聳え立ち、荘厳なステンドグラスには数多の神々の紋章が刻まれていた。

 

 それが──『ギルド本部』。

 迷宮都市の中枢であり、冒険者たちの表玄関。

 あらゆる契約と情報と報酬が、ここを通って流れていく。

 

 そして今、その中の換金カウンターにて──

 職員の一人、栗色の髪を後ろでまとめた女性が、まるで時間が止まったように固まっていた。

 

 無理もない。

 

 俺たちの前に、ドサリと置かれた魔石の山──いや、これはもう丘だ。

 山を通り越して、小さな丘陵地帯の様相すらある。

 

 一体何個だ? 数えてられっかよ。

 これだけの量を、一晩で持ち帰ったパーティが、いったいどれだけいるってんだ。

 

 ……しかも。

 

「……あいつ一人で、蟻の群れ潰したようなもんだしな」

 

 モルドがぼそりと呟いたその言葉に、思わず俺も頷きそうになった。

 

 ああ、間違いねぇ。

 本当にそうなんだ。

 

 確かに俺たちも戦った。守ったし、援護したし、傷も負った。

 だが──壊したのは、あの男だった。

 

『ユー』。

 

 目の前の山ほどの魔石の大半は、あいつが、一人で切り開いた戦果だ。

 

「換金処理に、少々お時間いただきますっ……!」

 

 そう叫んで、ギルドの職員は、慌てて奥の方へ走っていった。書類を抱えて、ガシャガシャと他の仲間を呼び集めながら。

 

 その姿を見て、モルドが肩をすくめる。

 

「……こりゃ、ギルドに顔覚えられたかもな」

「そりゃそうよ。だって、たった一夜で、『下級冒険者(Lv.1)』が討伐数三桁って……」

 

 スコットも小声で同意しながら、ちらりと目線を送る。その先にあるのは──赤いマント。

 俺も、つられるように視線を向けた。

 

「……なあモルド、アレってさ……ほんとに、俺たちと同じ人間なのか?」

 

 呟いた言葉は、冗談半分……のはずだった。

 けれど、返ってきた声は妙に静かで。

 

「さあな。……けど、一人で『キラーアント』の軍団潰せる奴が普通なら、俺たちが異常なんだろうな」

 

 どこか皮肉めいた笑みを浮かべるモルド。だが、その目は──笑っていなかった。

 まるで、自分の常識ごと打ち砕かれたような……そんな戸惑いが、そこには滲んでいた。

 

 ユーは、変わらず、静かに立っている。

 

 無言で。無表情で。

 まるで自分の功績にも、周囲の騒ぎにも、一切興味がないかのような顔をして。

 

 ギルド職員が驚愕の眼差しで応対しても、他の冒険者たちがざわついても──まったく意に介さない。

 

 あまりに無関心過ぎて、逆に目立つ。

 

 いや、違う。

 むしろ、目立っているという意識すら存在しないようだった。

 

 それが、不気味で。それが、妙に引っかかって。

 

 そして、たぶん──

 

 誰よりも先に、周囲の冒険者たちがそれを理解した。

 

「……あいつ、何者だ……?」

「どこの所属か分かるか? 俺は、あの顔見たことねぇぞ……」

「【闇派閥】じゃねぇよな……?」

 

 ひそひそと囁く声が、ちらほらと聞こえてくる。

 好奇、猜疑、警戒──様々な感情が入り混じった空気が、ギルドの一角に滞留していく。

 

 けれど、当の本人はというと──

 そんな空気すら、まるで視界に入っていないかのようだった。

 

 ……ただ、そこにいるだけ。

 

 無のようで、空のようで。

 けれど、確かに()()を抱えて立っている存在。

 

 まるで、名も無き異物。

 

 まるで──抜き身の剣。

 

「……なあ、スコット」

「なに?」

「ユーってさ……なんというか、今にもどこかへ消えてしまいそうな空気、してないか?」

 

 ぼそっと呟いた俺の言葉に、スコットは一瞬だけ黙って──そして、そっと目を細めてうなずいた。

 

「……わかる気がする」

 

 ぽつりと落ちたその声には、妙な重みがあった。

 

「ずっと隣にいるはずなのに、なんだろう……どこか、すごく遠くに感じるのよね。言葉も少ないし、何考えてるのかまるで読めない……まるで、あたしたちとは違う世界の人みたいな──そんな感じ」

「…………」

 

 その表現は、あまりに的確すぎて──返す言葉が、見つからなかった。

 俺も、ずっと思ってた。

 

 記憶が無い事が本当ならば、仕方がないのだろう。何も覚えていなければ、何も分からないのだから。けれど、それにしても、だ。

 ユーは、なにも語らない。笑わない。怒らない。感謝もしない。けれど、助ける。斬る。進む。

 

 まるで、在るべき場所に戻ろうとするかのように、静かに歩み続けている。

 

「…………」

 

 だからこそ、目を離せなかった。

 放っておいたら、きっと──ふいに、どこかへ消えてしまうような気がして。

 

 ……まるで、霧の中に浮かぶ幻みたいだった。

 その儚さに、俺たちは何故だか、抗えなかったのかもしれない。

 

「……お待たせしましたっ!」

 

 軽やかで明るい声が、換金所の受付カウンターから響く。

 空気が、一気に現実へと引き戻された。

 まるで、ユーという存在に引き寄せられていた非現実に、風穴が開いたように。

 

「合計、魔石百三十四(134)個、ドロップアイテム・換金可能物資合わせて十八(18)点! 本日の換金総額──三十五万八千(358,000)ヴァリスになります!」

「………………は?」

 

 しかし、返って来た言葉は、正に非現実だった。

 カウンター越し、ギルド職員の女性が、やけに晴れやかな声で宣言しているが、俺は固まるしかない。

 隣でスコットが目を剥き、モルドにいたっては「ぶふぉっ!?」と、変な音を鼻から漏らす始末。

 

「さんじゅ……三十五万……!? え、何かの桁、間違ってねぇか?」

「いいえ、間違いなく。この金額で間違いありませんよ!」

 

 笑顔で袋をカウンターに積み上げていくギルド職員。

 そのひとつひとつが、ずしりと鈍い音を立て、目の前に現実として、強制的に突きつけられる。

 

 袋は、三つ。いや、四つ。いや……最終的に五つ。金の詰まった麻袋の山だ。

 俺の理性がバグるには、十分な量だった。

 

「な、なにこの現金攻め……怖ッ……」

 

 スコットが震え声で呟きながらも、視線は袋に釘付けだ。

 わかる。俺も正直、目を離せねぇ。

 

 けど──

 

 その横で、ひとりだけ、まるで別の空間にいるかのような男がいた。

 

「…………」

 

 分かってた。分かってはいた、が。

 彼は、やはり、金にも名声にも、一切の関心を示さなかった。

 

 まるでそれが当然かのように、カウンターの横で、ぽつりと立ち尽くしている。

 

 その顔には、驚きも、歓喜も、安堵すらもない。

 ただ、無表情のまま。まるで、自分の事ではないかのように。

 赤いマントが、ギルド内の魔石灯に照らされて、ゆらりと揺れた。

 

 その背が、やけに遠く見えた。

 

 ……あれだけの成果を前にしてさえも、彼の表情は変わらない。

 

 まるで、何も得ていないかのように。

 

 その横顔を見つめながら、ふと、思ってしまった。

 

 ──あいつは、ほんとうに生きていると、感じているんだろうか、と。

 

 勿論、血の通った肉体はそこにあって、剣を振るい、魔物を屠るその姿は間違いなく生者そのものだった。

 けれど、その瞳の奥には、何もない。怒りも、喜びも、誇りさえも──生きている者が持つべき感情が、ことごとく抜け落ちているようで。

 

 ……まるで、命令だけで動く兵器みたいに。

 

 それでも。それでもだ。

 

 そんな空っぽの男が、俺たちを見殺しにはしなかった。

 剣を抜き、命をかけて、俺たちを救った。

 あの瞬間だけは──間違いなく、共に戦っていた。

 

 なら、それで十分だろう。

 

 そう思ったから、俺は振り返って、無言で立ち尽くすユーの隣へと歩み寄った。

 そして、ぽん、と。

 思いきり軽い音を鳴らして、その肩を叩いてやった。

 

「……なあ、ユー。今夜はさ、うまいもんでも食いに行こうぜ」

 

 俺の言葉に、彼はすぐには反応しなかった。

 いつものように、感情の読めないまま、ただ無言で立ち尽くしていて──

 

 けれど。

 

 ほんの、ほんの僅かに。

 視線が、こちらに向いた。

 

 それだけで、なぜだか嬉しかった。

 

 たとえ、曇りきった空のような瞳でも。

 その奥に、何かが揺れた気がしたから。

 

 ──そして。

 

 目元が、ほんの一瞬だけ。

 

 緩んだような、気がした。

 

 

 


 

 

 

『守護者の剣 Lv.48 』(攻撃力+480%)

『グラム Lv.4 』(攻撃力+200%)

『守護者の鎧 Lv.63 』(最大HP+630%)

『キュイラス Lv.11 』(最大HP+1100%)

『ファントムブレード Lv.3 』(攻撃速度+9%)

『セブンリーグブーツ Lv.3 』(移動速度+9%)

『ククルカンの宝玉 Lv.1 』(メテオ威力+10%)

『肉×18』

『魚×18』

『野草×25』

『澄んだ水×13』

『野キノコ×10』

『イチゴ×9』

『ブドウ×11』

『空のボトル×18』

『キャベツ×12』

『トマト×12』

 

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千一夜CB 3 [たろうまるん]
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