空気が変わった。
無機質な岩肌が冷たく露出し、洞窟を満たす湿り気が、肌をなめるように纏わりつく。
足元では赤苔が淡く発光し、どこか生々しい血を思わせる色彩で辺りを照らしていた。
そして、そこに──再び戻ってきた。
広間。
あの、恐怖と敗走の記憶が焼きついた場所。
今、その空間は、まるで瘴気を孕んだ蟲の王国だった。
「……ざっと数えても、五十はくだらねぇな」
黒髪の男──モルドが、低く、唸るように呟く。
その言葉は、決して誇張ではない。むしろ、数えるだけ無駄なほどに、地を這い、壁を登り、天井からぶら下がる赤黒い影が充満していた。
ギチギチと脚と脚が擦れ合う、あの忌まわしい音が洞窟の中に木霊する。顎の刃が不気味に鳴り、まるで一斉に咲いた死の花が笑っているかのようだった。
しかし──悪夢はそれだけでは終わらない。
「……あそこ、『ウォーシャドウ』まで……!」
スコットの声が震える。通路の先から、漆黒に滲む人型の影──それは、輪郭すら曖昧な“何か”だった。ぬるりと空気を裂き、無音で歩くその様子は、異質そのものである。常識という言葉から最も遠い存在が、確かにそこにはあった。
さらには、天井から逆さに吊るされたまま、蠢く蝙蝠たち。大口を開け、よだれを垂らしながら、羽ばたきもせずにただ待っている。そこに意志などない。ただ喰らうことしか知らぬ獣の目が、下の獲物を見下ろしていた。
「っは……いいじゃねぇか」
静かに、しかし確かに笑う声が響く。
モルドだ。
唇の端が釣り上がり、粗野でありながらも確かな熱を帯びる。
「やっと……俺の剣が、鳴くってもんだろうがよッ!」
ぐっと剣を構え直す。
足は震えている。手も冷たい汗で濡れていた。だが──それを隠すように、彼は前だけを見る。逃げ出したい衝動を殺し、喉の奥から湧き上がる恐怖を、闘志に変える。
そして、足を一歩、地へと叩きつけた。
「……同じミスは繰り返さねぇ。今度こそ、全員で生きて抜けるぞ!」
モルドの低い叫びに、仲間たちは即座に応じた。
ガイルは無言のまま頷き、腕に抱えた巨大な盾をぐっと構える。揺れる金の髪と、彫刻のように浮かぶ筋肉が、洞窟の仄暗さの中でも際立っていた。
スコットは、ヒビの入った短剣をそっと地に置き、腰の予備──刃紋の美しい新しい短剣を抜いた。くるりと器用に手の中で回し、ふわりと低く身を沈める。それはどこか軽やかで、どこか獣じみた動きだった。
──そして。
「ユー、行くぞ!」
モルドの声が届いたその瞬間、赤いマントの男は静かに顔を上げた。
口を開くことはない。だが、その茶色の瞳には、確かに一つの意思が宿っていた。
──邪魔をするな。
──道を阻むな。
──ただ、前へ。
無言の中で、確かな覚悟が燃えている。
『──ギイイイイィィィッッッッ!!!』
耳をつんざく咆哮が、次の瞬間、広間を埋め尽くすように轟いた。
赤黒い蟻たちが、怒りにまかせて一斉に殺到する。
黒き影の『ウォーシャドウ』が、音もなく滑るように迫り──天井にいた『バットバット』たちが、狂ったように羽ばたき始める。
空間が、魔物の殺意で飽和した。
そして──殺戮が、始まった。
モルドとユーが前線を駆け抜ける。
ガイルが鋼盾を掲げて酸弾を弾き、スコットが軽やかに動いて陽動と補助に徹する。
役割は完璧。戦況は、理論上は悪くない。
──だが。
「……え?」
モルドの喉が、勝手に震えた。
視界の端、隣を走っていたはずの──ユーの姿が、忽然と視界から消えていたから。
一瞬の空白。
目を疑う。
その瞬間には、もう──
五体の『キラーアント』の向こう側に、
長剣を振り下ろした形跡すらない。
ただ、銀の刃に滴る赤黒い液体が、それが事実であると語っていた。
『……ギッ……?』
斬られたことにすら気づいていなかったのか。
怪物たちは、一拍遅れて、鈍く首を傾げ──
次の瞬間、ズバァ、と濁った音を響かせて、胴から脊柱ごと、左右にぱっくりと裂けた。
飛び散る血と臓腑。空間に舞う肉片。
遅れて崩れる足音とともに、崩れたそれらは灰となり──紫紺の結晶がひとつ、ぽとりと静かに残された。
まるで、それだけが現実であるかのように、光を反射して。
「お、おい……速くねぇか、あいつ……!?」
モルドの声が震え混じりに漏れる。
その目に映るのは、音すら追いつかない剣閃。
赤のマントが戦場を舞い、鋼の鎧が火花を散らす。
振るわれる刃が、ただの攻撃ではなく、質量を持った衝撃として広がり──『キラーアント』たちを容赦なく、纏めてなぎ払っていく。
「……速すぎる……! あんな動き、さっきは──いや、最初はしてなかった!」
ガイルが目を見開く。
冷静な観察眼を持つ彼ですら、視界で追えないという衝撃。
それは、成長というにはあまりにも急激すぎた。
──飛躍だ。明らかに、進化している。
加速。圧倒的なまでの加速。
その剣はもはや斬撃ではなく、一瞬だ。
『キラーアント』の硬質な外殻など、豆腐のように両断される。
『ウォーシャドウ』は、影すら残さず一閃され──
『バットバット』に至っては、剣が届く前に、その剣圧だけで肉が裂け、飛沫と共に吹き飛んだ。
「……あれ、本当に人間なの……?」
スコットが、呟く。
力の暴走? 否。
それはもはや、純粋な殺意の具現でしかなかった。
敵を倒すためではない。
生き残るためでもない。
ただ、進むために──殺す。
その姿は、まるでこの世界に適応し、なお進化を続ける異形の化物。
否応なく、三人の胸を支配するのは──畏怖。
異常な速度。
異様な力。
そして何より、痛みを恐れぬ無謀な戦い方。
その剣筋には、まるで己の身を案じるという概念そのものが存在していない。
「……自分の命なんか、どうでもいいって顔だな」
ガイルが低く、呟く。
冗談でも冷やかしでもない。
その声には、確かな戦士としての危機感が宿っていた。
事実として、その言葉に誰も否定を返す事は出来ず。
圧倒的な殺意の奔流。
それに飲み込まれながら戦う仲間に、声をかけることすらできなかった。
──そして、その時だった。
『──ゴグギギアアアアアッッッッッッ!!!!』
耳が破れるかと思うほどの、咆哮。
同時に、床が
「なんっ……!?」
広間全体が揺れる。
地鳴りのような振動が、足元から這い上がってくる。
そして──闇の奥から、異形の影が姿を現した。
それは、ただの『キラーアント』ではなかった。
躯体は一回りどころか、二回り以上も膨れ上がり、まるで巨人と蟻の中間のような異形と化し。
甲殻は赤みを帯びた黒に染まり、ただの節ではなく岩盤を彷彿とさせる重厚な質感を纏っていた。
表面には、まるで呪紋のような異様な亀裂が走り、光源の届かぬ迷宮の闇の中で、鈍く、妖しく煌めいている。
両の顎は二枚刃のように肥大化し、ギチギチと、まるで刃物同士が擦れ合うかのような金属音を響かせていた。
そして、腹部の裂け目から──
ずるり、と。
粘性の高い酸液が垂れ落ちる。
床に触れた瞬間、耳に焼きつくような腐蝕音が広がり、足元にいた通常の『キラーアント』が、悲鳴を上げることすらなく
──音もなく。
ただ、静かに、喰われた。
まさに、災厄の化身。
「っ……クソがッ! 落ちてた魔石、喰いやがったのかよ……!」
モルドが低く唸るように悪態を吐いた。
──そうだ。こいつは、明らかに
『強化種』
ごく稀に現れる、魔石の残滓を怪物自身が取り込み、異常進化を遂げた変異体。
魔物も、喰らい、育つ。
冒険者が【ステイタス】を更新して強くなるように──奴らも、紫紺の結晶を貪ることで力を増すのだ。
そして、思い出す。
己等がこの広間から逃げる際、無数の『キラーアント』と死闘を繰り広げ、倒し。
しかし、魔石の処理など、考える余裕すらなかった事を。
それらが地に転がり、残されたのだ。
──養分として。
おそらくは、あの群れの中の一匹。
結晶を喰らい、己を喰らい尽くす勢いで進化し。
そして今、ここに顕現した。
「っ、不味いぞこれは……ユー、慎重に──」
冷や汗を垂れ流し、視界の端。ガイルが声をかけた、その瞬間だった。
「……え?」
気づけば、
ガイルが声を発した瞬間、赤のマントはすでに強化種の眼前にあった。
音もなく──ただ在るように、そこに立っていた。
振り返ることも、迷うこともなく。
その背に宿すのは、決意でも使命でもない。
──ただ、斬るという本能。
「え、ちょ──!」
言葉が空気に溶けるより早く、赤のマントが翻った。
刹那、空間が軋む。
空気が引き裂かれる音さえ、遅れて届く。
視界が揺れた。時間が歪んだと錯覚した。
──そして、
斬撃。
一閃。
音もなく、巨大な蟻──『強化種』が、真っ二つに裂けた。
顎も、甲殻も、脚も──何もかもが無抵抗のまま、左右に崩れる。
血も肉も断末魔すらも、一拍遅れで追いかけてくる。
その背後にあった岩壁までもが、静かに、真っ直ぐ切り裂かれていた。
切断面から、ぱらりと岩の欠片が零れ落ちる。
それはまるで、舞台装置が終幕の合図を告げるように──あまりにも静かだった。
誰一人、声を出せず。
鼓膜が拒絶したのかと思うほど、広間は静寂に包まれていた。
銀の剣が、ゆっくりと下ろされる。
殺意も怒気もない。ただ、行動だけがそこにはあった。
そして。
戦闘は──もう、終わっていた。
=====
──斬った。
踏み込んだ覚えはない。足音すら聞こえなかった。
ただ、視界の中に
肉が割れる音。甲殻が砕ける手応え。
残響すら残さず、空間ごと断ち割ったような感覚。
剣を振るたび、身体の奥に熱が灯る。
心臓の鼓動に合わせて、火が脈打つ。
だが──それは、激情でも高揚でもなかった。
冷たい。
凍てつくような静寂が、心の中心に巣食っている。
怒りも、ない。
恐怖も、ない。
歓喜も、ない。
ただ──
刃を振る理由すら曖昧なまま、目の前にある障害を排除している。
それだけ。
まるで、機械のように。
否──それすらも甘い。
今の私には、きっと命を奪っているという実感さえ、ない。
『守護者の剣 Lv.10 を獲得しました』
『あなたの攻撃力が100%上昇します』
『キャベツを獲得しました』
──まただ。
『声』が、脳髄の奥底へと響き渡る。
思考の表層など軽々と突き抜け、もっと深いところ。
存在の根幹に、直接刻み込まれるように。
それは、もはや通告ではない。
呪文。あるいは、祝詞。
血と肉と魂に意味を刷り込んでくる。
そして、私は──
ぞくり、と背筋を撫でられるような感覚に包まれた。
心地が、いい。
快感と呼ぶにはあまりにも淡い。
高揚と呼ぶには静かすぎる。
けれど確かに、この感覚は私を満たしていた。
──これは正しい。
脳が、そう判断していた。
いや、違う。脳など介していない。
もっと本能的な、名もなき部分が、これを正義だと錯覚している。
まるで、斬る事そのものが役割であるかのように。
殺す事こそが存在意義であるかのように。
記憶はない。
名も、過去も、目的すらも失っている。
けれど──
身体は、動きを知っている。
剣の振り抜き方を。
足の踏み出し方を。
敵の急所を見極める勘を。
そして──命を断つための刃を。
誰に教えられたのかもわからない。
だが、この技術は染みついていた。
まるで、魂が何度も繰り返してきた所作を、無意識になぞっているかのように。
『セブンリーグブーツ Lv.2 を獲得しました』
『戦士タイプの歩行速度が6%上昇します』
『イチゴを獲得しました』
──刹那、剣に伝わる確かな感触。
肉が裂け、骨が断たれ、甲殻が砕け、血と臓腑が飛沫をあげる。
剣越しに伝わるそれは、どこか懐かしい記憶のようでさえあった。
甲殻を断ち切る手応え。血の温度と重さ。内臓が刃を滑らせる感触──
全てが、異様なまでに馴染んでいる。
違和感は、ない。拒絶も、ない。
ましてや、迷いなど──最初から存在していなかった。
人間とは、これほどまでに簡単に殺す事に順応できるものなのか。
あるいは──
最初から、私は
『ファントムブレード Lv.2 を獲得しました』
『戦士タイプの攻撃速度が6%上昇します』
『澄んだ水を獲得しました』
『声』は鳴り止まない。
一体倒すごとに、新たな力と活力を囁き続ける。
それはまるで、手柄を立てた犬に骨をくれるかのように、機械的で、無慈悲で──だが、なぜか安堵を覚える音。
ああ、また──
また、認められた。
また一つ、存在に意味が与えられた。
何かに評価された。何かに認められた。
それだけで、今この場所に存在していいと、許された気がした。
胸の奥が、じわりと温まる。
だが、それは嬉しさとも違った。
空腹にスープを流し込まれた時のような、ただの満たされだった。
無意識に、口元が緩む。
けれど──それに気づく者は、誰一人としていない。
それほどまでに、その笑みは微かで、儚くて──
まるで、笑顔という感情すら忘れかけた者が、ただ表情を真似ただけのよう。
『守護者の鎧 Lv.14 を獲得しました』
『あなたの最大HPが140%上昇します』
『空のボトルを獲得しました』
斬りつけた瞬間、返り血が弧を描き──紫の体液が、頬を掠めて熱を残す。
──まだだ。終わってなど、いない。
前方に蠢く気配がある限り、この刃は止められない。
剣を握る手に、迷いは無く。
目的も、理由も、記憶もない。けれど──『声』がある。
そして、その声に従って刃を振るうだけの、この今だけは──確かに生きていると感じられた。
=====
『守護者の剣 Lv.48 を獲得しました』
『あなたの攻撃力が480%上昇します』
『グラム Lv.4 を獲得しました』
『戦士タイプの攻撃力が200%上昇します』
『守護者の鎧 Lv.63 を獲得しました』
『あなたの最大HPが630%上昇します』
『キュイラス Lv.11 を獲得しました』
『戦士タイプの最大HPが1100%上昇します』
『ファントムブレード Lv.3 を獲得しました』
『戦士タイプの攻撃速度が9%上昇します』
『セブンリーグブーツ Lv.3 を獲得しました』
『戦士タイプの歩行速度が9%上昇します』
『肉×12 を獲得しました』
『魚×15 を獲得しました』
『野草×18 を獲得しました』
『澄んだ水×13 を獲得しました』
『野キノコ×7 を獲得しました』
『イチゴ×9 を獲得しました』
『ブドウ×11 を獲得しました』
『空のボトル×13 を獲得しました』
『キャベツ×10 を獲得しました』
『トマト×9 を獲得しました』
『通常より強大な個体の撃破を確認』
『ククルカンの宝玉 Lv.1 を獲得しました』
『【メテオ】が解放されました』
『【メテオ】の効果値が10%上昇します』
=====
──地上の空気が、やけに澄んで感じられた。
長い時間、濁った地下に潜っていたせいだろうか。それとも、あの戦場の熱気と血の匂いが、今も鼻にまとわりついているせいか。
ひゅう、と夜風が吹き抜けるたびに、冷気が体に浸透し、汗ばんだ背筋をなぞっていく。なのに、なぜか火照りは消えない。
魔石灯の明かりが灯る街並み。夜空には星が浮かび、遠くに喧噪がかすかに聞こえる。
──信じられなかった。
俺たちは、まだ今日を生きていた。
たった一日で、あれだけの怪物を相手にして。
死にかけて、震えて、それでも──生きて、帰ってきた。
「……たった一日で、この量……?」
オラリオ北西区──通称『冒険者通り』。
昼も夜も、剣と魔法と金に飢えた猛者たちが行き交うこの通りの奥に、ひときわ異質な建築物がある。
石造りの巨大な円形ホール。柱の一本一本が天を貫くように聳え立ち、荘厳なステンドグラスには数多の神々の紋章が刻まれていた。
それが──『ギルド本部』。
迷宮都市の中枢であり、冒険者たちの表玄関。
あらゆる契約と情報と報酬が、ここを通って流れていく。
そして今、その中の換金カウンターにて──
職員の一人、栗色の髪を後ろでまとめた女性が、まるで時間が止まったように固まっていた。
無理もない。
俺たちの前に、ドサリと置かれた魔石の山──いや、これはもう丘だ。
山を通り越して、小さな丘陵地帯の様相すらある。
一体何個だ? 数えてられっかよ。
これだけの量を、一晩で持ち帰ったパーティが、いったいどれだけいるってんだ。
……しかも。
「……あいつ一人で、蟻の群れ潰したようなもんだしな」
モルドがぼそりと呟いたその言葉に、思わず俺も頷きそうになった。
ああ、間違いねぇ。
本当にそうなんだ。
確かに俺たちも戦った。守ったし、援護したし、傷も負った。
だが──壊したのは、あの男だった。
『ユー』。
目の前の山ほどの魔石の大半は、あいつが、一人で切り開いた戦果だ。
「換金処理に、少々お時間いただきますっ……!」
そう叫んで、ギルドの職員は、慌てて奥の方へ走っていった。書類を抱えて、ガシャガシャと他の仲間を呼び集めながら。
その姿を見て、モルドが肩をすくめる。
「……こりゃ、ギルドに顔覚えられたかもな」
「そりゃそうよ。だって、たった一夜で、『
スコットも小声で同意しながら、ちらりと目線を送る。その先にあるのは──赤いマント。
俺も、つられるように視線を向けた。
「……なあモルド、アレってさ……ほんとに、俺たちと同じ人間なのか?」
呟いた言葉は、冗談半分……のはずだった。
けれど、返ってきた声は妙に静かで。
「さあな。……けど、一人で『キラーアント』の軍団潰せる奴が普通なら、俺たちが異常なんだろうな」
どこか皮肉めいた笑みを浮かべるモルド。だが、その目は──笑っていなかった。
まるで、自分の常識ごと打ち砕かれたような……そんな戸惑いが、そこには滲んでいた。
ユーは、変わらず、静かに立っている。
無言で。無表情で。
まるで自分の功績にも、周囲の騒ぎにも、一切興味がないかのような顔をして。
ギルド職員が驚愕の眼差しで応対しても、他の冒険者たちがざわついても──まったく意に介さない。
あまりに無関心過ぎて、逆に目立つ。
いや、違う。
むしろ、目立っているという意識すら存在しないようだった。
それが、不気味で。それが、妙に引っかかって。
そして、たぶん──
誰よりも先に、周囲の冒険者たちがそれを理解した。
「……あいつ、何者だ……?」
「どこの所属か分かるか? 俺は、あの顔見たことねぇぞ……」
「【闇派閥】じゃねぇよな……?」
ひそひそと囁く声が、ちらほらと聞こえてくる。
好奇、猜疑、警戒──様々な感情が入り混じった空気が、ギルドの一角に滞留していく。
けれど、当の本人はというと──
そんな空気すら、まるで視界に入っていないかのようだった。
……ただ、そこにいるだけ。
無のようで、空のようで。
けれど、確かに
まるで、名も無き異物。
まるで──抜き身の剣。
「……なあ、スコット」
「なに?」
「ユーってさ……なんというか、今にもどこかへ消えてしまいそうな空気、してないか?」
ぼそっと呟いた俺の言葉に、スコットは一瞬だけ黙って──そして、そっと目を細めてうなずいた。
「……わかる気がする」
ぽつりと落ちたその声には、妙な重みがあった。
「ずっと隣にいるはずなのに、なんだろう……どこか、すごく遠くに感じるのよね。言葉も少ないし、何考えてるのかまるで読めない……まるで、あたしたちとは違う世界の人みたいな──そんな感じ」
「…………」
その表現は、あまりに的確すぎて──返す言葉が、見つからなかった。
俺も、ずっと思ってた。
記憶が無い事が本当ならば、仕方がないのだろう。何も覚えていなければ、何も分からないのだから。けれど、それにしても、だ。
ユーは、なにも語らない。笑わない。怒らない。感謝もしない。けれど、助ける。斬る。進む。
まるで、在るべき場所に戻ろうとするかのように、静かに歩み続けている。
「…………」
だからこそ、目を離せなかった。
放っておいたら、きっと──ふいに、どこかへ消えてしまうような気がして。
……まるで、霧の中に浮かぶ幻みたいだった。
その儚さに、俺たちは何故だか、抗えなかったのかもしれない。
「……お待たせしましたっ!」
軽やかで明るい声が、換金所の受付カウンターから響く。
空気が、一気に現実へと引き戻された。
まるで、ユーという存在に引き寄せられていた非現実に、風穴が開いたように。
「合計、魔石
「………………は?」
しかし、返って来た言葉は、正に非現実だった。
カウンター越し、ギルド職員の女性が、やけに晴れやかな声で宣言しているが、俺は固まるしかない。
隣でスコットが目を剥き、モルドにいたっては「ぶふぉっ!?」と、変な音を鼻から漏らす始末。
「さんじゅ……三十五万……!? え、何かの桁、間違ってねぇか?」
「いいえ、間違いなく。この金額で間違いありませんよ!」
笑顔で袋をカウンターに積み上げていくギルド職員。
そのひとつひとつが、ずしりと鈍い音を立て、目の前に現実として、強制的に突きつけられる。
袋は、三つ。いや、四つ。いや……最終的に五つ。金の詰まった麻袋の山だ。
俺の理性がバグるには、十分な量だった。
「な、なにこの現金攻め……怖ッ……」
スコットが震え声で呟きながらも、視線は袋に釘付けだ。
わかる。俺も正直、目を離せねぇ。
けど──
その横で、ひとりだけ、まるで別の空間にいるかのような男がいた。
「…………」
分かってた。分かってはいた、が。
彼は、やはり、金にも名声にも、一切の関心を示さなかった。
まるでそれが当然かのように、カウンターの横で、ぽつりと立ち尽くしている。
その顔には、驚きも、歓喜も、安堵すらもない。
ただ、無表情のまま。まるで、自分の事ではないかのように。
赤いマントが、ギルド内の魔石灯に照らされて、ゆらりと揺れた。
その背が、やけに遠く見えた。
……あれだけの成果を前にしてさえも、彼の表情は変わらない。
まるで、何も得ていないかのように。
その横顔を見つめながら、ふと、思ってしまった。
──あいつは、ほんとうに生きていると、感じているんだろうか、と。
勿論、血の通った肉体はそこにあって、剣を振るい、魔物を屠るその姿は間違いなく生者そのものだった。
けれど、その瞳の奥には、何もない。怒りも、喜びも、誇りさえも──生きている者が持つべき感情が、ことごとく抜け落ちているようで。
……まるで、命令だけで動く兵器みたいに。
それでも。それでもだ。
そんな空っぽの男が、俺たちを見殺しにはしなかった。
剣を抜き、命をかけて、俺たちを救った。
あの瞬間だけは──間違いなく、共に戦っていた。
なら、それで十分だろう。
そう思ったから、俺は振り返って、無言で立ち尽くすユーの隣へと歩み寄った。
そして、ぽん、と。
思いきり軽い音を鳴らして、その肩を叩いてやった。
「……なあ、ユー。今夜はさ、うまいもんでも食いに行こうぜ」
俺の言葉に、彼はすぐには反応しなかった。
いつものように、感情の読めないまま、ただ無言で立ち尽くしていて──
けれど。
ほんの、ほんの僅かに。
視線が、こちらに向いた。
それだけで、なぜだか嬉しかった。
たとえ、曇りきった空のような瞳でも。
その奥に、何かが揺れた気がしたから。
──そして。
目元が、ほんの一瞬だけ。
緩んだような、気がした。
『守護者の剣 Lv.48 』(攻撃力+480%)
『グラム Lv.4 』(攻撃力+200%)
『守護者の鎧 Lv.63 』(最大HP+630%)
『キュイラス Lv.11 』(最大HP+1100%)
『ファントムブレード Lv.3 』(攻撃速度+9%)
『セブンリーグブーツ Lv.3 』(移動速度+9%)
『ククルカンの宝玉 Lv.1 』(メテオ威力+10%)
『肉×18』
『魚×18』
『野草×25』
『澄んだ水×13』
『野キノコ×10』
『イチゴ×9』
『ブドウ×11』
『空のボトル×18』
『キャベツ×12』
『トマト×12』