ただ前へ、ひたすらに


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作:生まれてきてくれてありがとう
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第3話 : 剣に名を


 

「……た、助かった……のか……?」

 

 蒸し返すような湿気に満ちた空気の中で、モルドが掠れた声を漏らした。

 乱れた呼吸と震える膝。ようやく足を止めた彼は、まるで石像のようにその場で凍りついたまま、前方を凝視している。

 

 そこに広がるのは──まさしく、“死屍累々”。

 赤黒い甲殻を持つ『キラーアント』の群れ。

 それらの死骸は、もはや原形すら留めていない。

 肉は裂け、骨は砕け、そしてすべては黒き灰と化して、辺り一面に積もっている。

 

 死の気配だけが、そこに残っていた。

 

「……一体、なんなの……本当に人間……よね?」

 

 スコットが、か細い声で呟く。

 肩で息をしながらも、その視線を逸らすことができなかった。

 

 彼の目の先に、ただ一人──男が立っていた。

 

 血と紫の体液に濡れた銀の長剣を手に。

 全身を包む鋼の鎧は無傷のまま、赤いマントが静かに揺れている。

 その姿は、どこか現実離れしていた。

 

 動かない。振り返りもしない。ただ、そこに立っている。

 

 まるで──それこそが、殺戮を終えた剣そのものであるかのように。

 

「人間……では、あるんだが……」

 

 ガイルが、ごくりと唾を飲み込む。

 その喉の動きすらも、妙に重たく感じられた。

 

「動きが……異常だった。無駄がないとか、そういうんじゃない。迷いがなさすぎる。……まるで、感情のない操り人形みたいだ」

 

 そう言葉を落としながらも、思考の中には先程の光景が再度蘇る。

 

 あれは、戦いじゃない。

 殺すべきものを、ただ殺す。

 それ以外の一切を排除したような、徹底的な処理。

 

『技』もない。『駆け引き』もない。

 ──だが、それが恐ろしく強かった。

 

 もちろん、『下級冒険者(Lv.1)』の自分が言える立場ではない。

 しかし、それでも感じてしまう違和感があった。

 

 素人ではない。

 怪物の急所も知っているし、剣の扱いも本物だ。

 命を奪うことに、微塵の躊躇もなかった。

 

 ……なのに、何かが“抜けている”。

 

 いや、違う──“壊れている”のかもしれない。

 

 ただ力に任せて斬っている。

 自らの身が裂かれようが、焼かれようが、意に介さないような……そんな戦い方。

 

 まるで、痛みという概念すら欠落しているかのように──

 

「っつーかよ……あれ、本気で助けたつもりなのか? それとも、ただ通り道だっただけか……?」

 

 と、そこまで思考が及んだ時。モルドが、ぽつりと呟いた。

 しかし、その問いは、空気の中に虚しく溶ける。誰ひとり、答える者はいない。

 

 ──誰にも、あの男の意図が読めなかった。

 

 迷宮の通路を、静寂が満たしていく。

 

 耳鳴りがしそうなほどの沈黙。

 血と鉄の匂いが漂う中、重く、張り詰めた空気だけが支配していた。

 

 そんな空気を破ったのは、意外にもガイルだった。

 

「……あ、あの……」

 

 恐る恐る口を開きながら、彼は一歩前へと進み出る。

 巨大な盾を背負ったまま、赤いマントの男の目前で足を止めた。

 

 そして、迷うように一瞬だけ逡巡し──

 ガイルは静かに腰を折り、深く、丁寧に頭を下げた。

 

「さっきは……助けてくれて、ありがとうございました」

 

 その声に滲んでいたのは、畏怖でも盲信でもない。

 ただ、命を救われた者としての、まっとうな礼節だった。

 

「あーっと……改めて感謝を伝えるよ」

 

 頭を下げたまま、ガイルはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「俺は【オグマ・ファミリア】所属、ガイル・インディア……本当に、ありがとう。正直、あの数には……俺たちじゃ太刀打ちできなかった」

 

 その様子を見たスコットも、すぐさま真似をするようにぺこりと頭を下げた。

 

「スコット・オールズ。あたしも同じファミリア。助けてもらってなきゃ、今ごろ蟻のエサだったわ」

 

 最後に残ったモルドは、明らかに気まずそうな表情を浮かべつつも、ほんの少しだけ首を下げた。

 

「……モルド・ラトローだ。さっきは、助かったぜ」

 

 彼なりの、精一杯の譲歩だった。

 

 しかし、その三人の謝意を前にしても──

 

「…………」

 

 男は、ただ黙っていた。

 

 無感情な茶の瞳で、じっとこちらを見つめている。

 そこに敵意もなければ好意もない。ただ、真っ白な空白だけが広がっていた。

 

 場の空気に、僅かな緊張が生まれる。

 

「……そんで、だな」

 

 下げていた頭をそっと上げながら、ガイルは頬をかくようにして言葉を続けた。

 

「ちょっと……聞きづらいことなんだけどさ」

 

 どこか申し訳なさそうに、けれど真剣な口調で。

 

「あんた……どこの『ファミリア』だ? いや、別に言いたくなきゃ言わなくていいんだが。でも、その……()()()()に単独で潜ってるなんて珍しいし、あんだけ強いのに顔を見たことないってなると……どうにも気になっちまってな」

 

 探るような目線。

 だが、それは敵意ではない。ただの確認だった。

 

 事実、彼らのような『下級冒険者』ならば、オラリオには掃いて捨てるほどいる。

 だが、『上級冒険者』以上となると、話は別だ。

 

 数は一気に絞られ、存在そのものが都市に知れ渡る。

 名はもちろん、得物や特徴、二つ名すら語り草となり、誰かの目標になる。

 だからこそ、強者は覚えられて当然なのだ。

 そして下級の冒険者たちは、いつかその“名”を持つことを夢見て、日々の修練に励んでいる。

 

 ……だというのに。

 

 目の前の男は、そのどれにも該当しなかった。

 

 ──見たことがない。

 

 剣の技術、身体のキレ、化物じみた殺傷力。

 どれをとっても、一介の冒険者の枠に収まるものではなかった。

 けれど、どのギルドにも記録がない。名も、二つ名も知られていない。

 

 スコットは純粋に“怖い”と思っている。

 モルドは“何か隠してやがる”と踏んでいる。

 そしてガイルは、冷静に、最悪の可能性を頭に浮かべた。

 

 ──もしや、【闇派閥(イヴィルス)】か……? 

 

 この“時期”だからこそ、警戒すべきだった。

 

 オラリオは今、不安定極まりない。

 長年最強の名を冠していた二大派閥が、立て続けに崩壊した。

 その余波で、表と裏の均衡が一気に崩れたのだ。

 

 かつて地下に潜み、燻っていた闇の眷属たちが、今は表へと這い出てきている。

 それはダンジョン内であっても例外ではなく、かつての戦火が再び広がりつつあるのだ。

 

 あれほどの強さを持ちながら、素性が一切不明。

 得体の知れない装備、異様な気配、異常な剣筋。

 

 ──考えれば考えるほど、不安が増す。

 

 息を呑んだガイルに対し、赤いマントの男が、ようやくゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、やはり感情らしきものは見当たらない。

 

 そして──静かに、短く、言った。

 

「……わからない」

 

 その一言に、三人の冒険者は、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように固まった。

 

 沈黙。

 思考の隙間に、冷たい汗がじわりと滲んだ。

 

「……は? 待て待て、わからないって、どういうことだよ」

 

 モルドが眉をひそめて声を荒げる。

 

「所属ファミリアを()()()なんて、そんな馬鹿な話あるかっての。あんた、どれだけ重大なこと言ってんのか──」

 

 だが、その言葉に対しても、男は何も返さなかった。

 返せない、というよりも──そもそも言葉の意味すら、理解していないような、そんな空虚な表情だった。

 

 茶色の瞳が、ただ揺れることもなく、静かにモルドを見返すだけ。

 

 ──まるで、自分が何者であるかを問われても、()()()()()()()()()()をされたかのように。

 

 その異様な空気に、ふとガイルが口を開いた。

 

「……記憶喪失、か?」

 

 ぽつりと漏れたその推察に、男は、僅かに瞬きをし、そして、静かに頷いた。

 

 その仕草は、まるで自身が“何も持っていない”ことを、改めて認めるかのようで。

 

「……全て……覚えていない」

 

 低く、掠れた声が洞窟に響く。

 

「どこにいたのか、どこから来たのか……いや、それどころか──“誰だったのか”すらも」

 

 スコットが小さく息を呑む。だが、どこか腑に落ちたように、ほっとした表情も浮かべた。

 

「そっか……だから、あんなに無茶な動きしてたのね」

 

 そして、小さく呟く。

 

「あなた、自分が怪我するって感覚、抜けてるみたいだったし……あたしから見ても、痛覚がオフになってる人形って感じだったわ」

 

 その言葉に、ガイルも頷く。

 

「じゃあ、これが何かわかるか?」

 

 その時。

 そう言いながら、モルドが足元の灰をかき分け、黒ずんだ残骸の中からひときわ輝く結晶を拾い上げた。

 紫紺の輝きを放つ命の欠片──『魔石』。

 

 男はそれをじっと見つめ、そして、淡々と首を横に振った。

 

「……わからない」

「……マジかよ……」

 

 モルドが絶句した。しかし、次の瞬間──その口元がにやりと吊り上がる。

 

「ならよ……へへ、コレ、貰っても文句ねぇよな?」

 

 ニヤつきながらそう呟いた、その瞬間。

 

「──ごはぁっっ!?」

 

 スコットとガイルが同時にモルドの後頭部を強打した。

 

「バカなの、あんた!?」

「命の恩人にタカろうとか、どの口が言ってんだよ!!」

 

 痛みにうずくまるモルドを尻目に、スコットが怒鳴る。

 

「礼儀の“れ”の字もないって、どういう神経してんのよ!? 普段から言ってるでしょ、そういうのが嫌われるって!」

「いたた……っつーか、冗談だろ冗談! ノリだよノリ!」

「そういうのが命取りになるって、ダンジョンで何回言わせんの……」

 

 ぺちぺちと叩かれながら、モルドが地面に項垂れる。

 一方の男は──そんな騒動を前にしても、まるで“無”のような表情で、ただ静かに彼らの様子を眺めていた。

 

「と、とにかく、お前……命の恩人には違いねぇんだ……ま、まぁ、その……ありがとよ」

 

 モルドは、ぶっきらぼうな口調のまま、ぎこちなく頭をかいた。

 言い慣れていない言葉を無理やり口からひねり出すように。

 その不器用な仕草に、スコットはふぅっとため息を吐いてから、ニヤリと口角を上げた。

 

「はぁ〜……この不愛想ゴロツキが素直になるなんて、世界終わりそうだわ。改めて、あたしたちを助けてくれてありがとね」

 

 そして、男へと向き直り、悪戯っぽく続ける。

 

「でも、聞いて。あのツラで“お礼”って、超レアよ? あなた、もっと誇っていいわよ〜?」

「だ、黙れオカマァ!! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るモルドだったが、その勢いを切るように、話題が変わった。

 

「それより……お前、名前は? なんて呼べばいいんだ」

 

 その問いに、男は──沈黙した。

 少しだけ視線を伏せ、考え込むように間を置く。

 

 やがて──低く静かな声で答えた。

 

「……名も、わからない」

「……そっちもかよ……」

 

 モルドが呆れたように息を漏らし、スコットも目を丸くする。

 その一言こそが、この男の異物感を決定づけた。

 

 誰だかわからない。

 何者かもわからない。

 そして──名前すらも、存在しない。

 

 重たい沈黙が、洞窟内に満ちる。

 

 しかし、そんな空気をぶち壊すかのように、スコットがぱんっと手を叩いた。

 

「──じゃあ、こっちで勝手に名付けちゃおっかな♡」

「やめろ。どうせロクな名前になんねぇ……」

 

 モルドが即座に反応し、うんざりした表情で顔をしかめる。

 だがスコットはそれすら華麗にスルーし、顎に指を当てながら、何やら真剣な表情で考え始めた。

 

「うーん……そうねぇ、やっぱり一番目立ってるのは赤いマントよね。神様っぽく言えば、“レッドマン”?」

「それヒーローじゃなくてただの戦隊モノだろ……!」

「じゃあ、“紅き斬撃の審判者”!」

「長ぇよッ! 絶対誰も呼ばねぇよ!」

「じゃあいっそ、“カーミン・ブレード”ってのはどう? カーミンは深紅って意味。ちょっと二つ名っぽくて素敵じゃない?」

「お前さあ……」

 

 モルドが額を押さえて絶望する。

 その横でガイルが静かに呟いた。

 

「……『ユー』でいいんじゃないか?」

 

 唐突な提案に、スコットがまばたきをした。

 

「……ユー?」

「いや……この人、勇者みたいだっただろ?」

 

 ガイルはそう言いながら、赤いマントを見やる。

 

「鋼の鎧に銀の剣、真っ赤なマントを翻して、モンスターをばっさばっさと斬り伏せてさ……まるで物語の中から出てきたみたいな、“勇者”の具現だよ」

 

 そして静かに微笑んだ。

 

「“勇者”の“勇”──それを音にして、“ユー”。どうだ、悪くないだろ?」

 

 スコットが目を丸くして、すぐにぱちんと手を叩いた。

 

「それ、素敵じゃない! ちゃんと意味もあるし、カッコよさもあるし、語感も柔らかいし……あたし、好きよ?」

 

 モルドはというと、少しだけ鼻を鳴らしたものの、表情はどこか納得していた。

 

「……ま、仮の名前ってことでなら、悪くねぇな。カーミンなんちゃらとかよりは、ずっとマシだ」

「ちょっ、それ本気で気に入ってたのに!」

「真面目な顔してダサい名前出すな!」

 

 軽口の応酬が小さく続く中、三人の視線が、同時にその男──名もなき剣士へと向けられる。

 

「どうだ? あんたも……ユーって呼ばれて、嫌じゃないなら、さ」

 

 問いかけたのは、ガイル。

 その声は、真っ直ぐで、優しかった。

 

 一瞬の沈黙。

 そして、静かに──その男は答えた。

 

「……好きに呼んでくれて構わない」

 

 その無感情ともとれる返答に、スコットが目を輝かせる。

 

「きゃーっ、それじゃあ『ユーちゃん』って呼んじゃおうかしら!」

 

 両手を合わせて、ノリノリで声を弾ませる。

 

「おいおい……お前、それ絶対ふざけてんだろ……」

 

 モルドが眉をひそめながら呆れ声を返す。

 

「だって可愛いじゃない? ちゃん付けって愛着湧くのよ〜?」

「誰が誰に湧いてんだよ……ってか、本当にそれで決定でいいのかよ?」

 

 モルドが男を──ユーを一瞥しつつ、ぼそりと毒を吐いた。

 だがその口元は、どこか緩んでいた。

 

「これで、【ロキ・ファミリア】のとこの【勇者(ブレイバー)】と名前かぶりだな」

 

 ガイルが冗談めかしてそう言えば──

 

「いやいや、あっちは中身も格も全然違ぇからな? 名前だけで並べんなよ、ややこしいだろが」

 

 モルドが即座にツッコミを入れる。

 

 そうして、名もなき剣士に仮の名前が与えられた瞬間。

 わずかだが、確かに──四人の間に、空気の緩みが生まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 =====

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひと騒ぎが落ち着き、場にほんのりと静寂が戻った頃。

 ガイルは通路を見渡しながら、眉をひそめて呟いた。

 

「……やっぱり、正規のルートから外れてるな。どこで曲がったのかも曖昧だし、戻るにしても……今は危険すぎる」

 

 慎重な観察眼が導いた結論。

 壁の割れ、地形の歪み、地上から潜った際に通った通路とは明らかに構造が違う。おそらく、本来の道順から大幅に外れた一本路。

 つまり“想定外”の場所だ。

 

 そんな中、モルドがユーの方へと視線を向ける。

 

「なぁ、お前……ユー。これから、どうするつもりなんだ?」

 

 問いかけに、男は一瞬だけ目を伏せた。

 しかし、次の瞬間には顔も向けず、ただ短く告げる。

 

「……進む」

 

 その言葉に、三人が同時に息を呑む。

 

 迷いなど、欠片もなかった。

 

 そして、男は再び無言のまま、ゆっくりと歩き出した。

 まるで──何かに引き寄せられるように。

 

「お、おい! 待てってば!」

「ちょっと! どこ行くつもりなの!?」

 

 モルドとスコットが慌てて声を上げる。

 

 だが、ユーは振り返らない。

 歩幅は静かで、確かなものだった。

 まるで“止まる理由がない”とでも言わんばかりに。

 

 その背を追うように、モルドが慌てて駆け寄る。

 

「おい、おいっ! そこは俺たちが逃げてきた広間のほうだぞ! さっきより桁違いに、蟻の野郎どもがうろついてるかもしれねぇんだ!」

 

 警告ではない。

 それは、例え助けられた身と言えど。

 例え、一時の会話を交わしただけの間柄だったと言えど。

 戦友を想うがゆえの、必死な呼びかけだった。

 

 しかし──

 

 男は、歩みを止めなかった。

 声が届いていないのではない。聞いていて、なお──止まらない。

 

「おいってば! 聞いてんのかよ、止まれってば!」

 

 もどかしさに駆られたモルドが、反射的に男の肩を掴んだ。

 

 その瞬間──

 

「……『声』が──」

 

 ぽつりと、男が呟いた。

 

「……あ?」

 

 モルドがきょとんとした顔を向ける。

 

「『声』が、聞こえるんだ……ずっと……頭の奥に、響いている……誰かが、助けを──」

 

 その声には、震えも感情もなかった。

 けれど──確かに、切実さだけがあった。

 

 だからこそ、彼は歩く。

 立ち止まる理由など、最初からなかったかのように。

 

「……声って、何だよ……何も聞こえねぇぞ?」

 

 モルドが眉をひそめて呟く。

 意味が分からないといった表情で、耳を澄ませるような仕草をするが──

 静寂が広がるだけで、やはり何も聞こえなかった。

 

 対して、ユーは、ただひとつ言葉を残し、またゆっくりと歩き出す。

 

「今回は、敵ではなかったから助けた……だが、次は、わからない」

 

 それは、感情のない、ただの事実の提示だった。

 振り返りもしないままに吐き捨てられたその一言は、しかし、ガイルとスコットの心に鋭く突き刺さる。

 

「……っ」

 

 二人の背筋に、ひやりとしたものが走る。

 

 さっきまで、少しずつ打ち解け始めていると思っていた。

 不器用ながらも、会話を交わし、共に笑い合ったのだから。

 

 だというのに──

 目の前の男は、自分たちを仲間として認識してなどいなかった。

 

 ひたすらに“前”しか見ていない。

 その目に映っているのは、過去でも未来でもなく、男が言う“助けを求める誰かの声”──ただそれだけ。

 

 ゾクリと、背中を這うような違和感。

 ほんの少しでも、親しみを覚えていた分だけ、その距離感が恐怖に変わる。

 

 ──だが。

 

「お前、記憶がねぇんだろ?」

 

 その言葉をかけたのは、モルドだった。

 スコットとは違う。ガイルとも違う。

 怯えでも警戒でもなく、まるで向き合おうとする者の声音だった。

 

「だからよ。あてずっぽうに突っ込むなんざ、どう考えても非効率だろ」

 

 モルドが腕を組みながら、低く吐き捨てるように言った。

 

「非効率の極みみたいなお前がそれを言うのか、モルド」

「うるせぇ! 黙ってろこの筋肉バカ!!」

 

 即座に返されたガイルのツッコミが、綺麗に突き刺さり、図星だったのか、モルドが顔を赤くして噛みついた。

 

 しかし、その熱はすぐに冷め、彼の声音がわずかに落ち着きを帯びる。

 

「声とやらが目的だってんならよ。……一度、地上に戻って情報を集めるってのも、悪くねぇんじゃねぇか?」

 

 それが、探し人であるのか、それとも捜し物であるのか。それは分からないが。

 全てが霧の中なら、我武者羅に武器を振るうより、知識を集める方が確実な一歩になると、彼はそう言う。

 

「……俺たちもさ、お前に助けてもらった借りがある。できる範囲で、返してぇってのもあるしな」

 

 その言葉に、男はふいに立ち止まった。

 

 振り返るわけでもなく、ただ足を止め──しばしの沈黙のあと、ゆっくりと視線だけをモルドに向ける。

 

 その瞳は、無表情のまま。けれどどこか、揺れていた。

 

「…………モルド・ラトロー、だったな」

 

 突然名前を呼ばれ、モルドがわずかに身を固くする。

 

「お、おう?」

「私は記憶を持たない。ここがどこかすらわからない。もちろん、地上への道など知る筈もない。だが──」

 

 静かに、けれど鋭く言葉が続く。

 

「お前が言う“地上へ戻る”という選択肢は、結果的に──お前たちが逃げてきた広間を通る必要があるのではないか?」

「う……ぐっ……」

 

 図星を突かれて、モルドが苦い顔をする。

 

「そして、お前たちは、その場所を“突破できるだけの力”を持っていないのではないか?」

「お、ぐっ……」

「ならば、あわよくば私を“利用”して、地上に戻る算段を立てている……そう考えても、不思議ではないな」

「ち、ちがっ……! ちげぇよ、それはよォ……!」

 

 モルドが慌てて否定するも、その背後でスコットが肩をすくめる。

 

「……妙に優しいと思ったら、やっぱりそういうことだったのね〜」

「お前ってやつは……」

 

 ガイルも頭を抱えるようにして呆れた表情を浮かべた。

 

「……だが」

 

 しかし、男は言葉と裏腹に、ふと口元をわずかに吊り上げた。

 

 それは、笑った──と、思えないほどに微かな動き。

 あまりに控えめで、見逃せば気づかないほどの、それでも確かな“人間的な表情”。

 

「……モルド・ラトロー。お前の案に乗ろう」

 

 そして、小さく間を置いて、続ける。

 

「私を、存分に利用しろ」

 

 短く、静かなその言葉に、三人が一瞬ぽかんと口を開けた。

 

 だが、そんな反応を気にも留めず、男は再び歩き出す。

 彼らが恐れて逃げ出した、あの広間へと向かって。

 

「ちょっ、ホントに行くの!? いきなり!?」

「おいおい、待てってば! おい、ユー!」

「……頑張るか、足手まといにならないように」

 

 三人の冒険者は慌てて追いかける。

 赤いマントが翻り、洞窟の闇に吸い込まれていくその背中を追って。

 

 ──こうして。

 

 名もなき異物と、三人の下級冒険者による、奇妙な同行が始まった。

 

 それが、後に語られる“転機”となるとも知らずに。

 

 

 


 

 

 

あなた(YOU)』改め『ユー』

The 安直。

 

『守護者の剣 Lv.9 』(攻撃力+90%)

『守護者の鎧 Lv.13 』(最大HP+130%)

『ファントムブレード Lv.1 』(攻撃速度+3%)

『セブンリーグブーツ Lv.1 』(移動速度+3%)

『肉×6』

『魚×3』

『野草×7』

『野キノコ×3』

『キャベツ×2』

『トマト×3』

 

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