(文学フリマの話52)
少し話を脱線して ZINE の話をします。
ZINEとはアメリカ発祥の自主制作誌とそのカルチャーのことです。SFのファンジン(ファン達の交流のための自主制作誌)のカルチャーと、カウンターカルチャーや黒人解放運動やフェミニズム運動など草の根的な政治活動の精神と、非営利の理念、そしてDIY (Do it yourself)の精神が混ざり合った文化として近年日本でも注目されています。日本の「同人誌」とは歴史的背景が異なり、コミックマーケットからの流れをくむ「同人誌」とは別系統のものにあると言えます。共通点があるとすると、ファンジンに由来している点くらいでしょう。
ZINEを作るのは1人の個人が主体です。印刷はコピー機やリソグラフ、家庭用のインクジェットプリンタが普通です。業者に発注して製本してもらうものではありません。個人が小ロットで生産して、誰かにあげたり交換したりするものです。売れる売れないは評価の軸にありません。ZINEを販売するためのイベントは存在しますが規模は非常に小さく、San Francisco Zine Fest (サンフランシスコ)で約250出店、LA Zine Fest (ロサンゼルス)で120出店程度となっており、日本のZINEフェスティバルの規模のほうが今やはるかに大きいです。そもそも全米各地に個人が運営するZINEのためのオープンな工房があり、そこでZINEを交換したり、ZINEを制作するワークショップやZINE専門の図書館 (ZINE Libary) が運営されているのも特徴です。とにかく小規模であり、手作りと草の根であることそれ自体が重視されているのがZINEの文化です。イベントが主な流通経路となる日本の「同人誌」と異なり、そもそも大がかりな流通経路自体を必要としないものなのです。
文学フリマのとあるスタッフが、オレゴン州ポートランドのIPRC (Independent Publishing Resource Center)を訪れました。IPRCは会員費を払うことで利用できる工房と図書館を兼ねた施設であり、ワークショップも開催されています。運営は非営利団体によって行われており、地域の文化拠点として機能しています。
ポートランド都市圏の人口規模は、日本でいうと仙台都市圏や広島都市圏くらいの規模に相当します。もし仙台や広島にそんな施設があったら、と想像してみてください(すごくないですか?)。
文学フリマではZINEを出品する出店者さんもいらっしゃいます。なのでZINEが何かずっと知りたくて、2018年のあるときに実際にアメリカの ZINE Library で ZINE を手にとる機会を得ました。そこで見たZINEは、日本人の視点から見ると良い意味で「雑」な作りのものが多く、作者自身の「つくりたい」という気持ちが手作りの作品を通じてあふれ出ているように感じました。多くがWordで書いたもので、タイポグラフィを気にかけているような感じのない飾り気のない本文に、手書きのイラストの表紙と、リソグラフやインクジェットプリンタで印刷した、中とじホチキスで綴じた作品が主流でした。ZINEにおいて重要なのは形式や商品性ではなく、精神性です。とにかく「自分で作ろう」とする意思が、作品の内容だけでなく、そのフォーマットにも現れていました。体裁そのものも作品の一部として機能しているのです。
一方で日本のZINEはアメリカのZINEの形式を受け継ぎつつも、独自の発展を遂げたものと化しているように思います。マンガの文化やアートの流れをとり入れ、洗練された作品が多いのが特徴です。グラフィックデザイナーが手がけたかのようにタイポグラフィが美しくデザイン性の高い作品も多いです。同人誌印刷所を使って印刷された作品も多いようです(もちろん手作りのものもあります)。実際に写真で見比べてみると、日本のZINEとアメリカのZINEの違いがわかります。
Reddit の r/zine (ZINE関連のサブトピック)に投稿されている作品
→ reddit.com/r/zines/
日本の ZINE 専門店の MOUNT ZINE さんで販売されている作品
→ zine.mount.co.jp/store/
本来は流通の仕組みを必ずしも必須とはしていない文化であるZINEと、本来流通のためのイベントである文学フリマの文化とがなぜ共存できるのか、ということを2018年のZINE Library訪問以来考えるようになりました。そもそも文学フリマが果たしている役割は何で、これからどうあるべきなのかを考えるうえではZINEの存在がありました。その話はいずれまたしようと思います。