彬子女王殿下 研究の道に進んだことは、祖父・三笠宮殿下の存在が大きかった。後世に日本文化を伝える活動を通して、父・寛仁親王殿下の教えを引き継ぐ
職人の方々のそういったエピソードとともに、子どもたちに「将来、こんな仕事をする選択肢もあるんだよ」と伝えたいという思いを強く持ちました。 子どもたちに本物の日本文化にふれる機会を提供し、未来へ繋げたい。この連載を続けながらそんな思いが膨らみ、心游舎(しんゆうしゃ)という団体を立ち上げて13年になります。 一期生として参加してくれたお子さんが社会人になっていてびっくりしたりも(笑)。幼稚園での和菓子のワークショップに始まり、田植えから稲刈りまで行う米作り体験はもう10年目になります。 能登半島地震に際してはクラウドファンディングもなさっています。 ——能登の漆芸職人の方々が、震災前から技や文化の継承問題に悩んでいらしたことは存じており、切れかけた糸がぎりぎりで残っているような状態と感じておりました。 その支援をするとともに、能登の漆芸文化を広く後世に伝えるため、「お能」の舞台にしてみよう。そんな試みにたくさんのお志を寄せていただき、本当に感謝しております。
◆三笠宮家の歴史を妃殿下からうかがって そういった活動はお父様である寛仁親王殿下の影響でしょうか。 ——父は、「皇族というのは、国民のなかに自ら入り、国民が求めることをするのが仕事だ」とつねづねおっしゃっていました。父にとってそれは、社会福祉やスポーツ振興、青少年の育成でした。 父から引き継がせていただいたお役目も大切にしながら、私は日本文化を後の世まで伝えるという活動を、研究、執筆、心游舎の運営を通して続けていく。そうして父の教えを引き継いでいるつもりでおります。 寛仁親王殿下が、留学記がベストセラーになったことをお知りになったら、さぞお喜びでしたでしょう。 ——どうでしょう。きっとすごく悔しがられたのではないでしょうか(笑)。連載の1回目を読んでいただいた時も、「25歳で留学記を出した俺にようやく並んだな」などとおっしゃって。 ですから今回も絶対素直に褒めてはくださらず、「まあ、たまたまだろう」くらいのご感想ではないかと思います。 研究の道に進んだことは、祖父である三笠宮殿下の存在が大きかったと感じています。殿下は古代オリエント史がご専門の歴史学者です。幼い頃、わからないことをうかがうと、何冊もの百科事典や辞書からコピーを取って渡してくださった。 本によって記載内容が違うと知ることで、さまざまな資料にあたる大切さ、何かを鵜呑みにせず自分なりに答えを探す道筋について教えてくださっていたのだと思います。